陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

お相撲さんの話

2006-10-28 22:41:18 | weblog
お相撲さんの話

その昔、わたしが通っていた歯科医院は、近くに相撲部屋があってよくお相撲さんと待合室や診察室で一緒になった。

虫歯だけでなく、相撲の稽古で歯が折れたり、差し歯が飛んだり、ということも少なくなかったのかもしれない。鬢づけ油のいい匂いをさせているお相撲さんもいれば、髪の毛をまだ伸ばしている途中の人や、体もまだ細いお相撲さんもいた。

待合室のお相撲さんで一番気になったのは、当然、どんな本を読むのだろう、ということだった。ジロジロ見ないように気を遣いながら、それでも興味津々で観察していたのだけれど、わたしが見た限りでは、不思議なことに、置いてある新聞や週刊誌、週刊マンガの類ではなく、子供向けの「恐竜図鑑」や「動物図鑑」を手にしていることが多かった。その頃はお相撲さんはみんな大人に見えていたのだけれど、考えてみれば中学を卒業してすぐの、わたしと歳もどれほどもちがわない、「男の子」たちであったのかもしれない。
もっともマンガの類は、相撲部屋ですでに読んでいたのかもしれないけれど。

お相撲さんが先にいるときは、入り口には白い鼻緒の雪駄があった。ずいぶん大きな雪駄は、鼻緒の付け根のあたりに油性のマジックで部屋の名前が書いてあった。
入り口にあったのは雪駄でも、お相撲さんはいつもスウェットの上下で、浴衣姿は見たことがない。体格の良いお相撲さんのときは、いったいどんなサイズなのだろうと思ったものだ。

外で見かけるときはたいてい自転車に乗っていた。大きな体で、まるで大人が三輪車にのっているかのように、バランスをとりながらふーわりふーわりと乗っている。
それでも、そんな格好でもお相撲さんは確実にわかるのだった。

まだ髷を結えないお相撲さんは別として、髷を結っているお相撲さんは、たとえどんな服装をしていても、どこにいても、確実に職業がわかってしまう。
歯医者の近くばかりではない、ディズニーランドで見かけたこともあるし、いまも二月の終わり、お相撲さんの姿を見ると、ああ、大阪にも春が来たのだなぁと思う。
それが何という名前のお相撲さんかわからなくても、髷と浴衣(あるいはスウェット)と雪駄で、職業が確実にわかってしまうのだ。

考えてみれば、いまのわたしたちの住む社会では、なかなか私服姿でその職業はわからない。スーツ姿にデイパックを背負っているのは先生が多いような気がするけれど、これは統計を取ったわけではないから、なんともいえない。

以前入院しているとき、院内をうろうろしていたら、不意にわたしの担当だった看護師さんとばったり出くわしておどろいたことがある。ひっつめていた髪をたらし、極端に体にぴったりしたミニのスーツ、お化粧もくっきりとし直していて、一瞬だれだかわからないくらいだった。

もちろん朝、スーツ姿で電車に乗っている人の多くは、オフィスや役所や学校や病院に勤めているのだろうけれど、その人が具体的にどんな仕事をしているのかまではわからない。そのチームの一員であることを示す制服が職場にあったとしても、そこに着くまでは、そういう面を一切表さない、無個性なスーツなのである。

ところが昔はそんなことはなかったのである。いま、お相撲さんが「あ、お相撲さんだ」と一目でわかるように、服装や髪型で、その人の職業はよくわかった。そうして、その区分を守ることは重要だったのである。
現代社会においては、この姿・形とその人間の身分、階層、職能などの規定性が、ほとんど失われているが、歴史的にみれば、最近までこの両者の関係は、かなり一致した厳密な社会秩序として存在していた。すなわち、その人間の姿・形は、その人間の社会的存在としての身分、階層、職能などを表示していたのであり、前近代社会においては、とくにこの関係は厳しい社会秩序として存在していた。形がその存在を規定するという考え方は、日本の社会においても、古くから根強く存在している。

 日本の中世社会において、人間とはどのようなものと考えられていたかといえば、そこにはいろいろの定義が存在したことはいうまでもないが、その一つの有力な定義に、人間の形をしたものが人間であるという把握のしかたが存在したことは間違いない。人間と動物=異類との相違は、心のありかた、理性の有無より、さらに重要な要素として、姿・形の相違が存在した。形を変えることにより、人間が動物になり、動物が人間に変わることが可能であるという考え方は、今日のわれわれが想像する以上にはるかに現実性をもっていたことは、この時代の物語、説話、民話等の存在形態をみれば明らかであろう。そして当然のことながら、人間社会の内部のあらゆる区分にも、この観念が一貫してその一つの指標として流れていたといえる。男、女、子供という区別も明瞭にその形で区別されていたし、人間の社会的身分、職能も、一見すれば弁別できる形で規定されていた。
勝俣鎮夫『一揆』(岩波新書)

たしかに、いまは一目でその職業がわかるような外見をしている人はごく限られるようになってしまった。それでも、わたしたちはそこまで思い通りの格好をしているわけではない。

制服は、職能を明らかにするだけでなく、学校や集団に対する帰属意識を培う、という側面がある。
それと同じように、ブランドがはっきりとわかる服や持ち物は、そのブランドのユーザーであるという帰属意識を培っているとは言えないだろうか。

もうひとつ、はっきり何をしているかわかる服装がある。
それはリクルートスーツに身を包んだ学生である。チャコール・グレイや黒のスーツに白いシャツ、黒い革靴という独特の格好は、自分が会社という社会に順応しうる存在であることを訴えているようだ。
この考え方は、いわゆる「身分」というものがなくなった現代であっても、中世の時代とそれほどちがうものではない。

「形を変えることにより、人間が動物になり、動物が人間に変わることが可能であるという考え方」は、就職活動を始める頃になると、髪を黒く戻して切り、そろいのリクルートファッションに身を包むことによって、組織の一員として生きることが可能であることを示そうとする学生そのものだ。
そうして、同時にそれはこれまでとはちがう、組織の中で責任を持って生きる「社会人」になるための、トレーニングの一種でもあるのだろう。

お相撲さんは、「あ、お相撲さんだ!」という視線を常に浴びながら、街中を歩く。
そうしながら、自分が「お相撲さんである」という実感を、日々自分の中に培っていっているのかもしれない。もしかしたら、そう「見られ」ることも、お相撲さんの日々の稽古の一環なのだろう。