陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

フィリップ・K・ディック『変種第二号』その3.

2009-04-02 23:06:29 | 翻訳
その3.

一度、深く息を吸い込んでから、彼は灰色の瓦礫におおわれた地上に脚を降ろした。しばらくして、煙草に火をつけ、あたりを注意深く見回した。

あたりの風景は屍を思わせた。身じろぎするものとてない。数キロ先まで見渡しても、灰と金属の切れ端、建物の残骸が続くだけだ。葉も枝もなくなり、幹だけが姿をさらしている木々。頭上には変わりばえもせず、灰色に渦を巻く雲が、地球と太陽のあいだを漂っている。

 ヘンドリックス少佐は歩き続けた。右の視界を何かがさっとよぎった。何か、丸い金属製の物体だ。クローが、全速力で何かを追いかけているのだ。おそらく小動物、ネズミか何かを。クローたちはネズミも捕捉する。内職といったところか。ヘンドリックスは小さな丘のてっぺんに着いたところで、双眼鏡を取り上げた。数キロ先にロシアの戦線がのびてきている。彼らはそこに前線司令部を置いているのだ。あの伝達係りはそこから来た。

ずんぐりしたロボットが一台、横を通っていった。うねうねと波打つ腕が、あたりを探求するように詮索するように泳いでいる。ロボットはそのまま進み、やがて廃墟のなかに隠れた。ヘンドリックスはそれを見送った、あのタイプは前に見たことがない。見たことのない型のロボットが、ますます増えていく。地下の工場から、種類もサイズもさまざまな新しいロボットが、つぎつぎと送り込まれてくる。ヘンドリックスは煙草の火を消して、足を速めた。


おもしろい話じゃなかったのか。戦争に人造人間を投入するなんて。だが、どうしてそんなことになったのだろう。緊急の必要。ソヴィエト連邦の緒戦は大成功だった。戦争を仕掛けた側からすれば、当然ともいえるが。北米大陸のほとんどは、地図の上から吹っ飛んだ。反撃は素早かった。当然のことではあるが。戦争が始まるはるか前から、旋回する円盤型爆撃機が空を埋め尽くし、ロシア上空に待機していたのだ。ワシントンが攻撃を受けて数時間もしないうちに、円盤はロシア全土につぎつぎと着陸した。だが、ワシントンを救うことはできなかったのだ。

アメリカ圏の政府が、その年に月に移った。ほかにできることもたいしてなかったのである。ヨーロッパは消滅した。廃墟の山から伸びる、くすんだ色の雑草の根本は、灰と骨におおわれていた。北米大陸の大部分が、もはや用をなさないものとなりはてていた。植物は育つことなく、いかなる生物も生きてはいられない。数百万人が、カナダと南米大陸へ渡ろうとしていた。

だが二年目になって、ソヴィエト軍のパラシュート部隊が降下を始めた。最初は数名だったが、やがてどんどん増員されていった。彼らが着用していたのは、初めて本当に効力のある放射線防護装備で、それは実はアメリカ製、政府とともに月に輸送された物資の残り物だった。軍隊以外、すべてが月へ移された。残された軍隊は、ここに数千、あそこに一小隊と留まって、視力を尽くして戦った。部隊がどこにいるか、正確に知っている者はなかった。潜むことのできる場所に身を潜め、夜になると活動を始めた。廃墟や下水管、地下壕に、ネズミやヘビと一緒になって隠れた。

戦争は、ソヴィエト連邦がほぼ勝利を収めるかに見えた。毎日、月からわずかな砲撃が発射されたが、地上には敵と戦う武器もほとんど残ってはいなかったのだ。敵は望むところに出没する。戦争は、あらゆる実質的な局面において、終了していた。効果的な反撃など、どこにもなかったのだ。

そのとき、最初のクローたちが登場した。そうして、一夜のうちに戦況は一変したのだった。

最初のうち、クローたちは不器用なものだった。のろかった。イワンたちは、クローが地下のトンネルから顔を出すが早いか、たたきつぶして一掃した。だが、やがて改良され、素早くなり、狡猾になってきた。クローはすべて、地球上の工場で生産された。ソヴィエト戦線の後方、地下深くに、かつて核ロケット弾が製造され、いまはほとんど忘れ去られていた工場だった。

クローたちは、いよいよ素早く動くようになり、次第に大きくなっていった。新型も現れた。触手を持つもの、空を飛ぶものもいた。ジャンプする種類もいくつかあった。月の最高の技術者たちが設計を続け、いよいよ精巧で、柔軟性に富むものになっていった。クローたちは、不気味な存在に転じていったのだ。イワンたちもクローには手を焼いていた。小型のクローのなかには、身を隠すことを覚え、灰のなかに身を潜めて、待ち伏せするものも出てきた。

それからクローたちは、ロシアの掩蔽壕に入り込むようになった。換気や周囲の監視
のたに蓋を開けた瞬間、そっと滑り込む。一体のクローが掩蔽壕に入る、かぎ爪を回転させる金属の球体が、たったひとつ内部に入るだけで、もう十分だった。ひとつが入り込めば、あとがそれに続く。このような兵器さえあれば、戦争はもはや長くは続かない。


おそらく、戦争はもう終わっているのだろう。

ヘンドリックスはそのニュースをこれから聞くことになるのかもしれなかった。ソ連共産党政治局も、リングにタオルを投げ入れることにしたのかもしれない。その決断を下すまで、あまりに長くかかったのだ。六年だった。あのような戦いを遂行してきて、あまりに時間がかかってしまった。何百何千という自動報復円盤が旋回しながらロシア全土を攻撃した。結晶バクテリア。宙を引き裂くソ連製誘導ミサイル。連鎖爆撃。

 そうして、いまやこのロボットたち、クローだった。クローはほかの兵器とはちがっていた。彼らは、どのような観点から見ても、実際に生きているのだ。たとえ政府がそれを認めようが認めまいが関係ない。彼らは機械ではなかった。生き物だった。回転し、這いまわり、体を震わせながら突然灰のなかから現れて、人間の方に突き進み、その体をのぼって喉笛に襲いかかるのだ。彼らはその任務を果たすよう、設計されていた。それが彼らの仕事だった。

彼らは立派にその任務を果たした。新しい型のものが登場して以降は、ことにすばらしいものだった。いまでは修復まで自分でこなす。彼らは自立していた。放射線タブが国連軍を防御してくれるが、もしその彼がタブをなくせば、どの軍服を着ていようが、等しくクローの餌食となった。地下深くでは、自動機械がクローを型抜きしていた。人間ははるか遠くにいた。あまりに危険が大きかったのだ。クローのそばには、だれも寄りたがらなかった。クローたちに任されていたのだ。しかも、その仕事ぶりはますますあがっているようだった。新型のものは一層俊敏で、複雑になっていた。いっそう高性能になっていた。

戦争に勝利したのは、あきらかにクローたちだった。

(この項つづく)