「啄木、安吾」篇はこちら。
嵐山が唾棄しているのが島崎藤村。彼の藤村嫌いは徹底していて、「本の雑誌」でミステリを弁護士の観点から読み解く連載をもっている木村晋介に、藤村の「新生」を読み解かせて彼の非人間性を露わにさせたくらいなのだ。
芥川龍之介は、藤村の人も文学も嫌っていた。自費出版で儲ける藤村は、版元からも嫌われており、時代のおぞましい痣のような文学商人の一面があった。岩野泡鳴は、藤村を「思わせぶり」と酷評した。藤村には、マッチポンプのように自ら不幸の種をまいて、それを小説の仕掛けとして悩み、告白してみせる性格がある。
藤村が、姪の島崎こま子に手を出して、妊娠させたのは42歳のときである。こま子は藤村の次兄広助の次女で、藤村の家へ家事手伝いに来ていた。
藤村はフランスへ逃げるが、三年後に帰国して、またこま子との性の陥穽におちいる。それが原因で兄広助とは義絶したが、その懊悩と懺悔による罪の浄化を「新生」と題して朝日新聞に連載した。作家としてはしぶといが、人間としては批判されてもしかたがない。
……さ、最低の野郎である。自らの呪われた血への懊悩があったとしても、だ。やっぱり、生前のおこないをきちんとしていないと、後世でこんな総括をかまされてしまうんだなあ。自重あるべし。
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