陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

フィリップ・K・ディック『変種第二号』その15.

2009-04-14 22:57:09 | 翻訳
その15.

ヘンドリックスはゆっくりと目を開けた。体中が痛む。なんとかすわろうとしたが、刺すような痛みが腕から肩に貫く。彼はあえいだ。

「起きようとしちゃだめ」タッソーがいった。かがみ込んで、彼の額に冷たい手を当てた。

夜だった。頭上には星が宙をただよう灰をすかして輝いていた。ヘンドリックスは歯を食いしばって横になった。タッソーは表情一つ変えずそれを見ていた。タッソーは木ぎれや雑草で火を起こしていた。弱い炎がちろちろと、上につるした金属のカップをなめる。あたりは静まりかえっていた。焚き火の向こうは一面の闇に塗りつぶされている。

「ということは、彼が変種第二号だったのか」ヘンドリックスはつぶやいた。

「あたしには最初からわかってたわ」

「なら、どうしてもっと早く破壊しなかったんだ?」その理由が知りたかった。

「あんたがやめさせたんでしょ」タッソーは焚き火のそばによって、金属のカップをのぞきこんだ。「コーヒーよ。もうじき飲めるわ」

タッソーは戻ってきて、彼の隣りに腰を下ろした。やがてピストルを開けると、発射装置を分解しながら、夢中になって調べ始めた。

「ほんとにすごい銃だわ」タッソーは半ば独り言のように言った。「構造がずばぬけてる」

「やつらはどうなった? クローたちは」

「手榴弾の衝撃で、ほとんどが壊れたわ。繊細なのね。精巧に作られてるとそうなるみたい」

「デイヴィッドもか?」

「そうよ」

「あんな手榴弾をどうやって手に入れた?」

タッソーは肩をすくめた。「あたしたちが設計したの。あたしたちの技術をみくびってもらっちゃ困るわね、少佐。もしあの手榴弾がなかったら、あんたもあたしもいまごろここにはいやしない」

「確かにあれはすごかった」

タッソーは脚を伸ばして、つま先を火で暖めた。「やつがルディを殺したのに、あんたが何にも気がつかないもんだから、あたし、びっくりしちゃった。なんでやつが……」

「前にも言ったろう。怯えているんだとばかり思ったんだ」

「ほんと? あのね、少佐、あたしはちょっとのあいだ、あんたを疑ったわよ。だって、やつを殺そうとしたのを止めるんですもの。てっきりやつをかばうつもりなんだと思ったわ」そう言うと笑った。

「ここは安全なのか」ややあってヘンドリックスは聞いてみた。

「少しならね。やつらがほかの地域から援軍をかき集めてくるまでってことだけど」タッソーはボロ布の切れ端で、銃の内部を磨き始めた。それを終えると、発射装置を組み立てなおす。銃を閉じると銃身に沿って指を走らせた。

「私たちは運が良かったんだな」ヘンドリックスはつぶやいた。

「そうね。とってもラッキーだった」

「あそこから引っ張り出してくれたことを感謝するよ」

タッソーは返事をしない。彼にすばやく向けた目は、焚き火の火を反射して、きらきらと輝いていた。ヘンドリックスは腕を確かめた。指を動かすことができなくなっている。自分の片側全体が鈍くなったような感じだった。体の奥の方がずっと鈍い痛みに疼いている。

「どんな感じ?」タッソーが聞いた。

「腕をやられた」

「ほかは?」

「内臓がどうにかなったみたいだ」

「爆発したとき、あんた、しゃがまなかったからよ」

ヘンドリックスは何も言わなかった。タッソーがコーヒーをカップから、平たい金属の器に移すのをじっと見ていた。タッソーはそれを彼のところまで持ってきてくれた。

「ありがとう」ヘンドリックスは苦労しながら飲んだ。容易には飲み込めない。内臓がひっくり返りそうな感じがして、皿を脇に押しやった。「いまはもうたくさんだ」

タッソーは残りを飲み干した。時間が過ぎた。頭の上にもうもうとたちこめる灰の背後に暗い夜空が広がっている。ヘンドリックスは頭を空っぽにして休んだ。しばらくのち、ふたたび気がついたときには、タッソーは立ったまま、ヘンドリックスを見下ろしていた。どうした」彼は口の中でつぶやいた。

「少しは気分が良くなった?」

「多少は回復した」

「あのね、少佐。もしあたしがあんたを無理矢理ここまで引っ張って来なかったら、あんた、死んでたわよ。ルディみたいに」

「わかってる」

「あたしがなんであんたを引っ張ってきたか、その理由を知りたくない? あそこに放っておくこともできたのに」。

「どうして私を連れてきてくれたんだ?」

「それはあたしたちがここを脱出しなきゃいけないから」タッソーは穏やかな目で焚き火を見つめながら、棒きれで火をかきまわした。「ここで生きていける人間なんていない。やつらの援軍が来たら、もうあたしたちに生き延びるチャンスはなくなってしまう。あんたが気を失ってるあいだ、あたしはずっと考えた。やつらが来るまで、たぶん三時間ぐらいはあるの」

「で、ここから脱出する方法を私に期待しているんだな」

「そういうこと。あんたにあたしたちをここから出してほしいのよ」

「何で私ならできると思うんだね?」

「だってあたしにはどうしたらいいか全然わかんないんだもの」彼に向けた目は、一方から光を受けて、輝いたまま、ひたと見すえられていた。「もしあんたが抜け出す方法を考えなかったら、あたしたち、三時間もすれば殺されてしまうわ。それ以外の道はない。わかった、少佐? どうするつもり? あたしは一晩中待ってた。あんたが気を失ってる間、ここにすわって、耳を澄ましてじっと待ってたの。夜はもうじき明けるわ」

ヘンドリックスは考えていた。そしてついに「変だな」とだけ言った。

「何が変なのよ」

「君が私ならここを抜け出せると考えたことだよ。私に一体何ができると思ったんだ」

「月基地に連れてってくれる?」

「月基地へ? どうやって?」

「方法はきっとあるわ」

ヘンドリックスは頭を振った。「ないね。私は何も知らない」

タッソーは何も言わなかった。ひたと見据えられていた目が、一瞬揺らいだ。頭をかがめ、ぶっきらぼうに顔を背けた。さっと立ちあがる。「コーヒーは?」

「結構だ」

「勝手にして」タッソーは黙って飲んだ。彼にはタッソーの顔が見えなかった。あれこれ思いつつ仰向けになって何とか頭を集中させようとした。考えをまとめるのはむずかしい。頭はまだ痛かった。おまけに全身をだるさが襲っていた。

「もしかしたら、ひとつだけ方法があるかもしれない」不意に彼は言った。


(この項つづく)




フィリップ・K・ディック『変種第二号』その14.

2009-04-13 22:47:23 | 翻訳
その14.

デイヴィッドの一体が、ぬっとヘンドリックスのそばに寄ってきた。小さな白い、無表情な顔には茶色い髪が目にかかっている。デイヴィッドは突然、両手を広げると体を前に倒した。ぬいぐるみのクマが下に落ち、地面をぴょんぴょんと跳ねながら、ヘンドリックスに向かっていった。ヘンドリックスは発砲した。クマもデイヴィッドも崩れ落ちた。ヘンドリックスは目をしばたたきながら満足げな笑みを浮かべた。まるで夢みたいだ。

「上よ!」タッソーの声がした。ヘンドリックスはその声の方に向かう。タッソーはコンクリートの柱の陰にいた。崩れる前はビルの壁だったらしい。クラウスに渡されたピストルで、ヘンドリックス越しに発砲を続けている。

「助かった」息をあえがせながら、タッソーに加勢した。タッソーはヘンドリックスを引っ張って、自分の背後、コンクリートの陰に押しやり、自分のベルトをさぐった。「目を閉じて!」腰から手榴弾を外す。素早くキャップを外して固定した。「目をつぶって伏せるのよ」

