陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

あなたにとって~とは何ですか

2009-11-16 23:13:38 | weblog
「あなたにとって~とは何ですか」という質問がある。
たいていこの「~」には、その質問を向けた相手にとって、きわめて重要と思われるものごとが入る。

たとえば「あなたにとってかんぴょうとは何ですか」という質問が成り立つのは、かんぴょうを作って三十年、という人か、かんぴょう巻きを体を張って食べ続ける人(そんな人がもしいれば、の話だが)ぐらいだろう。巻きずしの具で何が一番好き? という脈絡で、「あなたにとってかんぴょうとは何ですか」という質問は、絶対出てこないような気がする。

記録を出した野球選手に向かって「あなたにとって野球とは」、評判の高い映画を撮った映画監督に向かって「あなたにとって映画とは」、海外で活躍する音楽家に対して「あなたにとって音楽とは」、名人戦で勝利を収めた将棋指しに向かって「あなたにとって将棋とは」……。
こうした質問は、いかにも何か聞いているようで、実は何も聞いていない、格好だけの無内容の質問ではあるまいか。

つまり、その人が長い年数をかけて専心してきたことを、一語で要約してみろと言っているわけだ。無内容であるばかりか、失礼な質問であると言えるかもしれない。いつもそのことを考え続け、裏も表も知り尽くした人であればなおさら、それを「一語で要約」などできるものではない。要約できるのは、おそらくものの見方が雑な人か、言葉の使い方が雑な人のどちらかであるように思える(このふたつは、実際には同じことなのだが)。

もうひとつ疑問なのは、聞き手がほんとうにその問いの答えを知りたいのか、ということだ。ある野球選手にとって野球とは何であるか、一語で要約してもらって、聞き手はいったい何がわかるというのだろう。
「ぼくにとって野球とは人生そのものです」
「ああそうですか」
ああそうですか、とあいづちをうったものの、そこから話はどこにも行かない、というか、行きようがない。

とりあえず、インタビューによく出てくる質問だから、いろんな人が聞かれているから、ぐらいの理由で、尋ねられているのではあるまいか。

わたしもそんな質問を投げかけられたこともあるし、アンケートの最後にその質問を見かけたこともあった。いつも思いつくまま、適当なことを書いているのだが、どうも書いていて、いい加減なことを書いているような気がしてならなくなってしまう。何を書いても実感からははずれるし、こんな答えようのない質問にかかずらわっていることに、いらいらもしてくる。

だが、最近、こう聞き返したらどうだろうと思いたった。

「あなたにとって~とは何ですか」と聞かれたら、
「あなたにとって、この質問とははなんですか。この質問は、あなたにとってどういう意味があるの?」と聞き返すのである。

これにちゃんと答える人であれば、こちらもまじめにその質問の答えを考えてもいい。だが、テレビのインタビューなどで、それを聞いている人間は、きっと絶句してしまうはずだ。ある種の人なら、自分がどんなにいい加減なことを相手に聞いていたか、それに対してこちらはどう思っていたのか、理解してくれるのではないか。少なくとも、自分も答えられないような質問を、人に向けるのはいかがなものか、という意思表示ぐらいにはなるだろう。

「あなたにとって、“あなたにとってかくかくしかじかとは何ですか”という質問は、いったい何ですか?」

いい返しだと思うのだが、これでまた世間を狭くすることになるかもしれない。

終わりと始まり

2009-11-15 23:18:24 | weblog
もう少し「待つ」ことについて。

待つのは何もいいことばかりではない。
つい数日前も、二年前に起こった殺人事件の容疑者と見られる人物が、二年半の逃亡ののちに逮捕されたが、彼はどこかで逮捕される日を待っていたのではあるまいか。

潜伏先も引き払ってしまった。自分の顔写真がテレビでもネットでも大々的に流れている。彼の胸に去来していたのは、いったいどんな思いだったのだろう。

以前にここでも訳したことがあるが、アーネスト・ヘミングウェイの短篇に「殺し屋」という作品がある。

ダイナーにふたりの殺し屋が現れる。彼らが狙っているのはオール・アンダースン。幸い、アンダースンは店にやって来なかった。あきらめた殺し屋が、直接アンダースンのところへ向かったところで、先回りしてニックが伝えに行く。

ところがアンダースンは、ベッドに横になって壁を見つめながら逃げようともしない。「おれはもう逃げ回るのにうんざりしちまったんだ」という。

このままここにいては、殺されるのは眼に見えている。それでも彼は動けない。そこを出ていく腹が固まるのを待ちながら、横になって壁を見ているところで、話は終わる。

アンダースンは「出ていく腹」が固まっただろうか。
部屋を出たところで殺し屋に出くわすかもしれない。仮にうまく逃げたところで、つぎにまた殺し屋たちはやって来るだろう。

