マンスールさんからご指摘をいただいた「ポールの場合」、読み返してみたら、あちこち気になるところがあったので、手直ししました。気がつくか気がつかないかぐらいの変更なのですが、始め出すと気になって、かなり時間がかかっちゃいました。
ご指摘のあった Roman blanket、これは結局「イタリア製毛布」としました。あれやこれやの可能性はあったのですが、どれも決定打に欠ける、そういうときは基本に戻って、一番シンプルな訳にすることにしました。
Roman という言葉によって、どこかに古代ローマを響かせようとしているのだと思うのですが、「ローマ製」という言い方はしないと思うんです。「イタリア製毛布」という言葉から受ける、なんとなく高級な感じ。いまはあまり言わないと思うのですが、かつての「舶来物」という言葉にこめられたあこがれのようなものが、「イタリア製」という言葉には、まだあるかなあ、と思って。
問題の "the immense design of things" ですが、マンスールさんのご投稿にもあったリンク先を参考にさせていただいた結果、「あらゆるものの源である果てしのない場所へと還っていった」としました。design of things を「源」と言えるかどうか、結構微妙なところなのですが、また引き続き考えていくこととして、今回はここらあたりでいったん納得しようかと思っています。
振り返ってみると、やっぱりヘタで(笑)、ヘタと思えることは、当時にくらべて少しは力がついているということなのかなあ、と自画自賛しておくことにします。
だけど、このポール、ほんとにいまに通じるものがある。
もっと読まれていい短篇だなあと思います。
興味のある方はまた読んでみてください。
http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/paulscase.html
マンスールさん、ご指摘どうもありがとうございました。
訳し直しもしたいと思っても、なかなかその機会がない。こうやって、少しずつ良いものにしていきたいと思います。
どうかここをお読みになってくださってる方、おかしい場所があったら、これからもどんどんご指摘お願いします。
ご指摘のあった Roman blanket、これは結局「イタリア製毛布」としました。あれやこれやの可能性はあったのですが、どれも決定打に欠ける、そういうときは基本に戻って、一番シンプルな訳にすることにしました。
Roman という言葉によって、どこかに古代ローマを響かせようとしているのだと思うのですが、「ローマ製」という言い方はしないと思うんです。「イタリア製毛布」という言葉から受ける、なんとなく高級な感じ。いまはあまり言わないと思うのですが、かつての「舶来物」という言葉にこめられたあこがれのようなものが、「イタリア製」という言葉には、まだあるかなあ、と思って。
問題の "the immense design of things" ですが、マンスールさんのご投稿にもあったリンク先を参考にさせていただいた結果、「あらゆるものの源である果てしのない場所へと還っていった」としました。design of things を「源」と言えるかどうか、結構微妙なところなのですが、また引き続き考えていくこととして、今回はここらあたりでいったん納得しようかと思っています。
振り返ってみると、やっぱりヘタで(笑)、ヘタと思えることは、当時にくらべて少しは力がついているということなのかなあ、と自画自賛しておくことにします。
だけど、このポール、ほんとにいまに通じるものがある。
もっと読まれていい短篇だなあと思います。
興味のある方はまた読んでみてください。
http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/paulscase.html
マンスールさん、ご指摘どうもありがとうございました。
訳し直しもしたいと思っても、なかなかその機会がない。こうやって、少しずつ良いものにしていきたいと思います。
どうかここをお読みになってくださってる方、おかしい場所があったら、これからもどんどんご指摘お願いします。
書き込み、ありがとうございます。
こんなふうに、読んでくださっている方からコメントをいただけると、手応えが感じられてうれしいものです。
「ポールの場合」でもそうなんですが、やっぱり昔訳したものは、かなりいい加減(いまだっておそらくそうなのだろうけれど、いまのわたしにはそれがわからないわけです)で、ああ、こんなものを垂れ流してしまってはいけないなあ、と顔の赤らむ思いがします。ほんとに英語はむずかしい(笑)、というか、日本語もむずかしい。
もちろん本は原語で読めればいいに越したことはない。だけど、翻訳で読むとダメなのかというと、そうではないと思うんです。少なくともわたしの場合は、翻訳しながら読むことが、一番深く読める。英語で考え、日本語で考えることによって、イメージや、指しているものが少しずつ具体的になり、論理の筋道も追えるように思います。
よく「理系」「文系」っていう言い方があるんですが、いつもわたしはそんなにすぱっとふたつに割り切れるものかなあ、と思うんです。わたしの場合、高校時代に一番好きな科目が数学でした。特に幾何の証明問題のような、論理を積み上げていくタイプの問題を解くのが大好きだったんです。
結局、物理があんまりできなかったので(笑)そっちには行かなかったのですが、なんというかその頃やっていた筋道を追って論理的に考えるという勉強は、いまでも本を読んだり、言葉をしぼりこんで煮詰めていったりするときに、同じやり方をしているなあと思います。
情緒的に読んで十分に感じ取れるほどの、詩人の魂を持っている人ならそれで十分なのでしょうが、そうでない人は、深く読み込もうと思ったら、論理的な読み方は不可欠なんじゃないか。
そうしてそういう読み方をしていけば、積み上げていくこともできると思うんです。ある作品を読むことで、別の作品もまた深く読めるようになっていく、みたいな。
だから、こんなふうに続けていけば、少しずつ、読みも深くなり、訳語も洗練されていくんじゃないか、って、希望的観測を持っているんですけどね(笑)。
固有名詞とか、歴史を背景にした言葉だとか、あるいは情景描写だとか、とんでもない間違いをしているかもしれません。そういうのは、やっぱりその言葉を母語としている人にはかなわない。だけど、ストーリィの向こうにあるものをすくいあげることは、丁寧に読むことによって可能なのではないか、逆に、英語を母語としないわたしたちの方が、有利な側面もあるんじゃないかと思います。
だから、英語で読み、日本語で読む。
日本語で書き、英語で書く。
そうしていくうちに、自分の考え方も豊かになっていけば、うれしいなあ、って思っています。
だからtransfreakerさん、一緒にがんばっていきましょうね。
アメリカでの生活が実り多いものでありますように。
身体に気をつけて、がんばっていってください。
また遊びに来てくださいね。
英語も日本語も難しいですよね(笑)英語で読んでもそのニュアンスをそのまま日本語に訳すことが出来ません。概要は掴めるけど・・・みたいな。日々精進出来るように頑張るしかないのですが。そうですね、英語を母国語にしている人には敵わないですね。アフリカ系の作者を読んだ時は英語自体が解らず・・・差別と言う意味ではなく、やはり習ってきた英語とは違うと言うか。考えさせられる作品が多くて好きなのですが、理解するには時間がかかりました。完璧になるのは無理だけど、betterにはなれるハズだから頑張るしかないですね。励ましのお言葉までいただきありがとうございました。心がほっこりしました♪
お互い寒さに負けずに過ごしましょう。どうもありがとうございました。
日本は、まもなく2009年が終わろうとしています。
異国で年を越すというのは、不思議なものかもしれません。
孤独感や寄る辺なさ、日本にいるときには決して感じないさまざまな思いを味わっておられるかと思います。
でも、それをいつかかならず懐かしく思いだす日が来るはずです。そのときのために、充実した日々を過ごしてくださいね。
日本語が恋しくなったら、また遊びに来てください。
では、来年もよろしく。