タッソーは手榴弾を投げた。弧を描いて飛んでいく。見事なものだった。蔽壕の入り口まで弾みながら転がっていく。ふたりの傷痍兵がレンガの山のかたわらに、ふらつきながら立っていた。デイヴィッドたちはその後ろから、続々と地上に吐き出されてくる。傷痍兵のうちのひとりが手榴弾に近づき、拾おうとぎこちなくかがみ込んだ。

手榴弾は爆発した。衝撃がヘンドリックスのところまで押し寄せ、顔を下にして押し倒された。熱風が波打ちながら背中の上を行き過ぎる。ぼんやりと見えたのは、コンクリートの裏に立つタッソーが、たちこめる白煙をついてこちらにやってくるデイヴィッドたちめがけて、落ち着いて、着実に発砲している姿だった。

背後の丘の斜面では、クラウスが四方をクローの群れに包囲され、孤軍奮闘している。クラウスは退却しながら発砲し、そこからさらに退いて、なんとかその輪を突破しようとしていた。ヘンドリックスはなんとか立ちあがろうとした。頭が痛む。ほとんど視界がきかない。あらゆるものが荒れ狂い、旋回しながら、彼を痛めつけてくる。右腕は動かそうとしても動かなかった。

タッソーが彼のところまで引き返してきた。「さあ、行きましょう」

「クラウスが……クラウスがまだあっちにいるんだ」

「行くのよ!」タッソーはコンクリートの柱のそばにいたヘンドリックスの背中を引っ張った。なんとか頭をはっきりさせようと、振ってみる。タッソーは素早く先に立ち、緊張したまなざしで、爆発から逃れたクローたちがいないかどうか、警戒している。一体のデイヴィッドが、立ち上る炎と煙のなかから現れた。タッソーは撃った。もう何もやってこない。

「クラウスは。クラウスはどうするつもりだ」ヘンドリックスは脚を止め、ふらふらしながら立っていた。「クラウスは……」

「さあ、来るのよ」

ふたりは引き返し、少しずつ掩蔽壕から遠ざかっていった。小型のクローが数体ついてきたが、ちょっと行ったところであきらめて去っていった。ずいぶんたってから、とうとうタッソーも脚を止めた。「ここなら休んで一息ついても大丈夫そうね」

ヘンドリックスは瓦礫の山に腰をおろした。あえぎながら首をぬぐう。「クラウスをあそこに見捨ててしまった」

タッソーは返事をしない。銃を開いて新しい薬包をすべりこませている。

ヘンドリックスはそれを見つめ、とまどっていた。「わざと彼を置き去りにしたのか」

タッソーはカチッと音を立てて銃を閉じた。無表情のまま、周囲の瓦礫の山をじっと見ている。あたかも観察すべき何ものかがいるかのように。

「何だ?」ヘンドリックスは聞いた。「何を探してるんだ? 何かが来るのか?」ヘンドリックスは何とか理解しようと頭を振った。彼女は何をしているんだ? 何を待っている? 自分には何も見えない。周りにあるのは灰と、廃墟だ。あとはところどころに、木が、葉も枝もない幹だけが、あるだけだ。「何を……」

タッソーはそれをさえぎった。「静かにして」タッソーの目は細められている。急に銃を構えた。ヘンドリックスは振り返り、その視線の先を探した。ふたりがやってきた方角から人影が現れた。人影は、ふらふらしながらこちらに向かってくる。服はぼろぼろだった。足を引きずりながら、ひどくのろのろと、警戒しながら近づいていた。ときおり止まり、休みながら、なんとか力を回復しようとしているらしかった。じきに、もう少しで倒れそうになり、なんとか足を踏ん張った。また近づいてくる。

クラウスだった。

ヘンドリックスは立ちあがった。「クラウス!」彼の方へ駆けよる。「よくここまで……」

タッソーが撃った。ヘンドリックスは弾かれたように振り返る。もう一度発砲すると、一本の線のような熱波が彼をかすめた。熱線はクラウスの胸に命中した。爆発し、ギアや歯車が吹き飛んだ。それでも一瞬のあいだ、彼はなおも歩いた。やがて体が前に後ろに揺らいだ。それから両腕を広げて地面にどさっと倒れた。歯車がまたいくつか転がった。

あたりは静まりかえっていた。

タッソーがヘンドリックスを振り返る。「これであんたにもクラウスがなんでルディを殺したか、わかったでしょ」

ヘンドリックスはのろのろと腰をおろした。頭を振る。茫然自失していた。考えることができなかった。

「わかった?」タッソーが聞いた。「あんたにも飲み込めた?」

ヘンドリックスは答えなかった。何もかもが、どんどん早くなりながら、彼の手からすべりおちていく。暗闇が渦巻き、襲いかかってくる、彼は目を閉じた。


(この項つづく)



フィリップ・K・ディック『変種第二号』その13.

2009-04-12 22:27:32 | 翻訳
その13.

「スコット、応答せよ」

しんとしている。

「スコット、こちらヘンドリックス。応答せよ。私はいま壕の外にいる。照準器で姿が確認できるはずだ」

耳を澄ませる。通信機を握る手に力がこもる。だが、何の音も聞こえない。ノイズだけだ。ヘンドリックスは前進した。一体のクローが灰のなかから現れ、すごい勢いでやってきたが、一メートルほどまで近寄ると急に立ち止まり、やがて逃げていった。つぎに、かぎ爪のある大型のクローが現れた。近くでじっと様子をうかがっていたが、やがて背後にまわりこみ、礼儀正しく一メートルほど距離をおいて、あとをついてきた。その直後に二体目の大型のクローがそれに加わった。クローたちは静かに、掩蔽壕に向かってゆっくりと歩いていく彼のあとに続いた。

ヘンドリックスが立ち止まり、後ろをついてきたクローたちも歩をとめた。すぐ近くまで来ていた。壕の階段は目の前だ。「スコット、応答せよ。私は壕のすぐ上にいる。外だ。地上だ。私の声が聞こえるか?」彼は待った。銃を脇に抱え、通信機をきつく耳に当てて待った。時間が過ぎた。聞き逃すまいと耳をそばだてたが、何も聞こえない。かすかな空電だけだ。

やがて遠くの方から、金属的な声が聞こえてきた。「こちらスコット」

無表情な声だ。冷たい。彼には聞き分けることができなかった。イヤフォンは小さい。

「スコット、よく聞け。私はすぐ上に立っている。地表で、壕の入り口を見下ろす場所に立っている」

「はい」

「聞こえるな」

「はい」

「私が見えるか」

「はい」

「照準器から見えているんだな? 照準を私に合わせているな?」

「はい」

ヘンドリックスは決断がつきかねた。クローの群れは彼を囲んでじっと待っている。「壕は異常はないか。何か変わったことは起こってないか」

「まったく異常はありません」

「地上に出てきてくれないか。ちょっと君の様子が見たい」

「降りてきてください」

「私が君に命令をしているのだ」

沈黙。

「上がって来ているのか」ヘンドリックスは耳を澄ました。返事はない。「命令だ。地上に上がって来い」

「降りてください」

ヘンドリックスはあごをきつく引いた。「レオーネと話がしたい」

長い間が空いた。空電に耳を凝らす。やがて声が聞こえた。硬く、細い、金属的な声だ。さきほどと同じだ。「こちら、レオーネです」

「ヘンドリックスだ。地上にいる。壕の入り口のところだ。どちらかひとり、ここまできてくれ」

「降りてください」

「なぜ降りろと言う。命令しているのは私だぞ!」沈黙。ヘンドリックスは通信機を降ろした。周囲を注意深く見回す。入り口は目の前だ。足下と言ってもいい。アンテナを降ろすと、通信機をベルトに戻した。慎重に銃を両手で掲げる。一歩ずつ前進した。向こうにその姿が見えているなら、彼が入り口に向かっていることがわかるだろう。束の間、彼は目をつぶった。

ついに降りていく階段のてっぺんに足をかけた。デイヴィッドがふたり、こちらに向かって上がってくる。そっくり同じ、表情のない顔。彼が発砲すると、バラバラになった。なおも続々とデイヴィッドの群れが、無言のまま駆け上がってくる。すべてが同じだ。