そしてまた逃亡すれば、追っ手を「ただ待っている状態」がこれからも続くことになる。その苦しさに自分から終止符を打つために、自分の終わりを壁を見つめながら待っている。
ここには二種類の「待つ」がある。

宙づりにされた状態で待つことと、かならず来る破局を待つことと。
宙づりにされた状態で待つことは、いったいいつまで待っていればいいのか、見当もつかない。待つことの終わりが見えない。一方、目前に迫る破局を待つのは、少なくともその終点が見えているのだから、いつまで続くかわからないということはない。宙づりにされた苦しさを思えば、破局でさえも終わりにほかならず、終わりは救いと見えるのかもしれない。

まさにフェリー乗り場で逮捕される直前の容疑者の心情は、オール・アンダースンのそれではなかったか。おそらく彼は逮捕されるのを待っていたのだろう。

だが、『殺し屋』は、一種のメタファーとも読めるのだ。
黒ずくめの二人組は、死神かもしれない。わたしたちはみな、かならず死を迎えるオール・アンダースンで、いつか来る死神を待っている状態なのである。

どうせ死ぬのだ、と、それに抵抗したり、逃げようとしたりせず、ただなすすべもなく寝っ転がって待つのか。不安や恐れを先取りして、自分で先にケリをつけてしまおうとしているだけではないのか。

だが、「終わり」を先取りしようとしたところで、それはほんとうの終わりではないのだ。わたしたちは「終わり」を自分ではどうすることもできない。

ここでわたしは別の作家の、別の短篇を思い出すのである。
井上靖の『補陀落渡海記』という作品である。

補陀落寺の住職は、三代続いて、六十一歳になると、補陀落(浄土)を目指して、たったひとり、海に漕ぎ出す補陀落渡海を続けていた。渡海といっても、小舟にのせた箱の中に入って海を行くのである。信仰によれば、かならず永遠の生が手に入る補陀落にたどりつけることになっているが、六十一歳になった主人公の金光坊は、そのことを信じることができない。だが彼の思いをよそに、渡海は既定の事実となって、人びとは勝手にその用意を始めてしまう。

渡海を前に、金光坊は自分がこれまで海に送り出した七人のようすを思い出す。その回想が、巧みな時間軸となっていき、金光坊が否応なく渡海の日へと押し出されていく様が描かれていく。渡海した僧侶たちの最期を思い返しながら、金光坊は、間近に迫る自分の死をシミュレーションし、何とか決意を固めようとする。

来るべき死を平明な気持で受け入れている上人もいたし、補陀落に行けるものと信じている者もいた。死の不安を先取りして渡海を受け入れる者もいた。
だが、金光坊はそのいずれも決意できないまま、海に押し出されてしまう。

ところが運命に翻弄されるかのように、金光坊の渡海は奇妙な成り行きになってしまうのだが、渡海前、あれほど悩み、苦しんだ金光坊は、もはや自らは何もしなくなってしまう。死ぬと思っていたときに死ななかったために、自分の終わりがいつ来ようと、それはたいした問題ではなくなってしまうのである。

自分が先取りしようとした「終わり」がほんとうの終わりでなかったと知るとき、もしかしたら、そのときが第二の「始まり」になるのかもしれない。

サイト更新しました

2009-11-14 23:13:45 | weblog
サイトに「鶏的思考的日常vol.29」を更新しました。
なんとか今年中に、2009年分を片づけてしまおう(笑)と目論んでいます。
ああ、あんなこともあったなあ、と思ってくだされば幸いです。なんと今年の一月のネタです(笑)。

お暇なときにでもまた見てみてください。
年頭の挨拶からアイリッシュ・ギャング、火事に遭ったことまで、あれやこれやです。

http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

尾生の信

2009-11-12 22:38:42 | weblog
「尾生の信」という慣用句がある。

大辞林には

(1)かたく約束を守ること。
(2)ばか正直に約束を守るだけで、融通のきかないこと。愚直。〔中国の春秋時代、魯の尾生という男が橋の下で会う約束をして女を待っていたが、折から増水してきた水のために約束を守っておぼれ死んだという故事から〕 :「大辞林 第二版」

と載っているが、わたしがこの言葉を知ったのは、芥川龍之介の短篇からだった。
芥川の短篇は、大辞林の説明とさほど異なるものではない。橋の下で待っている尾生の目に映る情景が美しく描かれ、さまざまな音が聞こえるだけだ。

