その11.
「クラウスは恐怖に取りつかれてしまったんだ」ヘンドリックスは言った。「あれやこれや、こうしたこと全部、我々の周りでつぎつぎに起こっていく事態に」
「かも、ね」
「じゃ、なんだっていうんだ? 何を考えてる?」
「彼にはルディを殺す理由がずっと前からあったのかも。はっきりとした理由が」
「どんな理由だ」
「もしかしたら、ルディは何かをかぎつけたのかも」
ヘンドリックスはタッソーの冷たい顔をまじまじと見た。「どんなことだ」
「彼のこと。クラウスのことよ」
とっさにクラウスが顔を上げた。「この女が言いたいことは、あんたにもわかってるんだろう。こいつはおれが変種第二号だって言いたいんだ。な、少佐。おれがルディを殺したのは理由があるんだって、あんたにも思わせようとしてるんだ。おれは……」
「そうじゃないんだったら、なんでルディを殺したのよ」
「言っただろう」クラウスは面倒くさそうに頭を振った。「クローだと思ったんだ。突きとめた、と思ったんだ」
「なぜ?」
「やつを見張っていた。怪しかったからな」
「どうして?」
「何かを感じたんだ。何かが、聞こえてきたんだ。おれは……」そこでクラウスは口をつぐむ。
「続けて」
「おれたちはテーブルでトランプをやっていた。あんたたちがあっちの部屋にいるときだ。静かだった。そしたら、ブーンという音が聞こえたような気がしたんだ、やつから」
誰も口を開かなかった。
「信じられる?」タッソーがヘンドリックスに聞いた。
「ああ。ほんとうにそう思ったのだろう」
「あたしには信じられないわ。ちゃんと理由があったからこそ、殺したのよ」タッソーは部屋の隅に立てかけてあるライフルに手を触れた。「少佐……」
「よせ」ヘンドリックスは首を横に振った。「いまはこんなことはやめるんだ。ひとりで充分だ。おれたちはみんな怖れている。クラウスと同じだ。もしクラウスを殺せば、ルディにやったことと同じ結果が待っているだけだ」
クラウスは感謝のこもったまなざしで彼を見上げた。「ありがとう。おれ、怖かったんだよ、わかるだろう? いま怖がってるのはタッソーだ、ちょうどおれみたいに。おれを殺したいんだ」
「人を殺すのはもう十分だ」ヘンドリックスは梯子の下まで歩いた。「上でもう一度通信を試みることにする。もし通じなかったら、朝になって戦線に戻ってみるよ」
クラウスがさっと立ちあがった。「おれも一緒に行って協力するよ」
夜気は冷えびえとしていた。地表の温度は下がっていた。クラウスは深呼吸し、肺を空気で満たした。彼とヘンドリックスは地下道を通って地上に出た。クラウスは大股に立ち、ライフルを構えて、あたりに目を配り、耳を澄ました。ヘンドリックスは地下道の入り口に身を低くして、小さな通信機を調節していた。
「何か聞こえたか」しばらくしてクラウスが聞いた。
「いや、まだだ」
「がんばれ。ここで起こったことを教えてやらなきゃ」
ヘンドリックスは何とかとらえようとした。どうやってもうまくいかない。とうとうアンテナを降ろした。「うまくいかない。あっちには私の声が聞こえないみたいだ。それとも聞こえてるんだが、応答しないか。そうでなきゃ……」
「そうでなきゃあっちはもう存在してないか」
「もう一度やってみよう」ヘンドリックスはアンテナを立てた。「スコット、聞こえるか? 応答せよ!」
耳を澄ませる。雑音しか入らない。そのとき、ひどくかすかな音が聞こえた。「こちらスコット」
ヘンドリックスの指に力がこもった。「スコット! おまえか?」
「こちらスコット」
クラウスが腰をかがめた。「司令部か?」
「スコット、よく聞いてくれ。そちらでは把握しているのか? あいつらのことだ。クローだよ。私の言うことが聞こえているか? 聞いてるか?」
「はい」かすかな声が聞こえた。かろうじて聞き取れるほどの声だ。何を言っているかまではわからない。
「私の言葉が聞こえたか? そっちの掩蔽壕は何も異常ないか? 何も入り込んできてないか?」
「万事異常ありません」
「やつらが入り込もうと画策するようなことはないか?」
音声がいっそう弱くなった。
「いいえ」
ヘンドリックスはクラウスの方を振り返った。「あっちは大丈夫だ」