ヘンドリックスは向きを変え、壕を離れて丘に向かって必死で走り出した。

丘の上ではタッソーとクラウスが、下に向けて発砲していた。小型のクローの群れが、早くもふたりめがけて突進している。きらきらと輝く金属球は全速力で、気でも違ったように灰のなかを駆けていた。だが、彼にはそんなものに気を留めている余裕などなかった。

膝をついて銃を頬に当て、掩蔽壕に向かって構えた。デイヴィッドたちは集団で出てきた。いずれもクマのぬいぐるみを抱え。やせて飛び出した膝小僧をがくがくさせながら、地上に出てくる階段を上ってくる。ヘンドリックスは中心の位置にいるデイヴィッドに向けて発砲した。デイヴィッドたちは飛び散り、歯車やバネが四方八方に飛び散った。細かな残骸がもうもうと立ち上るのをついて、ヘンドリックスはもう一度発砲した。

巨大な人影がよろよろと壕の入り口に姿を見せた。ヘンドリックスはぎょっとして手を止めた。男だ。兵士だ。一本足で松葉杖をついている。

「少佐!」タッソーの声が飛んできた。ふたたび発砲が始まった。大男が前に進み、デイヴィッドたちが周りを固める。ヘンドリックスは凍りついた状態から、気を取り直していた。変種第一号、傷痍兵。ねらいを定めて発砲する。傷痍兵は粉々になり、部品や継電器が飛び散った。さらに多くのデイヴィッドが壕から外に出ている。ヘンドリックスは徐々に後退しながら、腰を落としてねらいをつけながら、発砲を続けた。丘の斜面からは、クローの群れがひしめきあいながら上っている。ヘンドリックスもは走ったり、腰をかがめたりしながら上っていく。タッソーはクラウスから離れて、右手の方へゆっくりと弧を描くように、丘を離れようとしていた。

(この項つづく)

フィリップ・K・ディック『変種第二号』その12.

2009-04-11 23:13:23 | 翻訳
その12.

朝の空気は澄んでいて、身が引き締まるようだった。ヘンドリックス少佐は双眼鏡であたりを調べた。

「何かいるか?」

「いた」

「おれたちの掩蔽壕がわかるか?」

「どっちの方角だ?」

「貸してみろ」クラウスは双眼鏡を取ると調節した。「どこを見たらいいか、おれは知ってるからな」長い間、黙ってのぞいていた。タッソーが地下道の入り口から上がってきた。「何か見える?」

「何も」クラウスは双眼鏡をヘンドリックスに返した。「見る限り、あれの姿はないな。行こうや。長居は無用だ」

三人は柔らかい灰に足を取られながら、小山の斜面を降りた。平たい岩の上を、一匹のトカゲが走り抜ける。三人はその瞬間、はっとして立ちすくんだ。

「何だ」クラウスがそっとつぶやいた。

「トカゲだよ」

トカゲは止まることなく、灰の上をすごい速さで駆けていった。灰とそっくり同じ色だ。

「完全なる適応だな」クラウスが言った。「ロシア側が正しかったことの証明だな。ルイセンコ論争のことだが」

小山のふもとまで降りてくると、三人はそこで止まり、身を寄せ合ってあたりを見回した。「さて、行くとするか」ヘンドリックスが動き出した。「結構な距離を歩くことになるぞ」

クラウスが横に並んだ。タッソーは後ろにつき、ピストルを油断なく構えている。「少佐、ずっと聞こうと思ってたんだがな」クラウスは言った。「あんた、どうやってディヴィッドに会ったんだ。あんたのあとをずっとついてきたデイヴィッドだが」

「途中で会ったんだ。どこかの廃墟だった」

「あれはどんなことを言った?」

「たいして何も言わなかったな。ひとりだと言っていた。ひとりぼっちだって」

「あんたは機械だとは思わなかったんだろう? 生きてる人間みたいにしゃべったんだろ? 変だと思わなかったのか?」

「ほとんどしゃべらなかったんだ。だからとくに不自然だとも思わなかった」

「そりゃおかしいな。人間みたいにしゃべる機械に、あんた、だまされたのか。まるで生きてるみたいだな。しまいにはどうなることやら」

「あれはどれもあんたたちヤンキーが設計した通りに動いてる」タッソーが言った。「あんたたちは生命体を追いつめ、殺すように設計した。どこで何をしてようと人間を見つけしだいに」

ヘンドリックスはクラウスをきつい目で見た。「なんでそんなことを聞く? 何を考えているんだ?」

「別に何も」クラウスは答えた。

「クラウスはあんたを変種第二号だと思ってるのよ」タッソーはふたりの背後からこともなげにそう言った。「いまはあんたに目をつけてるの」

クラウスはぱっと赤くなった。「悪いか? 我が軍がヤンキーに伝達係りを送って、そこであんたが来た。もしかしたらここで願ってもない獲物を見つけようと思ったのかもしれないじゃないか」

ヘンドリックスは尖った声で笑った。「私は国連軍の掩蔽壕から来たんだぞ。人間なら周囲にたくさんいたんだ」

「ソ連の前線に入り込む願ってもないチャンスだと思ったのかもしれないじゃないか。あんたは機会をうかがった。そしてあんたは……」

「そのころソ連の前線はもう乗っ取られていたんじゃないのか。私が司令部の掩蔽壕を出る前に、君たちの前線は、やつらに入り込まれてしまっていたんだ。そのことを忘れちゃこまるよ」

タッソーが隣りに並んだ。「少佐、それは何の裏付けにもならないわよ」

「なぜだ」

「あの変種たちは相互にほとんど意思疎通がないみたいなの。それぞれ別の工場で作られてるから。共同行動は取ってない。ほかのタイプたちが何をしてるか知らずに、ソヴィエトの前線に向かったのかもしれない。もしかしたら、ほかのタイプがどんなものかも知らないのかも」

「なんでそんなにクローのことに詳しいんだ」ヘンドリックスは言った。

「だって見てたんだもの。やつらのことは観察してたの。やつらがソヴィエトの掩蔽壕を占拠するのをずっと」

「おまえ、ずいぶん詳しいな」クラウスも言った。「実際のところ、ほとんど見てなかったじゃないか。そんなに鋭い観察をしてたなんて、おかしいんじゃないか」

タッソーは声を上げて笑った。「今度はあたしを疑うわけね?」

「忘れてくれ」ヘンドリックスは言った。一同は黙ったまま歩き続けた。

「ずっと歩くの?」しばらくしてタッソーが言った。「あたし、あんまり歩くのは慣れてないのよ」見渡す限り、灰の降り積もった平原が広がるのを眺め回した。「もう、うんざり」

「どこまで行っても似たようなもんさ」クラウスが言った。

「やつらの襲撃があったとき、あんたも掩蔽壕にいればよかったのに」

「で、おれじゃなきゃ別の誰かがおまえと一緒にいたってわけか」クラウスがぼそっと言った。

タッソーは両手をポケットにつっこんだまま笑った。「きっとね」


太陽が沈もうとしている。ヘンドリックスは慎重に歩を進めながら、手を振ってタッソーとクラウスを下がらせた。クラウスはしゃがんだまま、銃の台尻を地面に立てている。タッソーはコンクリート板を探してそこに腰を下ろし、ため息をひとつついた。

「休めて良かった」

「静かに」クラウスが鋭く言った。

ヘンドリックスは前方の丘を上った。前の日にロシア軍の伝達係りが上ってきたあの丘である。ヘンドリックスは手足を伸ばして身を伏せると、双眼鏡で向こうの様子をのぞいた。何も見えない。そこにあるのは灰と見なれた木々だけだ。だが、50メートルほどのところには司令部の掩蔽壕の入り口がある。彼が出てきた掩蔽壕だ。ヘンドリックスは物音を立てないように監視を続けた。動くものはない。生命の徴候もない。身じろぎする気配もない。

クラウスが這ってやってくると、隣りに並んだ。「どこだ?」

「降りたところだ」ヘンドリックスは双眼鏡を渡した。夕焼け空を背景に、灰が雲のようにたちこめている。暗くなりかけていた。明るさが残っているのも、せいぜいあと二、三時間ほどだろう。そんなにもないだろうか。

