2.伝記と神様
小学校に入る前の春休み、学校へあがる日がそれはそれは楽しみだったのを、いまでも覚えている。
学校に入ったら勉強するのだ、と思って、毎日せっせと白地のノートを字で埋め、ランドセルを背負い、制服を着るのは許してもらえなかったけれど、真新しい制帽をかぶり、靴を履いて庭を歩き回った。
一年生の時の先生の名前はいまでも言える。
三十代初めの、字のきれいな女の先生だった。
入学して間もないころ、教室の後ろで、新しく仲良くなったふたりの子とふざけていた。
おそらく先生が話している最中ではなかったと思う。やるべきことが終わって、まだ授業時間は終わっていない、そんな中途半端な時間だったのだと思うのだけれど、とにかく三人で笑いあっていたところを、先生に咎められたのだ。
わたしたち三人は呼び出され、前に並ばされた。
失敗した、と思った。とりあえず神妙な顔でもしておこう、と思った。隣のふたりは、まだつつきあって笑っていたが、わたしは黙ってうつむいた。
ところが、あろうことか先生はわたしの態度を見て、「* * さんは反省しているから席に戻ってよろしい」と言う。
驚いた。
母親なら、決してそんな顔で騙されはしないのに。
ああ、先生というのは、この程度のものなのか。
六歳のわたしは、はっきりとそう思ったのだった。あまりに強烈な経験で、いまだにそのときの教室の情景さえ目に浮かんでくる。
だが、そのときの経験が、どうも以降の自分の学校での行動を決めてしまったような気がしてならない。
教室には「学級文庫」ということで、小さな本棚に本が並んでいた。
そこで新しく「伝記」というジャンルの本にめぐりあったのだと思う。いままで読んだことのない、物語の登場人物ではない、実際に生きていた人の本に、わたしはさっそく夢中になった。
土曜日のあるとき、わたしは下校時間になったにもかかわらず、教室でその伝記の一冊を読んでいた。確か、お坊さんの伝記で、それを考えると良寛か一休ではないかと思うのだけれど、誰の伝記だったかまではわからない。ともかく、先生は教室に残っているわたしに、そんなにおもしろいんだったら、まだ残って読んでいていいですよ、と言ってくれたのだった。
そうしていると、だれかのお母さんが教室にやってきた。
子供がみんな帰った静まりかえった土曜日の教室に、先生とそのお母さんとが話をしている声をかすかに意識の隅で耳にしながら、わたしはそのお坊さんの話を読み続けた。
読み終えて帰ろうとすると、先生は、読んだことをお話に書いてごらんなさい、という。
そう言われて、自分が書いたのかどうなのか、その記憶はまったくないのだけれど、そうして、そのことはわたしにだけ言っていたのか、ほかの子にも言っていたのかは知らないのだけれど、なにかあるたびに、その先生はわたしに「お話」を書くように言うのだった。
それまで、「お話」というのは、どこかでだれかが書いているものだとも思ったことがなかった。
自分と同じように子供だった人が、おとなになって、いろんなことをする、という話を読む。
そうして、それは、自分と同じように、かつて子供だった人が書いているのだ。
これまで芋虫が葉っぱを食べるように、手近にある本を何でも読んでいたわたしが、初めて「書いてあること」と「書く人」に意識を向けるようになったのは、このときからだったような気がする。
教室にお坊さんの伝記があったのだけれど、そこの学校はカトリックの学校で、一年生の時から「宗教の時間」があった。
シスターから聞く「良きサマリヤ人の話」や「放蕩息子の話」「迷子になった一匹の子羊の話」をわたしはおもしろい昔話を聞くように聞いたのだった。
そんなころ、家族でどこかに行った。
不意に、雲間から日が差すのが見えた。厚い雲に切れ目が入り、まるで定規で引いたようにまっすぐな白い帯が三本、宙を走っていた。
学校で見た聖書物語の挿絵そのままだった。キリストの姿のまわりには、かならずそうした後光が差していたのだ。わたしにとって、その日差しはキリスト像と一体のものだった。
だからわたしは大声で言った。「神様が見えるよ!」
ぎょっとした顔で、両親は顔を見合わせていた。
担任の先生は、二年生でも持ち上がりになったのだけれど、二年になって間もなく、休むようになった。お母さんが病気になったのだ。代わりにシスターや臨時の先生が教えに来てくれて、わたしたちは先生のお母さんが早く元気になりますように、と、修道院でお祈りをした。だが、やがてお母さんが亡くなったという話を聞いた。
しばらくして先生は戻ってきたのだけれど、授業中、いきなり泣きだして教室を出ていくようなことも何度かあり、結局、その学年の途中で先生は退職した。
そうして、そのままその学校と同じ系列の教会の修道院に入ったという話を聞いた。いつか、シスターになった先生に会えるかもしれない。シスターの服を着たその先生は、絵の中のマリア様のようにきれいだろうな、と思ったのだった。
