陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

家の灯の向こう

2010-10-03 23:13:23 | weblog
最近では日の暮れるのもすっかり早くなり、ついこのあいだまで、帰り道でも遅い午後の陽射しがまぶしいほどだったのに、今日このごろになると「逢魔が時」という言葉がふさわしい暗さである。立ち並ぶ店の明かりがまぶしい駅前の通りならそんなこともないのだが、そこを外れ、住宅街の中に入っていくと、目の悪いわたしなど、コンタクトを入れていても向こうから声をかけられるまで、誰ともわからない。

子供の頃、こんな時間に外にいるときには、一刻も早く家に帰り着きたくて、足を急がせていたものだ。通い慣れた道なのに、植え込みが妙にくろぐろとして、昼間ならこちらに尻尾をふってくる犬が、威嚇するような声をあげて吠えかかる。角から不意に江戸川乱歩で読んだ怪人二十面相や黄金魔神が出てきそうで、足はますます早くなった。

少しでも近道しようと、家並みの裏手にあたる露地を急げば、勝手口の横はたいてい台所だ。魚を煮る匂い、大根の煮付け匂い、みそ汁の匂い。カレーの匂いにエビフライを揚げる匂い、焼き魚は魚の種類までわかる。換気扇からもれてくる匂いは、その家の晩ご飯の献立を教えてくれた。

だが、中学生になり、高校生になった頃は、そういう家から漏れる明かりが、次第にうとましくなっていた。明かりの中に入っていくと、さっそく、手を洗えだの勉強しろだの言われ、あとを追いかけるようにして、学校であったことを根堀り葉掘り問いつめられる。晩ご飯のにおいも、食卓を用意しているらしい食器のふれあう音も、暖かな窓の灯も、わたしには疎ましいばかりにしか思えなかった。

そのころ、わたしは授業中に本を読み、休憩時間に本を読み、学校帰りの電車の中で本を読み、家に帰って勉強するふりをして本を読んでいたが、「本を読むのが好き」というのとは、はるかに隔たったところにいた。

本を読んでいたのは、ただただ、自分がやらなければならないことや、母親の説教や愚痴や、わずらわしい友だちづきあいや、学校生活から逃げるためだった。ページをめくれば、そこにはわたしが送っている以外の生活があった。それがたとえ時代のうねりに翻弄される人びとの過酷な体験であっても、まったく華やかなことのない、地べたをはいずるような日々であっても、行き場のない思いを抱えることになっても、それはわたしの生活ではなかった。だからこそ、良かった。そうやってわたしはオーウェルを読み、ヘミングウェイを読み、ドストエフスキーを読み、アナトール・フランスを読み、コンラッドを読み、サン=テグジュペリを読み、カフカを読み、ジョイスを読んでいた。

だが、庄野潤三の短篇集を読んでいたのは、その同じ時期なのである。『静物』の、不思議な静けさに引かれ、『舞踏』の「家庭の危機というものは、台所の天窓にへばりついている守宮(やもり)のようなものだ」という書き出しは、トルストイの『アンナ・カレーニナ』の書き出し「幸福な家庭はみな似通っているが、不幸な家庭は不幸の相もさまざまである」よりカッコイイなあ、と思い、そうして何より好きだったのが、『プールサイド小景』だった。

だが、『プールサイド小景』は、簡単に言ってしまえば、昨日も今日も明日も、変わりばえしない生活こそを理想とする短篇なのである。というか、もう少し正確に言うと、登場人物たちは、それぞれに、それを理想とし、自分がいま手にしているかげろうのようなもろくもはかない生活が、一日も長く続いていくことを願っているのである。

夕方のひととき、学校のプールの情景から、物語の幕は開く。
水泳部のクラブ活動に余念のない生徒たちであふれるプールの片隅で、青木氏と子供たちは水遊びをしている。ふとしたきっかけで、青木氏は顧問の先生からその許可を取りつけたのである。

