陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

シャーリー・ジャクスン 「くじ」を語る その5.

2010-10-19 22:10:26 | 翻訳
その5.


【イギリス】 申し訳ありませんが、わたしには年に一度、人身御供を選び出すような国があることを想定することができません。率直に言わせていただきますが、合衆国といえど、そのようなことが起こりうるとは、信じられません。少なくとも、リンチを生業とするような法人組織や、全米葬儀社連合といった強力な組織がスポンサーなしには。わたしはかつてラオス(インドシナ)中央部のある原始的部族から、赤ん坊を供物として捧げられたことがありますが。通訳(中国人)は、わたしがその赤ん坊を殺して、血に対する欲望を満足させ、ほかの部族民に対しては、手出しをしないよう、ということだと教えてくれました。どうか合衆国では決してそのようなことが起こっていませんように。


 さきほども述べたように、もしこれが一般読者のサンプルだとしたら、わたしは執筆などとうにやめていたでしょう。当時、わたしは日に十通から十二通の手紙を家に持ち帰り、「ニューヨーカー」から週に一度、小包が届いていたのですが、その中に一通、ほかのどの手紙にも増して、わたしを悩ませた手紙がありました。

それはカリフォルニアから来た手紙で、ごく短い、楽しげでざっくばらんな調子で書かれていました。差出人は、自分の名前や評判は、当然わたしも知っているものと思っているようでしたが、わたしにはその名前に心当たりがなかったのです。返事を書く前に、何とかその人を思い出そうと、数日頭を悩ませました。名前を思い出しかけては、するっと滑り落ちてしまうのは、どんなときでもいらだたしいものですから。

おそらく最近この人の本を読んだか、書評を読んだかしたのだろう。それとも雑誌の最新号で小説を読んだのかもしれない。もしかしたら――そもそもわたしはカリフォルニア出身ですから――高校の同窓生じゃないかしら、と。ともかく返事は書かなければなりませんから、何か当たり障りのない外交辞令を並べておくことにしました。

返事を出して数日が過ぎたある日のこと、わたしと同じく、カリフォルニア出身の友人が数人、遊びに来ました。そうして、その頃、誰もがわたしに聞いてきた質問をしたのです――最近、どんな手紙をもらった?

そこでわたしは例の、どうしても思い出せない謎の差出人の手紙を見せました。みんなが、あら、まあ、と言います。あなた、ほんとうにこの人から手紙をもらったの? と。

誰か教えて、と、のどから手が出そうな勢いでわたしは聞きました。この人はいったい誰なの?

あらあら、どうしてこの人のことが忘れられるのよ。もう何週間も、カリフォルニア中の新聞に載ってたじゃない。それに、ニューヨークの新聞にだって。

その彼は、妻を斧で斬殺したあげく、かろうじて謀殺罪だけはまぬがれた人物だったのです。冷汗が背筋を伝わるのをはっきりと感じながら、わたしは彼に出した手紙のカーボンコピーを探しに行きました。

「わたしの作品に好意的な手紙をくださってどうもありがとうございます」とわたしは書いていました。「あなたのお仕事も、大変にすばらしいものと尊敬しております」と。


 

 

(この項つづく)