そうして、芥川はおぼれてしまった尾生の魂が何度か転生を繰りかえしたあと、ふたたび人間になったという。それが自分なのだと。
だから私は現代に生れはしたが、何一つ意味のある仕事が出来ない。昼も夜も漫然と夢みがちな生活を送りながら、ただ、何か来るべき不可思議なものばかりを待っている。ちょうどあの尾生が薄暮の橋の下で、永久に来ない恋人をいつまでも待ち暮したように。

と、薄暮の宵が暗さを増して、あたりを闇でおおってしまったかのように、この短篇は終わる。

だが、自分が尾生の生まれ変わり、という芥川の主張には、なんとなく首肯しにくいものがある。尾生のように「何一つ意味のある仕事」をしないまま「永久に来ない恋人をいつまでも待ち暮した」というのは、たとえば芥川も描いた「六の宮の姫君」のような人のことであって、十年という短い間に、結晶度の高い短篇をいくつも残した芥川とは、かけ離れているように思えるのだ。

ところで、あなたは待つことは好きですか。
わたしはずっと、自分は待つことは苦にならない方だと思ってきた。

待つといって思い出すのは、小さい頃のことだ。
わたしの母は、待ち合わせであれ、何かの行事であれ、予定された時間に間に合うように到着するということを決してしない人だった。いまだにその理由がよくわからないのだが、待ち合わせしても、決してその時間には来ない。二十分から三十分、かならず遅れる、というか、そのころに家を出るのだ。

小さい頃からそれは同じで、わたしはどれほど出発の時間を気にして、時計を見ては「いま、何時になったよ。早くしようよ」と言いながら、いらいらして母をせかしていたことだろう。当然、予定時間には遅刻してしまう。わたしたちを待つ不機嫌な人の顔を見て、いたたまれなかっただけではない。乗るはずだったバスは出てしまい、タクシーで追いかけたこともあるし、楽しみにしていた劇も、劇場に着いたころには、すでに半分が終わりかけていた。

おかげでわたしは何であれ予定時間というものには、異様に神経質になってしまった。
待ち合わせでもなんでも、たいていわたしは時間前に着いている。相手によっては、母と同じように、かならず遅れてくる人もいたが、たとえ今日も遅れてくるだろうと思っていても、わたしは時間より前に行ってしまうのだった。自分はいま人を待たしている、と思うときの、何ともいえない焦燥感を味わうよりは、先に行って本を読みながら相手が来るのを待っている方が、どれだけ気分的に楽か知れなかった。

ただ、待つのが好きかきらいかというと、やはり好きではないだろう。スーパーのレジに並んでいるときでも、キャッシャーの前に立っている人が、慣れない手つきでぐずぐずしているのを見ると腹が立つし、モスバーガーを避けてフレッシュネスバーガーをひいきにしてしまうのも、待ち時間が原因だ。

郵便局や銀行で順番を待たなければならないときは、わたしはかならず本を出すし、出かける前にたとえ財布を忘れることがあっても、本を持たないで出かけることはない。それも、ただ何もしないで待っていることが耐えがたい、という理由も大きいだろう。

待ち時間が苦しいのは、その時間、自分の体は自分が待っている相手に支配されているからだ。自分の体なのに、自分の思うにまかせない。自分の意志に反して、自分の体は「相手を待つ」ことにつなぎとめられてしまう。一定の時間、仮にぼけーと過ごしていたとしても、「ああ、しまった、今日も無駄に一日を過ごしてしまった」と後悔するかもしれないが、人をただ待っているときのような疲労感を覚えたりすることはないだろう。

宅急便でも、かかって来るはずの電話でも、待っているあいだは疲れる。その疲労感は、おそらく自分が自分自身の時間を生きられないことの疲労感、自分以外の人の支配下に置かれることの疲労感なのだと思う。そのあいだ、本を読んだり、あるいは掃除をしたり、手作業をしたり、というのは、その時間を少しでも自分の手に取りもどそうとする努力なのだろう。

ただ、「待つ」というのは、相手がかならず来ると決まっているときばかりではない。いつ来るかもわからない、来るかどうかわからない相手を待つ、ということもある。

それは不安ではあるだろうが、「まだ来ない」といういらだちとは無縁だろう。尾生の「待っている」という状態は、それだったのではないか。少なくとも芥川が描く尾生は、風の音や蘆のそよぐ音、水の音を聞き、往来の人の白衣が夕陽に照らされるのを見ている。それは、「まだ来ない」という焦れる気持とはそぐわない。来るか来ないかわからない相手を思い、また会えるといいなあ、という希望を抱いている状態なのではあるまいか。

