陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

イヌに似た人、人に似たイヌ

2009-11-26 22:41:47 | weblog
いまわたしが住んでいる集合住宅は、前とはちがってペット可のところである。いったい何軒ぐらいがペットを飼っているのか知らないが、小型犬を抱いて歩いている人をときおり見かける。みんなが抱いているのは、建物のなかは歩かせないこと、という決まりでもあるのだろうか。

それを見ていると、どうも抱かれているイヌと、抱いている飼い主が、似ているような気がしてしょうがないのだ。今日会った人などは、イヌと飼い主がまったく同じ、斜め下から見上げるような目つきでこちらを見るので、笑ってしまいそうになった。

イヌの方が飼い主にならって同じ仕草をするのか、身近でイヌと生活していると、何となくその仕草がうつってくるのか定かではないが、どうも飼い主にそっくりなイヌ、イヌそっくりな飼い主の例は、思い返すといくらでも出てくるような気がする。

これを見ていて思い出したのは、H.G.ウェルズの『モロー博士の島』という小説である(手元に本がないので、昔読んだ記憶だけで書いているので、ちがっているかも知れない)。

海で遭難した主人公は、孤島でたったひとり研究を続けている科学者に助けられる。その科学者はどうやら、かつてイギリスを追放されたモロー博士らしい。

主人公はやがて奇妙な島民たちに気がつく。どうも人間というより動物に近い彼らは、モロー博士によって、生体実験の実験台にされているのではないか、と主人公は疑念を抱くのだ。

だが、手術中の獣人にモロー博士が殺されてわかったのは、モロー博士が試みたのは、動物を改造して知性を伸ばし、人間に近づけることだった。人間を獣化しようとしたのではなく、逆に獣を人間化しようとしていたのである。

主人公は最後にロンドンに戻るのだが、自分の周囲を見渡して、妙に獣じみた人が多いのにゾッとする、というところで終わっていた。

ちょうどこの本を読んだころ、「カエル」と陰で呼ばれていた先生に生物を教わっていたので、その先生のことを思いだしたものだ。主人公があの先生を見たら、人間化させたカエル、あるいは、カエル化した人間、と思うのだろうか、と思ったのだ。

H.G.ウェルズは、おそらく進化論のようなものが念頭にあって、このような作品を書いたのだろうが、実際のところは、カエルっぽい顔の人や鳥っぽい顔の人、魚じみた顔に、サルを思わせるような顔……そんな顔を見たことも、この作品の根っこのところにあるのではあるまいか。

そういえば、サキの短篇にも、飼っているペットによって性格の変わっていく人物を主人公にした作品があった。つきあう相手によって、雰囲気が変わる女の子がいるように、ペットによって性格が変わる人がいてもおかしくない。そのように考えていくと、飼っているイヌに飼い主が似てくることも、ありうるのかもしれない。

もっとも、ウェルズの短篇の最後に出てくる動物を思わせる人びとが、みんなそんなペットを飼っているわけではないのだろうが。

キンギョを飼って久しいわたしも、すでにキンギョにずいぶん似てきているのかもしれない。