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事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

源泉徴収という罠 第5回「トリック」

2008-11-30 | 情宣「さかた」裏版

Paulsmithlogo 第4回「年末調整」はこちら

 年末調整の二つ目の問題点。そしてこの国の税制にひそむ最大のトリックは【ほとんどのサラリーマンは所得税について直接に対峙する機会がない】ことだ。

 源泉徴収→年末調整という流れのなかで、住宅を建てた翌年か、医療費がよほどかさむか、あるいは年収2000万円を超えるかでもしないかぎり(残念ながら山形県の教職員にはこんなうらやましい人はめったに存在しない)日本のサラリーマンはまず確定申告をすることはない。e-Taxを知っている人は圧倒的に少数だろう。

 というのも、給与所得控除の号でお知らせしたように、こいつが思いっきり甘く設定されているため、アメリカのように領収書集めに奔走する手間もいらず、おまけに精算事務も雇用主が代行して行ってくれているからだ。こんな国は他にない。

 だからほとんどのサラリーマンにとって税金のために行うアクションは、11月に保険料の証明書を申告書の裏に貼っつけることと、扶養控除の申告書とともにちょこちょこっと記入することぐらいになってしまった。

 その結果どうなったか。

Wallaceandgromit_psfk  この、のんきなサラリーマンたちが、税金を《自分のこと》として考えなくなってしまったのである。そんなことはない、と反論されるかもしれない。それではあなたは、今年どれくらいの所得税を払ったか、すぐに言うことが出来るだろうか。身を切る思いで自分の財布から税金を払っているならともかく、なかなかそうはいかないでしょう?ここに、源泉徴収という罠が存在するわけだ。

 納税者としての意識が民主主義の根幹だと言われていることからもわかるように、自分のことではない税金の使途に、はたして本気になれるものだろうか。サラリーマンが、御しやすいサイレント・マジョリティだと為政者にナメられる要素がまさにこれ。

 消費税が導入されたときの大騒ぎを思い起こしてほしい。本気で税と向き合えば、決してサイレントでいられるわけがないのだ。すくなくとも、1月に配布される源泉徴収票は熟読してほしい。給与所得者としてのすべての情報が凝縮されたあの紙っきれからは、あなたが払った税額とともに、様々なことが読みとれるはずだから。

02年12月24日付情宣さかた裏版より。

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源泉徴収という罠 第4回「年末調整」

2008-11-30 | 情宣「さかた」裏版

Paulstuartlogo 第3回「源泉徴収」はこちら

 いったいどうして年末調整などというサラリーマンにとってステキな制度(皮肉)が導入されたのか。話はそこから始まる。

 敗戦直後、世間では闇取引が横行し、すさまじい勢いでインフレが進行していた。ために申告による納税は悲惨な状況となり、税務署員が払底していたことも手伝って、何らかの措置が必要とされることとなった。

 そこで1947年の所得税法の改正の際に、こっそりと、しかし後の日本の税制を特徴づける重要な制度【年末調整】が登場した。

 この制度は、年収5万円(現在は2000万円)以下の給与所得者の確定申告を省略して、源泉徴収してきた所得税と、本来の所得税額との過不足を、雇用主(源泉徴収義務者)が年末に調整しなければならない、とするもの。
 徴税当局としては、あてにならない申告納税よりも【迅速】【確実】そして【安価】に税収を確保できるというメリットがあったわけ。

 迅速、確実……そりゃそうだ。給与が支払われるたびに、所得税は自動的に差し引かれ、ほとんど何の疑問もなく税務署の金庫に納められるのだから。

 安価……この徴税制度のコストの安さは特筆に値する。なにしろ、本来徴税の主体者である国の事務のほとんどすべてを事業者に無償でやらせているのだ。企業が負担している源泉徴収の費用は、年間2,500億円におよぶという試算もあるくらい。サラリーマン一人あたり約5,000円である。懇切丁寧な説明会を何度開いてもバチは当たらないというわけだ。大企業の総務課は11月からの約一ヶ月間をこの事務に集中しなければならないし、わたしたち山形県職員にしても、給与システムを年末調整に反映させるためにものすごいコストをかけてソフトを作成し、おかげで複雑化したシステムのために事務職員が頭を悩ましている。