来ることが確かな相手を待つときには、希望など必要ない。けれども、来るか来ないかわからない相手には、希望が必要だ。自分がああしたい、こうしたい、ああなってほしい、こうなってほしい、そんな願望や欲望を抱いていては、来るか来ないかわからない相手を待つことなどできはしない。たとえ最初のうち、そんなことを考えていても、そんな願望や欲望はいつのまにか鎮まり、濁ったものを含まない希望へと変わっていく。自分が相手に抱いている、得手勝手な期待は消えて、いつ来るかわからないけれど、相手が来たくなったらそのときはきっと来てくれるだろう、という相手への信頼へと変わっていくのではないか。

芥川が待とうとしていたのは、そんな「来るか来ないかわからないもの」だったのではないか、というか、そんなふうに待ち続けた尾生、水の中に立ち続け、魚の白い腹を見ながら、願いを棄てなかった尾生になりたかったのではないか、とわたしは思うのだ。

わたしたちはそんなふうに、誰かや、ものごとや、あるときを待つことができるのだろうか。

成し遂げる、という。
それは、何らかの結果を出したということより、そのようにして待ち続けることができる、ということなのかもしれない。

待て、しかして希望せよ、と。

敬語と「タメ口」

2009-11-11 23:02:52 | weblog
先日、駅のホームで中学生の男の子がふたりで話をしていた。どうやら二年か三年であるらしく、一年生から「タメ口」をきかれたことに腹が立ってしょうがないらしい。

「あいつ、オレに向かって“おぅ、××、おまえ、ここへおったんか”てゆうてんやぞ」
「ほんま、ムカつくなあ」
「むっちゃムカつく」
「今度そぉゆうことゆうてきたら、しばいたろ」

そうしよう、そうしようとまじめそうな男の子ふたりが意気投合しているのを見ていたらなんだかおかしくなってしまったのだが、当人たちにしてみたら、大問題であるらしかった。

考えてみれば、人はいったいいくつぐらいから年長者に対して「タメ口」ではない、丁寧語、敬語を使って話すようになるのだろう。

わたしたちを取り巻く人びとは、意識の中で、自分を中心とした同心円状に配置されているのがふつうだ。一番小さな円に入ってくるのは、もっとも身近な人。家族や近親者であれば、たとえ年長者であっても、敬語を使うことはない。

血縁者といっても、日ごろのつきあいがなければ同心円でも外の方になっていくだろうし、たとえ遠くに住んでいて、なかなか会えなかったとしても、親しく言葉を交わせる人もいる。つまり「身近」という言葉の「近さ」は、空間的な距離ではなく、心理的な距離なのだろう。

わたしたちが敬語を使うのは、この身近な人から少し外側、親しい人から知人にかけての人びとを相手にしたときだ。わたしたちはここに属する大勢の人と日常的に言葉を交わしているのだが、たとえ同じグループに属するといっても、相手に応じて言葉を使い分けている。そうして、それができない人は、子供っぽい人、社会的に未熟な人、と見なされ、裏表のない人、あるいは、正直な人などと、評価されることは少ないだろう(そういう一面も、実際にはなくはないのだろうが)。

わたしたちはいったいいつごろからこの面で「子供っぽく」なくなるのだろう。

幼稚園では、まだ「せんせー、あんなー、昨日なー」と口々に話していた子供たちが、小学校に上がると挙手して「3+2=5です」などと答えるようになる。やはりこの頃からではあるまいか。学年に応じて、徐々に公的な発言の割合は増えていく。六年にもなれば、「せんせー、あんなー」ではすまなくなるだろう。

そのように考えていくと、小学校というのは、勉強を教わるというより、場によって、あるいは相手によって、言葉遣いは変えていくものであることを、子供たちに訓練させる場である、といえるのかもしれない。

小学校に上がる、ということは、広い世界に入っていくことでもある。身近な人の外側にも人がいる、自分はそういう人とつきあっていく、ということを身をもって知る。そういう人とはそれにふさわしい言葉を使ってコミュニケーションをしていかなければならない、ということを学ぶのである。

先生と友だちはちがう存在だから、先生に向かってものを言うときと、友だちに向かって言うときでは、ちがう言葉遣いをすることを教わる。いや、言葉の使い方を覚えることによって、逆に、社会関係というものがあることを理解していく、と言った方がいいかもしれない。

先生を尊敬するようになったから、先生に敬語を使うのではないのだ。敬語を覚えることによって、そこから尊敬ということを学び、礼儀ということを学んでいく。上下関係、教える-教えられるという関係、子供たちは言葉を通じて学んでいくのだろう。

