陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

フィリップ・K・ディック『変種第二号』その14.

2009-04-13 22:47:23 | 翻訳
その14.

デイヴィッドの一体が、ぬっとヘンドリックスのそばに寄ってきた。小さな白い、無表情な顔には茶色い髪が目にかかっている。デイヴィッドは突然、両手を広げると体を前に倒した。ぬいぐるみのクマが下に落ち、地面をぴょんぴょんと跳ねながら、ヘンドリックスに向かっていった。ヘンドリックスは発砲した。クマもデイヴィッドも崩れ落ちた。ヘンドリックスは目をしばたたきながら満足げな笑みを浮かべた。まるで夢みたいだ。

「上よ!」タッソーの声がした。ヘンドリックスはその声の方に向かう。タッソーはコンクリートの柱の陰にいた。崩れる前はビルの壁だったらしい。クラウスに渡されたピストルで、ヘンドリックス越しに発砲を続けている。

「助かった」息をあえがせながら、タッソーに加勢した。タッソーはヘンドリックスを引っ張って、自分の背後、コンクリートの陰に押しやり、自分のベルトをさぐった。「目を閉じて!」腰から手榴弾を外す。素早くキャップを外して固定した。「目をつぶって伏せるのよ」

タッソーは手榴弾を投げた。弧を描いて飛んでいく。見事なものだった。蔽壕の入り口まで弾みながら転がっていく。ふたりの傷痍兵がレンガの山のかたわらに、ふらつきながら立っていた。デイヴィッドたちはその後ろから、続々と地上に吐き出されてくる。傷痍兵のうちのひとりが手榴弾に近づき、拾おうとぎこちなくかがみ込んだ。

手榴弾は爆発した。衝撃がヘンドリックスのところまで押し寄せ、顔を下にして押し倒された。熱風が波打ちながら背中の上を行き過ぎる。ぼんやりと見えたのは、コンクリートの裏に立つタッソーが、たちこめる白煙をついてこちらにやってくるデイヴィッドたちめがけて、落ち着いて、着実に発砲している姿だった。

背後の丘の斜面では、クラウスが四方をクローの群れに包囲され、孤軍奮闘している。クラウスは退却しながら発砲し、そこからさらに退いて、なんとかその輪を突破しようとしていた。ヘンドリックスはなんとか立ちあがろうとした。頭が痛む。ほとんど視界がきかない。あらゆるものが荒れ狂い、旋回しながら、彼を痛めつけてくる。右腕は動かそうとしても動かなかった。

タッソーが彼のところまで引き返してきた。「さあ、行きましょう」

「クラウスが……クラウスがまだあっちにいるんだ」

「行くのよ!」タッソーはコンクリートの柱のそばにいたヘンドリックスの背中を引っ張った。なんとか頭をはっきりさせようと、振ってみる。タッソーは素早く先に立ち、緊張したまなざしで、爆発から逃れたクローたちがいないかどうか、警戒している。一体のデイヴィッドが、立ち上る炎と煙のなかから現れた。タッソーは撃った。もう何もやってこない。

「クラウスは。クラウスはどうするつもりだ」ヘンドリックスは脚を止め、ふらふらしながら立っていた。「クラウスは……」

「さあ、来るのよ」

ふたりは引き返し、少しずつ掩蔽壕から遠ざかっていった。小型のクローが数体ついてきたが、ちょっと行ったところであきらめて去っていった。ずいぶんたってから、とうとうタッソーも脚を止めた。「ここなら休んで一息ついても大丈夫そうね」

ヘンドリックスは瓦礫の山に腰をおろした。あえぎながら首をぬぐう。「クラウスをあそこに見捨ててしまった」

タッソーは返事をしない。銃を開いて新しい薬包をすべりこませている。

ヘンドリックスはそれを見つめ、とまどっていた。「わざと彼を置き去りにしたのか」

タッソーはカチッと音を立てて銃を閉じた。無表情のまま、周囲の瓦礫の山をじっと見ている。あたかも観察すべき何ものかがいるかのように。

「何だ?」ヘンドリックスは聞いた。「何を探してるんだ? 何かが来るのか?」ヘンドリックスは何とか理解しようと頭を振った。彼女は何をしているんだ? 何を待っている? 自分には何も見えない。周りにあるのは灰と、廃墟だ。あとはところどころに、木が、葉も枝もない幹だけが、あるだけだ。「何を……」

タッソーはそれをさえぎった。「静かにして」タッソーの目は細められている。急に銃を構えた。ヘンドリックスは振り返り、その視線の先を探した。ふたりがやってきた方角から人影が現れた。人影は、ふらふらしながらこちらに向かってくる。服はぼろぼろだった。足を引きずりながら、ひどくのろのろと、警戒しながら近づいていた。ときおり止まり、休みながら、なんとか力を回復しようとしているらしかった。じきに、もう少しで倒れそうになり、なんとか足を踏ん張った。また近づいてくる。

クラウスだった。

ヘンドリックスは立ちあがった。「クラウス!」彼の方へ駆けよる。「よくここまで……」

タッソーが撃った。ヘンドリックスは弾かれたように振り返る。もう一度発砲すると、一本の線のような熱波が彼をかすめた。熱線はクラウスの胸に命中した。爆発し、ギアや歯車が吹き飛んだ。それでも一瞬のあいだ、彼はなおも歩いた。やがて体が前に後ろに揺らいだ。それから両腕を広げて地面にどさっと倒れた。歯車がまたいくつか転がった。

あたりは静まりかえっていた。

タッソーがヘンドリックスを振り返る。「これであんたにもクラウスがなんでルディを殺したか、わかったでしょ」

ヘンドリックスはのろのろと腰をおろした。頭を振る。茫然自失していた。考えることができなかった。

「わかった?」タッソーが聞いた。「あんたにも飲み込めた?」

ヘンドリックスは答えなかった。何もかもが、どんどん早くなりながら、彼の手からすべりおちていく。暗闇が渦巻き、襲いかかってくる、彼は目を閉じた。


(この項つづく)




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