前号繰越。
笠原は多くの戦争映画の脚本も書いている。「二百三高地」(※)「日本海大海戦 海ゆかば」で日露戦争。「あゝ決戦航空隊」「大日本帝国」「零戦燃ゆ」などで太平洋戦争。海軍出身であり、徹底した取材魔でもある彼は、やくざやテロリストといった歴史の暗部に関わる人間たちから話を聞くうちに、独自の歴史観を確立する。そしてその大きな部分は「天皇」への強烈な思いだ。
※笠原:(主題歌の『防人の詩』について)さだまさしを使うというのは誰が言いだしたのかな……山本直純かな?でも、詩を読んでもよくわからないんだな。「海は死にますか、山は死にますか」って死ぬわけないじゃないかって思ったんだけど、これが大ヒットしたんだ(笑)
……笠原は擁護するけれど、乃木はやっぱり無能でしょう。
例えば、特攻の生みの親と言われる大西瀧治郎の二千万人特攻論について、あの児玉誉士夫(ロッキード事件でおなじみ。右翼の巨頭)から真意を探っている。
笠原:結局、大西さんの二千万人特攻論というのは、天皇に死んでくれということなんですよね。表向きには言えないから二千万人特攻だと言っているけど、そうなった時には天皇陛下自ら玉砕していただいて、最高司令部の全員が特攻機に乗り込んで突っ込むと。そうしなければ、たとえ敗れたとしても日本は絶対にいい形では蘇らないと。一遍、古いやつが死んでしまわなければダメなんだというのが大西さんの悲願だったんだね。
……まるで国体明徴運動だ。逆に、明治以降の日本は軍隊を近代化することができず、「天皇の私兵」として統御するしかなかったから、降伏のタイミングを失い、玉砕に向かって突き進むしかなかったのだと笠原は結論づける。 笠原:そういった、どんどん悪化していく状況の中にあって、なぜ、日本は戦争を続けたのか。その段階でもう日本が勝つ見込みは100%なかった。それなのに最高戦争指導会議は、なぜ戦争を継続したのか。天皇なんだよ。
-国体護持ということですか?
笠原:そう。そのためにアメリカとは何の交渉もせず、とにかく徹底抗戦するというだけの話なんだよ。結果、敗戦となるまでの間に特攻隊とか空襲、原爆で日本人は相当死んでいる。それは全部、国体護持……つまり裕仁を天皇の座に置くということのためにのみ、そうなっていたんだよ。それは天皇制のヒエラルキーに入っている上流階級がね……上流階級は、天皇制がなくなったら自分たちの権益をすべて失っちゃうわけだからね、位から財産からすべて。で、当時、アメリカの世論調査では80%の人が天皇を銃殺すべきだと言ってますからね。そういう情報も入ってきてるから、上流階級としては国体護持が第一だということで終戦を延ばしに延ばしていたんですけど、結局、そのために何十万という人が死んでいったわけですよ。だから裕仁が個人で何を考えていようとも、あの人は第一級の戦犯ですよ。これは間違いなく戦犯です。
-戦後、何度か天皇退位説が出ていますけども、笠原さんから見ると、天皇はどういう責任をとったらよかったとお考えですか?
笠原:いや、やめるべきでしたね。
-最低限、退位すべきだったと。
笠原:ええ、最低ね。できれば自決してほしかったですね。
-まあ、歴代の天皇で、戦争責任をとっていないのは昭和天皇だけですよね。
……長々と引用したのは、この構図って今でも生きているんじゃないかと思ったから。この日本でも、イラクでも、そしてご近所のあの国でも。既得権益の問題とか、アメリカが指導者の銃殺を求めている姿勢とかね。
おそらく今の日本で最大のタブーは北朝鮮拉致関係になっているんだと思う。しかし“ご家族”への同情をテコにこの国をどこかへ引っぱっていこうとしている勢力には、やはりキチンとした批判を加えなければ。
だいたい、著作権だの放映権料の問題もあるだろうに北朝鮮の“異様な”映像を日本のテレビは「どうです?変な国でしょう?」といった具合に流している。でも、あの異様さを戦前の日本が同様に持っていたということをどうして誰も指摘しないのだろう。キム・ジョンイルの両手を叩くあのしぐさに、ヒロヒトの右手をあげる姿を重ね合わせる人間の声が聞こえてこないのはなぜなんだ。
出来上がった映画が右翼的である笠原が昭和天皇の退位を願い、左翼が天皇制にむしろ寛容になっているねじれと共に、この国は未だに天皇の呪縛から離れられないでいる。あ、その裕仁の出自についてのとんでもないネタに入る前にこんなにスペースをくってしまった。以下、次号。
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