陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

フィリップ・K・ディック『変種第二号』その16.

2009-04-15 23:12:45 | 翻訳
その16.

「え?」

「あとどのくらいで夜が明ける?」

「二時間。もうじき太陽が昇るわ」

「この付近に宇宙船があるはずだ。見たことはないんだが。だが、あることは知っている」

「どんな宇宙船なの?」その声は鋭かった。

「巡航ロケットだ」

「あたしたち、それで離陸できるの? 月基地に行けるの?」

「そのはずだ。緊急事態には」彼は額をこすった。

「どうかした?」

「頭がね。うまく頭が働かない、うまいこと……集中できないんだ。あの爆弾のせいで」

「その宇宙船はここから近いの?」タッソーは彼のかたわらににじりよってくると、そこに腰をおろした。「ここからどれくらいの場所? どこにあるの?」

「思い出そうとしてるんだ」

タッソーの指が腕に食い込む。「この近くなの?」非常な声だった。「どこにあるの? 地下に格納してあるんじゃないかな? 地下に隠してあるとか」

「そうだ。格納庫だ」

「どうやったら見つけられる? 標識が出てるの? 場所を割り出すための暗号標識かなにか?」

ヘンドリックスは一心に考えた。「いやいや。標識なんかはない」

「だったら何があるの?」

「目印だ」

「どんな目印よ?」

ヘンドリックスには答えられなかった。ゆらめく光を受けた彼の目は虚ろで、何も見えていないかのようだ。彼の腕をつかむタッソーの手に、力がこもった。

「どんな目印なの? 何があるの?」

「考えることができない。休ませてくれ」

「わかったわ」手を離すと彼女は立ちあがった。ヘンドリックスは地面に仰向けに寝転がり、眼を閉じた。タッソーはポケットに両手をつっこんで、向こうへ歩いていった。石をひとつ蹴飛ばし、立ち止まって空を見上げている。夜の闇はいまはもう薄い灰色に変わっていた。朝が近いのだ。

タッソーはピストルを握りしめたまま、焚き火の周りを円を描くように歩いていた。ヘンドリックス少佐は地面に横になり、眼を閉じたまま、身じろぎもしない。次第に空高くまで灰色に染まっていく。あたりの景色は見分けがつくようになり、灰の降り積もる平野部が四方に広がっていた。灰とビルの廃墟、そこここに残る壁、コンクリートのかけらの山、裸になった木の幹。

空気は冷たく身を切るようだった。どこか遠くの方で、一羽の鳥が、数度、ものわびしい声で鳴いた。

ヘンドリックスがもぞもぞと体を動かした。目を開ける。「夜が明けたのか? もうそんな時間か?」

「そうよ」

ヘンドリックスは少しだけ上体を起こした。「何か知りたがってなかったか。君は私に何かを聞いていたような気がする」

「じゃ、思い出したのね」

「ああ」

「じゃ、何?」張りつめた声だった。「何なの?」きつい声で繰りかえす。

「井戸だよ。井戸の残骸だ。井戸の底に格納庫がある」

「井戸ね」タッソーは緊張を解いた。「じゃ、あたしたち、井戸を探したらいいのね」時計を見た。「あと一時間しかない、少佐。一時間で見つかるかしら?」

「手を貸してくれ」ヘンドリックスは言った。

タッソーはピストルを脇へ置き、彼の立ちあがるのを助けた。

「なんだか大変そうね」

「そうだな」ヘンドリックスは唇をきつく結んだ。「だが、ここからそんなに遠いわけじゃない」

ふたりは歩き出した。昇り始めた太陽のおかげで、わずかに暖かみが感じられる。大地は平坦で荒れ果て、どこまでいっても灰色、見渡す限り、生命の徴候は感じられない。数羽の鳥が、頭上からはるか上空を、ゆっくりと円を描きながら静かに飛んでいた。

「何か見えたか?」ヘンドリックスは尋ねた。「クローはいないか?」

「いまのところ、姿はないわ」

そびえ立つコンクリートやレンガの残る廃墟を通り過ぎていく。セメントの土台。ネズミが大慌てで走り去り、警戒していたタッソーは、ぎょっとして飛び退いた。

「ここは昔は町だった」ヘンドリックスは言った。「村だな。田舎の村だ。ブドウがたくさん採れる地域だったんだ、そこをいま歩いてる」

歩いているのは、雑草におおわれ、亀裂が縦横に走る、もはや原型をとどめていない通りだった。「気をつけろ」ヘンドリックスは注意した。

穴が口を開けている。剥きだしになった地下室だった。ねじ曲がったパイプのギザギザの端が突き出している。つぎに通りかかった家の残骸は、浴槽が横向きに転がっていた。壊れた椅子。スプーンや陶器の皿のかけら。通りの真ん中で、地面が陥没している。くぼみは雑草や瓦礫や骨があふれていた。

「こっちだ」ヘンドリックスはつぶやいた。

「この道でいいの?」

「右だ」

大型戦車が放置してある。ヘンドリックスのベルトのカウンターが、カチカチと不気味な音をたてた。戦車は放射線被曝していた。そこから十メートルほどのところに、ミイラ化した死体が口を開けたまま大の字に転がっていた。道を越えると平坦な原野が続く。石、雑草、割れたガラス。「あそこだ」ヘンドリックスが言った。

石の井戸が傾き、壊れかけている。数枚の板で蓋をしてあった。井戸のほとんどは瓦礫の山に埋もれている。ヘンドリックスはおぼつかない足取りで歩いていき、タッソーはその横をついていった。

「ここで間違いないのね?」タッソーが聞いた。「とてもじゃないけど、そんな感じはしないわよ」

「間違いない」ヘンドリックスは井戸の縁に腰をおろした。歯をきつく食いしばっている。息が荒くなっていた。顔の汗をぬぐう。「上級士官が脱出するときのために用意されたものだ。何か起こったときのために。たとえば掩蔽壕が敵の手に落ちるような事態に備えてね」

「あんたのためってこと?」

「そうだ」

「宇宙船はどこにあるの? ここにあるの?」


(この項つづく)