昨日ちょっとふれた『オーウェル評論集』を読んでいたら、非常におもしろかったので、もう少しウッドハウスについて書いてみたい。以下、引用はすべて同書(小野寺健編訳 岩波文庫)による。
1940年初夏、59歳のウッドハウスはパリの別荘にいた。1920年代からすでに押しも押されぬ人気作家で、すでに多くの富と名声を手にしていた。
フランスに侵攻してきたドイツ軍は、わざわざそのウッドハウスを逮捕・連行したのである。それから一年ほど続いた自宅拘禁が解かれたあとも、ドイツ軍の監視下におかれた。
そうして1941年の6月から7月にかけて、ドイツのラジオを通じて「非政治的な放送」をおこなった。
その内容は、以下のようなものだったらしい。
ところがこのウッドハウスの言ったことは、イギリスで大変な問題となった。「売国奴」「総統(※ヒトラー)崇拝」とまで呼ばれ、ドイツの政治宣伝に協力した、と非難が巻き起こったのである。
BBCではウッドハウスの叙情詩の放送は中止され、さらに1944年12月、国家反逆罪で裁判にかけろ、という要求まで、国会で出る。
それに対して、ジョージ・オーウェルが1945年に弁護したのが『P.G.ウッドハウス弁護』という文章なのである。
オーウェルはまず、ウッドハウスには政治意識というものがまるっきり欠落していた、ということを、数多くの著作から明らかにしていく。
さらに、有名な作品のほとんどが、1925年以前に書かれたものであることを指摘する。
しかも、その時代でさえ、彼の登場人物たちは、時代遅れであった、ということも。
確かに、『階上の男』を取ってみても、小道具に電話やタクシーが出てくるのが、奇妙な気さえする。もっと古い、金持ちでブラブラしているビル・ベイツなど、それこそ19世紀の人物といっても不思議はないのだ。
そうした時代感覚の鈍さ、政治意識の欠落から考えて、ウッドハウスが対独協力者であった、という批判ほど的外れなものはない、という。
ウッドハウスを登場させたドイツ側には、はっきりとした目的があった。
ソ連侵攻を目前にして、アメリカの参戦をできるだけ遅らせたかったのだ。
そのためにアメリカでも人気のあった(ただし、アメリカでの人気は、イギリス紳士を風刺した作家、として、イギリス人とはちがう受け取られ方をしていた)ウッドハウスを、ラジオに登場させ、そののち釈放することで、自分たちの行動を「騎士道精神に満ちたもの」と宣伝することをねらった。
一方、イギリス側で、ウッドハウス批判の大合唱が始まったのも、やはり思惑がらみであった。
当時のイギリスは、上流階級が信用を失い、民衆たちはソッポを向き始めていたころだった。そのとき、収入の多い金持ちのひとりであるウッドハウス、けれども社会体制に影響を及ぼす怖れのまったくない、資産階級の一員ではない、一代限りの金持ちであるウッドハウスは、支配者側にとって、格好の生け贄でもあったのである。
オーウェルはウッドハウス批判の愚かしさを訴える。第二次世界大戦以降、何よりも嫌悪すべきものは、売国奴狩りである、と。生け贄にされたウッドハウス批判の矛を収めろ、という。
事実ウッドハウスは1945年にはアメリカへ渡り、市民権を得ている。
ウッドハウスがみずからにふりかかった災難について書いた資料は見つからないし、事実、書いていないのかもしれない。ただ、きわめてイギリス的であり、古い時代の体現者でもあったウッドハウス、故国から石を持って追われ、しかも擁護しているオーウェルからは、愛されつつも、人の良い老大家、一種の化石扱いされている。
いつの時代も、そしてどこの国でもこうしたことは起こっているけれど、その渦中にあったウッドハウス、人の良い叔父さんのようなウッドハウスは、どう思っていたのだろう、と思う。
※なお、昨日『階上の男』が映画化されている、と書いたのは誤りでした。お詫びして訂正しておきます。
1940年初夏、59歳のウッドハウスはパリの別荘にいた。1920年代からすでに押しも押されぬ人気作家で、すでに多くの富と名声を手にしていた。
フランスに侵攻してきたドイツ軍は、わざわざそのウッドハウスを逮捕・連行したのである。それから一年ほど続いた自宅拘禁が解かれたあとも、ドイツ軍の監視下におかれた。
そうして1941年の6月から7月にかけて、ドイツのラジオを通じて「非政治的な放送」をおこなった。
その内容は、以下のようなものだったらしい。
わたしは政治に関心をもったことがない。好戦的感情というものとはおよそ縁がないのだ。どこかの国にたいして好戦的な感情を抱きかけると、とたんに、なかなかの人物に出会う。その男と遊びにでかけることになって、戦闘的な思想や感情は消えてしまうのだ。
