陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

イーディス・ウォートン 『ローマ熱』 その3.

2006-09-29 21:51:59 | 翻訳
ローマ熱 その3.

 数年後、数箇月も日を置かないうちに、ふたりの女性はともに夫を喪った。その場にふさわしい花輪やお悔やみの言葉などを双方ともに送り、喪に服しているあいだ、しばらくは旧交が復活した。さらに数年の歳月を経たいま、ローマの同じホテルで、ともに華やかな娘というおつきを従えて、顔を合わせたのだった。似たような来し方をたどってきたからこそ、こうしてめぐりあったのよ、と半ば冗談めかして言い合い、たがいに、昔だったら自分の娘と「つきあう」なんて骨が折れることだったにちがいないけれど、いまの時代はたまにはそうでもしていないと、こちらの張り合いがなくなってしまうわよね、と、正直なところを言い合った。

 確かに、とミセス・スレイドは考える。かわいそうなグレイスよりもわたしのほうが、無聊をかこっているのだわ。デルフィン・スレイドの妻であることと、未亡人であることのあいだには甚だしい差があった。ずっと自分のことを(夫婦であることの一種のプライドから)、社交的な資質という面では夫には引けを取らないものである、自分たちが人並み外れたカップルだったことには、自分が果たした役割も大きくものをいっているのだと考えてきたのだ。ところが夫を亡くしたあとは、もはや地位の下落はいかんともしがたい。高名な顧問弁護士、国際的な訴訟案件をひとつやふたつ、つねに抱えているような弁護士の妻として、思いがけない仕事が降りかかってくることはあっても、心躍るような日を過ごしていたのだった。外国からやってきた一流の弁護士を、急にもてなすことになったり、法律問題でロンドンやパリ、ローマに急行しなければならなかったこと、また、そうした諸外国では、相互に接待したりされたりが、派手に繰り広げられたのだった。そんなとき背後で聞こえてくる声が、楽しみの種となった。「あら、あのいいお召しの、目のきれいな、あかぬけた人がミセス・スレイド? スレイドさんの奥さんなの? ほんとう? 有名人の奥さんって、パッとしない人が多いのにねえ」

 確かに、スレイドの未亡人として過ごすのは、そんな日々のあとでは、退屈きわまる仕事だった。そんな夫に応えられるように、能力のすべてを費やしてきたのだ。いまや果たさなければならない仕事は、娘ひとりを相手にしたものにかぎられる、というのも、夫の資質を受け継いでいるように思えた息子も、子供のうちに急に亡くなってしまっていたからだった。その耐え難い悲しみも、夫がいたから、助け、助けられしたから、なんとか乗り越えて来れたのだ。いまやその夫も亡くなり、ひとり息子のことを思うと、身を切られるよりつらい思いがする。いまは娘の母親であるという以外にやるべきことは何もない。おまけにうちのジェニーときたら、これといって非の打ち所もない娘だから、ことさらに母親らしくでしゃばる必要もないのだわ。

――これがバブス・アンズレイだったら、わたしだってこんなにものんびりなんてしていられないかもしれない。
ミセス・スレイドはときどき、半ばうらやみながら、そんなことを思う。まばゆいばかりのバブスにくらべれば、年も若いジェニーは、まったくありえないことに、大変な美人であるにもかかわらず、その若さも美しさも、ないも同然、まったく危険な気配さえないのだ。まったくわけがわからない――それに、ミセス・スレイドはいささか退屈でもあったのだ。ジェニーが恋に落ちるなりなんなりしてくれたらねえ、たとえ多少健全とは言い難い相手であっても。それなら、ジェニーを監視し、策を弄して、そこから救い出さなければならなくなるにちがいない。ところが実際は、ジェニーの方が母親を監視し、すきま風が当たらないよう気を配り強壮剤を飲み忘れていないかどうか、確かめている……。

 ミセス・アンズレイは友人ほど明瞭な意見を口にするタイプではなかったし、頭の中にあるミセス・スレイドのイメージは、さほど重要でもなく、ごくぼんやりとした印象しかなかった。
――アリーダ・スレイドは確かに才気煥発なひとだった。でも、自分で考えてるほど、たいしたひとでもなかった。
ずっとそんなふうに理解をしていたのだ。とはいえ知らない人のためには、こう説明を加えていただろう。ミセス・スレイドはたいそう元気のいいひとだったんです、と。もちろんお嬢さんのジェニーさんもおきれいだし、賢い面もお持ちだけれど、お母さんとはくらべものになりませんわ、よくみなさんがおっしゃるような「ハッとする」みたいなところのがないんです。ミセス・アンズレイはときどき流行語を使うのだけれど、そのときは、こんなに大胆なことはしたことがないとでもいうように、引用を示す鍵かっこがついているかのごとく、使ってみせるのだった。確かに、ジェニーは母親には似ていなかった。ときどき、ミセス・アンズレイは思うのだ。アリーダ・スレイドはがっかりしているのね、これまでずうっと悲しい生活を送ってきたのですもの。失敗と勘違いばかりの人生。ミセス・アンズレイはいつだって気の毒に思ってきたのだ……。

 このように二人の女性はそれぞれに、自分の小さな望遠鏡をさかさまにして、相手の姿を眺めていたのだった。

(この項つづく)