陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

合理性とは縁のない話

2006-10-05 22:19:31 | weblog
合理性とは縁のない話

ちょっと前に、階下の風呂場の天井から水が漏る、ということがあって、うちの浴室の防水工事があった。
工事といってもたいしたことをするわけではない。そもそも狭い風呂場の、小さな排水溝の箇所だけの工事なのである。表面を少し削ってシンナー臭い塗料を塗りなおすの、ほんの数時間の工事だった。

ところが、いやに大勢の人がやってくるのである。
まず、作業着の上下を着ているが、その下には真っ白いワイシャツと、ネクタイをぴっちり締めて、プラダのビジネスバッグを持ってきている五十年配の男性。ここでは仮に作業員Aと呼ぶことにしよう。

つぎに、同じく作業着の上下だが、下にはワイシャツ+ネクタイではなく、Tシャツを着ている三十代の男性。この人物は、青焼きの図面やポラロイドカメラ、その他資料をどっさり抱えていた。この人物を作業員Bと呼ぶ。

さらに、作業着ではなく、Tシャツに、いわゆるニッカボッカ、というんでしょうか、建設作業員らしい、あちこちいろんな染みがついて、タオルではちまきをした二十代後半の男性。この人物を作業員Cと呼ぶ。

加えて、作業員Cとほぼ同様の格好ではあるけれど、髪は金髪、耳にはピアスが六個ほど、鼻の脇にもピアスの跡がある、二十代前半ないし、十代後半の男性。この人物を作業員Dと呼ぶ。

まず、事情を聞いてやってきたのが、作業員AとBである。
こちらからの説明をAとBにすると、Bは写真を撮ったり、図面を見たり水をはったりしながら、Aと相談しつつ(といっても、もっぱらAは話を聞いているだけ)作業の手順を定めているらしい。

やがて、AとBは帰っていき、しばらくして戻ってきたA、B、さらに、ずいぶん様子のちがうCとDまで加わった。うちの小さな玄関には、足の踏み場もないほどの靴(革靴が二足、作業靴が一足、ぼろぼろのスニーカーが一足)が並び、どう考えても全員が入るのは不可能なはずの風呂場に、全員が集合した模様である。
やがて、作業員A,B,さらにDはそこを出ていった。

作業をしているのは、Cのみである。AとBは玄関の前で立ち話をしている。
その状態が数時間つづいた。
それじゃ、失礼します、と玄関の前で声がして、見ると作業員Bは、大荷物を抱えて帰っていくところだった。ひとり残されたAは、電話をかけたり(あきらかに私用)、ぶらぶらしたり、わたしに話しかけたりしている。
やがて、作業員Dがバケツとぞうきんを持って入ってきた。作業が終わって、後かたづけに入ったらしい。入れ替わるようにDを残して、Cは去っていった。
やがてDも去り、Aはもういちど風呂場をのぞくと「これで終わりましたから」とわたしに告げ、終わった印としてサインを求めた。

別に、それだけの人間が必要なら、それはそれでいいのだ。仕事というのは、そういうものなのかもしれない。わたしがわからないだけなのかもしれない。
ただ、ものすごく奇妙な感じがしただけだ。

特に、作業員Aである。
彼を「作業員」と呼ぶこと自体が、おそらくまちがっているのだろう。彼は、作業員ではなく、おそらく「管理職」なのだと思う。その大事そうに下げているプラダのビジネスバッグから、わたしが見ている限りで彼が取りだしたのは、携帯電話とペットボトルに入った「午後の紅茶 ミルクティ」だけだった。
彼の仕事というのは、いったい何だったのだろう。

おそらく持ち物や着るものを見ても、四人のなかで一番高給を取っているのは、彼であることはまちがいないだろう。実際の作業をほとんどひとりでしていた作業員Cの何倍もの給料をとっているにちがいない。

世の中というのは、わたしの理解できないシステムで成り立っているような気が、ときどきする。