陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

フィリップ・K・ディック『変種第二号』その9.

2009-04-08 22:14:48 | 翻訳
その9.

その夜のことだった。空は漆黒の闇だった。たちこめる灰を透かしても、星影は見えない。クラウスが警戒しながらもふたをあげたので、ヘンドリックスにも外を見ることができた。ルディは暗闇を指さした。「向こうに掩蔽壕がいくつもある。そこにおれたちはいたんだ。ここから1キロもない。あれが起こったとき、クラウスとおれがあそこにいなかったのは、たまたまだったんだ。褒められたことじゃなかったんだがな。女好きのおかげで命拾いだ」

「ほかのみんなは生きちゃいまい」クラウスは沈んだ声で言った。「あっというまに押し寄せたんだ。今朝、ソ連共産党政治局の決定が届いた。おれたちにも通知が来たよ――前線司令部から転送されてきた。伝達係りがすぐに送られた。おれたちも伝達係りがあんた方の前線の方へ向かうのが見送ったんだ。見えなくなるまで護衛したんだ」

「アレックス・ラドリフスキーだ。おれたち、ふたりとも、やつのことはよく知っていた。姿が見えなくなったのは六時だ。太陽がちょうど昇ったときだった。昼になってクラウスとおれは一時間ほど休憩を取った。掩蔽壕を這い出して、そこを離れたんだ。誰も見ちゃいなかった。おれたちはここに来た。この地下室は、もとは大きな農場の一部だったんだ。タッソーがここにいることは、みんな知ってた。この狭い場所に身を潜めてるってことはな。おれたちは、前にも来たことがあった。掩蔽壕のほかのやつらも来ていた。今日がたまたまおれたちの番だったんだ」

「だからおれたちは助かったんだ」クラウスが言った。「なりゆきってやつだ。他のやつだったかもしれないのに。おれたちは……おれたちは、ことをすませると、地上に出て小山に戻ろうとした。おれたちがあれを見たのはそのときだ。デイヴィッドたちだよ。すぐにわかった。変種第一号、傷痍兵の写真を前に見てたからな。人民委員会が説明つきで写真を配布していたから。もう一歩、帰り始めるのが早かったら、おれたちも見つかっていただろう。実際、ここに戻ってくるまで、デイヴィッドを二体、やっつけなきゃならなかった。そこらじゅうに何百もいたんだからな。アリみたいなもんさ。写真を撮ってから、またここに戻ると、ふたにがっちりとかんぬきをかけた」

「一体だけのときを捕まえられれば、たいしたことはないんだ。おれたちの方が早く動けるから。だがな、やつらはまったくの冷酷無比なんだ。生き物じゃないからな。人間めがけて一直線にやってくる。だからおれたちは撃ったんだ」

ヘンドリックス勝者は、ふたのへりによりかかって、闇に目を凝らした。「ふたを開けたままにして危なくないのか」

「用心してる限りはな。おまけにどうやって通信機を使えるっていうんだ」

ヘンドリックスはベルトについた小型の通信機をゆっくりと持ち上げた。耳にそれを押し当てる。金属は冷たく、湿っていた。マイクにふっと息を吹きこみ、短いアンテナをたてる。かすかにブーンという音が耳に響いた。「そのとおりらしいな」だが、彼はまだためらう気持ちがあった。

「もし何かあったら、引っ張り降ろしてやるよ」クラウスが言った。

「頼む」ヘンドリックスは通信機を肩に載せたまま、しばらく待った。「だが、おもしろいじゃないか」

「何がだ」

「これさ、ニュー・タイプだよ。クローの新しい変種だ。我々を生かすも殺すもやつら次第だ。いまごろはもしかしたら国連軍の戦線にも入り込んでいるのかもしれない。もし新たな種の起源を目の当たりにしているのだとしても、おれは驚かないね。新しい種。進化だ。人類のあとに来ることになる種族だ」

