その16.
「え?」
「あとどのくらいで夜が明ける?」
「二時間。もうじき太陽が昇るわ」
「この付近に宇宙船があるはずだ。見たことはないんだが。だが、あることは知っている」
「どんな宇宙船なの?」その声は鋭かった。
「巡航ロケットだ」
「あたしたち、それで離陸できるの? 月基地に行けるの?」
「そのはずだ。緊急事態には」彼は額をこすった。
「どうかした?」
「頭がね。うまく頭が働かない、うまいこと……集中できないんだ。あの爆弾のせいで」
「その宇宙船はここから近いの?」タッソーは彼のかたわらににじりよってくると、そこに腰をおろした。「ここからどれくらいの場所? どこにあるの?」
「思い出そうとしてるんだ」
タッソーの指が腕に食い込む。「この近くなの?」非常な声だった。「どこにあるの? 地下に格納してあるんじゃないかな? 地下に隠してあるとか」
「そうだ。格納庫だ」
「どうやったら見つけられる? 標識が出てるの? 場所を割り出すための暗号標識かなにか?」
ヘンドリックスは一心に考えた。「いやいや。標識なんかはない」
「だったら何があるの?」
「目印だ」
「どんな目印よ?」
ヘンドリックスには答えられなかった。ゆらめく光を受けた彼の目は虚ろで、何も見えていないかのようだ。彼の腕をつかむタッソーの手に、力がこもった。
「どんな目印なの? 何があるの?」
「考えることができない。休ませてくれ」
「わかったわ」手を離すと彼女は立ちあがった。ヘンドリックスは地面に仰向けに寝転がり、眼を閉じた。タッソーはポケットに両手をつっこんで、向こうへ歩いていった。石をひとつ蹴飛ばし、立ち止まって空を見上げている。夜の闇はいまはもう薄い灰色に変わっていた。朝が近いのだ。
タッソーはピストルを握りしめたまま、焚き火の周りを円を描くように歩いていた。ヘンドリックス少佐は地面に横になり、眼を閉じたまま、身じろぎもしない。次第に空高くまで灰色に染まっていく。あたりの景色は見分けがつくようになり、灰の降り積もる平野部が四方に広がっていた。灰とビルの廃墟、そこここに残る壁、コンクリートのかけらの山、裸になった木の幹。
空気は冷たく身を切るようだった。どこか遠くの方で、一羽の鳥が、数度、ものわびしい声で鳴いた。
ヘンドリックスがもぞもぞと体を動かした。目を開ける。「夜が明けたのか? もうそんな時間か?」
「そうよ」
ヘンドリックスは少しだけ上体を起こした。「何か知りたがってなかったか。君は私に何かを聞いていたような気がする」
「じゃ、思い出したのね」
「ああ」
「じゃ、何?」張りつめた声だった。「何なの?」きつい声で繰りかえす。
「井戸だよ。井戸の残骸だ。井戸の底に格納庫がある」
「井戸ね」タッソーは緊張を解いた。「じゃ、あたしたち、井戸を探したらいいのね」時計を見た。「あと一時間しかない、少佐。一時間で見つかるかしら?」
「手を貸してくれ」ヘンドリックスは言った。
タッソーはピストルを脇へ置き、彼の立ちあがるのを助けた。
「なんだか大変そうね」
「そうだな」ヘンドリックスは唇をきつく結んだ。「だが、ここからそんなに遠いわけじゃない」
ふたりは歩き出した。昇り始めた太陽のおかげで、わずかに暖かみが感じられる。大地は平坦で荒れ果て、どこまでいっても灰色、見渡す限り、生命の徴候は感じられない。数羽の鳥が、頭上からはるか上空を、ゆっくりと円を描きながら静かに飛んでいた。
「何か見えたか?」ヘンドリックスは尋ねた。「クローはいないか?」
「いまのところ、姿はないわ」
そびえ立つコンクリートやレンガの残る廃墟を通り過ぎていく。セメントの土台。ネズミが大慌てで走り去り、警戒していたタッソーは、ぎょっとして飛び退いた。