逆に、小学校の低学年ぐらいの段階で、相手によって言葉というものは使い分けていくものだ、ということを体得しないままだと、どういうことになるだろう。

身近な家族に使う言葉と同じ調子で、目上の人、年長者に話しかける。当然、その言葉遣いを咎められたり、叱られたりする。不適切な言葉を使ったからだ、と理解できればいいのだ。理解できなかった子供は、その相手とはそこでコミュニケーションの回路を切断してしまうかもしれない。そうやって、つぎからつぎへとコミュニケーションの回路を切断してしまって、「タメ口」でも叱られない相手とだけ、選択的にコミュニケーションするようになってしまうかもしれないのだ。このままその子が歳を取っていくと、世界は「身近な人」と「関係のない人」の二種類になっていきはしないか。

「あの子は口の利き方も知らない」という言い方がある。相手に応じた言葉遣いができない人のことだ。一般には、礼儀を知らない、という意味合いで使われる。けれども、「口の利き方」を知らないことのほんとうの問題は、自分を中心とした同心円が、身近な人、ごく親しい人、知人と呼べる人、未知の人、と広がっていくのではなく、○か×かの二者択一になっていくことなのかもしれない。

いろんな人と、さまざまなつきあい方ができる。
「社会性がある人」というのは、簡単に言ってしまえば、それだけのことなのかもしれない。

逃亡者、潜伏者

2009-11-10 23:03:47 | weblog
マーガレット・ミラーのミステリに『まるで天使のような』という作品がある。
まあ、とにかくおもしろいんだから、読んでみてください。新品は手に入らないが、いまamazonで見てみたら、中古は五名様まで購入可能。ただし、三冊の価格はともかく、2865円というのは、ちょっといくらなんでも暴利じゃないんすかね。わたしの手元の本には「定価480円」とありますが。

ということで、そのものズバリは書かないが、結構ネタバレに近い話を書いてしまうので、本を読みたい人はこれ以下は読まないように。

マーガレット・ミラーのミステリは、失踪した人を扱ったものが多い。依頼を受けた探偵が行方不明の人物を捜していく。消えた地点から足取りを逆に辿り、時系列をさかのぼっていく。そこから浮かび上がるのは、その人物が「何をしたか」であり、その行動のさなかで関わった人びとから丹念に証言を得て、彼もしくは彼女がどんな人物であるかが少しずつ明らかになっていく。そうして、その人物の人となりが、失踪の原因となっていることがわかるのだ。

ミラーの作品では、失踪者は失踪したのではなくすでに殺されているか、殺人を犯したために潜伏しているかのどちらかだ。確かに、人が失踪するということ、つまり、その人が所属している共同体から姿を消すということは、そのぐらい、大変な場合以外にはあり得ないだろう。

『まるで天使のような』でも、それまでの人間関係を切り捨てようとしたある人物が、ある特殊な団体に身を隠す。だが、私立探偵の捜査によって、最後に一切があきらかになる。

わたしたちはときに、いまの人間関係にうんざりしてしまって、一切合切リセットして、新しい関係を築いていきたいと思うことがある。転職したり、引っ越したり、というのも、それを実行することにほかならないだろう。「知らない町を歩いてみたい」という歌もあるが、それも、言ってみればいまの人間関係から、つかのま、脱出したいなあという願望を表している。

けれども、旅行は帰っていく家があってこそ可能なのだし、転職や独立は人間関係のすべてを断ち切ることにはならない。転職したところで家族関係は続いていくし、実家を出たところで、実家とまるっきり縁が切れてしまうことにはならない。

そうしてまた、たとえある共同体から離れたとしても、ユナ・ボマーのように野山にでも住まない限り人間は、とにもかくにも何らかの共同体に属さなければならない。共同体の制約から逃れようとして、また新しい制約のなかに入っていくのだ。

どうしたって人は人間関係とは無縁ではいられないし、制約を離れることもできない。たぶんわたしたちはどこかでそれを知っているから、逆に「ちょっとだけ」離れることを夢見るのだろう。

ここ数日「潜伏」という言葉をニュースで頻繁に聞いた。
まるでミステリを地でいくような話だったが、わたしも含めて多くの人は、容疑者は逃亡してほどなく、亡くなっているのではないか、と感じていたのではないか。いまのわたしたちは、お金もなく、住む場所もなく、戸籍も、保証人もないところで生きてはいけなくなっている。ときにわずらわしくもなり、制約としか感じられないさまざまな関係が、逆にわたしたちを生かしているともいえるのだ。

