季節ものということで、今日からトルーマン・カポーティの「クリスマスの思い出」の翻訳をやっていきます。一週間ぐらいを目途にしていますので、まとめて読みたい人はそのころにまた来てください。
原文はhttp://msnoel.com/In%20Cold%20Blood/A%20Christmas%20Memory%20-%20Capote.docで読むことができます。
* * *
A Christmas Memory
By Truman Capote
その1.
ある朝、十一月も終わろうとするころのことだと思ってほしい。冬に近い朝、二十年以上も前のことだ。田舎にある広くて古い家の台所だと。ひときわ目立つのは、黒い立派なかまどだ。もちろんそこには大きな丸いテーブルもあるし、暖炉もあって、その前には揺り椅子がふたつ並んでいる。ちょうどこの日から、暖炉はこの季節ならではのうなり声を上げはじめた。
白くなった髪を短く刈りこんだ女がひとり、台所の窓辺に立っている。テニスシューズを履いて、夏物の更紗のワンピースの上に、よれよれのグレーのセーターを重ね着している。小柄で元気がよくて、小さなメンドリのような人だ。ただ、若い頃、長いこと病気をしていたせいで、背中が気の毒なくらい曲がってしまっている。なかなか立派な面立ちで、いささかリンカーンを思わせるようないかつい顔は、日差しと風にさらされた色合いをしているが、同時に繊細でもあり、骨相は上品だ。淡い褐色の目は、引っ込み思案であることをうかがわせる。「おやおや」と興奮した声があがる。「フルーツケーキ日和だねぇ」
彼女が話しかけているのは、このぼくだ。ぼくは七歳で、彼女は六十いくつか。ぼくたちは親戚、それもひどく遠縁の親戚に当たるのだが、一緒に暮らしていた――そう、ぼくが思い出せないころの昔から。この家にはほかにも住んでいる人がいた。みんな同じ一族だ。だが、その人たちはぼくらを押さえつけていて、ときには泣かされたりもしたものだが、ぼくらの方はだいたいのとき、眼中にさえ入れてなかった。ぼくらは互いに親友なのだ。彼女はぼくのことを「相棒」と呼ぶのだが、それは昔、彼女の親友だった男の子のことをそう呼んでいたからだ。その「相棒」の方は、1880年代、彼女がまだ子供だったころに亡くなっていた。まあ彼女はずっと子供のままなのだが。
「ベッドの中にいたときから、もうわかってたんだ」彼女はそう言うと、窓から目を離してこちらを振り向く。その目はひたむきな期待に輝いている。「郡庁舎の鐘が、冷え冷えとしてくっきり聞こえたんだもの。それに鳥が一羽も鳴いてなかった。暖かい国へ飛んでいっちゃったんだろうねえ。うん、そうにちがいない。さて、相棒、パンを口の中に詰め込むのはもうよしにして、あたしたちの荷車を、引っ張ってきてちょうだい。あたしの帽子を探すのを手伝って。これから三十本、ケーキを焼くんだからね」
いつもこの通りなのだ。十一月のある朝がやってくると、ぼくの親友は、気持が高揚し、胸の思いが焚きつけられるクリスマスの時期が今年も始まる、と公式に宣言するがごとく、こう告げるのである。「フルーツケーキ日和だねぇ、あたしたちの荷車を引っ張ってきてちょうだい。あたしの帽子を探すのを手伝って」
(この項つづく)
原文はhttp://msnoel.com/In%20Cold%20Blood/A%20Christmas%20Memory%20-%20Capote.docで読むことができます。
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A Christmas Memory
By Truman Capote
その1.
ある朝、十一月も終わろうとするころのことだと思ってほしい。冬に近い朝、二十年以上も前のことだ。田舎にある広くて古い家の台所だと。ひときわ目立つのは、黒い立派なかまどだ。もちろんそこには大きな丸いテーブルもあるし、暖炉もあって、その前には揺り椅子がふたつ並んでいる。ちょうどこの日から、暖炉はこの季節ならではのうなり声を上げはじめた。
白くなった髪を短く刈りこんだ女がひとり、台所の窓辺に立っている。テニスシューズを履いて、夏物の更紗のワンピースの上に、よれよれのグレーのセーターを重ね着している。小柄で元気がよくて、小さなメンドリのような人だ。ただ、若い頃、長いこと病気をしていたせいで、背中が気の毒なくらい曲がってしまっている。なかなか立派な面立ちで、いささかリンカーンを思わせるようないかつい顔は、日差しと風にさらされた色合いをしているが、同時に繊細でもあり、骨相は上品だ。淡い褐色の目は、引っ込み思案であることをうかがわせる。「おやおや」と興奮した声があがる。「フルーツケーキ日和だねぇ」
彼女が話しかけているのは、このぼくだ。ぼくは七歳で、彼女は六十いくつか。ぼくたちは親戚、それもひどく遠縁の親戚に当たるのだが、一緒に暮らしていた――そう、ぼくが思い出せないころの昔から。この家にはほかにも住んでいる人がいた。みんな同じ一族だ。だが、その人たちはぼくらを押さえつけていて、ときには泣かされたりもしたものだが、ぼくらの方はだいたいのとき、眼中にさえ入れてなかった。ぼくらは互いに親友なのだ。彼女はぼくのことを「相棒」と呼ぶのだが、それは昔、彼女の親友だった男の子のことをそう呼んでいたからだ。その「相棒」の方は、1880年代、彼女がまだ子供だったころに亡くなっていた。まあ彼女はずっと子供のままなのだが。
「ベッドの中にいたときから、もうわかってたんだ」彼女はそう言うと、窓から目を離してこちらを振り向く。その目はひたむきな期待に輝いている。「郡庁舎の鐘が、冷え冷えとしてくっきり聞こえたんだもの。それに鳥が一羽も鳴いてなかった。暖かい国へ飛んでいっちゃったんだろうねえ。うん、そうにちがいない。さて、相棒、パンを口の中に詰め込むのはもうよしにして、あたしたちの荷車を、引っ張ってきてちょうだい。あたしの帽子を探すのを手伝って。これから三十本、ケーキを焼くんだからね」
いつもこの通りなのだ。十一月のある朝がやってくると、ぼくの親友は、気持が高揚し、胸の思いが焚きつけられるクリスマスの時期が今年も始まる、と公式に宣言するがごとく、こう告げるのである。「フルーツケーキ日和だねぇ、あたしたちの荷車を引っ張ってきてちょうだい。あたしの帽子を探すのを手伝って」
(この項つづく)