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昨日(3月18日)、京都市の日六郎氏の自宅を訪ね、3時間にわたってインタビュー的な対談を行った。日さんは90歳で、足が少し不自由になっているが、すこぶる元気だった。最初にお会したのが、10代の頃だから30数年前ということになる。1970年代のことだった。10年ほど前に対談をしたことがあり、また8年前にはパリ郊外の日さんの家を訪ねたこともある。

『戦争のなかで考えたこと――ある家族の物語』(日六郎・筑摩書房)という自伝的回想記がある。中国の青島で育った日さんの少年時代の空気をよく表している本だが、敗戦直前に海軍技術研究所に徴用されていた時の話から聞いた。

「1945年3月10日に東京大空襲があって、翌日に東大に行ってみると大学のすぐ近くまで焼けていた。実感として、敗戦は目に見えていると思っていた。海軍技術研究所には、東京大学の中野好夫助教授(英文学)、尾高邦雄助教授(社会学)、宮城音彌(心理学)、細入藤太郎(立教大学・アメリカ史)などの顔もあった。助手だったぼくは、技術研究所で『個人として時局の現況をどうみるのか』という課題を書いて自由に提出してほしい』という呼びかけに応じることにした」

 資料収集だけではなくて、中島飛行場に泊まりこんで労働者の話を聞いた。軍の参謀本部や外務省のソ連課長を訪ねて、第2次世界大戦後の世界を分析している専門家にも会う。そして、当時27歳の日高氏は、日本の敗戦後を見通した40分にわたってプレゼンテーションを行なう。

「世界の大勢は、植民地主義の後退へ、国内政治においては民主主義化の方向に動いている。戦後、その傾向は、もちろん複雑な一進一退はあっても、大きく見て変わらないと考える。しかし、この世界の大勢は、日本の皇国思想と対立・矛盾するものでもあるまい。その大勢を理解し、肯定し、支持するところに日本の未来はあるのではないか。

 満州事変以後、日本は『解放』原理を唱えながら、日本の植民地となっている朝鮮・台湾似ついては、一度も将来における「解放」「独立」の約束を口にしなかった。……第一次大戦後、とくに第二次大戦に入ってからイギリスでは、対インド、対ビルマなどにおける将来の自治権の拡大が研究されてきた。『アジアの解放』を言う日本はおくれをとった。朝鮮や台湾問題について、それらの「解放」路線を検討することさえ許されなかった。そのことが、アジア民衆に疑惑を持たせる原因
となった。日本は現在の苦境の中でも、戦後、朝鮮の独立、台湾の中国返還の約束を発表することは可能ではないか。

……さらに進んで、戦闘の中止、停戦の交渉、平和の回復を日本の側から訴える方法もあると考える。中国や東南アジア地域で、日本の占領下、自治政府あるいは独立政権がすでに発足している地域からの、日本軍隊の撤退を実行に移していく。それは、日本政府がかねて主張している通り、日本の軍事力行使が領土拡張や膨張主義のためではないといことの証になるかもしれない。

 また、日本の一層の民主主義化、言論・集会・結社の自由の保証、国民の福祉政策の充実、教育の門戸開放や改善を約束することもできるのではないか」

この日青年の話に、当時軍の上層部の信頼厚く、皇国思想の権威で特攻・玉砕を支持していた平泉澄東大教授が目を向いて反論する。

「日君の議論に私はすべて賛成できない。その根本は、議論の進め方が、皇国精神から出発せず、世界の大勢から説き起こしているところにある。それは、皇国思想の否定以外の何物でもない。君の思想は、国体を危うくするものである……

 とくに君が、最後に提案した〈日本軍撤退〉の提案などにいたっては、私は許すことができない。君の考えは、日本の敗北を前提としている。なんという心得違いか。われわれがなすべきことは、勝利のために草を飯み、泥水をすすっても、戦うこと以外にない。君も、東京帝国大学助手である。その責任の大きさを考えるべきである」(『戦争の中で考えたこと』日六郎・筑摩書房155~156ページ)


 戦後、平泉教授は職を辞した。しかし、今の日本の状況とは「平泉教授の後継者」が子や孫の代まで増殖して大手をふって歩いている姿ではないか。「日本の支配層は変わっていない。変わったという形跡は見られない」と日高氏は語る。幣原内閣の憲法草案が明治憲法の枠を出ることが出来ず、「憲法は国情・民情によらなければならない」として、GHQの憲法案に抵抗した。「日本の歴史・伝統文化を尊重する」といって憲法や教育基本法にも違和感を覚えるのは、平和主義・主権在民の憲法に60年間違和感を感じてきたことの表明だと指摘する。

 教育基本法の改定と防衛省昇格を同時に行なった昨年12月の国会は、準憲法を数の力で普通の法律に引きずり降ろし、自衛隊の任務を海外派遣に拡大した。日さんは、「教育と軍事の握手とは戦争前の最悪のパターン」と警鐘を鳴らす。ただ、「憲法感覚というか、日本国憲法60年で養われた力が根強く人々の中に宿っていることが可能性」とも語る。ひたすら、語り続けて3時間……歴史的事実の継承と、社会学者として時代に向き合う日六郎さんの思想にふれたひとときだった。

(このインタビュー的対談は、『世界』(岩波書店)の誌上に掲載される予定です)









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