陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ものを贈る話(その6)

2006-08-10 22:54:35 | 
6.もうすこし『蜆』を考えてみる

まず最初に「男」が「僕」に外套をやったのはなぜか?
それは、「善いことを行え」と自分に命じていたからだ。「善いこと」を行おうと考えている男の目の前に、寒さに震えている「僕」がいたから、外套を「贈り物」とした。
なぜ外套を「贈る」ことが善いことなのか?
それは、経済活動としての物々交換なら、利益を目指すものであるけれど、見ず知らずの人間に一方的に贈ることは、利益を度外視した行為であるからだ。

加えて、「贈り物」にはこれまで見てきたように、ひとつの法則がある。与えることが難しければ難しいほど、贈り物の価値が高くなるということだ(『若草物語』の朝食と、『夕鶴』の最後の布を比較にもあきらかなように)。

さらに、ここからもうひとつ法則が見えてくる。
利益を求めての交換は、たくさんあるときの「余ったもの」である(たとえば、フリーマーケットに出品されるのは、どれも「いらないもの」だ)。
それに対して「贈り物」は、与えるのが難しいとき、つまり、ものが少ししかないときなのだ。
『バッタと鈴虫』でも、虫はほとんどいなかった。『賢者の贈り物』でも、『若草物語』でも、『夕鶴』でも、登場人物たちはみな貧しい。なけなしのなかから、できるだけの「贈り物」をしようとしている。

もちろん、この『蜆』でも、外套はこれ一枚しかないし、男は職を失ったばかりである。
寒い中、自分の必需品でもある「外套」を贈るということは、男にとってありったけの「気まえの良さ」を見せる行為だったのだ

「僕」のほうは、外套をもらったけれど、ありがとう、とも言わない。
「僕」は男から酒をなぜ飲むのか、と聞かれて、こう答える。

「俺は退屈だからよ」と僕は答えた。
「退屈だとお前は飲むのか」と男が聞き返した。
「そうだよ」
「何故退屈するんだ」
「偽者ばかりが世の中にいるからだよ」と僕は答えた。「俺はにせものを見ていることが、退屈なんだ。だから酔いたいのだ。酔いだけは偽りないからな。酔っている間だけは退屈しないよ。お前もどういう積りで外套をくれたのか知らないが、お前も相当な偽物らしいな全く」

この「僕」は、これまでの「贈り物」で見た中ではイレギュラーな存在である。感謝もしない。お返しをしようとも思わない。相手から負い目も負わない。
つまり、あまり「贈られた」という意識を持っていないのである。「僕」にとってこの外套、というより、「贈られた」ということが「にせもの」なのである。だから、自分のもの、とも思っていないし、「男」がむりやり取り返しに来ても、抵抗をやめてしまう。

だが、男の方はどうして追い剥ぎのような真似をしたのだろう。
自分にはどうしても必要だから返して欲しい、と言えばすむはなしなのに。

「善い人間でありたい」と願う男は、「善い人間である」というプライドを持っていた。そうしてそのプライドゆえに、不正もしなかったのだ。そのプライドは、いったん贈ったものを「返してくれ」ということを妨げたのである。
プライドは曲げられない。
外套なしではいられない。となると、どうしたらいいか。
膝を屈するくらいなら、奪った方がまし、と、極端な飛躍を男はすることになる。

けれども、いったん自分が「贈ったもの」は、「もの」としての価値を離れてしまう。「贈り物」には不思議な性格があるのだ。

『ハムレット』にはこんな場面がある。狂気を装うハムレットのところに、オフィーリアがこれまでにもらった贈り物を返しに来るのだ。

オフィーリア あの、いただいたものを、ここに。まえからおかえし申し上げようと思って。どうぞ、お受けとりあそばして。
ハムレット いや、それはできぬ。何もやったおぼえはない。
オフィーリア なぜそのような。よくごぞんじのはず。やさしいお言葉があればこそ、その香が失せましたからには、もうほしゅうはありませぬ。くださったお方のお気もちが変れば、どんな贈り物も蝋細工同然、心の正しい女なら。本当に、ハムレット様。
福田恆存訳 新潮文庫

「贈り物」は「物」でありながら、「物」ではなくなっている。相手の気持ちを、さらにいえば、相手の一部を含む特別な「もの」となっているのだ。

そうして、贈られた相手がその「もの」を持っていることにも、特別の意味が加わる。
オフィーリアの手を経て、戻ってきた宝石には、オフィーリアの一部が含まれている。だからこそ、ハムレットはそんなものを受け取ることはできないのである。

また『蜆』に戻る。
外套は男の手に戻った。けれども、その外套は、二重の意味でもとのものとは変わってしまっていた。
外套そのものがふたりのあいだを行き来したことで同じものではなくなってしまったこと。
男のプライドは同じでも、行為が「贈ること」から「奪うこと」の両極端に変わってしまったこと。

そうして、男は自分のプライドなど何の意味もないと思う事態に遭遇するのだが、「贈り物」とは関係がないので端折る。

『蜆』では最後に外套が売り払われる。
そのことの意味を明日は考えてみたい。

(すいません、「蕩尽」まで行きませんでした。ということで、なんとか明日はそこまでいってみます)


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