「わからないな」クラウスが言った。

「あそこに木があるだろう。切り株だ。レンガの山の脇だ。入り口はレンガの右手にある」

「あんたの言葉を信じるしかないな」

「君とタッソーはここから私を援護してくれ。掩蔽壕の入り口まで、ずっと視界はさえぎられないはずだ」

「ひとりで行くつもりなのか」

「私は手首にタブをつけてるから安全だ。掩蔽壕のまわりはクローの群れの活動区域だ。灰のなかはやつらだらけだ。カニのようにな。タブなしでは命はない」

「そうなんだろうな」

「ゆっくりと歩いていくつもりだ。何かわかったらすぐ……」

「もしやつらが掩蔽壕のなかに入り込んでたら、あんたは生きて戻ることはできないぞ。なにしろ素早いんだ。あんたはまだわかってないみたいだな」

「じゃ、どうしたらいい」

クラウスは考えていた。「おれにもわからん。とにかく地表に呼び出すんだ。そしたらわかるだろう」

ヘンドリックスはベルトから通信機を取り出すと、アンテナを伸ばした。「やってみよう」

クラウスがタッソーに合図を送った。タッソーは手慣れたようすで丘の斜面をふたりのいるところまで匍匐前進でのぼってきた。

「少佐はひとりで行く」クラウスが言った。「おれたちはここで援護する。少佐が戻ってくるのが見えたら、すぐに少佐の背後を狙って撃つんだ。やつらの動きは早いからな」

「あんたはあんまり楽観的じゃないのね」タッソーが言った。

「おれはちがう」

ヘンドリックスは銃尾を開いて入念に点検した。「もしかしたら万事いつもどおりかもしれない」

「あんたは見てないからな。何百というやつらの姿を。全部が同じの。アリのようにぞろぞろとあふれ出してくるのを」

「向こうに降りていく前に確かめられるといいんだが」ヘンドリックスは銃をロックし、片手で握りしめ、もう一方の手には通信機を持った。「さて、幸運を祈っていてくれ」

クラウスは手を差し出した。「確かなことがわかるまで、降りていくんじゃない。地上から話しかけるんだ。相手が姿を見せるように」

ヘンドリックスは立ちあがった。丘の斜面に脚をふみだした。ほどなく、枯れた木の切り株を過ぎ、レンガや瓦礫の山に向かってゆっくりと歩いていく。司令部の掩蔽壕の入り口に向かって。動く気配はない。彼は通信機を持ち上げ、スイッチを入れた。

(この項つづく)


フィリップ・K・ディック『変種第二号』その11.

2009-04-10 22:32:15 | 翻訳
その11.

「クラウスは恐怖に取りつかれてしまったんだ」ヘンドリックスは言った。「あれやこれや、こうしたこと全部、我々の周りでつぎつぎに起こっていく事態に」

「かも、ね」

「じゃ、なんだっていうんだ? 何を考えてる?」

「彼にはルディを殺す理由がずっと前からあったのかも。はっきりとした理由が」

「どんな理由だ」

「もしかしたら、ルディは何かをかぎつけたのかも」

ヘンドリックスはタッソーの冷たい顔をまじまじと見た。「どんなことだ」

「彼のこと。クラウスのことよ」

とっさにクラウスが顔を上げた。「この女が言いたいことは、あんたにもわかってるんだろう。こいつはおれが変種第二号だって言いたいんだ。な、少佐。おれがルディを殺したのは理由があるんだって、あんたにも思わせようとしてるんだ。おれは……」

「そうじゃないんだったら、なんでルディを殺したのよ」

「言っただろう」クラウスは面倒くさそうに頭を振った。「クローだと思ったんだ。突きとめた、と思ったんだ」

「なぜ?」

「やつを見張っていた。怪しかったからな」

「どうして?」

「何かを感じたんだ。何かが、聞こえてきたんだ。おれは……」そこでクラウスは口をつぐむ。

「続けて」

「おれたちはテーブルでトランプをやっていた。あんたたちがあっちの部屋にいるときだ。静かだった。そしたら、ブーンという音が聞こえたような気がしたんだ、やつから」

誰も口を開かなかった。

「信じられる?」タッソーがヘンドリックスに聞いた。

「ああ。ほんとうにそう思ったのだろう」

「あたしには信じられないわ。ちゃんと理由があったからこそ、殺したのよ」タッソーは部屋の隅に立てかけてあるライフルに手を触れた。「少佐……」

「よせ」ヘンドリックスは首を横に振った。「いまはこんなことはやめるんだ。ひとりで充分だ。おれたちはみんな怖れている。クラウスと同じだ。もしクラウスを殺せば、ルディにやったことと同じ結果が待っているだけだ」

クラウスは感謝のこもったまなざしで彼を見上げた。「ありがとう。おれ、怖かったんだよ、わかるだろう? いま怖がってるのはタッソーだ、ちょうどおれみたいに。おれを殺したいんだ」

「人を殺すのはもう十分だ」ヘンドリックスは梯子の下まで歩いた。「上でもう一度通信を試みることにする。もし通じなかったら、朝になって戦線に戻ってみるよ」

クラウスがさっと立ちあがった。「おれも一緒に行って協力するよ」


夜気は冷えびえとしていた。地表の温度は下がっていた。クラウスは深呼吸し、肺を空気で満たした。彼とヘンドリックスは地下道を通って地上に出た。クラウスは大股に立ち、ライフルを構えて、あたりに目を配り、耳を澄ました。ヘンドリックスは地下道の入り口に身を低くして、小さな通信機を調節していた。

「何か聞こえたか」しばらくしてクラウスが聞いた。

「いや、まだだ」

「がんばれ。ここで起こったことを教えてやらなきゃ」

ヘンドリックスは何とかとらえようとした。どうやってもうまくいかない。とうとうアンテナを降ろした。「うまくいかない。あっちには私の声が聞こえないみたいだ。それとも聞こえてるんだが、応答しないか。そうでなきゃ……」

「そうでなきゃあっちはもう存在してないか」

「もう一度やってみよう」ヘンドリックスはアンテナを立てた。「スコット、聞こえるか? 応答せよ!」

耳を澄ませる。雑音しか入らない。そのとき、ひどくかすかな音が聞こえた。「こちらスコット」

ヘンドリックスの指に力がこもった。「スコット! おまえか?」

「こちらスコット」

クラウスが腰をかがめた。「司令部か?」

「スコット、よく聞いてくれ。そちらでは把握しているのか? あいつらのことだ。クローだよ。私の言うことが聞こえているか? 聞いてるか?」

「はい」かすかな声が聞こえた。かろうじて聞き取れるほどの声だ。何を言っているかまではわからない。

「私の言葉が聞こえたか? そっちの掩蔽壕は何も異常ないか? 何も入り込んできてないか?」

「万事異常ありません」

「やつらが入り込もうと画策するようなことはないか?」

音声がいっそう弱くなった。

「いいえ」

ヘンドリックスはクラウスの方を振り返った。「あっちは大丈夫だ」

「攻撃は受けてないのか?」

「受けてない」ヘンドリックスは受信機をいっそう強く耳に当てた。「スコット、君の声がほとんど聞こえないんだ。月基地には知らせたのか。向こうは知っているか? あっちは警戒態勢を取っているか?」

返事がない。

「スコット! 聞こえるか?」

沈黙。

ヘンドリックスは落胆して力が抜けた。「フェイド・アウトしてしまった。きっと放射線層のせいだろう」

ヘンドリックスとクラウスは顔を見合わせた。どちらも無言のままだった。しばらくしてクラウスが言った。「あんたの部下の声だったか? 誰の声か、はっきり聞き取れたか?」

「小さくてよくわからなかった」

「確かじゃないんだな」

「ああ」

「じゃあ、もしかしたら……」

「わからない。いまは何とも言えない。中に戻ってふたを閉めよう」

ふたりは梯子をのろのろと降りると、暖かな地下室に入っていった。クラウスは背後でかんぬきをかける。タッソーはそこで無表情のまま待っていた。

「うまくいった?」

ふたりとも返事をしなかった。「まあな」やっとクラウスが言った。「どう思う、少佐。あれはあんたの部下だったのか、それともやつらだったのか」

「わからない」

「ってことは、前と同じってことだ」

ヘンドリックスはあごを引いて床をじっと見つめていた。「行ってみなくては。確かめるためにな」

「なんにせよここには食料も数週間分しかない。なんにせよそのあとは、出て行かなきゃならないんだ」

「そういうことだ」

「どうしたのよ」タッソーが聞いた。「あんたのところの掩蔽壕と話はできたの? 何があったっていうのよ」

「あれは私の部下だったのかもしれない」ヘンドリックスはゆっくりと言った。「もしかしたら、やつらのうちの一体だったのかもしれない。だが、ここにいるだけじゃ絶対にわからないんだ」彼は自分の時計を見た。「横になって少しでも休もう。明日は早く起きなきゃな」

「早く?」

「クローに出くわさずにすむのは早朝がよさそうだ」ヘンドリックスは言った。

(この項つづく)



フィリップ・K・ディック『変種第二号』その10.