(この項つづく)
小学校に入る前の春休み、学校へあがる日がそれはそれは楽しみだったのを、いまでも覚えている。
学校に入ったら勉強するのだ、と思って、毎日せっせと白地のノートを字で埋め、ランドセルを背負い、制服を着るのは許してもらえなかったけれど、真新しい制帽をかぶり、靴を履いて庭を歩き回った。
一年生の時の先生の名前はいまでも言える。
三十代初めの、字のきれいな女の先生だった。
入学して間もないころ、教室の後ろで、新しく仲良くなったふたりの子とふざけていた。
おそらく先生が話している最中ではなかったと思う。やるべきことが終わって、まだ授業時間は終わっていない、そんな中途半端な時間だったのだと思うのだけれど、とにかく三人で笑いあっていたところを、先生に咎められたのだ。
わたしたち三人は呼び出され、前に並ばされた。
失敗した、と思った。とりあえず神妙な顔でもしておこう、と思った。隣のふたりは、まだつつきあって笑っていたが、わたしは黙ってうつむいた。
ところが、あろうことか先生はわたしの態度を見て、「* * さんは反省しているから席に戻ってよろしい」と言う。
驚いた。
母親なら、決してそんな顔で騙されはしないのに。
ああ、先生というのは、この程度のものなのか。
六歳のわたしは、はっきりとそう思ったのだった。あまりに強烈な経験で、いまだにそのときの教室の情景さえ目に浮かんでくる。
だが、そのときの経験が、どうも以降の自分の学校での行動を決めてしまったような気がしてならない。
教室には「学級文庫」ということで、小さな本棚に本が並んでいた。
そこで新しく「伝記」というジャンルの本にめぐりあったのだと思う。いままで読んだことのない、物語の登場人物ではない、実際に生きていた人の本に、わたしはさっそく夢中になった。
土曜日のあるとき、わたしは下校時間になったにもかかわらず、教室でその伝記の一冊を読んでいた。確か、お坊さんの伝記で、それを考えると良寛か一休ではないかと思うのだけれど、誰の伝記だったかまではわからない。ともかく、先生は教室に残っているわたしに、そんなにおもしろいんだったら、まだ残って読んでいていいですよ、と言ってくれたのだった。
そうしていると、だれかのお母さんが教室にやってきた。
子供がみんな帰った静まりかえった土曜日の教室に、先生とそのお母さんとが話をしている声をかすかに意識の隅で耳にしながら、わたしはそのお坊さんの話を読み続けた。
読み終えて帰ろうとすると、先生は、読んだことをお話に書いてごらんなさい、という。
そう言われて、自分が書いたのかどうなのか、その記憶はまったくないのだけれど、そうして、そのことはわたしにだけ言っていたのか、ほかの子にも言っていたのかは知らないのだけれど、なにかあるたびに、その先生はわたしに「お話」を書くように言うのだった。
それまで、「お話」というのは、どこかでだれかが書いているものだとも思ったことがなかった。
自分と同じように子供だった人が、おとなになって、いろんなことをする、という話を読む。
そうして、それは、自分と同じように、かつて子供だった人が書いているのだ。
これまで芋虫が葉っぱを食べるように、手近にある本を何でも読んでいたわたしが、初めて「書いてあること」と「書く人」に意識を向けるようになったのは、このときからだったような気がする。
教室にお坊さんの伝記があったのだけれど、そこの学校はカトリックの学校で、一年生の時から「宗教の時間」があった。
シスターから聞く「良きサマリヤ人の話」や「放蕩息子の話」「迷子になった一匹の子羊の話」をわたしはおもしろい昔話を聞くように聞いたのだった。
そんなころ、家族でどこかに行った。
不意に、雲間から日が差すのが見えた。厚い雲に切れ目が入り、まるで定規で引いたようにまっすぐな白い帯が三本、宙を走っていた。
学校で見た聖書物語の挿絵そのままだった。キリストの姿のまわりには、かならずそうした後光が差していたのだ。わたしにとって、その日差しはキリスト像と一体のものだった。
だからわたしは大声で言った。「神様が見えるよ!」
ぎょっとした顔で、両親は顔を見合わせていた。
担任の先生は、二年生でも持ち上がりになったのだけれど、二年になって間もなく、休むようになった。お母さんが病気になったのだ。代わりにシスターや臨時の先生が教えに来てくれて、わたしたちは先生のお母さんが早く元気になりますように、と、修道院でお祈りをした。だが、やがてお母さんが亡くなったという話を聞いた。
しばらくして先生は戻ってきたのだけれど、授業中、いきなり泣きだして教室を出ていくようなことも何度かあり、結局、その学年の途中で先生は退職した。
そうして、そのままその学校と同じ系列の教会の修道院に入ったという話を聞いた。いつか、シスターになった先生に会えるかもしれない。シスターの服を着たその先生は、絵の中のマリア様のようにきれいだろうな、と思ったのだった。
(この項つづく)