2.濡れ衣は何のため?
濡れ衣というのは、字面を見ていると大変具体的な言葉なのだが、もともと文字通りの濡れた衣(ころも)、つまり濡れた服のことだったらしい。
「神話の森」というサイトの「濡衣塚」というページを見ると、その「語源」と思われる伝説があげてある。
筑前守佐野近世の娘である春姫は、継母に「漁師の浜衣を盗んだ」という罪をでっち上げられ、父親によって斬り殺される。霊が泣いて無実を訴えたことから、父親は自分のしでかしたことを悔いて、出家し、「濡れ衣塚」を作って弔った。
これが語源なのか、言葉から逆に生まれた伝説なのかはわたしにはよくわからないのだが、この伝説には、いわゆる「濡れ衣」の構造がよく現れている。
つまり、ある人物Aが、よこしまな意図のもと、Bに罪を着せる。Bは自分の無実を訴えるがCはそれを聞き入れず、Bを断罪する。やがてBの無実があきらかになり、Cは深く悔い改める、というのが、「濡れ衣」なのである。
この構造が端的に現れている作品というと、シェイクスピアの戯曲『オセロー』だろう。
イアーゴーは将軍であるオセロに使える旗手である。ところがオセローは副官に自分ではなくキャシオーを任命したことに腹を立て、キャシオーの地位を奪い、オセローに対しては恨みを晴らそうと考える。オセロの妻、デズデモーナとキャシオーの仲をオセローに讒言するのである。証拠まである。オセローがデズデモーナに与えたハンカチを盗み、キャシオーの部屋に置いておくのである。
こうしてデズデモーナはオセローの手にかかる。
だが、優しいデズデモーナは、やってきたエミリアに対して、これは自分でやったこと、と、オセローを庇うことすらするのである。
このタイプの物語では、『ごんぎつね』で栗や松茸を兵十の家に届けたところを、悪さに来たと濡れ衣をかけられ撃ち殺されたごんも、『フランダースの犬』で、風車小屋の放火犯の濡れ衣をかけられたネロも、そうしてこのデズデモーナも、濡れ衣をかけられても自分では晴らすことができず、結局は彼らは死に、死んだのちに彼らの潔白があきらかになるのだ。死に至らしめた人びとは深く後悔することになる。
こうした濡れ衣をかけられる人びと(ごんは狐だが、擬人化がなされているので、一応人間のカテゴリに入れておく)は、あくまでも潔白であるだけでなく、あまりに無垢で、純真であるために、自分を守ることすらできない。単に純真・無垢であるだけでなく、彼らに対する攻撃を誘発させかねない一種の脆弱性を持っているともいえる。ここでは「濡れ衣」は、彼らのそうした脆弱性をあらわにする働きを持っている、とまとめておこう。
明日は、ここまでおとなしくない、自分から濡れ衣を晴らそうとする人びとのことを見てみよう。
(この項つづく)
濡れ衣というのは、字面を見ていると大変具体的な言葉なのだが、もともと文字通りの濡れた衣(ころも)、つまり濡れた服のことだったらしい。
「神話の森」というサイトの「濡衣塚」というページを見ると、その「語源」と思われる伝説があげてある。
筑前守佐野近世の娘である春姫は、継母に「漁師の浜衣を盗んだ」という罪をでっち上げられ、父親によって斬り殺される。霊が泣いて無実を訴えたことから、父親は自分のしでかしたことを悔いて、出家し、「濡れ衣塚」を作って弔った。
これが語源なのか、言葉から逆に生まれた伝説なのかはわたしにはよくわからないのだが、この伝説には、いわゆる「濡れ衣」の構造がよく現れている。
つまり、ある人物Aが、よこしまな意図のもと、Bに罪を着せる。Bは自分の無実を訴えるがCはそれを聞き入れず、Bを断罪する。やがてBの無実があきらかになり、Cは深く悔い改める、というのが、「濡れ衣」なのである。
この構造が端的に現れている作品というと、シェイクスピアの戯曲『オセロー』だろう。
イアーゴーは将軍であるオセロに使える旗手である。ところがオセローは副官に自分ではなくキャシオーを任命したことに腹を立て、キャシオーの地位を奪い、オセローに対しては恨みを晴らそうと考える。オセロの妻、デズデモーナとキャシオーの仲をオセローに讒言するのである。証拠まである。オセローがデズデモーナに与えたハンカチを盗み、キャシオーの部屋に置いておくのである。
オセロー おれは見たのだ、やつがあのハンカチを手にしているのを。
ええい、この嘘つきめが! おれの心を石にする気か。
生贄を捧げるつもりでいるこのおれを。
ただの人殺しにしようというのか。おれは見たのだ、
あのハンカチを。
デズデモーナ それはあの人が拾ったのでしょう。
私がさしあげたのではありません。ここに呼んで、
ほんとうのことをお聞きください。
オセロー もう聞いた。
デズデモーナ なにをです?
オセロー おまえを思いどおりにしたと。
デズデモーナ え、不義を犯したとでも?
オセロー そうだ。
デズデモーナ そんなこと言うはずはありません。
オセロー もう口がきけぬからな。
忠実なイアーゴーが万事片をつけてくれた。(シェイクスピア『オセロー』小田嶋雄志訳 白水Uブックス)
こうしてデズデモーナはオセローの手にかかる。
だが、優しいデズデモーナは、やってきたエミリアに対して、これは自分でやったこと、と、オセローを庇うことすらするのである。
このタイプの物語では、『ごんぎつね』で栗や松茸を兵十の家に届けたところを、悪さに来たと濡れ衣をかけられ撃ち殺されたごんも、『フランダースの犬』で、風車小屋の放火犯の濡れ衣をかけられたネロも、そうしてこのデズデモーナも、濡れ衣をかけられても自分では晴らすことができず、結局は彼らは死に、死んだのちに彼らの潔白があきらかになるのだ。死に至らしめた人びとは深く後悔することになる。
こうした濡れ衣をかけられる人びと(ごんは狐だが、擬人化がなされているので、一応人間のカテゴリに入れておく)は、あくまでも潔白であるだけでなく、あまりに無垢で、純真であるために、自分を守ることすらできない。単に純真・無垢であるだけでなく、彼らに対する攻撃を誘発させかねない一種の脆弱性を持っているともいえる。ここでは「濡れ衣」は、彼らのそうした脆弱性をあらわにする働きを持っている、とまとめておこう。
明日は、ここまでおとなしくない、自分から濡れ衣を晴らそうとする人びとのことを見てみよう。
(この項つづく)
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