2009-04-09 22:34:47 | 翻訳
その10.

「我々は月から物資補給を受けている。政府もそこに、つまり、月の地下にある。アメリカ国民と全産業もだ。だから軍も戦闘を続けることができているんだ。もしやつらが地球から離陸して、月に行く方法を見つけたとしたらどうなるか」

「一体で十分なんだよ。ひとたび最初の一体が入り込めば、そいつが残りを引き込むんだから。そっくり同じのが何百体。あんたも見ておくべきだったな。まったく同じなんだから。アリみたいなもんだ」

「完全な社会主義ね」タッソーが言った。「共産主義国家の理想じゃない? 人民がそっくり相互互換性があるなんて」

クラウスは腹を立てたように言った。「もういい。で? つぎは何をしたらいい」

ヘンドリックスは狭い部屋のなかを行ったり来たりしている。空気には食物と汗の臭いが充満していた。残った三人は、ヘンドリックスをじっと見つめていた。やがてタッソーがカーテンを開けて、もうひとつの部屋に入った。「ちょっと休ませて」タッソーの背後でカーテンが閉じた。ルディとクラウスは食卓のいすにすわって、まだヘンドリックスから目を離さずにいた。「あんた次第だよ」クラウスが言った。「おれたちにはそっちの状況はわからんからな」

ヘンドリックスはうなずいた。

「問題がある」ルディはさびたポットからコーヒーを注いで飲んだ。「しばらくのあいだはここも大丈夫だろうが、いつまでもいるわけにはいかない。食料やなにやかや、十分にあるわけじゃないからな」

「だが、もし外に出たら」

「もし外に出たら、やつらは襲ってくるさ。ま、すくなくともそうすると思ってた方がいい。なんにせよ、あまり遠くには行けない。あんたの司令部がある掩蔽壕までどれぐらいある、少佐?」

「5~6キロといったところだな」

「向こうまで行けるかもしれない。おれたちは四人。四人なら、死角はできない。やつらだって後ろからそっとつけてくる、なんてこともできんだろう。ライフルは三挺、アサルトライフルも三挺ある。タッソーはおれの拳銃を使えばいいだろう」ルディはベルトを軽く叩いた。「ロシア軍ってとこはな、靴はないことはあっても、銃なら豊富にあるんだ。四人が武器を持っていれば、そのうちのひとりでもあんたたちの司令部がある壕に行けるかもしれない。少佐、もちろんあんたがいいに決まっているが」

「もしやつらがあっちに行ったあとだったら?」クラウスがたずねた。

ルディは肩をすくめる。「そのときはここに戻ってくるまでさ」

ヘンドリックスは脚を止めた。「やつらがすでにアメリカ軍の前線にまで入り込んでいる可能性は、どれくらいだろうか」

「そりゃわからんさ。その可能性はかなり高いだろうが。なにしろあれは組織されている。自分たちが何をしているのか、がっちりと把握してるんだ。いったん動き出したら、イナゴの大群が移動するようなもんだ。休むことを知らないし、しかも速い。機密性とスピードこそが連中の命なんだ。奇襲だ。だれもまったく知らないうちに押し寄せてくるんだ」

「なるほど」ヘンドリックスはつぶやいた。

隣の部屋から、タッソーが体を動かす気配がした。「少佐」

ヘンドリックスはカーテンを開けた。「何だ?」

タッソーは折り畳み式のベッドから、物憂げに見上げていた。「アメリカ製のタバコはもう残ってない?」

ヘンドリックスは部屋に入り、女の向かいにある木のスツールに腰をおろした。ポケットをさぐって言った。「ないな。みんな吸ってしまった」

「あら、残念」

「君はどこから来た?」しばらくしてヘンドリックスはたずねた。

「ロシアよ」

「じゃ、どうしてここにいるんだ?」

「ここ?」

「以前、ここはフランスだったんだ。ノルマンディ地方だよ。ソ連軍と一緒に移動して来たのか?」

「なんでそんなことを?」

「ちょっと知りたかっただけさ」ヘンドリックスは女をじっと見つめた。上着を脱いで、ベッドの端に投げ出している。若い。二十歳ぐらいか。華奢な体つき。長い髪が枕に広がっている。彼女の方も言葉もなく、ヘンドリックスを見つめていた。黒く大きな目をしている。

「なに考えてるの?」タッソーが聞いた。

「別に何も。いくつだ?」

「十八」彼女は自分の両腕を頭の下にあてがって、瞬きもせず、じっと彼から目を離さなかった。ロシア軍のズボンとシャツを着ている。灰緑色のものだ。放射線カウンターと薬包入れを装備した分厚い革のベルトを巻いている。あと、救急キットも。

「きみはロシア軍の一員なのか?」

「いいえ」

「じゃ、その制服はどこで手に入れた?」

女は肩をすくめた。「もらい物よ」

「いつ……何歳のときにここに来た?」

「十六」

「そんなに若くから?」

女の目が細くなった。「どういう意味よ」

ヘンドリックスはあごをなでた。「きみの人生も、もし戦争がなかったら、ずいぶんちがうものになっていただろうな。十六か。きみは十六でここに来た。こんな生活をするために」

「あのね、あたしだって生きていかなきゃならなかったの」

「説教してるわけじゃない」

「あなたの人生だってちがうものになってたはずよ」タッソーは小さな声で言った。手を伸ばしてブーツのひもを解いた。蹴ってそれを脱ぐと、そのまま床に落とした。「少佐、あっちの部屋に行ってくれない? あたし、ねむたいの」

「四人でここに生活するとなると、問題が出てくるな。ここにみんなで暮らすのは無理だろう。たったふたつの部屋しかないのか?」

「そういうこと」

「もともとの地下室はどのくらいの大きさだったんだ? これより広かったんじゃないのか? ほかにもあった部屋が、瓦礫で埋まった、ということはないのか? もしそうなら、一部屋空けることもできるんじゃないか」

「かもね。あたしにはよくわからない」タッソーはベルトをゆるめた。シャツのボタンをはずして、ベッドの上で楽な格好になる。「ほんとにもうタバコは残ってないの?」

「もともと一パックしか持ってなかったんだ」

「うーん、残念。だけどあなたの壕に戻れば、もっとあるんでしょ」もう一方のブーツも床に落ちた。タッソーはあかりのひもに手を伸ばした。「おやすみなさい」

「寝るのか?」

「そういうこと」

部屋は闇に閉ざされた。ヘンドリックスは立ちあがるとカーテンを通って台所に入った。そこで脚が止まり、棒立ちになった。。

ルディは壁を背に立っていた。顔は蒼白で目が光っている。口をぱくぱくさせているが、声が出ないらしい。クラウスがルディの前に立ち、ピストルの銃口をルディのみぞおちに当てている。ふたりとも身動きひとつしない。クラウスは銃をきつくにぎりしめ、固い表情をしていた。ルディは青ざめ、無言のまま、壁に張りつけられている。

