陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

フィリップ・K・ディック『変種第二号』その11.

2009-04-10 22:32:15 | 翻訳
その11.

「クラウスは恐怖に取りつかれてしまったんだ」ヘンドリックスは言った。「あれやこれや、こうしたこと全部、我々の周りでつぎつぎに起こっていく事態に」

「かも、ね」

「じゃ、なんだっていうんだ? 何を考えてる?」

「彼にはルディを殺す理由がずっと前からあったのかも。はっきりとした理由が」

「どんな理由だ」

「もしかしたら、ルディは何かをかぎつけたのかも」

ヘンドリックスはタッソーの冷たい顔をまじまじと見た。「どんなことだ」

「彼のこと。クラウスのことよ」

とっさにクラウスが顔を上げた。「この女が言いたいことは、あんたにもわかってるんだろう。こいつはおれが変種第二号だって言いたいんだ。な、少佐。おれがルディを殺したのは理由があるんだって、あんたにも思わせようとしてるんだ。おれは……」

「そうじゃないんだったら、なんでルディを殺したのよ」

「言っただろう」クラウスは面倒くさそうに頭を振った。「クローだと思ったんだ。突きとめた、と思ったんだ」

「なぜ?」

「やつを見張っていた。怪しかったからな」

「どうして?」

「何かを感じたんだ。何かが、聞こえてきたんだ。おれは……」そこでクラウスは口をつぐむ。

「続けて」

「おれたちはテーブルでトランプをやっていた。あんたたちがあっちの部屋にいるときだ。静かだった。そしたら、ブーンという音が聞こえたような気がしたんだ、やつから」

誰も口を開かなかった。

「信じられる?」タッソーがヘンドリックスに聞いた。

「ああ。ほんとうにそう思ったのだろう」

「あたしには信じられないわ。ちゃんと理由があったからこそ、殺したのよ」タッソーは部屋の隅に立てかけてあるライフルに手を触れた。「少佐……」

「よせ」ヘンドリックスは首を横に振った。「いまはこんなことはやめるんだ。ひとりで充分だ。おれたちはみんな怖れている。クラウスと同じだ。もしクラウスを殺せば、ルディにやったことと同じ結果が待っているだけだ」

クラウスは感謝のこもったまなざしで彼を見上げた。「ありがとう。おれ、怖かったんだよ、わかるだろう? いま怖がってるのはタッソーだ、ちょうどおれみたいに。おれを殺したいんだ」

「人を殺すのはもう十分だ」ヘンドリックスは梯子の下まで歩いた。「上でもう一度通信を試みることにする。もし通じなかったら、朝になって戦線に戻ってみるよ」

クラウスがさっと立ちあがった。「おれも一緒に行って協力するよ」


夜気は冷えびえとしていた。地表の温度は下がっていた。クラウスは深呼吸し、肺を空気で満たした。彼とヘンドリックスは地下道を通って地上に出た。クラウスは大股に立ち、ライフルを構えて、あたりに目を配り、耳を澄ました。ヘンドリックスは地下道の入り口に身を低くして、小さな通信機を調節していた。

「何か聞こえたか」しばらくしてクラウスが聞いた。

「いや、まだだ」

「がんばれ。ここで起こったことを教えてやらなきゃ」

ヘンドリックスは何とかとらえようとした。どうやってもうまくいかない。とうとうアンテナを降ろした。「うまくいかない。あっちには私の声が聞こえないみたいだ。それとも聞こえてるんだが、応答しないか。そうでなきゃ……」

「そうでなきゃあっちはもう存在してないか」

「もう一度やってみよう」ヘンドリックスはアンテナを立てた。「スコット、聞こえるか? 応答せよ!」

耳を澄ませる。雑音しか入らない。そのとき、ひどくかすかな音が聞こえた。「こちらスコット」

ヘンドリックスの指に力がこもった。「スコット! おまえか?」

「こちらスコット」

クラウスが腰をかがめた。「司令部か?」

「スコット、よく聞いてくれ。そちらでは把握しているのか? あいつらのことだ。クローだよ。私の言うことが聞こえているか? 聞いてるか?」

「はい」かすかな声が聞こえた。かろうじて聞き取れるほどの声だ。何を言っているかまではわからない。

「私の言葉が聞こえたか? そっちの掩蔽壕は何も異常ないか? 何も入り込んできてないか?」

「万事異常ありません」

「やつらが入り込もうと画策するようなことはないか?」

音声がいっそう弱くなった。

「いいえ」

ヘンドリックスはクラウスの方を振り返った。「あっちは大丈夫だ」

「攻撃は受けてないのか?」

「受けてない」ヘンドリックスは受信機をいっそう強く耳に当てた。「スコット、君の声がほとんど聞こえないんだ。月基地には知らせたのか。向こうは知っているか? あっちは警戒態勢を取っているか?」

返事がない。

「スコット! 聞こえるか?」

沈黙。

ヘンドリックスは落胆して力が抜けた。「フェイド・アウトしてしまった。きっと放射線層のせいだろう」

ヘンドリックスとクラウスは顔を見合わせた。どちらも無言のままだった。しばらくしてクラウスが言った。「あんたの部下の声だったか? 誰の声か、はっきり聞き取れたか?」

「小さくてよくわからなかった」

「確かじゃないんだな」

「ああ」

「じゃあ、もしかしたら……」

「わからない。いまは何とも言えない。中に戻ってふたを閉めよう」

ふたりは梯子をのろのろと降りると、暖かな地下室に入っていった。クラウスは背後でかんぬきをかける。タッソーはそこで無表情のまま待っていた。

「うまくいった?」

ふたりとも返事をしなかった。「まあな」やっとクラウスが言った。「どう思う、少佐。あれはあんたの部下だったのか、それともやつらだったのか」

「わからない」

「ってことは、前と同じってことだ」

ヘンドリックスはあごを引いて床をじっと見つめていた。「行ってみなくては。確かめるためにな」

「なんにせよここには食料も数週間分しかない。なんにせよそのあとは、出て行かなきゃならないんだ」

「そういうことだ」

「どうしたのよ」タッソーが聞いた。「あんたのところの掩蔽壕と話はできたの? 何があったっていうのよ」

「あれは私の部下だったのかもしれない」ヘンドリックスはゆっくりと言った。「もしかしたら、やつらのうちの一体だったのかもしれない。だが、ここにいるだけじゃ絶対にわからないんだ」彼は自分の時計を見た。「横になって少しでも休もう。明日は早く起きなきゃな」

「早く?」

「クローに出くわさずにすむのは早朝がよさそうだ」ヘンドリックスは言った。

(この項つづく)