 このすばらしき年末調整は、二つの大きな問題点をかかえている。

Paulstuart  ひとつには、自分のプライバシーをこの制度のために会社にさらさざるをえないということ。家族情報や、住宅を建てるためにいくら借金をしたか、どんな保険に加入していて受取人は誰なのかにいたるまで、会社(→わたしたちの場合は山形県)に申告しなければ税控除も受けることができない。

 端的なのが廃止の方向に動き始めた配偶者特別控除。その年の収入額を不確定なままに予測し、ある意味バクチのように申告している。こんなもんどう考えても確定申告のエリアなのだが、それでもむりくりに年末調整のなかに入っている。

 つまり、日本のマジョリティであるサラリーマンには、どうあっても確定申告をしてもらいたくないという意図がミエミエ。

 その理由は、二つ目の問題点のなかにある……
【つづきは次号最終回「トリック」で】

02年12月13日付情宣さかた裏版より。

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源泉徴収という罠 第3回「源泉徴収」

2008-11-30 | 情宣「さかた」裏版

Brooksbrothers 第2回「クロヨン」はこちら

 前号で給与所得者には意外に多額な必要経費が認められていることをお知らせした。衣料品(背広、Yシャツ、体育教師ならジャージ系も含まれるだろうか)、身回品(靴、カバン、時計)、クリーニング・理容代、文具、新聞・書籍、交際費……よほどの高コスト教職員でも、その必要経費が20%をこえることはまずない。

 それでも、これだけの控除が認められているのはなぜだろう。
 ここに、源泉徴収と年末調整がからんだ、日本の税制の特異な点がひそんでいる。

 12月の給与で、所得税が大幅にかえってきたり、逆にとんでもなく取られてしまうことから職員の一喜一憂があるわけだけれど、これは以下の事情による。

 サラリーマンの給与は、概算された所得税額を天引きされたうえで支給されている。これが源泉徴収という制度だ。そして企業などの勤務先(わたしたちの場合は山形県→結果的に学校事務職員がそれにあたる)による国の徴税事務代行によって確定された所得税の年額が求められ、その年の最後の給与で調整される。これが年末調整

 乱暴な言い方をすれば、「仮払い」をしてきた(源泉徴収)所得税を支払者が「精算」してあげる(年末調整)システム。
 だから12月の給与の手取りが多かった場合、税金を多く支払いすぎていたのだから本来は怒らなければならないのだ。ま、気持ちはわかりますが。

 では、この給与所得からの源泉徴収という制度はどのようにして始まったのだろう。

 日本に所得税が創設されたのが1887(明治20)年。やがて法制化され、1899(明治32)年に初めて源泉徴収という仕組みが登場する。このときは、利子所得への導入だった。それが給与所得への源泉徴収が導入されたのは1940(昭和15)年。その目的は、時期的なことを考えてもお分かりのように戦費調達である。モデルになったのはナチス・ドイツの方法論だった。

 どうして源泉徴収が戦費調達に都合がよかったかというと、この制度の特徴を考えればすぐに理解できるはず。

・支払者が所得支払いの際に税金を天引き徴収する
・天引きされるために納税上の苦痛が少ない
・国家の権力によって強制的に徴収されるという感じが少ない
・原則として申告などの手続きを要しない
・徴税費が比較的少なくてすむ
 
そろそろどうして源泉徴収を組合の情宣で問題にしているか、察しのいい人はわかってきたでしょう。おまけに、この源泉徴収を補完する意味でまことに洗練されたシステム、年末調整が導入されるのである。

【次号PARTⅣは、もちろん年末調整を特集】

02年12月3日付情宣さかた裏版より

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源泉徴収という罠 第2回「クロヨン」

2008-11-30 | 情宣「さかた」裏版

Giorgioarmanidressesbruc 第1回「保険料控除」はこちら

 言うまでもなく政治家の仕事は『税金をどう集め、どう使うか』を決めることだ。そう考えれば、この国の税制には『日本国民がこうあってほしい・こうあるべきだ』という意味が込められているはず。前号で保険料控除を特集したけれど、控除には他にも「扶養控除」や「住宅取得控除」などがある。