「攻撃は受けてないのか?」
「受けてない」ヘンドリックスは受信機をいっそう強く耳に当てた。「スコット、君の声がほとんど聞こえないんだ。月基地には知らせたのか。向こうは知っているか? あっちは警戒態勢を取っているか?」
返事がない。
「スコット! 聞こえるか?」
沈黙。
ヘンドリックスは落胆して力が抜けた。「フェイド・アウトしてしまった。きっと放射線層のせいだろう」
ヘンドリックスとクラウスは顔を見合わせた。どちらも無言のままだった。しばらくしてクラウスが言った。「あんたの部下の声だったか? 誰の声か、はっきり聞き取れたか?」
「小さくてよくわからなかった」
「確かじゃないんだな」
「ああ」
「じゃあ、もしかしたら……」
「わからない。いまは何とも言えない。中に戻ってふたを閉めよう」
ふたりは梯子をのろのろと降りると、暖かな地下室に入っていった。クラウスは背後でかんぬきをかける。タッソーはそこで無表情のまま待っていた。
「うまくいった?」
ふたりとも返事をしなかった。「まあな」やっとクラウスが言った。「どう思う、少佐。あれはあんたの部下だったのか、それともやつらだったのか」
「わからない」
「ってことは、前と同じってことだ」
ヘンドリックスはあごを引いて床をじっと見つめていた。「行ってみなくては。確かめるためにな」
「なんにせよここには食料も数週間分しかない。なんにせよそのあとは、出て行かなきゃならないんだ」
「そういうことだ」
「どうしたのよ」タッソーが聞いた。「あんたのところの掩蔽壕と話はできたの? 何があったっていうのよ」
「あれは私の部下だったのかもしれない」ヘンドリックスはゆっくりと言った。「もしかしたら、やつらのうちの一体だったのかもしれない。だが、ここにいるだけじゃ絶対にわからないんだ」彼は自分の時計を見た。「横になって少しでも休もう。明日は早く起きなきゃな」
「早く?」
「クローに出くわさずにすむのは早朝がよさそうだ」ヘンドリックスは言った。
(この項つづく)
「クラウスは恐怖に取りつかれてしまったんだ」ヘンドリックスは言った。「あれやこれや、こうしたこと全部、我々の周りでつぎつぎに起こっていく事態に」
「かも、ね」
「じゃ、なんだっていうんだ? 何を考えてる?」
「彼にはルディを殺す理由がずっと前からあったのかも。はっきりとした理由が」
「どんな理由だ」
「もしかしたら、ルディは何かをかぎつけたのかも」
ヘンドリックスはタッソーの冷たい顔をまじまじと見た。「どんなことだ」
「彼のこと。クラウスのことよ」
とっさにクラウスが顔を上げた。「この女が言いたいことは、あんたにもわかってるんだろう。こいつはおれが変種第二号だって言いたいんだ。な、少佐。おれがルディを殺したのは理由があるんだって、あんたにも思わせようとしてるんだ。おれは……」
「そうじゃないんだったら、なんでルディを殺したのよ」
「言っただろう」クラウスは面倒くさそうに頭を振った。「クローだと思ったんだ。突きとめた、と思ったんだ」
「なぜ?」
「やつを見張っていた。怪しかったからな」
「どうして?」
「何かを感じたんだ。何かが、聞こえてきたんだ。おれは……」そこでクラウスは口をつぐむ。
「続けて」
「おれたちはテーブルでトランプをやっていた。あんたたちがあっちの部屋にいるときだ。静かだった。そしたら、ブーンという音が聞こえたような気がしたんだ、やつから」
誰も口を開かなかった。
「信じられる?」タッソーがヘンドリックスに聞いた。
「ああ。ほんとうにそう思ったのだろう」
「あたしには信じられないわ。ちゃんと理由があったからこそ、殺したのよ」タッソーは部屋の隅に立てかけてあるライフルに手を触れた。「少佐……」
「よせ」ヘンドリックスは首を横に振った。「いまはこんなことはやめるんだ。ひとりで充分だ。おれたちはみんな怖れている。クラウスと同じだ。もしクラウスを殺せば、ルディにやったことと同じ結果が待っているだけだ」
クラウスは感謝のこもったまなざしで彼を見上げた。「ありがとう。おれ、怖かったんだよ、わかるだろう? いま怖がってるのはタッソーだ、ちょうどおれみたいに。おれを殺したいんだ」
