陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

シャーリー・ジャクスン 「くじ」を語る 最終回

2010-10-27 21:42:36 | 翻訳
その7.

 飛び抜けて強硬な手紙を書いてきたのは、好きなだけ罵詈雑言を浴びせることができるチャンスに飛びついた人たちです。まあ、こうした書き手の動機をわざわざ解明してみようとは思いませんし、そんなことが可能であったとしても、単に小説を書いているだけの他人に向かって胸が悪くなるような手紙を出す手合いに対しては、言うべき言葉もありません。ここでは彼らの見解の一部を紹介するだけにとどめましょう。
【カナダ】 ミス・ジャクスンに、カナダに入国するな、と伝えてください。

【ニューヨーク】 作家みずからによる謝罪を要求したい。

【マサチューセッツ】 どうやら「サタデー・イブニング・ポスト」に切り換える潮時らしいですね。

【マサチューセッツ】 これから先、決して「ニューヨーカー」は買わないことにします。『くじ』のような邪悪な小説を、策略に引っかかって読まされたことについて、大変な憤りを感じています。

【コネティカット】 シャーリー・ジャクスンって誰だ? 天才なのか、オーソン・ウェルズの陰険な女版なのか、判断がつかない。

【ニューヨーク】 私たちは、高等教育を受け、教養ある階層の一員であると考えていますが、文学の真実性に対する信頼の一切が、消え失せてしまいました。

【ミネソタ】 「ニューヨーカー」に掲載されるような小説に抗議をするとは、夢にも思っていなかった。だが、編集部のみなさん、ほんとうに『くじ』は、信じがたいほど悪趣味である。私はこれを湯船に浸かって読んだのだが、自分の頭をそのまま沈めて、何もかも終わりにしてしまいたくなった。

【カリフォルニア】 ある世界的に高名な人類学者から】 作者の意図が、象徴化によって完膚なきまでに人を迷わし、さらにいわれのない不快感を与えることにあるのだとすれば、確かに女史は成功していると言えよう。

【ジョージア】 「ニューヨーカー」の発行部数を考えると、この作品はあまりに少数の読者だけを対象としてないでしょうか。

【カリフォルニア】 『くじ』を楽しんだ者もいましたが、それ以外はみんな、ただただ腹を立てていました。

【ミシガン】 確かに現代風ではある。

【カリフォルニア】 こんな作品を読むにつけ、貴誌が「リーダーズ・ダイジェスト」ほど人気がなく、海外でも発行されている雑誌でなくて良かったと思います。ドイツやロシアや日本の現実主義者さえも、アメリカ人にくらべれば、自分のことを純粋だと思うにちがいありません。内輪の恥はさらけ出すな、という古くからの格言は、おそらく当代ではすっかり時代遅れのものになってしまったのでしょう。いずれにせよ、この作品を読んで、来年からはもう貴誌の講読をしないことに決めました。

【イリノイ】 最大級のお世辞を言ったとしても、『くじ』は好きになれないという以上のことは言えません。

【ミズーリ】 この作品を送ってきたとき、おそらく作者はどこでこんなことが起こったかとか、こうした状況が確かに存在しうるという証拠を同封したにちがいない。そうであるなら、読者にはその証拠の一部を見る権利があるのではないか。もしそうでないなら、故意に人間性に対する虚偽の叙述をした咎により、読者は編集部を告訴する権利がある。おそらく編集者諸氏は、人間の邪悪さの最低値を新たに提示する作品を掲載したことを、得意がっているにちがいない。だが、諸氏が悪に心を奪われた結果、人びとを悪しき道に迷い込ませたのであるから、証拠を開示する責任も諸氏にあると考える。こんな作品をあと数回掲載するつもりなら、諸氏は最も熱心な読者層――つい先日まで私もそこに含まれていた――にも離反されるだろう。

【ニューハンプシャー】 『くじ』という作品には、非常に失望させられた。この類の話は「エスクァイア」あたりにこそふさわしいもので、「ニューヨーカー」らしさとは無縁のものである。

【マサチューセッツ】 この話の結末は、妻にひどい衝撃を与え、実際、読後一日、二日というものは、この話の何から何までが、腹が立ってしょうがないようでした。

【ニューヨーク】 隅から隅まで読んだのですが、正直言って、何の事やら皆目わかりませんでした。話はおぞましいし、読後感は陰々滅々、こんなものを掲載する意図がわかりません。

 さて、ここでイリノイから来た手紙の全文を読んでみましょう。
編集長殿

 私はこれまで、貴誌六月号に掲載されたような、巧妙にして邪悪な作品を読んだことがありません。この作品が、私がこれまで高く評価してきた雑誌の編集者の好みを反映しているのだとすると、アメリカ文学のこれからはいったいどうなってしまうのでしょう。この作品を掲載することにした背景に、一体どのようなお考えがあったのか、不思議でしょうがありません。どう考えても読者を楽しませるようなものではないし、だとしたら、そこにどのような意図があったのか。

確かに作品の中に、天才的なひらめきがあることは明かですが、ただそれはおぞましい奇形を創り出す、よこしまな才能です。貴誌は、こうした低俗なものを選ぶことによって、読者の信頼を裏切りました。読者は気がつかないうちに村人たちの日常会話に引き込まれ、徐々に高まっていく緊張を感じるだけです。そうして読者は、熟練した手際で念入りに作り込まれた結末に衝撃を受け、作品全体に対する吐き気と、こんなものを掲載するような雑誌に対する不信の念とともに残されるのです。