 つまりこう考えているのだ。日本国民たるもの、老いた両親と同居して生活の面倒をみ、生命保険や損害保険に加入して医療負担や無年金状態にみずからそなえ、そして積極的に金融機関から借金をして家を建てなさい、と。

 しかし裏を返せば、これらは日本の医療負担が大きく、年金などの社会保障が不十分であることを所得控除という形でフォローするものだし(完全な社会保障が達成されていたら、誰も生命保険には入らないわけだけれど)、延長に延長をかさねた住宅取得控除は歴然とした景気対策だ。

 ただ、これらの控除は機械的に課税したのでは不公平が生じてしまうことを調整する意味合いもあるのだが、もっと根幹にかかわる問題をはらんだ控除が存在する。
 給与所得控除だ。

 クロヨン、とかトーゴーサンピンということばをご存じの方は多いと思う。これは所得の捕捉率を揶揄する隠語。
 つまり自営業者などにくらべてサラリーマンは所得を全部把握されているから圧倒的に不利じゃないか、というわけ。

 どっこい現実はそんなに単純ではないのだった。収入総額(農業所得者の売り上げ、にあたるだろうか)にたいする給与所得者の必要経費として認められる部分が給与所得控除だが、これが意外にでっかいのだ。   
 たとえば年収800万円の教員の場合、800万円×10%+120万円だから200万円。これだけの必要経費が教員としての職業をおこなう上で認められていることになる。年間200万、ってことは月額にして17万ぐらい。

170、000円!どこの世界にそんなに燃費のわるい教員がいるもんか。毎月アルマーニが買えるじゃないかっ!

02年12月3日付情宣さかた裏版より。
第3回「源泉徴収」につづく。

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源泉徴収という罠 第1回「保険料控除」

2008-11-30 | 情宣「さかた」裏版

48042182  年末調整真っ盛り。事務職員の顔が次第にけわしくなってくる季節だ。
 この年末調整や源泉徴収に代表される日本の税制が、他国に比べてかなり特異なものであることをご存じだろうか。よくよく検証してみると、実は日本のサラリーマンは税制面で徹底的にバカにされているのだ。
 今号から、しばらく税金について考えてみます。

 事務職員が不機嫌になっているのは、おもに保険料控除の事務が思いきり煩雑であることによる。保険会社が発行した証明書をかき集めたり、その額の確認と控除額の計算に忙殺されるからだ。

 でも不思議に思われないだろうか。いったいなんで生命保険や損害保険に入っていると税金が安くなるのだろう。控除別に、考えてみる。

生命保険料控除

 この控除の開始は、なんと1923(大正12)年にさかのぼり、保険料年額200円からスタート。そして中断はあったものの現在の10万円以上の支払いに対して一律に5万円の控除になっている。98年にこの控除の適用をうけた民間のサラリーマンは3294万8千人。一人あたりの平均控除額はおよそ5万8600円(5万円をこえているのは、84年から別枠の個人年金保険への控除が加えられたから)となっている(【平成10年分税務統計からみた民間給与の実態】)。公務員も加えれば、ほとんどのサラリーマンが適用をうけたことになる。

この制度の目的は、旧大蔵省が戦争やインフレで堕ちるところまで堕ちた生命保険というものの信用を回復させ、民間の資本の蓄積をはかったことと、戦後の生保が貯蓄性の高い養老保険が主力商品だったため、一般国民の貯蓄を奨励する意味があったといわれている。

損害保険料控除

 こっちはまだ新しい。といっても1964年創設だからもう40年近い歴史はあるのだが。先の調査によるこの控除の適用をうけたサラリーマンは1714万9千人。一人あたりの平均控除額は6100円だった。

