三谷幸喜が、この映画のキャンペーンで露出した媒体は150にも及ぶという。封切り二週間前あたりから、印象ではどんな番組にも彼は出演し、例によっておびえたような瞳で、しかしあざとく宣伝だけはきっちりかましていた。顔にパイを投げつけられ、鼻で縦笛を吹く芸を披露までして(実はできもしないのでギャグなのだが)「ザ・マジックアワー」を観てくださいよと全身で強調していた。
前にもふれたように、三谷幸喜の才能は脚本や舞台の演出、そして映画監督よりも“舞台あいさつ”にある。コメント芸というか。テレビ出演にしても「ぼくは実はこんなことはしたくないんです。出たがりじゃないんです」と強調しながらも、客はそれが建前であることを百も承知。三谷が出演した番組が、いつもよりも高視聴率だったのはそのためだ。まちがいなく、各番組を活性化させていたではないか。
批判も多い。要するに映画の宣伝のために自社媒体を(今回はフジテレビだけでなく他局にも積極的に露出したが)利用するのは下品なことではないかと。もっともだ。テレビが結局のところ宣伝のためにあるのだとしても、おのずから節度というものは必要だし、今回の三谷の行動は明らかに逸脱している。
しかし、だ。
徹底した大キャンペーンは、「ザ・マジックアワー」という作品にとって必要な作業だったのだと思う。一種のダメ押し。こんなに大騒ぎをするぐらいに楽しくて面白い作品なのだと刷りこまなければ、映画館で観客はとまどってしまうだろうから。
それほどに、実は地味で前衛的な作品なのだ。
街をギャングが牛耳り、波止場では密輸が行われ、映画館では往時の暗黒映画が上映されている。レストランの支配人はボスの愛人を寝取り、生き残るために売れない俳優を伝説の殺し屋に仕立て上げる……およそ現実感のない設定。そのために何度も登場人物たちに「まるで映画みたいな街ね」とつぶやかせる。三谷は最初、背景は書き割りで十分だと考えていたそうだから、そんな舞台中継的前衛作品に仕上がる可能性さえあったわけ。
そこを、フジテレビと東宝は一大娯楽大作に仕立ててみせるために東宝撮影所最大のステージを用意し、豪華キャストをそろえ、大キャンペーンを組んだわけだ。
佐藤浩市や深津絵里は、夢の国(映画)の住人というにはシリアスに過ぎ、その反面「港町純情シネマ」(TBS)で既に夢想する男を好演していた西田敏行は、水を得た魚のように生き生きしている。ビリー・ワイルダーのファンである三谷幸喜は、露骨なオマージュを「完璧な人間はいない」という有名なセリフを某人物に言わせて表現。でももうちょっとひねったやり方もあったんじゃないかなぁ。
特別出演の多さと、伝説の殺し屋が実はあの人だったというオチは楽しめる(ちょっとネタバレだけど、わたしは途中まで伊吹吾郎が殺し屋だと思ってました)。「THE有頂天ホテル」の某キャラがそのまんま登場し、邪険にあつかわれるのには笑った。
映画の出来は三谷映画のなかで確かに最高だろう。しかしわたしは客を喜ばせるためにドラマが破綻しかかっていた「THE有頂天ホテル」の方を選ぶ。あっちは、何のダメ押しも必要がないほどひたすらに楽しい作品だったので。
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