陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

意思と恩返し

2009-09-30 23:32:28 | 
引き続き、「意思」の話。

あなたは意思が強いですか、と聞かれたら何と答えるだろう。
あのとき自分はああしたから、意思が強いと言えるな。
仮に、こんな情況であれば、自分はどうするだろうか。そういう自分は意思が強いといえるだろうか……。
おそらくわたしたちはそんなとき、過去、実際に自分が取った行動や、起こりうる場面で自分がどうするかを想像して、結論を出すだろう。

では、どういう行動が「意思による」行動なのだろうか。

菊池寛の短篇に「恩を返す話」というものがある。

主人公の甚兵衛は島原の乱で戦った際に、敵の一撃を受けて昏倒してしまう。そのとき彼は、兵法の同門である惣八郎に命を助けられる。

甚兵衛と惣八郎はかねてよりライバルだった。奉納試合で一度、甚兵衛が負け、その雪辱を晴らそうとしても、惣八郎は手合わせを避けていた。そのことから甚兵衛は惣八郎に助けられるくらいなら、殺された方がましだ、と思っていた。

その屈辱はいかにして晴らすことができるだろうか。自分が受けた恩を、返してやればいいのだ。そう考えた甚兵衛は、何とか惣八郎に恩を返そうと、そのことのみを考えるようになる。

ところがその機会は訪れないまま、二十六年が過ぎた。そのとき、藩の家老から甚兵衛に対して惣八郎を討てという命令が下される。上意討ちの命が下されるのは大変な名誉である。そうして、何よりも、彼が待ち望んだ「恩を返す機会」がついに訪れたのである。

どうやれば恩を返すことができるか。
彼はさんざん迷ったあげく、惣八郎に、藩を捨てよ、逃げよ、と手紙を送る。そうして惣八郎の家に向かう。

ところが惣八郎は切腹の用意をして待っており、甚兵衛に介錯を頼むのである。
 甚兵衛は茫然として立ち上り、茫然として刀を振った。
 しかし、打ち落した首を見ていると、憎悪の心がむらむらと湧いた。報恩の最後の機会を、惣八郎のために無残にも踏み躙られたのだと、甚兵衛は思った。

甚兵衛は、主君にも背かず、友人を切腹させることで友人の名誉をも守った、として、たいそう高い評価を周囲から受け、しかも五十石の加増までも受けた。「彼はその五十石を、惣八郎から受けた新しい恩として死ぬまで苦悶の種とした。」という。

菊池寛は、最後に惣八郎の覚え書きを書き添えて、惣八郎の側は、かつて甚兵衛を助けたことなど、恩を施したつもりはまったくなかったことを明らかにする。恩を感じていたのは、甚兵衛の側ばかりだったのである。

さて、ここで「意思」である。
甚兵衛は何とかして恩を返したい、という「意思」を抱いていた。だが、その意思は、行動となって結実したのだろうか? 甚兵衛自身は、恩を返すことができなかった、と死ぬまで苦悶する。だが、現実には彼は行動していたのである。彼の行動は、惣八郎を助けるものだった。周囲はその行動を友情によるものと評価した。甚兵衛は惣八郎の名誉を救うことなどまったく考えていなかったのだが、彼の行動は、そうしたものとして、高い評価を得た。

ここからふたつのことがわかってくる。
ひとつは、意思が行動を起こさせるわけではないということ。そうしてもうひとつは、行動となってあらわれないかぎり、周囲からは意思とみなされないということである。

「わたしは意志が弱い」という人がいる。
そういう人に理由を聞いてみると、勉強しようと思ってもできないし、初めても三日坊主で終わってしまうから、という。
けれども、一週間後に試験があって、仮に60点を取らなければ学校をやめさせる、というのっぴきならない事情があれば、その人は意思の強弱にかかわらず、必死でやることだろう。
なにもそのような条件がなくても、毎日勉強できる人というのは、意思とは別の理由でそれが可能なだけなのである。

意思は、人に何もさせることはない。人に行動を起こさせるのは、その人の周囲がその人にそうさせるからなのだ。


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