逃亡した彼が生きていこうと思えば、何とか新しい共同体に属さなければならない。だが、過去も経歴も問わないような共同体は、問われないという面では気楽なように思えても、きわめてせまい、制限されたその共同体の外に出ることはできないために、極端に不自由なものだ。

高校生の頃、学校に行くために電車を待っているとき、向かいのホームに入ってきた電車を見ながら、あれに乗ってどこかに行きたいと毎日思っていた。高校を卒業したら、大学に入って家を出たら、いまよりもっと自由になれる。そうなったら、いつかそれをやってやろうと思っていた。

だが、家を出ても、少しも自由になどなれなかった。

その頃は、自由というのは、親や学校や社会が決めた規則から自由になることだと思っていたのだ。だが、どこまでいっても規則はある。規則から逸脱した自分を叱る年長者は身近にいなくなっても、逸脱したことによる不都合の責任は、かならず自分が取らなければならない。自分が他の人間と一緒に社会で生きていく限り、規則には従わなければならない。規則の外に出るのが「自由」だと考えているかぎり、自由なんてものはどこにも見つからない。

容疑者の男性の、まじめな仕事ぶり、わからないところはメモを取る、部屋には英和辞書……そんな報道を見るにつけ、胸が痛くなるような気がした。

人間、ひとつ踏み外してしまうと、どうしてこんなことに……ということになってしまうのかもしれない。
以前にもちょっと書いたが、菊池寛の『下郎元右衛門―敵討天下茶屋』のなかで元右衛門は考える。

「どうして、俺はこんなひどい悪人になってしまったんだろう。別に、おれは特別悪人に生れついたとは思えないんだが、なぜ俺がこんた大それた男になったんだろう。敵討、貧乏、女、賭変、忠義、人情、そんなものが妙に、こんぐらがってしまったんだ。そして、俺がいつの間にか、こんな悪人になってしまっているんだ。俺は悪人じゃないが」

この言葉は、そのまま彼の気持だったのかもしれない。

英和辞書を手元に置いて、彼はいったい何を読んだのだろう。
何を読むかを選んだときの彼は、「何を読むか」という小さな選択のなかで、ささやかな自由を手にしていたのだろうか。

「のようなもの」にご用心

2009-11-08 22:34:30 | weblog
フィリップ・K・ディックの短篇「お父さんのようなもの」を訳したときのこと。

まず原題の "The Father Thing"をどう訳そうか、悩んだ。
"thing" は、もちろん生き物の対義語としての「物」でもあるが、同時に、形容詞を伴って、「人」や「生き物」を指す場合もある。

たとえば"all living things" といえば「生きとし生けるもの」という意味だし、"monstrous thing" といったら「魔物」、「彼女はいままで見たことがないほどの美人だ」という意味で、"She is the most beautiful thing I have ever seen."ということもできる。

つまりこの"thing"という、中学生なら躊躇なく「もの」という日本語を当てはめる単語は、文脈によって人間ではないものを示す場合もあれば、人間を指すこともある。

ところで立川志の輔の落語の「バールのようなもの」を聞いたことがある。

"http://www.nicovideo.jp/watch/sm2394580

で聞くことができるので、興味がある方はぜひ。

ここからネタバレ。

朝になって、夜のあいだに泥棒が侵入したことがわかった。シャッターがこじ開けられている。こういうとき、新聞は、「侵入にはバールのようなものが使われた模様」と報道される。このときの「バールのようなもの」というのは、一体何なのか。バールなら、どうしてバールと呼ばないのか。

大工道具でバールを日々持ち歩いている熊さんはそれが気になってしょうがない。いきなり職務質問されたらどうしよう、と心配になってきた。そこで熊さんはご隠居に「“バールのようなもの”って何ですか?」と聞く。

ご隠居さんは、心配はいらない、「バールのようなもの」というのは、バールではないのだ、と説明する。「男のような」と言えば、男じゃないだろう、「夢のような」と言えば、夢じゃない、それと一緒で「バールのようなもの」はバールではないのだ、と。

そうか、新聞で言っている「バールのようなもの」は、自分の道具箱に入っているバールとはちがうものなのか、と安心して家に帰った熊さん、今度は奥さんに浮気していることを詰め寄られる。「あの女は何なのさ」と言われて、困った熊さん、「まあ、メカケのようなものだ」と答えたものだから、もう大変な目に遭ってしまった。

這々の体でご隠居のところに戻った熊さん、一部始終を話すと、ご隠居さん、「メカケ」という言葉だけは「のようなもの」をつけちゃいけない、それのことになってしまうと答えた、というもの。


さて、なんで「メカケ」だけが「のようなもの」をつけてはいけないのだろうか?