「これは……」ヘンドリックスがつぶやきかけたが、クラウスはみなまで言わせない。

「少佐、何も言うな。こっちへきてくれ。あんたの銃も出してくれないか」

ヘンドリックスは銃を抜いた。「どうしたんだ」

「やつを抑えてるんだ」クラウスはヘンドリックスに前へ出るように指図した。「おれの横に来てくれ、急いで!」

ルディは身動きすると両腕を下げた。唇を湿しながらヘンドリックスに顔を向けた。白目の部分が凶暴な光を宿している。汗が額から頬へと流れ落ちた。視線がヘンドリックスの上にすえられた。「少佐、やつは狂っちまった。なんとか止めてくれ」細くかすれたルディの声は、かろうじて聞き取れた。

「いったいどうしたんだ?」ヘンドリックスは強い調子で聞いた。

銃を降ろさず、クラウスは答えた。「少佐、おれたちの話を覚えてるだろう? 変種には三つのタイプがあるって。第一号と第三号についてはわかってる。だが二号がわからないんだ。いや、少なくとも、ちょっと前まではわからなかった」クラウスはいっそう強く銃の台尻をにぎりしめた。「これまではわからなかった、だが、もうわかったんだ」引き金を引いた。爆音がとどろき、銃から飛び出した白い煙がルディの体全体をなめまわす。

「少佐、これが変種第二号さ」

タッソーがカーテンを開けた。「クラウス! あんた、何してんの」

クラウスは、ずるずるとかべから落ちて床にくずおれる、真っ黒に焼け焦げた体から目を離して向き直った。「変種第二号だ、タッソー。これでもうわかったぞ。三つの型が全部特定できたんだ。危険はこれでずいぶん軽減されるはずだ。おれは……」

タッソーの視線はクラウスを越えて、ルディの遺体に落ちた。黒焦げになり、煙が立ち上り、服の断片がかろうじて判別できる。「あの人を殺したのね」

「あの人だと? あれさ。おれはずっと見てたんだ。勘が働いたんだが、確信はなかった。少なくとも、これまではな。だが、今夜はもう間違いないことがわかったんだ」クラウスは銃の台尻を神経質そうにこすった。「おれたちは運が良かったよ。それがわからないのか? もう一時間もしたら、きっと……」

「間違いない、ですって?」タッソーはクラウスを押しのけ、床の上でまだくすぶっている遺体の上にかがみこんだ。その顔は厳しくなっていく。「少佐、あんたも見てちょうだい。この骨。この肉」

ヘンドリックスも彼女の横にしゃがんだ。遺体はまぎれもなく人間のそれだ。焦げた肉、焦げた骨片、頭蓋骨の一部。靱帯、内臓、血。壁に沿って血だまりが広がっていく。

「歯車なんてない」タッソーは静かに言うと、立ちあがった。「歯車もなければ、部品もない、継電器もない。クローなんかじゃない。変種第二号じゃなかった」タッソーは腕を組んだ。「あんた、これをどう説明するつもり?」

クラウスはテーブルに腰をおろした。その顔からは急に血の気が引いていく。頭を抱え、前に後ろに体はぐらぐらと揺れた。

「しっかりなさい!」タッソーの指が、クラウスの肩を強くつかんだ。

「なんでこんなことしたのよ。何でこの人を殺したりするの」



(この項つづく)


フィリップ・K・ディック『変種第二号』その9.

2009-04-08 22:14:48 | 翻訳
その9.

その夜のことだった。空は漆黒の闇だった。たちこめる灰を透かしても、星影は見えない。クラウスが警戒しながらもふたをあげたので、ヘンドリックスにも外を見ることができた。ルディは暗闇を指さした。「向こうに掩蔽壕がいくつもある。そこにおれたちはいたんだ。ここから1キロもない。あれが起こったとき、クラウスとおれがあそこにいなかったのは、たまたまだったんだ。褒められたことじゃなかったんだがな。女好きのおかげで命拾いだ」

「ほかのみんなは生きちゃいまい」クラウスは沈んだ声で言った。「あっというまに押し寄せたんだ。今朝、ソ連共産党政治局の決定が届いた。おれたちにも通知が来たよ――前線司令部から転送されてきた。伝達係りがすぐに送られた。おれたちも伝達係りがあんた方の前線の方へ向かうのが見送ったんだ。見えなくなるまで護衛したんだ」

「アレックス・ラドリフスキーだ。おれたち、ふたりとも、やつのことはよく知っていた。姿が見えなくなったのは六時だ。太陽がちょうど昇ったときだった。昼になってクラウスとおれは一時間ほど休憩を取った。掩蔽壕を這い出して、そこを離れたんだ。誰も見ちゃいなかった。おれたちはここに来た。この地下室は、もとは大きな農場の一部だったんだ。タッソーがここにいることは、みんな知ってた。この狭い場所に身を潜めてるってことはな。おれたちは、前にも来たことがあった。掩蔽壕のほかのやつらも来ていた。今日がたまたまおれたちの番だったんだ」

「だからおれたちは助かったんだ」クラウスが言った。「なりゆきってやつだ。他のやつだったかもしれないのに。おれたちは……おれたちは、ことをすませると、地上に出て小山に戻ろうとした。おれたちがあれを見たのはそのときだ。デイヴィッドたちだよ。すぐにわかった。変種第一号、傷痍兵の写真を前に見てたからな。人民委員会が説明つきで写真を配布していたから。もう一歩、帰り始めるのが早かったら、おれたちも見つかっていただろう。実際、ここに戻ってくるまで、デイヴィッドを二体、やっつけなきゃならなかった。そこらじゅうに何百もいたんだからな。アリみたいなもんさ。写真を撮ってから、またここに戻ると、ふたにがっちりとかんぬきをかけた」

「一体だけのときを捕まえられれば、たいしたことはないんだ。おれたちの方が早く動けるから。だがな、やつらはまったくの冷酷無比なんだ。生き物じゃないからな。人間めがけて一直線にやってくる。だからおれたちは撃ったんだ」

ヘンドリックス勝者は、ふたのへりによりかかって、闇に目を凝らした。「ふたを開けたままにして危なくないのか」

「用心してる限りはな。おまけにどうやって通信機を使えるっていうんだ」

ヘンドリックスはベルトについた小型の通信機をゆっくりと持ち上げた。耳にそれを押し当てる。金属は冷たく、湿っていた。マイクにふっと息を吹きこみ、短いアンテナをたてる。かすかにブーンという音が耳に響いた。「そのとおりらしいな」だが、彼はまだためらう気持ちがあった。

「もし何かあったら、引っ張り降ろしてやるよ」クラウスが言った。

「頼む」ヘンドリックスは通信機を肩に載せたまま、しばらく待った。「だが、おもしろいじゃないか」

「何がだ」

「これさ、ニュー・タイプだよ。クローの新しい変種だ。我々を生かすも殺すもやつら次第だ。いまごろはもしかしたら国連軍の戦線にも入り込んでいるのかもしれない。もし新たな種の起源を目の当たりにしているのだとしても、おれは驚かないね。新しい種。進化だ。人類のあとに来ることになる種族だ」

ルディは鼻を鳴らした。「人間のあとに来る種族なんているわけがない」

「なぜだ? どうしてないと言える? もしかしたらおれたちがいま見ているのは、人類の終焉と新しい社会の誕生なのかもしれないんだぞ」

「あれは種なんかじゃない。殺戮機械にすぎんよ。あんたたちは人を葬り去るためにあれを作ったんだろ。そのとおり、あれにできるのはそれだけだ。ひとつの役目を負った機械じゃないか」

「確かにいまはそうかもしれない。だが、今後はどうなるだろうか。戦争が終わったあとは。ひょっとしたら、殺すべき人間がすべて壊滅してしまったあと、彼らのほんとうの潜在能力が発揮され始めるんじゃないんだろうか」

