陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

シャーウッド・アンダーソン 『手』 その2.

2005-06-02 22:01:26 | 翻訳
 ウィング・ビドルボームの手は多くを語る。細い、表情豊かな指は、倦むことなく動き続け、たえずポケットの内や身体の背後に、隠れよう、隠れようとしながらも、前に伸びてきて、彼の表情の歯車を回転させるピストン棒となるのだった。
 
 ウィング・ビドルボームの物語は手の物語である。かごに閉じ込められた鳥が羽根をバタバタさせるように、休むことなく動くところから、ウィングという名も来ているのだ。町に住む無名の詩人が、その名づけ親だった。その手は、もちぬしさえも驚かせる。できるものなら隠しておきたく、畑で一緒に働く男や、田舎道を眠そうな馬に引かせている御者の、無口で表情のない手を、驚きのまなざしで眺めるのだった。

 ジョージ・ウィラードに話しかけるときは、ウィング・ビドルボームは拳を固めて、テーブルや壁を叩いた。そうしていると、もっと落ち着くからだった。野原を一緒に歩いているときに話したくなってくると、切り株や柵のてっぺんの横板をさがして、そこをせわしなく叩きながら、落ち着きを取り戻して話すのだ。

 ウィング・ビドルボームの手の物語は、それだけで一冊分の価値がある。同情をこめて語られたものならば、無名の人々の内にある多くの奇妙で美しい資質を読みとることができるだろう。それは詩人の仕事だ。ワインズバーグでその手が人目を引いたのは、単によく動く、それだけだった。その手でウィング・ビドルボームは一日に百四十クォートのいちごをつんだこともあった。手は彼の特筆すべき点であり、有名になったのもその手のためだった。それでいて、そうでなくともぶざまで胡散臭い人間が、手のために、なおのことぶざまにも見えたのだ。ワインズバーグの人々は、ウィング・ビドルボームの手を自慢に思っていたが、銀行家のホワイト氏の新築の石造りの家や、クリーヴランドの秋のレースで二分十五秒の追い込みで、ウェズレー・モイヤーの馬、栗毛のトニー・ティップのことを誇らしく思うのと、同じことだった。

(この項つづく)

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