陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

シャーリー・ジャクスン 「くじ」を語る その2.

2010-10-15 23:11:21 | 翻訳
その2.

ただ、編集者は一箇所、訂正するように言ってきました。物語のなかでふれられる日付を、作品が掲載される号の発行日に変えることはできないか、というのです。わたしは、かまいませんとも、と答えました。

それから彼は、先生はこの作品について独自の見解といったものをお持ちでしょうか、と、ためらいがちに聞いてきました。当時、「ニューヨーカー」の編集長だったハロルド・ロス氏も、この作品を完全に理解しているかどうか、確信が持てずにいる、というのです。そこでわたしに、この作品についてさらに詳しく解説してもらうことはできないか、と持ちかけてきたのです。わたしは、お断りします、とだけ答えました。

編集者によれば、ロス氏は、この作品に頭を悩ませる読者が出てくるかもしれないと考えているようでした。さらに、ままあることなのだそうですが、誰かが内容について、雑誌社に電話で問い合わせたり、手紙を寄越したりするかもしれない、そのとき、これだけは言っておきたいという点があるか、と重ねて聞いてきました。いいえ、特にありません、とわたしは答えました。これはわたしが書いた、ただの物語なのですから、と。

 わたしにはその言葉以上、何の心づもりもしていませんでした。毎日、郵便物を取りに行き、娘を乗せた乳母車を押して坂を昇ったり降りたりし、「ニューヨーカー」から届くはずの小切手を楽しみにし、食料品の買い出しに出かけました。天気の良い日はなおも続き、すばらしい夏になりそうでした。そうして6月28日、わたしの作品を掲載した「ニューヨーカー」が発売されたのです。

 幕開けはごく穏やかなものでした。「ニューヨーカー」で働く友人から手紙が来たのです。彼は「あなたの作品は、社の内外で、ちょっとした騒ぎを引き起こしているみたいです」と書いていました。わたしはうれしくなりました。友だちが自分の書いたものに注目してくれるなんて、と思うと、気分が良かったのです。

その日、手紙のあとで「ニューヨーカー」の編集者も電話をくれました。作品について数人の読者が電話を寄越してきた、これから先、もし同様の電話があった場合、作者として伝えておかなければならない点はないか、と聞いてくるのです。ありません、とわたしは言いました。ただの物語にすぎないのですから、と。

 さらに別の友だちから来た不思議な手紙は、わたしをいっそうとまどわせるものでした。「今朝、バスの中で、あなたの作品のことを話している男性がいました」と彼女は書いていました。「なんてステキなこと。わたしはその人に、作者を知ってるんですよ、と言おうかと思いました。でも、その人の話の中身を聞いてしまってからは、何も言わなくて良かった、と思いました」


(この項つづく)