 驚くのはこの控除が日本オリジナルのものだったということだ(のちにドイツなどが追随)。これはなぜかというと、木造家屋が多く、地震列島でもある日本は、損保の必要性が他国にくらべて高いことがまずある。けれど、いくらなんでも控除額は低く(短期で3千円、長期で1万5千円。合算でも1万5千円どまり)、肝心の地震保険や、公共性が高く自家用車が普及しているというのに自賠責や任意の自動車保険は該当しないという矛盾をはらんでいる。 

……この二つの控除とも、実は財務省は早いところ無くしてしまいたいと考えている。けれど、生保損保の両業界や、とりまく族議員がそれを懸命にストップしているというのが現状なのだ。
 どうやら、ここしばらくは事務職員がまるで季語のように「早く申告書を出せっ!」と眉間にしわを寄せて職員をせっつく光景がつづくのかもしれない。
PARTⅡにつづく

02年11月25日付情宣さかた裏版「源泉徴収という罠①」より。
テキストは斎藤貴男の諸作だった。

損害保険料控除についてはだいぶ変更があった。
その件は事務だより「明細書を見ろ」で。

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Made in Hollywood

2008-04-28 | 情宣「さかた」裏版

Sadam_hussein おなじみ、情宣さかた裏版シリーズ。
今回はサダム・フセイン拘束の裏側で……
発行は2003年12月18日でした。

「彼を捕まえた」
いきなりの歓声。と同時に「サダムに死を!」「サダムに死を!」とプレスから(!)わき上がる声……先日のサンチェス司令官の記者会見でのひとコマ。猿芝居もいいかげんにしてほしい、と辟易。ショービジネスの本場なら、もう少し出来のいい演技を見せてくれないか。まあ、実際はサクラもやらせも無かったのかもしれないが、そう「見えてしまう」あたりが現在のアメリカをよくあらわしている。

 ブッシュからして、大根役者ぶりは目もあてられない。夜陰にまぎれてイラクにわざわざ大統領自身が潜入し、兵士に七面鳥を出前したりしている。潜入されたイラクの国民感情など思いやるつもりもないのだろう。おまけに、復興は「協力国だけが……」などと口をすべらし、イラク攻撃が利権目当てであることを自らバラしてしまっている。

 言うまでもなく、日本の自衛隊の最高司令官(※)は小泉純一郎だ。最高指揮監督権は文民である内閣総理大臣に帰属している。しかし自衛隊員が、そして国民が命をあずけることになるこの人が、実際に交戦状態になったとき、はたしてどんな動きをするのかはブッシュ以上にわかりやすいだろう。情報収集も、戦況分析も、そして事実上の作戦行動すら、米軍に【丸投げ】するのではないか。なによりも、この人は「退く」ことをしそうにない。イラクの状況がどうあれ、自衛隊を派遣しないなどという選択肢をハナから持っていないのではないか。派遣したとして、泥沼化するイラクから、彼は自衛隊をどう撤退させるかという青写真を持っているのか?

※一般的に軍隊の階級章は「星」と表現されるが、自衛隊は「桜」。内閣総理大臣は金の五つ桜である。(防衛庁長官は銀の五つ桜)

 加えてわたしが呆れたのは、外交官の葬儀における彼の嗚咽だ。冷たいようだが、最高司令官がこの段階で泣いているようでは、と不安に思った自衛官は多かろう。「国民を納得させるために泣いて見せた」のだとすれば、ブッシュのアメリカと同じように、この芝居もまた、出来が悪すぎる。

 このままでは、自衛隊員は誰かが死に、あるいは誰かを殺す。「(イラクが)危ないから」という以前に、派遣にはまず「意味がない」。まして、情緒的、短絡的で有名な日本国民が自衛隊を殉教者扱いしたら、果てしない暴走が待ち受けているのではないだろうか。

 組合員のみなさんにお願いする。ハガキ行動やデモ行進で、イラクへの自衛隊派遣にはっきりとNOの声をあげ、政府に届けよう。日米の大根役者たちに、どこにも喝采の声など聞こえないことを思い知らせてやらなければ。