 私は自分自身が経験した感覚をもとに、これを書いています。この感覚が貴誌の読者の大多数を占めるものでないのであれば、私の推測も的はずれになってしまいますが。倫理や人格を高めることなど、貴誌の関知するところではないのでしょうし、また、期待されてもいないのでしょうが、編集に携わる者として、『くじ』のような作品を受け入れないためにも、健全かつ良識的な採用基準を設ける必要があると感じます。

 これまで私は「ニューヨーカー」に対して、株主のような誇りを持って接してきました。ほかの私有物同様、友人とともにこの雑誌を分かち合い、何よりも楽しんできました。ところがこの最新号が届き、茶色の包装紙を取ろうとしたとき、私はいまだかつて味わったことのない嫌悪感がこみあげ、手が動かなくなり、とうとうその号はくずかごへ直行することになりました。これから先、新たに興味を抱くようなことはもうないでしょう。毎週読者を不快にさせるあなたがたのご尽力を無駄にしないためにも、即座に講読をやめさせてください。


さらにもう一通、これはインディアナ州から来た手紙です。
拝啓

 最新号では胸がむかつくような、小説らしさのかけらもない話を読ませてくれて、どうもありがとう。たぶんあれは外国の話のほんやくですよね。

 ひっこししやらなんやらで数週遅れたんだけど、幸か不幸かあんたたちの雑誌も、つづりと句読点の位置を最初から最後までひとつもまちがえなかったジャクスン女史も、私たちに追いついたんです。

 おそらくあの人の話を読んで、編集のあんたたちも、幸せな子供のころのことを思い出したんでしょう? そうと思うと、私たち、うれしくなります。あのころは、水面を跳ねさせるのにもってこいの石を、うちの年取った婆さんに投げても良かったから。もちろん理由なんてない、ただ、村の郵便局長が親切に持たせてくれたとか、丸々とした指先でさわるのがすべすべと気持ちよかった、ってだけで。

 別にジャクスン女史のとてつもなく明晰な文体や、ジャーナリストみたいな観察力に、文句が言いたいわけじゃないんです。あと、この田舎の投石者たちが体現しているはっきりした主題とか、どうやら私たちが途中で読み落としたらしい、ほのめかしだとか含みだとかに文句をつけてるんでもない。

 ただ、おれたち、これを読んだのは、食後じゃなくて、食前だったんです。おれたちはいまみんなして頭をつきあわせて、親切な隣の人の頭を、電動泡立て器の中に突っこむ話を書いているところです。隣の人のもつれた頭がほどけたところで、同じもの、送りますね。きっとこれは「ニューヨーカー」の大勢の読者をクスクス笑わせたり、そうでなかったとしても、少なくともお高くとまった連中をひそかに興奮させてやることができると思います。それに、うちのかみさんとおれが、庭のすべすべした丸っこい石を集めて、隅っこに小さなピラミッドみたいに、きれいに積み上げてるところなんです。これを知ったら、きっとあなたたちにも喜んでもらえるんじゃないかと思って。おれたち、そんなことをするぐらい、感じやすいんです。


 最後に紹介する手紙については、わたしはこれまで何度も悪ふざけではないのかと疑ってきたものです。『くじ』にまつわる手紙の中では、わたしの大のお気に入りなので、悪ふざけでなければ良いとは思っているのですが、絶対にそうではないとは言い切れません。この手紙の宛先は「ニューヨーカー」で、発信はロスアンジェルス。ありがちなことですが、鉛筆書き、ノートを破った、罫の入った紙に書かれています。つづりもめちゃくちゃです。
拝啓

 昨日、ロスアンジェルス駅で、6月26日付けの貴誌を入手しました。私は毎号欠かさず貴誌を読むという類の読者ではありませんが、今号は家へ持ち帰り、家族に見せたところ、あなた方は率直に読者に語りかけているという私の意見に、みんな賛成してくれました。

 私の叔母さんのエリースも、「崇高なる回転者」教団の巫女になるまえは、よく話を聞かせてくれていましたが、ちょうどシャーリー・ジャクスンが書いた『くじ』そっくりの話でした。ミス・ジャクスンが「崇高なる回転者」教団の信者かどうか、私にはわかりませんが、丸い石のことを書いているので、そう考えてまちがいないでしょう。ただ、彼女のお告げのいくつかについては、エリース叔母も私も賛同しかねます。

「崇高なる回転者」はくじ引きの箱なんて真じないし、お告げが実現するときは、救いの光による正しい福音がみんなに受け入れられるだろうと真じています。おそらく私たちは自分の罪の罰を受けることになるのだろうと思います。悪魔のおもちゃ(原子爆弾)による天罰の戦争で。贖罪のために人身御空を立てる必要があると、私は思いません。

 私たちの同胞は、ジャクスン嬢こそ真の預言者で、救いの光による真の福音のしとだと思います。つぎはいつ啓示を発表してくれるんですか。

魂の友

 わたしがこれまで投げかけられたありとあらゆる質問のなかで、いささかの躊躇もなく率直に答えられるのは、たったひとつだけです。この紳士の手紙の末尾に書かれた質問の答えです。つぎの啓示の発表はいつなのか。彼はそれを知りたがっているし、わたしは声を大にして答えます。二度とありません。わたしは永久に、くじ商売から足を洗ったのですから。






The End



※後日手を入れて、サイトにアップします。

風邪に罹って二日ほど遅くなってしまいました。
楽しみにしてくださった方、遅くなってごめんなさい。
また再開していきますので、どうぞよろしく。