「ここは昔は町だった」ヘンドリックスは言った。「村だな。田舎の村だ。ブドウがたくさん採れる地域だったんだ、そこをいま歩いてる」
歩いているのは、雑草におおわれ、亀裂が縦横に走る、もはや原型をとどめていない通りだった。「気をつけろ」ヘンドリックスは注意した。
穴が口を開けている。剥きだしになった地下室だった。ねじ曲がったパイプのギザギザの端が突き出している。つぎに通りかかった家の残骸は、浴槽が横向きに転がっていた。壊れた椅子。スプーンや陶器の皿のかけら。通りの真ん中で、地面が陥没している。くぼみは雑草や瓦礫や骨があふれていた。
「こっちだ」ヘンドリックスはつぶやいた。
「この道でいいの?」
「右だ」
大型戦車が放置してある。ヘンドリックスのベルトのカウンターが、カチカチと不気味な音をたてた。戦車は放射線被曝していた。そこから十メートルほどのところに、ミイラ化した死体が口を開けたまま大の字に転がっていた。道を越えると平坦な原野が続く。石、雑草、割れたガラス。「あそこだ」ヘンドリックスが言った。
石の井戸が傾き、壊れかけている。数枚の板で蓋をしてあった。井戸のほとんどは瓦礫の山に埋もれている。ヘンドリックスはおぼつかない足取りで歩いていき、タッソーはその横をついていった。
「ここで間違いないのね?」タッソーが聞いた。「とてもじゃないけど、そんな感じはしないわよ」
「間違いない」ヘンドリックスは井戸の縁に腰をおろした。歯をきつく食いしばっている。息が荒くなっていた。顔の汗をぬぐう。「上級士官が脱出するときのために用意されたものだ。何か起こったときのために。たとえば掩蔽壕が敵の手に落ちるような事態に備えてね」
「あんたのためってこと?」
「そうだ」
「宇宙船はどこにあるの? ここにあるの?」
(この項つづく)
「え?」
「あとどのくらいで夜が明ける?」
「二時間。もうじき太陽が昇るわ」
「この付近に宇宙船があるはずだ。見たことはないんだが。だが、あることは知っている」
「どんな宇宙船なの?」その声は鋭かった。
「巡航ロケットだ」
「あたしたち、それで離陸できるの? 月基地に行けるの?」
「そのはずだ。緊急事態には」彼は額をこすった。
「どうかした?」
「頭がね。うまく頭が働かない、うまいこと……集中できないんだ。あの爆弾のせいで」
「その宇宙船はここから近いの?」タッソーは彼のかたわらににじりよってくると、そこに腰をおろした。「ここからどれくらいの場所? どこにあるの?」
「思い出そうとしてるんだ」
タッソーの指が腕に食い込む。「この近くなの?」非常な声だった。「どこにあるの? 地下に格納してあるんじゃないかな? 地下に隠してあるとか」
「そうだ。格納庫だ」
「どうやったら見つけられる? 標識が出てるの? 場所を割り出すための暗号標識かなにか?」
ヘンドリックスは一心に考えた。「いやいや。標識なんかはない」
「だったら何があるの?」
「目印だ」
「どんな目印よ?」
ヘンドリックスには答えられなかった。ゆらめく光を受けた彼の目は虚ろで、何も見えていないかのようだ。彼の腕をつかむタッソーの手に、力がこもった。
「どんな目印なの? 何があるの?」
「考えることができない。休ませてくれ」
「わかったわ」手を離すと彼女は立ちあがった。ヘンドリックスは地面に仰向けに寝転がり、眼を閉じた。タッソーはポケットに両手をつっこんで、向こうへ歩いていった。石をひとつ蹴飛ばし、立ち止まって空を見上げている。夜の闇はいまはもう薄い灰色に変わっていた。朝が近いのだ。