こんな事態になってしまったのは、ふたつの比喩表現が混同されているからだ。

ひとつは直喩。
直喩というとものものしいが、あるものAを知らない人に、Aとは何かを説明するために、別のBを引っ張ってきて、AとはBのようなものである、と説明する。
このときは当然A≠Bという関係が成り立っている。Aを知らない人のためにBを引っ張ってくるのだから、同じではないのだ。

「りんごのようなほっぺ」というときの「ほっぺ」はりんごではないし、「男のような髪型」をしている人は女だ。本物のタヌキをつかまえて、「タヌキのような顔をしている」という人はいない。

「バールのようなもの」という表現を直喩と受けとると、「バールのようなもの」というのは、バールとは似て非なる、泥棒の秘密道具……ということになってしまう。

だが、新聞報道の「バールのようなもの」は直喩ではなく、提喩として使われている。
正確な提喩は「人はパンのみに生くるにあらず」というときの「パン」で、「~のような」がつかないのだけれど、ここでは、特殊なものを一般的な言葉で、あるいは逆に一般的なものを特殊な言葉で説明するときに使う提喩の性質をとらえて、「提喩的な表現」と曖昧な書き方をさせてもらう。あまり正確な表現ではないので、そこのところはご了承ください。

「饅頭のようなものが食べたい」と言う人がいる。そのときたまたま職場で旅行に行った人から温泉饅頭をおみやげにもらっていた。そこで「温泉饅頭なら持ってるんだけど」と差し出すと、相手は喜んでくれる。
この人は「饅頭」という言葉で和菓子を代表させている。饅頭でも大福でもどらやきでも、たぶん最中でもいいかもしれない。ともかくそんな甘いもの、とはいえ生クリームやバターを使ったものではない、饅頭、と限定するわけではないが、とにかくなんでもいいから和菓子が食べたい。だから「饅頭のようなものが食べたい」と言っているのだ。

なぞらえの直喩が
A≠B
であるのに対し、

この提喩表現では
A⊇B、あるいはB⊆A
の関係が成り立っている。

「バールのようなもの」というのは、梃子の原理を利用してシャッターなどをこじ開けるときに使う道具を「バール」に代表させている表現なのである。バールはそうした道具の代表だから、泥棒が使ったのがバールそのものであっても、一向に問題はない。

「数学のような科目は苦手だ」と言う人は、数学や物理のような式を立てて計算することが必要な科目が苦手だと言っていて、当然数学は苦手だ。

「子供たちだけで行っちゃいけない、お父さんのような人についていってもらいなさい」というときは、ディックの短篇に出てくるような、お父さんもどきについていってもらいなさい、と言っているわけではもちろんなくて、お父さんに代表されるような、お母さんでも、お祖父さんや伯母さんでも、歳がかなり上ならお兄さんやお姉さんでもかまわない、成人もしくはそれに類する人に連れて行ってもらいなさい、と言っているのである。

「あの女はメカケのようなものだ」言ってしまった熊さんは、「あの女」はメカケに似ている(かもしれない)が、メカケとは異なるものである、と言おうとして、さまざまなレベルの intimate な関係をメカケという言葉に代表させてしまったのである。

逆に、「わたしってあなたの何なの?」と聞かれて、あなたが「まあ、彼女のようなものかな」と答えたら、女の子に殴られるかもしれない。あなたとしては、告白して正式な彼氏彼女になったわけではないが、それでも、ガールフレンド、仲の良い女の子、自分にとって大切な人、そうしたさまざまな意味を「彼女」という言葉に代表させて、「彼女のようなもの」と言った。ところが女の子の方は「ええっ、どうして“彼女”って言い切らないの? 彼女のようなもの、って、わたしって彼女もどき、ほんとうの彼女ではない、ってことなの?」とつむじを曲げる、かもしれないのである。

教訓:「のようなもの」には気をつけよう。

(※更新情報に書こうと思ったのだけれど、書いているうちに話がどんどんそれたので、別のログにしました。更新情報はまた明日)


サイト更新しました

2009-11-07 10:56:09 | weblog
フィリップ・K・ディックの短篇「お父さんのようなもの」サイトにアップしました。このところ忙しくて、翻訳に手を入れようと思ったらブログを書く時間がないし、ブログに文章を書こうと思ったら翻訳がほったらかしになっちゃうし…という状態だったんです。

やーっと「まあいいか」と思えるところまで煮詰めることができました。
お暇なときにでものぞいてみてください。


http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html


箒の話

2009-11-04 23:10:38 | weblog
ベランダに落ち葉が溜まるので、百均でホウキとちりとりを買った。前のマンションでは最上階だったこともあって、落ち葉が溜まるようなこともなく、部屋に掃除機をかけるときに一緒に隅の埃などは吸っていたのだ。