彼らはちょっと前にわれわれをずらりと並べてみて、名案を思いついたのだ。とにかく、彼らはわれわれをこの地方の精神病院に入れた。わたしはそこに四十二週間いた。拘禁状態のことならいくら礼賛してもいい。なにしろ飲みに行けないから本が読める。一番こまるのは長いあいだ家に帰れないこと。妻と再会するときには、この男は安全ですという診断書でも持って行ったほうがよさそうだ。
戦前のわたしは、英国人であることをいつもささやかな誇りとしていた。だがこの英国人の収容所というか陳列所といった場所で何ヶ月も暮らしてみた今では、かならずしもはっきりとは……。ドイツ側に望むのはただローフ型のパンをくれることと、正門にマスケット銃を持って立っている方たちには横を向いていてもらって、あとはわたしにまかせてくれることである。そのお返しにはインドと、わたしの書名入りの著書一揃いをさしあげ、ポテトの薄切りをラジエーターで調理する秘訣を教えてもいい。この申し入れの有効期限は来週の水曜までとする。
ところがこのウッドハウスの言ったことは、イギリスで大変な問題となった。「売国奴」「総統(※ヒトラー)崇拝」とまで呼ばれ、ドイツの政治宣伝に協力した、と非難が巻き起こったのである。
BBCではウッドハウスの叙情詩の放送は中止され、さらに1944年12月、国家反逆罪で裁判にかけろ、という要求まで、国会で出る。
それに対して、ジョージ・オーウェルが1945年に弁護したのが『P.G.ウッドハウス弁護』という文章なのである。
オーウェルはまず、ウッドハウスには政治意識というものがまるっきり欠落していた、ということを、数多くの著作から明らかにしていく。
さらに、有名な作品のほとんどが、1925年以前に書かれたものであることを指摘する。
しかも、その時代でさえ、彼の登場人物たちは、時代遅れであった、ということも。
確かに、『階上の男』を取ってみても、小道具に電話やタクシーが出てくるのが、奇妙な気さえする。もっと古い、金持ちでブラブラしているビル・ベイツなど、それこそ19世紀の人物といっても不思議はないのだ。
そうした時代感覚の鈍さ、政治意識の欠落から考えて、ウッドハウスが対独協力者であった、という批判ほど的外れなものはない、という。
ウッドハウスを登場させたドイツ側には、はっきりとした目的があった。
ソ連侵攻を目前にして、アメリカの参戦をできるだけ遅らせたかったのだ。
そのためにアメリカでも人気のあった(ただし、アメリカでの人気は、イギリス紳士を風刺した作家、として、イギリス人とはちがう受け取られ方をしていた)ウッドハウスを、ラジオに登場させ、そののち釈放することで、自分たちの行動を「騎士道精神に満ちたもの」と宣伝することをねらった。
一方、イギリス側で、ウッドハウス批判の大合唱が始まったのも、やはり思惑がらみであった。
当時のイギリスは、上流階級が信用を失い、民衆たちはソッポを向き始めていたころだった。そのとき、収入の多い金持ちのひとりであるウッドハウス、けれども社会体制に影響を及ぼす怖れのまったくない、資産階級の一員ではない、一代限りの金持ちであるウッドハウスは、支配者側にとって、格好の生け贄でもあったのである。
オーウェルはウッドハウス批判の愚かしさを訴える。第二次世界大戦以降、何よりも嫌悪すべきものは、売国奴狩りである、と。生け贄にされたウッドハウス批判の矛を収めろ、という。
もし追いつめてアメリカへ逃げこまれ、英国の市民権を放棄されでもしたら、さいごにひどい恥をかくのはわれわれなのである。そんなことより、危急存亡のときに国民の士気をくじいた人間を本気で罰したいというのなら、追及に価する犯人はもっと祖国に近いところにいくらでも潜んでいるのだ。
事実ウッドハウスは1945年にはアメリカへ渡り、市民権を得ている。
ウッドハウスがみずからにふりかかった災難について書いた資料は見つからないし、事実、書いていないのかもしれない。ただ、きわめてイギリス的であり、古い時代の体現者でもあったウッドハウス、故国から石を持って追われ、しかも擁護しているオーウェルからは、愛されつつも、人の良い老大家、一種の化石扱いされている。
いつの時代も、そしてどこの国でもこうしたことは起こっているけれど、その渦中にあったウッドハウス、人の良い叔父さんのようなウッドハウスは、どう思っていたのだろう、と思う。
※なお、昨日『階上の男』が映画化されている、と書いたのは誤りでした。お詫びして訂正しておきます。
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