陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

シャーリー・ジャクスン 「野蛮人との生活」 その1.

2012-07-26 23:07:48 | 翻訳
ずっと忙しかったのですが、なんとかそれも終わったので、少し楽しいものの翻訳でもやろうかと思います。

シャーリー・ジャクスンの "Life Among the Savages" の第一部を訳せるところまで訳していこうと思っています。以前訳した 「チャールズ」は、この中の一部でもあります。
もちろんフィクションではありますが、「くじ」のジャクスンの日常を垣間見ることのできる、楽しい作品です。

なるべくがんばって毎日訳そうとは思いますが、まあなにぶんたらたらと少しずつ訳していくので、ときどきのぞきに来てみてください。





"Life Among the Savages" (野蛮人との生活)

by Shirley Jackson




第一部


 わたしたちの家は、古く、騒々しく、あふれかえっている。ここに引っ越してきたとき、わたしたちは子供ふたりと約五千冊の本を抱えていた。そのうち何もかもがあふれだしてもう一度引っ越しを余儀なくされる頃には、子供二十人と軽く五十万冊を超える本を抱えているにちがいない。そのほかにも、大小さまざまなベッドがあるし、テーブルに椅子、木馬、電灯、お人形のドレスや船の模型、絵筆、それから比喩ではなく、言葉通りに何千という靴下がある。

これこそが、夫とわたしがうかうかとはまりこんでしまった生活なのである。言ってみれば、井戸に落っこちたけれど、そこから出る方法がないというので、覚悟を決めてそこに腰を落ち着けることにして、椅子やつくえや明かりの案配をしたようなものだ。

そうは言っても、これこそがわたしたちの生活であり、それ以外の生活というのをわたしたちは知らない。面食らうこともしょっちゅうだし、ある種の人たち、真っ暗な中でとっさに、いままさに自分が踏んづけようとしているのが、こわれたセルロイドの人形であると鮮明に察知する能力をもたない人たちから見たら、理解を絶するような生活とさえ言えるのかもしれないのだが。

わたしには、いま以上に好ましい生活など、考えてみることすらできない。子供と本がなく、ホテル暮らしで掃除洗濯をやってもらい、食事も運んでくれて、やることといったらソファに寝そべるだけ……といった生活を除けば、の話だが(わたしにはこれ以上の生活は、想像することすらできない)。とはいえ、この境地に達するまでには数限りないほどの妥協を余儀なくされてきたのである。

 ときにわたしは居間にある雑多なもの、サンドウィッチの袋やこまごまとしたものを見渡して、わたしたちを取り巻く文明の複雑なことに、ほとほとあきれてしまうのだ。こうしたものを一切合切片付けてしまって、必要なもの(コーヒーポット、タイプライター、必要不可欠なこまごまとしたもの)だけに減らしてしまえば、ずいぶんすっきりするのではあるまいか。そこで――たいてい春にそういうことを始めるのだが――わたしはさまざまなものを捨て出す。すると、そうしたこまごまとしたものがなくても、十分居心地よく暮らしていけることが判明するのだが、ほとんどそれと同時に新しいこまごまとしたものが出現するのである。これがいわゆる進歩なのではあるまいか。こまごまとしたものは新しくどんどんと作りだされてゆく。なくなってしまうより早くはないかもしれないが、少なくともわたしが捨てるよりは速やかに。


 ずいぶん前のことではあるが、わたしはその朝のことをよく覚えている。家主が電話をかけてきた日のことだ。

息子のローリーは三歳半、娘のジャニーは六ヶ月で、わたしは昼食の支度をあらかた終え、おむつも洗って、小さなシャツやねまきやよだれかけや綿毛布と並んで、風にはためいているところだった(人になんと言われようがかまうものか。これこそ朝の仕事、というものである。そのほかにもブラウニーを焼き、灰皿を空けたことも考慮に入れれば)。そうしてそのときに、大家からの電話があったのだ。


(この項つづく)





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