……2008年現在、フセインの死刑(私刑)は執行され、失政によってブッシュは“史上最長のダッチロール状態”に陥っている。ある意味、両者ともに無残な結末に。ブレアもまさかアメリカ大統領があそこまで無能であることが読めなかったのか、道連れにされた格好だ。しかし日本は違う。小泉純一郎再登板を望む声がまだ聞こえてくる。幸せな国民と言うべきだろうか。 

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Auld Lang Syne

2008-04-15 | 情宣「さかた」裏版

Danforgelberg   一、
  ほたるの光、窓(まど)の雪。
  書(ふみ)よむ月日、重ねつつ。
  いつしか年も、すぎの戸を、
  明けてぞ、けさは、別れゆく。
 ニ、
  とまるも行くも、限りとて、
  かたみに思う、ちよろずの、
  心のはしを、一言(ひとこと)に、
  さきくとばかり、歌うなり。

 ……季節はずれでもうしわけない。これはもちろんおなじみ卒業式の定番「蛍の光」。正直、美しい詩だと思う。原曲はスコットランド民謡"Auld Lang Syne"=Old Long Since「むかしむかし」。原詩は、旧友と昔を懐かしみながら一杯やろう、という内容。スコットランドでは国歌に匹敵するぐらいメジャーで、みんなで手をつなぎ合って歌うのだという。アイルランドにおけるダニー・ボーイみたいなものだろうか。

遠く離れたスコットランドの歌がどうしてこれほど日本人に愛されているかというと、「蛍の光」が他の多くのスコットランドの歌と同様、日本の伝統的な音階「四七抜き(よなぬき・ファとシがない)」の五音階で作られていることが大きな理由だと言われている。唱歌に採られたのもこのためかもしれない。事実、明治期に文部省の委嘱で唱歌選定を一任された「お雇い外国人」の米国人教育学者ルーサー・W・メイソンは、日本の生徒に西洋音楽を教える難しさのなかで、ファとシを歌えないことをあげている。

 この曲について、先日行われた県教研で、講師となった北村小夜さん(元教員、障害児を普通高校へ全国連絡会世話人)が意外な話を聞かせてくれたので紹介しよう。実は「蛍の光」には、戦後歌われることがなくなった三番と四番があるというのだ。

 三、
  筑紫(つくし)のきわみ、みちのおく、
  海山(うみやま)とおく、へだつとも、
  その真心(まごころ)は、へだてなく、
  ひとつに尽くせ、国のため。
 四、
  千島(ちしま)のおくも、沖縄(おきなわ)も、
  八洲(やしま)のうちの、守りなり。
  至らん国に、いさおしく。
  つとめよ わがせ、つつがなく。

Albumcoversdanfogelbergtheinnocenta ……戦時中は地名が樺太や台湾、はてはアリューシャンとサイパンに言いかえられた歴史もあるのだという。意外なほどの軍事色。学習指導要領のなかで、他の教科と違い、教材そのものが提示されている音楽科で、この曲が採りあげられ続けている意味を考えてくださいと北村氏は語った。「へぇ」と言っているだけではすまない問題が、「蛍の光」の背後にはある。

※軍事色が強い背景には、文部省唱歌(著作権は文科省にある)の成り立ちと関係がある(「蛍の光」は文部省唱歌ではなく、国定教科書に載ったこともないが)。明治初頭、当時の文部省は、伝統的な日本音楽を捨てて西洋音楽を採用するにあたり、原曲とは関係のない歌詞を、国文学者を動員してつけたのである。友だちと一杯やる詩とかは教育的じゃないからまずかったわけだ。

画像は「懐かしき恋人の歌」Same Old Lang Syneダン・フォーゲルバーグ(合掌)
美しい旋律、どこまでも透明なボーカル。お前は小田和正かと思うほどナンパな曲。ちょっと今聴くのは恥ずかしい。しかし「蛍の光」のメロディが効果的に使われていてかなり泣ける。傑作アルバム「イノセント・エイジ」(‘81)所収。わたしはこのアルバムをいとこからぶんどった。

