その4.
おそらくドクター・ベイコンも、ベイジルの気まずそうなようすを見ているうちに、久しく忘れていた感情が呼び覚まされたのだろう。もう一度、書類を切り直して、語調を変えて話を始めた。
「といってもだね、今日はこのことで君を呼びにやらせたのではないんだよ。先週、君は土曜日にニューヨークへマチネーを観に行く許可を申し出ているね。デイヴィス先生がおっしゃるには、明日外出禁止が解かれるのは、本校創立以来、初なのではないかということだったよ」
「はい」
「良い前例とはならないんだが。ともかくニューヨークへ行くことを許可しよう。段取りがうまくいきさえすれば、の話なのだが。生憎この土曜日は、付き添いの先生のご都合が悪くてね」
ベイジルの口はあんぐりと空いた。「でも、ぼく、……あの、ドクター・ベイコン、二組が行くってこと聞いたんですけど。そのどちらかと一緒に行くわけにはいかないんですか?」
ドクター・ベイコンは書類全部にざっと目を通した。「あいにく、ひと組は君より少し上の学年の生徒たちだし、もうひとつの組はもう何週間も前に手はずがついてしまっているんだ」
「ダン先生と一緒に『クワッカー・ガール』を見に行くグループはどうなっているんですか」
「それがいま話したグループなんだ。彼らはもう準備万端整ったと思っているし、席もまとめて買ってあるんだよ」
不意にベイジルにも事態が飲み込めた。ベイジルの目に浮かんだ色に気がついたドクター・ベイコンは、あわてて言葉を続けた。
「ひょっとしたら私にもひとつ、できることがあるかもしれないな。生徒数名でグループを組めば、先生の費用を分担できるだろう? あとふたり見つけられたら、グループができるね。五時までにメンバー全員の名前を知らせてくれたら、ルーニー先生を君たちの引率者に任命しよう」
「どうもありがとうございます」ベイジルは言った。
ドクター・ベイコンはためらった。長年のうちに凝り固まってしまった皮肉な見方の奥底で、生得の気質がさわぎだしていた。この少年の抱える異例の問題を調べてみたい。いったいどうして彼が学校一の嫌われ者なのか。少年たちの間にも、また教師の間にも、彼に対する異様なまでの敵意が存在しているようだった。これまで生徒が起こしてきたさまざまな種類の問題行動を扱ってきたドクター・ベイコンではあったが、自分で調べても、また、信頼のおける六年生の助けを借りても、大元の原因をつかむことはできないでいた。おそらく原因は単独ではなく、さまざまな要因が組み合わさっているのだろう。おそらくそれは、いわゆる“性格の問題”という、とらえどころのないものなのかもしれない。だが、初めてこの子に会ったときには、めったにみないほど、魅力的な少年だと思ったのだ。
ドクター・ベイコンはため息をもらした。こうした問題は、おのずと解決する場合もある。彼は拙速にことを行うような人間ではなかった。「来月はもっと良い成績を家に報告できるようにしようね、ベイジル」
「はい、ドクター」
ベイジルは急いで階段を駆け下り、娯楽室へ向かった。今日は水曜日で、生徒のほとんどは、イーストチェスター村へ行ってしまっていた。外出禁止を喰らっていたベイジルは、一緒に行けなかったのだ。ビリヤード台やピアノのあたりにたむろしている数人の生徒を見るうちに、自分と一緒に行ってくれる生徒を見つけるのはむずかしいだろうという気がしてきた。というのも、ベイジルには自分が学校で一番人気のない生徒だという自覚がはっきりとあったからである。
(この項つづく)
おそらくドクター・ベイコンも、ベイジルの気まずそうなようすを見ているうちに、久しく忘れていた感情が呼び覚まされたのだろう。もう一度、書類を切り直して、語調を変えて話を始めた。
「といってもだね、今日はこのことで君を呼びにやらせたのではないんだよ。先週、君は土曜日にニューヨークへマチネーを観に行く許可を申し出ているね。デイヴィス先生がおっしゃるには、明日外出禁止が解かれるのは、本校創立以来、初なのではないかということだったよ」
「はい」
「良い前例とはならないんだが。ともかくニューヨークへ行くことを許可しよう。段取りがうまくいきさえすれば、の話なのだが。生憎この土曜日は、付き添いの先生のご都合が悪くてね」
ベイジルの口はあんぐりと空いた。「でも、ぼく、……あの、ドクター・ベイコン、二組が行くってこと聞いたんですけど。そのどちらかと一緒に行くわけにはいかないんですか?」
ドクター・ベイコンは書類全部にざっと目を通した。「あいにく、ひと組は君より少し上の学年の生徒たちだし、もうひとつの組はもう何週間も前に手はずがついてしまっているんだ」
「ダン先生と一緒に『クワッカー・ガール』を見に行くグループはどうなっているんですか」
「それがいま話したグループなんだ。彼らはもう準備万端整ったと思っているし、席もまとめて買ってあるんだよ」
不意にベイジルにも事態が飲み込めた。ベイジルの目に浮かんだ色に気がついたドクター・ベイコンは、あわてて言葉を続けた。
「ひょっとしたら私にもひとつ、できることがあるかもしれないな。生徒数名でグループを組めば、先生の費用を分担できるだろう? あとふたり見つけられたら、グループができるね。五時までにメンバー全員の名前を知らせてくれたら、ルーニー先生を君たちの引率者に任命しよう」
「どうもありがとうございます」ベイジルは言った。
ドクター・ベイコンはためらった。長年のうちに凝り固まってしまった皮肉な見方の奥底で、生得の気質がさわぎだしていた。この少年の抱える異例の問題を調べてみたい。いったいどうして彼が学校一の嫌われ者なのか。少年たちの間にも、また教師の間にも、彼に対する異様なまでの敵意が存在しているようだった。これまで生徒が起こしてきたさまざまな種類の問題行動を扱ってきたドクター・ベイコンではあったが、自分で調べても、また、信頼のおける六年生の助けを借りても、大元の原因をつかむことはできないでいた。おそらく原因は単独ではなく、さまざまな要因が組み合わさっているのだろう。おそらくそれは、いわゆる“性格の問題”という、とらえどころのないものなのかもしれない。だが、初めてこの子に会ったときには、めったにみないほど、魅力的な少年だと思ったのだ。
ドクター・ベイコンはため息をもらした。こうした問題は、おのずと解決する場合もある。彼は拙速にことを行うような人間ではなかった。「来月はもっと良い成績を家に報告できるようにしようね、ベイジル」
「はい、ドクター」
ベイジルは急いで階段を駆け下り、娯楽室へ向かった。今日は水曜日で、生徒のほとんどは、イーストチェスター村へ行ってしまっていた。外出禁止を喰らっていたベイジルは、一緒に行けなかったのだ。ビリヤード台やピアノのあたりにたむろしている数人の生徒を見るうちに、自分と一緒に行ってくれる生徒を見つけるのはむずかしいだろうという気がしてきた。というのも、ベイジルには自分が学校で一番人気のない生徒だという自覚がはっきりとあったからである。
(この項つづく)
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