PART1はこちら。
◆勝新太郎
いちおう黒澤さんに「ちょっとビデオ回していますから」って言ったら、「ぼくを信じられませんか」って言うから、「いやいや、そんなことないですよ」。「ぼく、そういうの嫌いなんです」「なんでです?」「ぼくの映画は最後、どういう編集をするかが勝負なんですから。そういうような研究ですか」。
(略)「気に入りませんか」ってまた言ったから、この野郎、と。なめんなよ、人にもの頼んどいて、俺がいつ出たいって言った。お願いしますっててめえのほうから頭下げといて、この野郎、と。
……かの有名な「影武者」主役降板劇について和田さんはズバリと斬りこんでいる。武田信玄、およびその影武者を黒澤明監督作品で演じるとすれば、それは役者冥利につきるというものだろう。しかしふたりの天才は、今から思えば必然のようにぶつかり、結果として仲代達矢が代役に立った。
この事件(まさしく、事件だった)は当時大きく報じられ、さまざまな憶測を呼んだ。羅生門ではないが、それぞれが、それぞれの真相を胸に秘めているはずだ。勝の場合は、このインタビューで語ったように記憶されているのだろうし、黒澤には黒澤の真相があるだろう。
映画ファンはこの降板を哀しんだが、みんなが勝新版の影武者を夢想できたという側面は確実にあったかも。そうでもなければ、大河ドラマ「独眼竜政宗」における恰幅のいいきらびやかな豊臣秀吉というキャスティングは実現できなかったはずだ。
彼は大俳優であることを私生活でずいぶんと楽しんだ(そのことで中村玉緒は苦労した)。あふれるアイデアを画面にぶちこむことを生きがいにしていたようでもある。しかし、そのせいで彼は芸能プロの経営者として最低だったわけで(そのことで中村玉緒は……)、放埓な人生は役者バカそのもの。だからこそ、いまでもみんなから愛されているのだろう。
そうです。この総括もわたしなりの勝手な真相です。
PART3の森繁久彌篇につづく。