タッソーはピストルを握りしめたまま、焚き火の周りを円を描くように歩いていた。ヘンドリックス少佐は地面に横になり、眼を閉じたまま、身じろぎもしない。次第に空高くまで灰色に染まっていく。あたりの景色は見分けがつくようになり、灰の降り積もる平野部が四方に広がっていた。灰とビルの廃墟、そこここに残る壁、コンクリートのかけらの山、裸になった木の幹。
空気は冷たく身を切るようだった。どこか遠くの方で、一羽の鳥が、数度、ものわびしい声で鳴いた。
ヘンドリックスがもぞもぞと体を動かした。目を開ける。「夜が明けたのか? もうそんな時間か?」
「そうよ」
ヘンドリックスは少しだけ上体を起こした。「何か知りたがってなかったか。君は私に何かを聞いていたような気がする」
「じゃ、思い出したのね」
「ああ」
「じゃ、何?」張りつめた声だった。「何なの?」きつい声で繰りかえす。
「井戸だよ。井戸の残骸だ。井戸の底に格納庫がある」
「井戸ね」タッソーは緊張を解いた。「じゃ、あたしたち、井戸を探したらいいのね」時計を見た。「あと一時間しかない、少佐。一時間で見つかるかしら?」
「手を貸してくれ」ヘンドリックスは言った。
タッソーはピストルを脇へ置き、彼の立ちあがるのを助けた。
「なんだか大変そうね」
「そうだな」ヘンドリックスは唇をきつく結んだ。「だが、ここからそんなに遠いわけじゃない」
ふたりは歩き出した。昇り始めた太陽のおかげで、わずかに暖かみが感じられる。大地は平坦で荒れ果て、どこまでいっても灰色、見渡す限り、生命の徴候は感じられない。数羽の鳥が、頭上からはるか上空を、ゆっくりと円を描きながら静かに飛んでいた。
「何か見えたか?」ヘンドリックスは尋ねた。「クローはいないか?」
「いまのところ、姿はないわ」
そびえ立つコンクリートやレンガの残る廃墟を通り過ぎていく。セメントの土台。ネズミが大慌てで走り去り、警戒していたタッソーは、ぎょっとして飛び退いた。
「ここは昔は町だった」ヘンドリックスは言った。「村だな。田舎の村だ。ブドウがたくさん採れる地域だったんだ、そこをいま歩いてる」
歩いているのは、雑草におおわれ、亀裂が縦横に走る、もはや原型をとどめていない通りだった。「気をつけろ」ヘンドリックスは注意した。
穴が口を開けている。剥きだしになった地下室だった。ねじ曲がったパイプのギザギザの端が突き出している。つぎに通りかかった家の残骸は、浴槽が横向きに転がっていた。壊れた椅子。スプーンや陶器の皿のかけら。通りの真ん中で、地面が陥没している。くぼみは雑草や瓦礫や骨があふれていた。
「こっちだ」ヘンドリックスはつぶやいた。
「この道でいいの?」
「右だ」
大型戦車が放置してある。ヘンドリックスのベルトのカウンターが、カチカチと不気味な音をたてた。戦車は放射線被曝していた。そこから十メートルほどのところに、ミイラ化した死体が口を開けたまま大の字に転がっていた。道を越えると平坦な原野が続く。石、雑草、割れたガラス。「あそこだ」ヘンドリックスが言った。
石の井戸が傾き、壊れかけている。数枚の板で蓋をしてあった。井戸のほとんどは瓦礫の山に埋もれている。ヘンドリックスはおぼつかない足取りで歩いていき、タッソーはその横をついていった。
「ここで間違いないのね?」タッソーが聞いた。「とてもじゃないけど、そんな感じはしないわよ」
「間違いない」ヘンドリックスは井戸の縁に腰をおろした。歯をきつく食いしばっている。息が荒くなっていた。顔の汗をぬぐう。「上級士官が脱出するときのために用意されたものだ。何か起こったときのために。たとえば掩蔽壕が敵の手に落ちるような事態に備えてね」
「あんたのためってこと?」
「そうだ」
「宇宙船はどこにあるの? ここにあるの?」
(この項つづく)