「人を殺すのはもう十分だ」ヘンドリックスは梯子の下まで歩いた。「上でもう一度通信を試みることにする。もし通じなかったら、朝になって戦線に戻ってみるよ」
クラウスがさっと立ちあがった。「おれも一緒に行って協力するよ」
夜気は冷えびえとしていた。地表の温度は下がっていた。クラウスは深呼吸し、肺を空気で満たした。彼とヘンドリックスは地下道を通って地上に出た。クラウスは大股に立ち、ライフルを構えて、あたりに目を配り、耳を澄ました。ヘンドリックスは地下道の入り口に身を低くして、小さな通信機を調節していた。
「何か聞こえたか」しばらくしてクラウスが聞いた。
「いや、まだだ」
「がんばれ。ここで起こったことを教えてやらなきゃ」
ヘンドリックスは何とかとらえようとした。どうやってもうまくいかない。とうとうアンテナを降ろした。「うまくいかない。あっちには私の声が聞こえないみたいだ。それとも聞こえてるんだが、応答しないか。そうでなきゃ……」
「そうでなきゃあっちはもう存在してないか」
「もう一度やってみよう」ヘンドリックスはアンテナを立てた。「スコット、聞こえるか? 応答せよ!」
耳を澄ませる。雑音しか入らない。そのとき、ひどくかすかな音が聞こえた。「こちらスコット」
ヘンドリックスの指に力がこもった。「スコット! おまえか?」
「こちらスコット」
クラウスが腰をかがめた。「司令部か?」
「スコット、よく聞いてくれ。そちらでは把握しているのか? あいつらのことだ。クローだよ。私の言うことが聞こえているか? 聞いてるか?」
「はい」かすかな声が聞こえた。かろうじて聞き取れるほどの声だ。何を言っているかまではわからない。
「私の言葉が聞こえたか? そっちの掩蔽壕は何も異常ないか? 何も入り込んできてないか?」
「万事異常ありません」
「やつらが入り込もうと画策するようなことはないか?」
音声がいっそう弱くなった。
「いいえ」
ヘンドリックスはクラウスの方を振り返った。「あっちは大丈夫だ」
「攻撃は受けてないのか?」
「受けてない」ヘンドリックスは受信機をいっそう強く耳に当てた。「スコット、君の声がほとんど聞こえないんだ。月基地には知らせたのか。向こうは知っているか? あっちは警戒態勢を取っているか?」
返事がない。
「スコット! 聞こえるか?」
沈黙。
ヘンドリックスは落胆して力が抜けた。「フェイド・アウトしてしまった。きっと放射線層のせいだろう」
ヘンドリックスとクラウスは顔を見合わせた。どちらも無言のままだった。しばらくしてクラウスが言った。「あんたの部下の声だったか? 誰の声か、はっきり聞き取れたか?」
「小さくてよくわからなかった」
「確かじゃないんだな」
「ああ」
「じゃあ、もしかしたら……」
「わからない。いまは何とも言えない。中に戻ってふたを閉めよう」
ふたりは梯子をのろのろと降りると、暖かな地下室に入っていった。クラウスは背後でかんぬきをかける。タッソーはそこで無表情のまま待っていた。
「うまくいった?」
ふたりとも返事をしなかった。「まあな」やっとクラウスが言った。「どう思う、少佐。あれはあんたの部下だったのか、それともやつらだったのか」
「わからない」
「ってことは、前と同じってことだ」
ヘンドリックスはあごを引いて床をじっと見つめていた。「行ってみなくては。確かめるためにな」
「なんにせよここには食料も数週間分しかない。なんにせよそのあとは、出て行かなきゃならないんだ」
「そういうことだ」
「どうしたのよ」タッソーが聞いた。「あんたのところの掩蔽壕と話はできたの? 何があったっていうのよ」
「あれは私の部下だったのかもしれない」ヘンドリックスはゆっくりと言った。「もしかしたら、やつらのうちの一体だったのかもしれない。だが、ここにいるだけじゃ絶対にわからないんだ」彼は自分の時計を見た。「横になって少しでも休もう。明日は早く起きなきゃな」
「早く?」
「クローに出くわさずにすむのは早朝がよさそうだ」ヘンドリックスは言った。
(この項つづく)
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