「あんたが話しているのを聞いてると、まるであれが生きてるみたいだぞ」

「そうじゃないのかな」

しばらく沈黙が続いた。「ありゃ機械だよ」ルディが言った。「人間の形をしていても、あれは機械にすぎん」

「少佐、あんたの通信機を使ってみてくれ」クラウスが言った。「ここで永久に寝ずの番をしているわけにはいかないんだ」

通信機をきつく掲げて、ヘンドリックスは掩蔽壕の司令部を呼んだ。耳を澄まして、じっと待つ。応答はなかった。沈黙が続く。リード線を丹念に調べてみた。万事異常はない。

「スコット!」マイクに向かって言った。「聞こえるか」応答なし。音量を最大にして、もう一度呼んだ。ノイズが聞こえるだけだった。

「応答がない。私の声が聞こえていても、出ないことにしているのかもしれないが」

「緊急事態だと言ってくれ」

「通信を強要されていると考えるだろう。君らの命令で」ヘンドリックスはふたたび通信を試みた。これまでわかったことのあらましを説明する。だが、受信機からは、かすかなノイズのほかは何も聞こえてこなかった。

「放射線層があると、通信のほとんどは消されてしまうんだ」しばらくしてからクラウスが言った。「きっとそのせいだ」

ヘンドリックスは通信を切った。「だめだ。応答がない。放射線層? かもしれない。もしかしたら、声が聞こえても応答するつもりはないのかもしれない。正直言って、私だってそうするだろう。もし使者がソヴィエト軍の前線から通信してきたとしてもな。彼らがこんな話を信じなきゃならない理由はないものな。私の言うことは全部聞こえていたとしても……」

「それとも、手遅れだったか」

ヘンドリックスはうなずいた。

「ふたをしめた方が良さそうだ」ルディが落ち着かないようすでそう言った。「意味もないのに危ない橋を渡るのはごめんだ」

彼らはゆっくりと地下のトンネルを降りていった。クラウスは慎重に入り口のふたを閉める。三人は台所へ降りていく。重い空気がまとわりついた。

「やつらにそこまで素早くことを運べるだろうか」ヘンドリックスは言った。「私が掩蔽壕を出たのは正午だ。いまから十時間前に過ぎない。どうしたらそんなに素早く動くことができるんだ?」

「あっという間のことなんだよ。最初の一体が入れば、時間はいらないんだ。あれの動きは途方もないんだ。あんただってあのちっぽけなクローが、何をするか知ってるだろう。たった一個が信じられないことをする。指の一本一本が剃刀なんだからな。狂気の沙汰だよ」

「そうだな」ヘンドリックスはいらだたしげに離れた。だが、ふたりに背を向けたところで立ち止まった。

「どうしたんだ」ルディがたずねた。

「月基地があった。なんてことだ、もしやつらがあそこへ行くようなことにでもなったら……」

「月基地だって?」

ヘンドリックスは振り返った。「やつらが月基地へ行けるわけがないな。いったいどうやって行くっていうんだ? そんなこと不可能だよ。ありえない」

「その月基地っていうのはいったい何なんだ。噂には聞いたことがあるが、はっきりしたことは何も聞いてない。実際のところはどうなってるんだ。あんたは何を気にかけてるんだ?」

(この項つづく)



フィリップ・K・ディック『変種第二号』その8.

2009-04-07 22:20:05 | 翻訳
その8.

「おれたち三人は、運が良かったんだ」ルディは言った。「クラウスとおれは……あれが起こったときは、タッソーのところに行っていたんだ。ここはタッソーのすみかなんだ」彼は大きな手を振った。「このちっぽけな地下室はな。おれたちは……その、ことをすませて……で、梯子をのぼって帰ろうとしたんだ。そのときにここから見えた。そこにあれがいたんだ。掩蔽壕の周りを取り囲んでいた。戦闘はまだ続いていたんだ。デイヴィッドとクマが。何百といたよ。で、クラウスが写真を撮ったんだ」

クラウスはまた写真を束ねた。

「そっちの前線全域で続いているのか」ヘンドリックスはたずねた。

「そうだ」

「我々の側の前線はどうなっているんだろう……」考えることもなく、ヘンドリックスは自分の腕のタブにふれた。

「あんたの放射線タブなんて、何のさまたげにもなってないぞ。あれにはもう何の関係もないんだ。ロシア人であろうが、アメリカ人であろうが、ポーランド人であろうが、ドイツ人であろうが。なんだって同じことなんだ。設計された通りのことをやってるんだから。当初の計画を遂行しつつあるのさ。何であれ、生命体を見つけ次第、追跡して捕らえる、っていうな」

「やつらは熱に応答する」クラウスが言った。「あんたたちが最初にそう作ったんだからな。もっとも、あんたたちの設計したやつは、いまあんたが身につけている放射線タブで追っ払うことができたがな。いまや連中はその上を行ってるんだ。新型の変種は鉛ライニングが施してあるんだ」

「それで、もうひとつの変種っていうのは?」ヘンドリックスがたずねた。「デイヴィッド型、傷痍兵型、あともうひとつは何だ」

「おれたちにもわからない」クラウスは壁を指さした。壁にはへりがぎざぎざになった金属板が二枚かかっている。ヘンドリックスは立ちあがって、その二枚をあらためた。二枚とも曲がったり、へこんだりしている。「左のは傷痍兵から取り出したものだ」ルディが言った。「おれたちが捕まえた。古い掩蔽壕の方へ行こうとしていたんだ。そいつをここから撃った。ちょうどあんたの後ろを歩いているデイヴィッドを撃ったようにな」

金属板には『1-V(変種第一号)』と刻印されている。ヘンドリックスはもう一枚も手に取った。「で、こっちはディヴィッド型から取ったんだな?」

「そうだ」

金属板の刻印はこうなっていた。「3-V」

クラウスはヘンドリックスの広い肩にもたれかかるようにして、うしろからのぞきこんだ。「あんたにもおれたちが何で頭を悩ませてるか、わかっただろう。もうひとつの変種がいるんだよ。もしかしたら、放擲されてしまったのかもしれない。あるいは、うまくいかなかったのかもな。だが、変種第二号はあるにちがいない。一号と三号があるんだから」

「あんたは運が良かった」ルディは言った。あのデイヴィッド型がずっとあとをついてきたにもかかわらず、指一本ふれなかったんだから。きっとあんたがどこかにある掩蔽壕に入ると思ってたんだろう」

「一体が入れば、それで終わりだ」クラウスが言った。「動きは早い。一体が残る全部を引きいれる。不屈だ。ひとつの目的のための機械だ。たったひとつのことをやるためだけに作られたんだ」彼は口元の汗をぬぐった。「おれたちはそれを目の当たりにしたんだ」

だれも口をきく者はなかった。

「ヤンキーさん、タバコをもう一本くれない?」タッソーが言った。「さっきのはおいしかったわ。どんな味だか忘れかけてた」


(この項つづく)

フィリップ・K・ディック『変種第二号』その7.

2009-04-06 22:45:21 | 翻訳
その7.

「男の子。デイヴィッドだったな。ぬいぐるみのクマを抱いたデイヴィッド。変種第三号だ。いちばん効果的なやつだ」

「ほかのタイプはどんなやつだ」

エプスタインは上着に手を入れた。「ほれ」袋に入れて紐でくくってある写真の束を、テーブルに放った。「自分で見たらいい」

ヘンドリックスは紐をほどいた。”

「おれたちが話したかったのは」ルディ・マクサーが言った。「このことだ。おれたち、っていうのは、ロシア軍が、ってことだがな。一週間ほど前にわかったんだ。あんた方のクローが、クローだけで新しいデザインのものを作りだしたってことが。自分で自分の新型を作ったんだ。いままでのものより強力だ。こっちの前線の後方の、あんたらの地下工場で作っている。あいつらに自分たちの型抜きも、修理も任せていただろう。だからあいつらはどんどん精巧になっていったんだ。こんなことが起こったのも、あんたたちの責任だぞ」

ヘンドリックスはしげしげと見た。慌てて撮ったらしいスナップだ。ピンぼけではっきりしない。最初の数枚にはデイヴィッドが写っていた。ひとりきり、道を歩いているデイヴィッド。デイヴィッドともうひとりのデイヴィッド。三人のデイヴィッド。どれもまったくそっくりだ。それぞれ、ぼろぼろのクマを抱いている。

