嵐山光三郎は追悼文をこうも表現する。
追悼文は、ナマの感情である。その場その瞬間の心情を、思い出すままに書きつづってしまう。まさか後世に、文献として残るとは思わない。だから本心が出る。日記にも似た要素はあるが、日記は残されるから本心を隠そうとする配慮が出る。追悼文が一番油断する。
そんな追悼の真の達人が川端康成であると嵐山は主張する。彼は多くの文人を見送り、自らを「葬儀の名人」と自嘲するほどだったが、川端の弔辞は作品としても凄みがある。坂口安吾への“作品”はこうだ。
……文学者にとっては、一人の作家の葬式につらなり、弔辞をのべるのは、自らの幾分かを葬り、弔う思いをまぬがれない。親しい交わりがあるにしろ、ないにせよ、坂口氏を失ったことは、私たち自身のうちの、あるものを失ったことである……
短いが、もうひとつこれぞ名文という追悼文は北原白秋が石川啄木の死をつたえたもの。
「石川啄木氏が死なれた。私はわけもなく只氏を痛惜する。ただ黙って考えよう。赤い一杯の酒が、薄汚い死の手につかまれて、ただ一息に飲み干されて了ったのだ。氏もまた百年を刹那にちぢめた才人の一人であった」
嘘つきで、金にだらしなく、まったくの破綻者であった啄木も、こう追悼されればもって瞑すべきだろう。次回は島崎藤村篇。
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