「あなたにとって~とは何ですか」という質問がある。
たいていこの「~」には、その質問を向けた相手にとって、きわめて重要と思われるものごとが入る。
たとえば「あなたにとってかんぴょうとは何ですか」という質問が成り立つのは、かんぴょうを作って三十年、という人か、かんぴょう巻きを体を張って食べ続ける人(そんな人がもしいれば、の話だが)ぐらいだろう。巻きずしの具で何が一番好き? という脈絡で、「あなたにとってかんぴょうとは何ですか」という質問は、絶対出てこないような気がする。
記録を出した野球選手に向かって「あなたにとって野球とは」、評判の高い映画を撮った映画監督に向かって「あなたにとって映画とは」、海外で活躍する音楽家に対して「あなたにとって音楽とは」、名人戦で勝利を収めた将棋指しに向かって「あなたにとって将棋とは」……。
こうした質問は、いかにも何か聞いているようで、実は何も聞いていない、格好だけの無内容の質問ではあるまいか。
つまり、その人が長い年数をかけて専心してきたことを、一語で要約してみろと言っているわけだ。無内容であるばかりか、失礼な質問であると言えるかもしれない。いつもそのことを考え続け、裏も表も知り尽くした人であればなおさら、それを「一語で要約」などできるものではない。要約できるのは、おそらくものの見方が雑な人か、言葉の使い方が雑な人のどちらかであるように思える(このふたつは、実際には同じことなのだが)。
もうひとつ疑問なのは、聞き手がほんとうにその問いの答えを知りたいのか、ということだ。ある野球選手にとって野球とは何であるか、一語で要約してもらって、聞き手はいったい何がわかるというのだろう。
「ぼくにとって野球とは人生そのものです」
「ああそうですか」
ああそうですか、とあいづちをうったものの、そこから話はどこにも行かない、というか、行きようがない。
とりあえず、インタビューによく出てくる質問だから、いろんな人が聞かれているから、ぐらいの理由で、尋ねられているのではあるまいか。
わたしもそんな質問を投げかけられたこともあるし、アンケートの最後にその質問を見かけたこともあった。いつも思いつくまま、適当なことを書いているのだが、どうも書いていて、いい加減なことを書いているような気がしてならなくなってしまう。何を書いても実感からははずれるし、こんな答えようのない質問にかかずらわっていることに、いらいらもしてくる。
だが、最近、こう聞き返したらどうだろうと思いたった。
「あなたにとって~とは何ですか」と聞かれたら、
「あなたにとって、この質問とははなんですか。この質問は、あなたにとってどういう意味があるの?」と聞き返すのである。
これにちゃんと答える人であれば、こちらもまじめにその質問の答えを考えてもいい。だが、テレビのインタビューなどで、それを聞いている人間は、きっと絶句してしまうはずだ。ある種の人なら、自分がどんなにいい加減なことを相手に聞いていたか、それに対してこちらはどう思っていたのか、理解してくれるのではないか。少なくとも、自分も答えられないような質問を、人に向けるのはいかがなものか、という意思表示ぐらいにはなるだろう。
「あなたにとって、“あなたにとってかくかくしかじかとは何ですか”という質問は、いったい何ですか?」
いい返しだと思うのだが、これでまた世間を狭くすることになるかもしれない。
たいていこの「~」には、その質問を向けた相手にとって、きわめて重要と思われるものごとが入る。
たとえば「あなたにとってかんぴょうとは何ですか」という質問が成り立つのは、かんぴょうを作って三十年、という人か、かんぴょう巻きを体を張って食べ続ける人(そんな人がもしいれば、の話だが)ぐらいだろう。巻きずしの具で何が一番好き? という脈絡で、「あなたにとってかんぴょうとは何ですか」という質問は、絶対出てこないような気がする。
記録を出した野球選手に向かって「あなたにとって野球とは」、評判の高い映画を撮った映画監督に向かって「あなたにとって映画とは」、海外で活躍する音楽家に対して「あなたにとって音楽とは」、名人戦で勝利を収めた将棋指しに向かって「あなたにとって将棋とは」……。
こうした質問は、いかにも何か聞いているようで、実は何も聞いていない、格好だけの無内容の質問ではあるまいか。
つまり、その人が長い年数をかけて専心してきたことを、一語で要約してみろと言っているわけだ。無内容であるばかりか、失礼な質問であると言えるかもしれない。いつもそのことを考え続け、裏も表も知り尽くした人であればなおさら、それを「一語で要約」などできるものではない。要約できるのは、おそらくものの見方が雑な人か、言葉の使い方が雑な人のどちらかであるように思える(このふたつは、実際には同じことなのだが)。
もうひとつ疑問なのは、聞き手がほんとうにその問いの答えを知りたいのか、ということだ。ある野球選手にとって野球とは何であるか、一語で要約してもらって、聞き手はいったい何がわかるというのだろう。
「ぼくにとって野球とは人生そのものです」
「ああそうですか」
ああそうですか、とあいづちをうったものの、そこから話はどこにも行かない、というか、行きようがない。
とりあえず、インタビューによく出てくる質問だから、いろんな人が聞かれているから、ぐらいの理由で、尋ねられているのではあるまいか。
わたしもそんな質問を投げかけられたこともあるし、アンケートの最後にその質問を見かけたこともあった。いつも思いつくまま、適当なことを書いているのだが、どうも書いていて、いい加減なことを書いているような気がしてならなくなってしまう。何を書いても実感からははずれるし、こんな答えようのない質問にかかずらわっていることに、いらいらもしてくる。
だが、最近、こう聞き返したらどうだろうと思いたった。
「あなたにとって~とは何ですか」と聞かれたら、
「あなたにとって、この質問とははなんですか。この質問は、あなたにとってどういう意味があるの?」と聞き返すのである。
これにちゃんと答える人であれば、こちらもまじめにその質問の答えを考えてもいい。だが、テレビのインタビューなどで、それを聞いている人間は、きっと絶句してしまうはずだ。ある種の人なら、自分がどんなにいい加減なことを相手に聞いていたか、それに対してこちらはどう思っていたのか、理解してくれるのではないか。少なくとも、自分も答えられないような質問を、人に向けるのはいかがなものか、という意思表示ぐらいにはなるだろう。
「あなたにとって、“あなたにとってかくかくしかじかとは何ですか”という質問は、いったい何ですか?」
いい返しだと思うのだが、これでまた世間を狭くすることになるかもしれない。