どれも痛々しい。

「ほかのも見て」タッソーが言った。

つぎの写真はかなり遠くから撮ったもので、背がひどく高い兵士が、道ばたに腰を下ろしている。片腕を吊り、切断された片脚を投げ出し、膝には切っただけの松葉杖を載せている。つぎにもふたりの傷痍兵が、そっくり同じふたりの男が並んで立っている。

「それが変種第一号だ。傷痍兵型だ」クラウスは手を延ばして写真を手に取った。「な、クローは人間そっくりに設計されているんだ。人間を見つけるために。新しいのができるたびに、前のより精巧になっている。やつらはどんどんやってきて、わが軍の防衛線の奥深くに入り込んで来ている。だがな、あいつらが単なる機械であるかぎり、かぎ爪や角や触手を持った金属の球であるかぎり、ほかの標的と一緒で、狙い撃ちすることもできる。見かけでもしたら、すぐにロボット兵器だと気がつく。ひとたびやつらを見つけでもすればな」

「変種第一号は、わが軍の北翼を壊滅させた」ルディは言った。「人がつかまっても、長いこと誰も気がつかなかった。気がついたときは手遅れだった。やつら、つまり、傷痍兵がノックして、入れてくれ、と頼んだ。だから入れてやったんだ。入ってしまえばあいつらのもんだった。機械には目を光らせていたんだが……」

「当時はあれがただひとつの型だと考えられていた」クラウス・エプスタインが言った。「だれも、ほかにもあんなタイプがいるなんて考えていなかった。この写真がこっちに回ってきた。わが軍が伝達係りを送ったときには、わかっているのはたった一体だけだったんだ。変種第一号、あの大男の傷痍兵だ。あれだけだと思っていたんだ」

「君たちの戦線が陥落したのは……」

「変種第三号のせいさ。デイヴィッドとクマだ。あれはさらに威力があった」クラウスは苦々しげに笑った。「兵士ってのは子供には弱いんだ。やつらを中に入れて食い物をやろうとした。じき、やつらのねらいは何だったか、思い知らされることになったがな。少なくとも、あの掩蔽壕にいた連中は」

(この項つづく)



フィリップ・K・ディック『変種第二号』その6.

2009-04-05 22:52:30 | 翻訳
その6.

ヘンドリックスの背後で、かすかな、パン、という音がした。熱波が彼を包み、地面に押し倒す。顔が灰でこすれ、目にも鼻にも入った。咳き込みながら、膝立ちになる。全部罠だった。もうだめだ。殺されるためにここに来たのだ、去勢牛のように。

ふたりの兵士と女が柔らかい灰の上をすべるようにして、小山の斜面を降りてきた。ヘンドリックスの感覚は麻痺してしまっていた。頭がずきずきする。おぼつかない手つきでライフルを構え、ねらいを定めた。千トンもあるかのようだ。抱えていられない。鼻も頬も、ひりひりと痛んだ。火薬の臭いがあたりを満たした。きつい、刺すような悪臭だった。

「撃つな」最初に現れたロシア人が、ひどくなまった英語で言った。

三人は近づいてくると彼を取り囲んだ。「ライフルを降ろせ、ヤンキー」もうひとりが言った。ヘンドリックスは呆然としていた。何もかもがあっという間だった。おれは捕まったのだ。やつらはあの子を攻撃した。彼は後ろを向いた。デイヴィッドの姿はなかった。彼の亡骸が地面に散乱している。

三人のロシア人は興味深げにヘンドリックスを眺めまわした。ヘンドリックスは座りこみ、鼻血をふき、灰のかたまりを掻きだした。頭をふって、なんとかはっきりさせようとする。「なんであんなことをした?」だみ声でつぶやく。

「あの子だ」

「なんでだと?」

ひとりの兵士が手を延べると、手荒に彼を立たせた。そうしてヘンドリックスの向きを変えさせた。「見ろ」

ヘンドリックスは眼を閉じた。

「見るんだ」ふたりのロシア兵は彼を前に引っ張った。「見ろ、急げ、時間はもうないんだ、ヤンキー」

ヘンドリックスは見た。息を呑んだ。

「わかったか? これでおまえにもわかっただろう?」

デイヴィッドの体から金属の歯車が転がり出た。継電器、金属が光る。部品、配線。ロシア人のひとりが、残骸の山を蹴飛ばした。部品が吹き飛び、転がっていった。歯車やばねや棒が。プラスティック製の箇所は陥没し、一部が焦げている。ヘンドリックスは身を震わしながらかがみ込んだ。頭部の前面がはがれている。彼の目にもはっきりとわかった。精巧な脳、配線、継電器、小さな管やスイッチ、何千ものねじ……。

「ロボットだ」彼の腕をつかんでいる兵士が言った。「我々はそいつがあんたのあとをつけているときから監視していた」

「あとをつけていた?」

「あれがやつらのやり口なんだ。ずっとあとをつけてくる。掩蔽壕のなかまで。そうやってやつらは入り込む」

ヘンドリックスは呆然として目をしばたたかせた。「だが……」

「来るんだ」ロシア兵たちは、彼を小山の方へ連れて行った。「いつまでもいるわけにはいかないんだ。ここは危ないんだ。このあたりにはやつらは何百といるんだから」

「さあ、急いで」兵士たちは灰に足を取られながら彼を引っ張っていく。女が先に頂上に着いて、彼らを待った。

「前線司令部か」ヘンドリックスはつぶやいた。「ここに来たのはソヴィエト連邦と交渉するためだったのだが……」

「もはや前線司令部などあるものか。やつらに入り込まれたんだ。そのうち説明してやるよ」小山の頂上に着いた。「これが残った全員だ。我々三人だ。残りは掩蔽壕のなかでやられてしまった」

「ここを通って。降りていくのよ」女が地面に埋め込まれたマンホールの蓋を開けた。「入って」ヘンドリックスは体を低くした。ふたりの兵士と女もあとに続いて梯子を降りていく。女は彼らの後でふたをしめ、しっかりとかんぬきをかけた。

「おれたちがあんたを見つけて良かったんだ」ひとりの兵士がうなるように言った。

「あれは目指す場所に着くまで、あんたのあとをつけていっただろうからな」

「煙草を一本ちょうだい」女が言った。「もう何週間もアメリカ製の煙草を吸ってないの」ヘンドリックスはパックごと、女の方に押しやった。女は一本抜くと、ほかのふたりに回した。狭い部屋の片隅にあるランプが、切れ切れに光を投げかけている。天井の低い、狭い部屋だった。四人は小さな木製のテーブルを囲んで腰を下ろした。汚れた皿が数枚、端に寄せて重ねてある。ぼろぼろになったカーテンの奥に、もうひとつの部屋が、一部分のぞいていた。ヘンドリックスには隅にコートと毛布、フックにつるしてある洋服が見えた。

「おれたちはここにいた」ヘンドリックスの隣りの兵士が言った。ヘルメットをぬぎ、ブロンドの髪をうしろになでつけた。「おれはルディ・マクサー伍長。ポーランド人だ。二年前にソ連軍に徴兵された」そう言うと、手を差し出した。

ヘンドリックスはためらったが、それでも握手した。「ジョゼフ・ヘンドリックス少佐だ……」

「クラウス・エプスタインだ」もうひとりの兵士とも握手した。髪の毛の薄くなった小柄な色の黒い男だった。エプスタインは神経質そうに耳を引っ張った。「オーストリア人だ。徴兵になった時期は、神のみぞ知るってやつだ。覚えちゃおらんよ。おれたち三人は、あのときここにいたんだ。ルディとおれと、あとタッソーはな」彼は女の方を指さした。「だからおれたちは助かった。あとの連中はみんな掩蔽壕でやられた」

「それは……それは、やつらが入って来たからだな?」

エプスタインは煙草に火をつけた。「最初はたった一体に過ぎなかった。あんたをつけてきた種類だ。それから大勢を引き込んだんだ」

ヘンドリックスは驚いた。「あの種類? ほかにもあんなやつらがいるのか?」


(この項つづく)