陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ドアを開けた向こう ――描かれた家と部屋 (4) 

2006-12-10 22:36:14 | 
3.変貌する家

『グレート・ギャツビー』が書かれた1922年から78年が経過した1990年、同じロングアイランドを舞台に新たな小説が書かれた。翻訳書の帯をわたしはいまでも覚えている。

「グレート・ギャツビーの隣にゴッド・ファーザーが越してきた」

『ゴールド・コースト』というタイトルのネルソン・デミルの作品は、「家」小説として読むことができる。
ギャツビーが家を買い、『ゴールド・コースト』の語り手である弁護士ジョン・サッターが暮らし、そうしてマフィアのドン、フランク・ベラローサが越してきた「ゴールド・コースト」とはどんなところなのだろうか。
ここは掛値なしにアメリカじゅうで最高級の住宅地で、これにくらべれば、たとえばベヴァリーヒルズとかシェーカーハイツとかですら、おなじタイプの家がずらりと並ぶ建て売り住宅街に見えるほどだ。都会や郊外のセンスでいう住宅地ではなく、ニューヨーク州ロングアイランドにある植民地時代の村と大荘園の集合なのである。この一帯は、地元ではノースショア(北海岸)と呼ばれるが、全国的・世界的にはゴールド・コースト(黄金海岸)として知られている。もっとも不動産業者でさえもこの名を堂々と口に出して言うことはないのだけれど。
 ここは、古い金、古い家族、古い社会の美徳、それに、だれにここの土地を所有する資格があるかは言うには及ばず、どの候補者への投票なら許されるべきかについてまで、古い観念が支配する世界である。…その後に金を儲けて新しい住居が必要になった成金たち、いわゆるニューリッチも、この地域がどういうものか心得ているから、もとの所有者が不幸にも経済的に落ち目になって売りに出した大邸宅の前では、当然ながらおじけづいて尻ごみし、もっと気楽に暮らせる南海岸を選ぶ。…

 といっても、妻のスーザンとわたしが実際にスタンホープ屋敷の本邸に住んでいるわけではない。古典的装飾様式の花崗岩づくり、部屋数が五十もあるあんなばかでかい屋敷に住んだら、暖房費だけでも二月までに破産してしまう。わたしたちが住んでいるのは屋敷のゲストハウスだ。こちらは本邸にくらべればぐっとささやかな十五部屋の建物で、今世紀初頭にイギリスの領主邸スタイルにのっとって建てられたものである。このゲストハウスと、二百エーカーもある屋敷の全敷地のうちの十エーカーが、結婚プレゼントとして妻の両親から彼女に贈与されたものだ。
ネルソン・デミル『ゴールド・コースト』(上田公子訳 文藝春秋社)

二百エーカーの土地というと、約八十ヘクタール、同書巻末の訳者あとがきによると、動物園や不忍池をふくむ上野公園が総面積五十三ヘクタール、新宿御苑でも五十八ヘクタールなのだそうだ。それをはるかに凌ぐ敷地を個人が所有しているのである。
ところがそれだけ大きな屋敷になると、いくら一流法律事務所に勤務する辣腕弁護士である主人公にも維持するのは並大抵のことではない。固定資産税滞納金額は四十万ドルにのぼっている。
維持できなくなった住人たちは、屋敷を手放し、徐々にゴールド・コーストも様変わりしていく。そもそものスタンホープ屋敷の持ち主である妻の両親は、税金のために財産の多くを失ってしまった。
スタンホープ屋敷の隣、アルハンブラ邸が、イタリア系マフィアのフランク・ベラローサに渡ったのは、そういう時期だったのである。

やがて、妻との関係がうまくいかなくなった主人公は、この屋敷を出ることになる。そうして屋敷も税金の滞納がもとで、開発業者の手に渡り、敷地には三、四十軒の分譲住宅が建ち並び、本邸は日本人の保養所になるという。

フランク・ベラローサの住むアルハンブラ邸も、最終的には廃墟となる。
 ドライブウェーの突き当たりの車寄せには、噴水がまだ残ってはいるけれど、秋に排水するのを忘れたと見え、大理石にひびが入って、汚れた氷に満たされていた。車寄せの奧、かつてアルハンブラが建っていた場所は瓦礫の山田。赤い屋根瓦、白い漆喰、垂木、梁。ベラローサが言っていたように、ほんとうにあの大邸宅を全部ブルドーザーでぶっつぶしてしまったのだ。しかし、これが悪意から出たことなのか、それともたんに業者が高い無用の長物“白い象”を始末したかっただけなのか、わたしには知る由もない。

『ゴールド・コースト』を読んでわかるのは、家は決して容器でもステイタスを示す道具でもない、ということだ。そこで生きる人とともに実際に姿を変えていく、「生きられた場所」と言えるのだ。

もう少し、この家とそこに住む人の関連について見ていくことにしよう。

(この項つづく)