「情宣さかた」裏版2003年11月14日号。

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視聴率

2008-04-13 | 情宣「さかた」裏版

Rating  言っちゃあなんだが、わたしは視聴率オタクである。学生時代から火曜日のスポーツ新聞(前週の視聴率トップ20が載る)は欠かさず買い、インターネットの【お気に入り】には、もちろんビデオ・リサーチ社のサイトを入れている。これはもちろんレイティング競争に血道をあげるテレビ局をゲーム感覚で楽しむため。そんなオタクの目から見れば、今回の日テレの“裏技”は、起こるべくして起きた事件だ。

 興信所を使って視聴率調査会社の保守点検の車を尾行させたとのことだが、昔は紙媒体を使って集約していたらしいので、誰もが“尾行”は思いついたはずだし、小林信彦の著作にもそんなネタはあった。そのプロデューサーの卑劣さに疑いはないが、問題はもっと別のところにあるはず。

このネット社会に、統計学上問題はないなどという理屈でわずか600世帯をサンプリングした数字で兆単位の金が動くことの不思議。そしてその指針が“サンプル世帯の更新が遅いため、高齢者向けの番組の視聴率が高い傾向がある”と批判を浴びていたビデオ・リサーチ1社独占である弊害。自己目的化した視聴率をもとに業界を制圧した広告代理店こそ、このゆがみの元凶であることを誰も指摘しない不健康さ……誰か何とかしないと。

どうせマスコミはどこも書けないだろうから、発行部数800というミニコミ(笑)である情宣だからこそ、ちょっとかましてみました。   

……2003年10月28日付「情宣さかた」裏版のコラムより。
お察しのように日テレのプロデューサーが視聴率調査該当世帯にキックバックの金を利用し“視聴依頼”を行ったという事件をとりあげたのです。このプロデューサー自身も、ある意味視聴率オタクだったのであり、業界全体もそうであることが問題だったわけだ。

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THE NEWSPAPER

2008-04-12 | 情宣「さかた」裏版

Thenewspaper 2003年度の教研集会にこのグループを呼ぶにあたっては色々とがんばらせてもらった。絶対うけるから、と強硬に主張。結果が大成功だったのでよかったけど、ギャラはそれなりだったので(笑)、高教組の支部長(自分が高校生だったときの副担任だったのがまずかったー)に怒られたり……
それでは情宣さかた裏版2003年10月24日号です。

 その集団の名を初めて認識したのは、ある雑誌(「噂の眞相」のこと)の編集後記においてだった。この雑誌、ところによっては文藝春秋よりも売れているぐらい大黒字のくせに、休刊することが決定している。すべて偏屈な編集長のわがままなのだが、そんな編集長に「こいつらは凄い」と言わしめたグループこそ、THE NEWSPAPERだったのである。

 昭和の末期、天皇の病気のために歌舞音曲が自粛され、仕事が奪われていく現実に危機感と「おかしいんじゃねーか」と不信感を抱いた芸人たちが、その現実を逆手にとってグループを結成した彼らだが、ライブをごらんになったみなさんならお分かりのように、平成の世と斬り結ぶネタの過激さと、それを笑いに転換する手管はみごとというしかない。

 一方で彼らのとる手法(=常に新しい時事ネタを、整理し、そしてデフォルメする)は、ネタが常に新鮮でなければならない宿命から、芸人としてはかなり苦しい選択。ネタを練り上げていく、というお楽しみをほとんど放棄しなければならないわけだから。ひところ、TBSの朝番組でその日のニュースを速攻でコントにする企画をザ・ニュースペーパーは請け負っていたが、さすがに苦しい様子だった。

Realkoizumi  しかし、今年の日教組の中央動員で、モノマネの域を超え、本人が“入っている”としか思えない松下アキラの小泉純一郎ネタを見たとき、こいつはいける、と思った。教育研究集会に、彼らを呼べないかと初めて考えたのは実はこのとき。

 リハーサルや、彼らとのネタ合わせ、じゃなかった打ち合わせを通じて、次々に芝居が姿を変えていく現場に立ち会えたのは望外の喜びだった。おまけに、酒田について提供したネタが、それこそことごとく活かされていたのにはこちらもびっくり。なんて換金率の高い連中なんだ(笑)。