考えてみればホウキというものをあまり使ったことがない。
学校の掃除でも使っていたのは、モップの先がぞうきんの代わりに、短い黒い毛が植えてある横に細長い板になっているようなものだったので(いま検索してみると、それは「自在箒、もしくは自由箒と呼ばれる箒の一種らしい。わたしはいままでモップのカテゴリに属するものだろうと思っていた)、ホウキを使って「掃く」という経験がないのだ。

わたしの記憶にある限り、家のなかでは掃除機を使っていた。自分の部屋ぐらい掃除しなさい、とお小言を喰らえば、部屋に散らばった本だの服だのを片づけて、掃除機をかける。大きくて重い掃除機をうんうんと二階へ持って上がって掃除機をかけていると、本体があちこちにぶつかって、大きな音を立てては怒られたものだ。ふすまを破ったこともある。だが、そのころの掃除機はほんとうに大きくて、操作性も悪かったのだ。いまのような丸っこくて軽い掃除機なら、そこまで掃除が面倒でなかったはずだ……といっても、いま掃除機を嬉々としてかけているかというとそんなことは全然ないので、当時、仮にいまのような掃除機があったとしても、怒られる前に掃除をしていたかどうかは定かではない、というか。十中八九、同じように「第一楽章:なんでそんなにだらしがないの 第二楽章:部屋の整理整頓ができないのは頭の中が整理されてない証拠 第三楽章:片づけもできないのなら部屋は取り上げる 第四楽章:掃除しなさい」という「お小言交響曲掃除編」は聞かされていたにちがいない。

つらつら思い返すに、玄関にはシュロ箒があったし、外の掃除は竹箒を使っていたはずだ。それでも家で使った記憶がないというのは、わたしがしなかったということなのだろう。中学に入って、校庭の端のプラタナスの下を竹箒で掃いていたら、「先をそんなに寝かしたら、穂先が斜めになる」とおっかない先生に怒られた。体の大きな体育の先生だったが、その先生は、穂先を地面に垂直に、と持ち方を事細かにおしえてくれた。だが、学校にある竹箒は、どれもひらがなの「れ」の先のように外を向いていて、反った先をどうやって垂直に地面に立てることができるんだ、と内心わたしはおもしろくなかった。

数年前、町内一斉清掃に当番で参加したときのこと。
高校を卒業して以降、初めて竹箒を使うことになった。中学の時に教えられたことを頭の中で思い返しながら、真新しい竹箒の穂先を痛めないように掃いていると、年配の男性に「ふだん箒を使ってない人間の掃き方はすぐわかる」と言われてしまった。あたりまえでしょ、と内心思ったが、礼儀正しいわたしは何も言い返すことはしなかった。なにくわぬ顔で、掃除をするふりをして、何気なく柄でそのおじいさんをひっぱたくようなことも、もちろんわたしはしなかった。

先日テレビのコマーシャルで、「実写版レレレのおじさん」を見た。赤塚不二夫描くところのレレレのおじさんよりはかなり若そうな、体の大きな人がやっていたが、箒は思いっきり先が寝ていたし、動かし方もぎこちなく、いかにも掃除などやったことのなさそうな手つきで、来る日も来る日も道を掃いているレレレのおじさんにはどうみても見えない。たくましい姿形は、マンガとのミスマッチがかもしだすおかしさを狙ったのかもしれないが、掃除の手つきの奇妙さは、狙ったものではあるまい。たとえコマーシャルでも、もうちょっとちゃんとしてほしいものだと思ったのだった。

箒の見事な遣い手を見たのは、ディズニーランドでのことだ。ディズニーランドでは、園内いたるところにいる箒とちりとりを持って掃除をしている白服のキャストを「カストーディアル」と呼ぶ。片手に箒、片手にちりとりを持って、足を巧みに使いながら様式化された動きで、ゴミであろうがこぼれたポップコーンであろうが、あっという間に片づけてしまう。最初にディズニーランドに行ったとき、何よりも感動したのはカストーディアルさんで(当時はその名前も知らなかった)、しばらくついて歩いたのを思い出す。

ベランダの掃除をするのも、ほんとうはカストーディアルさんが使っているあのちりとりがほしかったのだが、百均にシュロ箒とセットになったちりとりがあったので、それを買った。華麗な手つきとはほど遠いが、それで葉っぱを掃き、すみに溜まった埃と砂をかきだした。二個見つかったどんぐりは、記念に部屋に持って入った。

何の記念だろう。
ベランダの掃除記念、ということだろうか。