ルディは鼻を鳴らした。「人間のあとに来る種族なんているわけがない」

「なぜだ? どうしてないと言える? もしかしたらおれたちがいま見ているのは、人類の終焉と新しい社会の誕生なのかもしれないんだぞ」

「あれは種なんかじゃない。殺戮機械にすぎんよ。あんたたちは人を葬り去るためにあれを作ったんだろ。そのとおり、あれにできるのはそれだけだ。ひとつの役目を負った機械じゃないか」

「確かにいまはそうかもしれない。だが、今後はどうなるだろうか。戦争が終わったあとは。ひょっとしたら、殺すべき人間がすべて壊滅してしまったあと、彼らのほんとうの潜在能力が発揮され始めるんじゃないんだろうか」

「あんたが話しているのを聞いてると、まるであれが生きてるみたいだぞ」

「そうじゃないのかな」

しばらく沈黙が続いた。「ありゃ機械だよ」ルディが言った。「人間の形をしていても、あれは機械にすぎん」

「少佐、あんたの通信機を使ってみてくれ」クラウスが言った。「ここで永久に寝ずの番をしているわけにはいかないんだ」

通信機をきつく掲げて、ヘンドリックスは掩蔽壕の司令部を呼んだ。耳を澄まして、じっと待つ。応答はなかった。沈黙が続く。リード線を丹念に調べてみた。万事異常はない。

「スコット!」マイクに向かって言った。「聞こえるか」応答なし。音量を最大にして、もう一度呼んだ。ノイズが聞こえるだけだった。

「応答がない。私の声が聞こえていても、出ないことにしているのかもしれないが」

「緊急事態だと言ってくれ」

「通信を強要されていると考えるだろう。君らの命令で」ヘンドリックスはふたたび通信を試みた。これまでわかったことのあらましを説明する。だが、受信機からは、かすかなノイズのほかは何も聞こえてこなかった。

「放射線層があると、通信のほとんどは消されてしまうんだ」しばらくしてからクラウスが言った。「きっとそのせいだ」

ヘンドリックスは通信を切った。「だめだ。応答がない。放射線層? かもしれない。もしかしたら、声が聞こえても応答するつもりはないのかもしれない。正直言って、私だってそうするだろう。もし使者がソヴィエト軍の前線から通信してきたとしてもな。彼らがこんな話を信じなきゃならない理由はないものな。私の言うことは全部聞こえていたとしても……」

「それとも、手遅れだったか」

ヘンドリックスはうなずいた。

「ふたをしめた方が良さそうだ」ルディが落ち着かないようすでそう言った。「意味もないのに危ない橋を渡るのはごめんだ」

彼らはゆっくりと地下のトンネルを降りていった。クラウスは慎重に入り口のふたを閉める。三人は台所へ降りていく。重い空気がまとわりついた。

「やつらにそこまで素早くことを運べるだろうか」ヘンドリックスは言った。「私が掩蔽壕を出たのは正午だ。いまから十時間前に過ぎない。どうしたらそんなに素早く動くことができるんだ?」

「あっという間のことなんだよ。最初の一体が入れば、時間はいらないんだ。あれの動きは途方もないんだ。あんただってあのちっぽけなクローが、何をするか知ってるだろう。たった一個が信じられないことをする。指の一本一本が剃刀なんだからな。狂気の沙汰だよ」

「そうだな」ヘンドリックスはいらだたしげに離れた。だが、ふたりに背を向けたところで立ち止まった。

「どうしたんだ」ルディがたずねた。

「月基地があった。なんてことだ、もしやつらがあそこへ行くようなことにでもなったら……」

「月基地だって?」

ヘンドリックスは振り返った。「やつらが月基地へ行けるわけがないな。いったいどうやって行くっていうんだ? そんなこと不可能だよ。ありえない」

「その月基地っていうのはいったい何なんだ。噂には聞いたことがあるが、はっきりしたことは何も聞いてない。実際のところはどうなってるんだ。あんたは何を気にかけてるんだ?」

(この項つづく)




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