以前、ウチダさんの『下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち』を読んでいたら、自分のことを知りたいのなら、自分のことを生まれたときからよく知っている親や親戚に話を聞きに行けばいいのに、「自分探し」という人は、決してそういう人に話を聞きに行こうとはしない、彼らが行きたがる先は、外国の人のあまりいないような、少なくとも自分を知っている人間がまったくいないようなところである、彼らの「自分探し」というのは自分を知ろうとすることではなく、「これまでの自分」をいったんリセットすることだ、というようなことが書いてあって、おかしくなって笑ってしまった(記憶だけで書いているので、内容はちょっといい加減かも)。
「自分と向きあう」「内面の声を聞く」などという言葉もあるように、確かに自分を知ろうと思えば、山にこもったりして、ひとりきり、自分と対話しているところが浮かんでくる。だが、ほんとうにそんなことをして、「自分が何ものか」ということがわかるのだろうか。
芥川龍之介の『続野人生計事』というエッセイのなかに、「知己料」という小文がある。
芥川がいままで書いたことのない雑誌に、依頼を受けて、短篇をひとつ書く。どうやらこのころは、原稿料がいくらになるか、あらかじめわかっていなかったらしく、いったいいくらになるものやら、今日届くか、明日届くかと首を長くして待っている。
ここに出てくる「直侍を待つ三千歳」というのは、歌舞伎の演目『雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)』のなかに出てくる花魁「三千歳」が、恋しい直侍を思って「一日逢わねば千日の 思いに私ゃ煩(わず)ろうて 鍼や薬の験(しるし)さえ 泣きの涙に紙濡らし…」と歌うのを指しているのだろう。恋煩いの女が男を待つように、原稿料が入るのを待っているわけだ(ちょっとたとえがすごいね)。
なかなか来ない。そこで芥川は友人の、これも作家である久米正雄と、原稿料がどのくらいもらえるだろうと推測し合うのだ。久米正雄は原稿用紙一枚につき「一円五十銭は大丈夫払ふよ。」と予想し、十二枚だから、十八円、そのうち「八円だけおごれよ。」と捕らぬ狸の皮算用をしている。芥川もだんだんその気になってくる。
ところが原稿料は届いてみると、三円六十銭、一枚につき三十銭しかもらえなかった。そこで久米正雄が、彼が発明したとされる「微苦笑」という言葉そのものの顔になって、「三十銭は知己料をさしひいたんだらう。一円五十銭マイナス三十銭―― 一円二十銭の知己料は高いな。」という。
わたしはその昔、この短篇を初めて読んだとき、ここの意味がよくわからなかった。知己というと、自分のことをよく知ってくれている人のことで、親友という意味の言葉である。そこから転じて、単に知人の意であるときもある。
親友だから稿料を差し引いたのか。一度書いて、知り合いになったから、「知り合い料」を引いたということなのか。それでも、雑誌社の方が引くというのはどういうわけか。どうも合点がいかないなあと思っていたのだ。
それをこのあいだ読み返してみて、はっと気がついた。「知己料」というのは、文字通り、おのれを知る料金だ。自分がいったいどれくらいの書き手であるかを教えるために、知己料に当たる一円二十銭を、雑誌社の側が差し引いたんじゃないか、と久米正雄は言ったのだ。一円二十銭が、自分を知るための授業料だった、というわけである。
自分の姿は自分には見えない。だから、自分の姿を映しだしてくれる鏡が必要だ。鏡は、文字通りの鏡でもあるし、ほかの人のこともある。その人の反応を通して、自分がその人の目に、どういうふうに映っているかがわかるのだ。
果たして自分の書くものに、どのくらいの値打ちがあるものか。自分ではわからない。自分では値段のつけようがない。だから、まず友人が判定してくれる。一円五十銭。
だが、実際には三十銭しかもらえなかった。久米正雄には一円五十銭分の価値があるように映っている。だからおそらく雑誌社もそう判断したのだろう。だが、「あなたの原稿は一枚一円五十銭の価値がありますよ」ということを、芥川に教える代わりに、授業料をさっぴいて、残った金額を払ったのだ、という。
なんというむちゃくちゃな理屈だ、と思うが、そう断言する久米正雄の言葉の背景には、自分が一番芥川の書いたものの価値を理解できている、という腹があったのだろう。
そしてまた、芥川がこの話を書き残したのは、雑誌社が「三十銭」と評価した自分の原稿を、親友である久米正雄はその五倍の価値があると認め、なおかつ稿料が低かった理由まで想像してくれたからなのである。もちろん「その友情がありがたかった」などとは一言も書いてないが、そう言ってくれた久米正雄のことを書くために、このエピソードが載せられているのだ。