 素にもどったメンバーたちは、意外にシャイに見えた。
「教育会館をバカにしたのって、まずかったですか?」ライブ後、気弱にきいてきたのは過激な部分を牽引していた福本ヒデ。おみやげの刈屋の梨に「のど渇いてたんですよー」と無邪気に喜んでいたアジャ松田……

 酒田地区の教育研究集会は、彼らのおかげもあって史上最高の参加者を誇ることができました。分科会も充実。みなさんいつかザ・ニュースペーパーのフルバージョンを、お金を出して(笑)観てやってくださいね。ついでに、主催者として公演中に気合いと精神力で雨を降らせなかった功績もちょっと認めてほしいっす。

※スタッフの朴さん「ホリさん、『家栽の人』って読んだことあります?」「はあ、まあ」「みんなで言ってたんですよー。激似だって」喜んでいいんだか……。

2008年現在、彼らの小泉&安倍ネタはテレビ等でおなじみのものとなった。すっかり人気者になった彼らをまた呼ぶとすれば、やっぱりギャラはそれなりなんだろうなぁ、とうれしく思ったりもしている。

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教員採用試験

2008-04-12 | 情宣「さかた」裏版

Tobisugirukyoushitsu 2003年8月6日発行の「情宣さかた」裏版。
山形県の教員採用試験を、その実施日程から特集してみた。

唐突だけれど、上の表(略)は先日行われた平成16年度の山形県教員採用試験の概要である。問題はこの日程。7月の23、24日といえば、庄内の(に限らないが)小中学校のほとんどはまだ夏季休業前である。受検する職員をかかえた学校が手薄になることはもちろん、その職員自身も、試験前のいちばん大事なときに、不在となる時間の準備をしなければならず、双方に大きな負担となっている。二学期制が浸透すればその影響はもっと大きなものとなるだろう。

今回の教育事務所交渉で、県教委へ、その日程の変更を具申するように求めてきたのだが、調べてみると話はそう簡単ではない。表を見れば一目瞭然。東北6県の教員採用試験の日程を調べてみた。

 有能な人材を囲い込むために、他県と同様の日程にしている現状が見てとれる。これはまあ、気持ちはわからないでもない。民間でも当然のこととして行われているわけだし。どこでどんな打ち合わせが6県の間で持たれているのかなあ、とは思うが。

 でもここでもうひとつの表(これも略。ごめん)を参照してほしい。目を全国に向けてみよう。日程はその中心となる日を抽出したものだけれど、おおよそ

北海道→7月6日
関東→7月13日
北陸、関西、東海、九州→7月20日
中国、四国→7月22日
東北→それ以降

こんな傾向にあることがわかる。
さて、問題はここからだ。7月の6日、13日、20日の共通項とは何か。簡単ですね。これらは日曜日なのである。これなら新卒にとっても、期限付として現場にいる人間にとっても、他の職種から教員をめざす人にとっても、負担と不公平感は少なくてすむ。ましてや山形県は、これまで高校枠で実施していた社会人特別選考を中学校枠に拡大したのだ。本来なら当然のこととして試験の日曜日実施に踏み切らなければならないはずなのに。

 山形県だけ先行することが難しいことは理解できる。大阪府教委が、他府県の公立学校に在籍する現職教員を採用する特別枠を設けて募集を進めていることに対して、京都、奈良などの教育委員会が「将来に禍根を残すことになりかねない」との痛烈な批判を表明していることを考えても、横並びでいることで、かろうじて均衡が保たれているのが教育界の現状だろうから。

 でも、少なくとも現状が新卒に有利な形になっていることだけは指摘しなければならない。期限付という不利な条件のなかで、必死でがんばってくれている講師たちのためにも。

※画像は清水義範+西原理恵子の「飛びすぎる教室」。講談社文庫。
聖書のメインプロットをいっきに紹介するくだりだけでも大収穫。さすが教育大出身。それが同時に、清水のくさみにもなっているわけだけれど。だから破壊者サイバラとのコンビは絶妙であり、必要でもあったのだろう。史上最悪のワトソン役(笑)。

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