やがて水遊びを終えた三人は、迎えに来た犬を連れた夫人と一緒に帰っていく。一家四人の後ろ姿を見ながら、水泳部のコーチは、
(あれが本当に生活だな。生活らしい生活だな。夕食の前に、家族がプールで一泳ぎして帰ってゆくなんて……)
と見送るのである。

ところがこの「生活らしい生活」というのが、ちっともそんなものではないのだ。
ほんの数日前、青木氏は、会社をクビになった。それも、夫は女遊びがもとで、会社の金に手を出して、放り出された。新しい勤め口もなかなか見つからないのだが、反面、だからこそ、子供たちとこんなふうに遊んでいられるともいえる。妻の方は、もちろん夫が恋愛沙汰を起こした相手も気になるし、自分の存在とはなんだったのだろう、とも思う。けれども、そんなぎくしゃくとした思いをかかえながら、夫人はいつもどおりの生活を回していく。そうするうちに、やがてこのように思うのである。
(無事に帰ってきてくれさえすればいい。失業者だって何だって構わない。この家から離れないでいてくれたら……)
青木夫人がそんなことを思いながら、ガスに火をつけ、夕餉のしたくを始めるところでこの小説は終わるのだ。

当時、わたしはこの短篇の何ともいえない静けさが好きで、何度となく繰りかえして読んでいた。一方で、夕方になると通りに漏れてくる、台所の灯や、夕餉のにおいに、憎しみのような目を向けていたのに。

どうしてあの台所の明かりの向こうに、青木夫人と同じ不安を抱えて、それでもガスコンロの火をつける人がいる、と思わなかったのだろう。青木夫人が、必死ですがろうとしていたもの。それは「あたりまえの生活」だった。
たとえ生活のなかで、不意の事件が起こったとしても、食事の支度をし、掃除をし、洗濯をし、片づけるという生活の底を回しさえ続けていれば、いつもの生活がやがて戻ってくる、自分の幸せはそこにしかない、と考えていた。夫人同様に、何が起こっても、普段通りの生活さえ続けていけば、そのうち事態も落ち着く、静かな日々が戻ってくる、と信じて、懸命に「普段通り」を続けている人たちもいるのだ、と思わなかったのだろう。

わたしときたら、自分は絶対にあんな生活はすまい。英語を勉強して、日本を離れ、ヘミングウェイのように世界中を飛び回るのだ、と考えていた。波瀾万丈な人生。親から押しつけられる人生なんてごめんだ。人から与えられる幸福よりは、自分で選び取った不幸の方がどれほどましかわからない……。

まだ親の庇護の下にいたわたしは、「平穏な日々」がどういうものか、それを維持するためにどれだけのことをやらなくてはならないかを知らなかった。「あたりまえの生活」が送れることが、どれだけ贅沢なことなのかも知らなかった。

それでも、自分が何かをやる、ほんの少しでも何かやることが、南極点到達の記録を読むことより大変なことは知っていたのだ。だから何かをしなければならないことにひるみ、できないかもしれないと怯え、自分が立ちむかうことを日延べにしていた。始めるしかないのに。そうして、時が来て否応なく自分で立つしかなくなったとき、おそらくわたしの読書は逃避のための読書ではなくなっていたはずだ。

いまなら『プールサイド小景』という小説の「静けさ」が、緊張感に満ちたものであることがわかる。「あたりまえの生活」というのは、惰性によって営まれる生活ではない。青木氏の内には、そうしておそらく青木夫人の内にも、そんな家の灯に背を向けて、ひとり、プールではなく、海に舟を漕ぎだしかねない、荒々しい「自分」も棲みついていたにちがいない。そうした自分を解き放つのではなく、「あたりまえの生活」のなかにこそ、ほんとうの価値があるのだ、と納得させて、どんなときもそこから逃げず、それを続けていこうという覚悟なのである。

十代のわたしが引かれたのは、その緊張感だったのだろうし、それを思うと、ヘミングウェイやオーウェルを読みながら、この小説を同時に読んでいたとしても、さほど不思議はないようにも思えてくる。