結局、自分の中をのぞきこむより、社会の評価に身をさらすことが、自分を知る第一歩、ということなのだろう。さらに、自分をよく知っている人間が、自分に対してどのようにふるまうか、友情や好意をもって接してくれるか、厳しい態度を取るか、そういうさまざまな「鏡」に自分を映してみて、気に入ろうが気に入るまいが、それを「自分」だと受け入れることが、自分を知る、ということなのだろう。
「自分と向きあう」「内面の声を聞く」などという言葉もあるように、確かに自分を知ろうと思えば、山にこもったりして、ひとりきり、自分と対話しているところが浮かんでくる。だが、ほんとうにそんなことをして、「自分が何ものか」ということがわかるのだろうか。
芥川龍之介の『続野人生計事』というエッセイのなかに、「知己料」という小文がある。
芥川がいままで書いたことのない雑誌に、依頼を受けて、短篇をひとつ書く。どうやらこのころは、原稿料がいくらになるか、あらかじめわかっていなかったらしく、いったいいくらになるものやら、今日届くか、明日届くかと首を長くして待っている。
ここに出てくる「直侍を待つ三千歳」というのは、歌舞伎の演目『雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)』のなかに出てくる花魁「三千歳」が、恋しい直侍を思って「一日逢わねば千日の 思いに私ゃ煩(わず)ろうて 鍼や薬の験(しるし)さえ 泣きの涙に紙濡らし…」と歌うのを指しているのだろう。恋煩いの女が男を待つように、原稿料が入るのを待っているわけだ(ちょっとたとえがすごいね)。
なかなか来ない。そこで芥川は友人の、これも作家である久米正雄と、原稿料がどのくらいもらえるだろうと推測し合うのだ。久米正雄は原稿用紙一枚につき「一円五十銭は大丈夫払ふよ。」と予想し、十二枚だから、十八円、そのうち「八円だけおごれよ。」と捕らぬ狸の皮算用をしている。芥川もだんだんその気になってくる。
ところが原稿料は届いてみると、三円六十銭、一枚につき三十銭しかもらえなかった。そこで久米正雄が、彼が発明したとされる「微苦笑」という言葉そのものの顔になって、「三十銭は知己料をさしひいたんだらう。一円五十銭マイナス三十銭―― 一円二十銭の知己料は高いな。」という。
わたしはその昔、この短篇を初めて読んだとき、ここの意味がよくわからなかった。知己というと、自分のことをよく知ってくれている人のことで、親友という意味の言葉である。そこから転じて、単に知人の意であるときもある。
親友だから稿料を差し引いたのか。一度書いて、知り合いになったから、「知り合い料」を引いたということなのか。それでも、雑誌社の方が引くというのはどういうわけか。どうも合点がいかないなあと思っていたのだ。
それをこのあいだ読み返してみて、はっと気がついた。「知己料」というのは、文字通り、おのれを知る料金だ。自分がいったいどれくらいの書き手であるかを教えるために、知己料に当たる一円二十銭を、雑誌社の側が差し引いたんじゃないか、と久米正雄は言ったのだ。一円二十銭が、自分を知るための授業料だった、というわけである。
自分の姿は自分には見えない。だから、自分の姿を映しだしてくれる鏡が必要だ。鏡は、文字通りの鏡でもあるし、ほかの人のこともある。その人の反応を通して、自分がその人の目に、どういうふうに映っているかがわかるのだ。
果たして自分の書くものに、どのくらいの値打ちがあるものか。自分ではわからない。自分では値段のつけようがない。だから、まず友人が判定してくれる。一円五十銭。
だが、実際には三十銭しかもらえなかった。久米正雄には一円五十銭分の価値があるように映っている。だからおそらく雑誌社もそう判断したのだろう。だが、「あなたの原稿は一枚一円五十銭の価値がありますよ」ということを、芥川に教える代わりに、授業料をさっぴいて、残った金額を払ったのだ、という。
なんというむちゃくちゃな理屈だ、と思うが、そう断言する久米正雄の言葉の背景には、自分が一番芥川の書いたものの価値を理解できている、という腹があったのだろう。
そしてまた、芥川がこの話を書き残したのは、雑誌社が「三十銭」と評価した自分の原稿を、親友である久米正雄はその五倍の価値があると認め、なおかつ稿料が低かった理由まで想像してくれたからなのである。もちろん「その友情がありがたかった」などとは一言も書いてないが、そう言ってくれた久米正雄のことを書くために、このエピソードが載せられているのだ。
結局、自分の中をのぞきこむより、社会の評価に身をさらすことが、自分を知る第一歩、ということなのだろう。さらに、自分をよく知っている人間が、自分に対してどのようにふるまうか、友情や好意をもって接してくれるか、厳しい態度を取るか、そういうさまざまな「鏡」に自分を映してみて、気に入ろうが気に入るまいが、それを「自分」だと受け入れることが、自分を知る、ということなのだろう。