監督:今村昌平
出演:緒形拳 三国連太郎 ミヤコ蝶々 倍賞美津子 小川真由美 清川虹子 北村和夫
「この家には悪魔がいる」
「本当に殺したい人間を殺したのかね」
「殺すなよ、榎津」
30年ぶりに再見。緒形拳がおしゃれに(ほんとうに、おしゃれです)演じた連続殺人犯榎津(モデルは昭和38年から39年までの間に5人を殺した西口彰。死刑執行済み)が、結局のところ父親に反抗するだけの子どもであることを、ここまで強調していたのかとしみじみ。原作も凄かったが(映画化権争奪は熾烈だったと記憶する)、今村の視線は露骨なぐらい。
父である三国連太郎と、妻である倍賞美津子の関係を疑い、それでも心のどこかで父親に甘えている殺人鬼。母親(ミヤコ蝶々)に溺愛され、母にだけはいつもよい子でいる悪魔。際立たせるためか、娘二人と同じ画面には一度も榎津は描かれない。つまり、自らも父親である背景は完全に無視される。おまけに、最初の殺人に至る過程まですっぱり省いてあるのだからその徹底ぶりは確信犯。
そのかわりに、熟した女優たちとの大胆な濡れ場が連続する(榎津の性豪ぶりは、今村らしく何度もしつこいくらいに描写される)。小川真由美がここまでやってくれているとは忘れてたなあ。それはすべて、名高い倍賞美津子と三国連太郎の露天風呂のシーンが印象深かったからか。
絞殺したあとに、失禁した小川真由美の身体を丁寧にふき取る榎津の、それが小川への愛情なのか、それとも殺人の現場を少しでも整理したいという悪魔の所業なのか、おそらく榎津自身にもわからなかったのだろう。殺人を犯した母親を持つ売春宿の女将を、小川真由美は“無邪気そうに”演じていてむしろ殺人者よりも怖ろしい。
「お義父さんの、ずるかとこが好き」
学生のころには、倍賞美津子のこの言葉の凄みがわからなかった。少なくとも、それが理解できるくらいにはわたしもオトナになったわけだ。それだけかよ。
日本はフランスと同じ性的描写に対する規制が寛大なので、すごいなといつも思います。
この映画でも、三国連太郎と倍賞美津子の入浴シーンがよく話題になりますが、緒形拳がちゃちい凶器で淡々と人を殺す部分の方がかなり怖い。
もちろん、今村昌平のねらいもその“淡々と”の部分なのでしょうけれども。
ヴァンサン・ペレーズの真正面の全裸のシーンがあり、彼の性器も丸見えでした。イザベル・アジャーニとヴァンサン・ペレーズは町の隅っこですぐセックスをするので、アンリ4世の時代って意外と大胆なんだなと思いました。
アンリ4世とマルゴの政略結婚のお祝いで宮殿が酒池肉林になるシーンも印象的でした。宮殿の廊下でそのまま性行為に及ぶ者もいたので、せめて部屋でドアを閉めてやった方がいいのにと思いました。
銀幕の妖精と喩えられたイザベル・アジャーニの魅力を何となく理解できました。緒形拳が亡くなったのは本当に残念に思います。この前エリック・ロメール監督とクロード・シャブロル監督の訃報を知った時も大変残念に思えました。
西欧人の、というかフランス人の性描写に対する態度は、むしろオトナなんだな、と感心します。
小手先のぼかしなどのテクニックばかり洗練されてしまった国の人間として、ほんとにそう思います。
もっとも、だからこそこのサイトでも「ヘアーの不毛」なんて特集ができるわけなんでご覧になってください。
「王妃マルゴ」もいただきだっ。
私は1983年生まれで、ファニー・アルダン、イザベル・ユペール、サンドリーヌ・ボネール、ジャン・ルイ・トランティニャンやランベール・ウィルソンなどの俳優が好きです。
特に1950、1960、1970、1980、1990年代の日本の政治や歴史そして大衆文化に興味津々な私なので、仮に奇天烈大百科やドラエモンみたいにタイムマシーンがあれば、昔の日本に戻って生活したいと思います。
彼のように、被害者のようにも加害者のようにも
見える俳優ですしね二人とも。
日本の近代史は面白いかなあ。
少なくともこれだけ長い間、民主主義国家のくせして
政権の交代がなかったという意味では
興味深いですね(T_T)
本当にハンサムでセクシーで渋い方だなと思います。「復讐するは我にあり」のポスターの怖い眼差しとは対照的に他の写真や画像では暖かくて優しい笑顔と眼差しが印象的でした。
日本もアニエス・ヴァルダ監督の「百一夜」のような映画を製作する時には絶対に緒形拳の映像は欠かせないと思います。
えらいことは言えませんが、少なくとも緒形直人のお父さんは
“どんな作品にも自然に入り込める”という意味で
“スター”ではなくてどこまでも“俳優”だったといえるでしょう。
彼が三島由紀夫を演じた「MISHIMA」は、機会があったら
ご覧になることをおすすめします。
テレビで見ていると本当に心が痛み残念に思えます。
9月17日土曜日から連続三日間の外交官の国家試験を受けていました。国際法と国際経済の二科目は数文字しか書けず殆ど白紙状態に近かったので、その翌日月曜日の口答試験は受けても何の意味もないと思いつつ、有終の美を飾ろうという気持ちで最後まで受けました。
今は就職に備えて色々と準備中で正直言うと不安と緊張に見舞われております。
兵役中に大陸と何かなくてよかったですね本当に。
日本はそんな、現在進行形で交戦の可能性があるという
事態になれていないので、政治家は無責任な
発言をたれながし、若者もそれに喝采したりしています。
やれやれです。
この前までは厭世的で死後の世界でもし生まれ変われたら私は国生さゆりみたいに今度は1966年(昭和41年)の日本で日本の国民として生まれて昭和時代を満喫して日本で自分の夢と幸せを掴んだやりたいという願いを思っていました。
昭和58年(1983年)に台湾という閉鎖的で不自由で夢も希望も見えない島に生まれた私の人生は最初から神様による何らかの悪戯あるいは茶番劇だったのかな?といつも自問自答しながら辛い思いをしてきました。
元々1999年以後の世界には落胆させられている私なので、さくらももこ、国生さゆり、南野陽子、中森明菜みたいに1960年代の日本に生まれたかったという思いがただひたすら募るだけなので、自殺する勇気はない私なので長生きせずに早く死んでしまいたいという願いを抱いていました。
今日10月1日の誕生日で28歳になりました。中身はまだ16歳程度なのですごく恥ずかしく思います。少しは強くなりたいという願いを誕生日のお願いとして願いました。
あえて言いますけれど、始まったばかりの人生に
幸多かれと思います。
サンプルとしてお考えの1960年代以降の日本も
(実はお察しになっているように)
たいした世界ではありません。特に中森明菜は一種の絶望を
感じていたのだと思います。
わたしたち日本人は、逆に台湾という国にある種の
羨望をおぼえているわけで、そのあたりはフィフティフィフティ
なんでしょうね。
どこにもない場所を求めている……でも、それって
どの場所に住んでいる、どの時代に済んでいる人も同じですよきっと。
これだけは確実に言えます。
年を取ると色々なことが楽になります。同時に無責任にも(笑)