3.ピアノ・ウーマン
高校生になったばかりの頃、姉に連れられて「ピアノパブ」というところに行ったことがある。
姉の知り合いが出るから、ということで、わたしも連れられて行ったのだけれど、なぜ高校生であるわたしを同伴に選んだのか、何か理由があったような気がするのだけれど、いまはもうすっかり忘れてしまった。ともかく、タータンチェックの巻きスカートをはいていたら、そんな子供っぽいカッコはやめてよ、補導されるから、と文句を言われて着替えさせられた。くれぐれも遅くならないようにね、駅についたら電話するのよ、とやかましく言う母親を後にして、電車に乗る。
とにかくパブであるから、夜なのである。
確か、わたしたちが店に着いたのは、平日の八時前ぐらいではなかったか。
店の一角にグランドピアノがあり、リズムボックスがリズムをきざんでいた。髪の長い女性がピアノを弾きながら歌っている。店の中はざわざわしていて、すでにいる客たちは、あまり真剣に聞いている様子ではなかった。
席に通されるときに姉は挨拶し、その女の人はすこしうなずいて応えてくれた。
席に着いて、若いお兄さんがオーダーを取りに来て、一緒にリクエストカードを渡してくれた。「聞きたい曲、リクエストしてね」と言われたので、わたしは「ピアノと合わせて歌える曲」として真っ先に思いついた Queen の "Nevermore" を書いた。オレンジジュースを注文しようとしたのだが、姉は勝手にカカオフィズか何かを注文し、運ばれてくると、アンタ、水でも飲んでなさい、といって、わたしの分も取り上げてしまったのだった。
やがて、わたしのリクエストした"Nevermore"のイントロが聞こえてきた。レコードに合わせてときどき自分も一緒に弾いていたわたしは、なんだ、そんなにうまくないじゃん、と失礼なことをちょっと思った。やがて歌が始まった。フレディ・マーキュリーの声とは似ても似つかぬ、静かな、淡々とした歌い方だった。もともとが一分少々の大変短い曲は、当たり前だけれどコーラスもなく、静かなままあっという間に終わった。なんだかきれいな水が流れていったみたいだ、とわたしは思った。こういうのも、アリなんだ。
それから、キャロル・キングとか、ロバータ・フラックの“優しく歌って”とか、そんなふうな曲をいくつか歌うと、今度は客の女性がユーミンか何かを歌う伴奏をする。本を引っ張り出して弾くそういう曲は、いかにも慣れていなさそうで、ミスタッチも多かった。それでもピアノをバックに歌えるお客さんは、うれしそうだった。
なんとなく所在なくなって、わたしは鞄から鉛筆を取り出して、ペーパーナプキンに、ピアノを弾いているその女の人の横顔をスケッチした。少しもつれた細い髪の毛、小さな顎からつづく細い喉。
やがてピアノからは“酒と薔薇の日々”が流れてきて、「次のステージは九時からです」と言い、その回が終わると、その人は飲み物の入ったグラスを持って、わたしたちの席にやってきた。「こんにちは」とわたしに挨拶してくれて、わたしたちはしばらく話をした。もっぱらその人がわたしに、クイーンが好きなの? とか、ほかにはだれを聴くの? といったことを聞いてくれたような気がする。やがてわたしの落書きに目を留めると、「わぁ、すごーい、ジョニ・ミッチェルの歌みたい。これ、もらっていい?」と言う。端の湿ったペーパーナプキンに描いた落書きのようなスケッチに意外な反応が返ってきて、わたしはちょっと驚いた。この人は本気なんだろうか、それともお愛想でそんなことを言っているのだろうか。「もしこんなものでいいのなら、もっとちゃんとした紙に描きますけど」とわたしが言うと、「歌の中にね、“紙のコースターにあなたの顔を描いた”っていうのがあるの。それみたいだから、すごくうれしかったの」と教えてくれた。わたしがその「ジョニ・ミッチェル」を知らなかったためにそのことを言うと、「つぎのときに歌ってあげる。わたしが一番好きな人なの」と教えてくれた。
つぎのステージでその人は、ジョニ・ミッチェルの曲を数曲歌ったように思う。
どれも、初めて聴く曲ばかりだったのだけれど、不思議なメロディラインの、その人の細い、張りのない声にはよく合っていた。英語の歌詞が何を言っているのかはわからなくて、どの曲がそれなのかもわからなかったけれど、その人の歌は語りかけてくるようで、ああ、何を言っているかわかったら、と思ったのだった。
歌う、というよりも、メロディに乗せて語るような。けれど、そんな歌い方にもかかわらず、不思議なくらい、素直な声だったし、ピアノの音だった。この人が「うれしい」と言ったら、ほんとうに「うれしい」んだ。だから、たぶん、わたしの落書きのようなスケッチでも、うれしかったんだ、と思った。
それから次のお客さん、少し年配の女性、おそらく多少声楽か何かを習った経験のありそうな人が、“サン・トワ・マミー”を熱唱した。朗々と声を張り、マイクをハウリングさせながら歌うのに、覚束なげなピアノが、何か痛々しいような感じさえした。
その日はそのステージの途中で帰ったように思う。それでも、姉にせがんで、もう一回だけ見に行った。それ以上は母親が許してくれなかったのだ。
その人は、レコード会社に所属している、と言った。
「○○を知ってる? あの人と同じ会社なの。来年の春には、レコードを出すのよ。そうしたらよろしくね」
その来年になると、わたしはレコードの新譜情報に目を走らせて、その人の名前をいつも探したけれど、春になり、春が過ぎて夏になっても、その人の名前は見つからなかった。
そのかわり、わたしはその"A Case of You"が入っている、ジョニ・ミッチェルの"Blue"というアルバムを繰りかえし聴いた。
ジョニ・ミッチェルも同じように、声を張らずに、話をするように歌うシンガーだった。それでもその人の声は、ジョニ・ミッチェルともちがう、癖のない、なんともいえない素直な響きがあった。その素直さは、決してプロのミュージシャンとして成功していくことを助けてはくれないだろう、と思わせるような。
その人の名前を検索子にかけてみたけれど、ヒットすることはなかった。
本名かどうかもわからないし、また違う名前で、いまも音楽活動を続けているのかもしれない。
できるものなら、あのきれいな水が流れていくような"Nevermore"をもう一度聴いてみたいような気がする。
(この項終わり)
高校生になったばかりの頃、姉に連れられて「ピアノパブ」というところに行ったことがある。
姉の知り合いが出るから、ということで、わたしも連れられて行ったのだけれど、なぜ高校生であるわたしを同伴に選んだのか、何か理由があったような気がするのだけれど、いまはもうすっかり忘れてしまった。ともかく、タータンチェックの巻きスカートをはいていたら、そんな子供っぽいカッコはやめてよ、補導されるから、と文句を言われて着替えさせられた。くれぐれも遅くならないようにね、駅についたら電話するのよ、とやかましく言う母親を後にして、電車に乗る。
とにかくパブであるから、夜なのである。
確か、わたしたちが店に着いたのは、平日の八時前ぐらいではなかったか。
店の一角にグランドピアノがあり、リズムボックスがリズムをきざんでいた。髪の長い女性がピアノを弾きながら歌っている。店の中はざわざわしていて、すでにいる客たちは、あまり真剣に聞いている様子ではなかった。
席に通されるときに姉は挨拶し、その女の人はすこしうなずいて応えてくれた。
席に着いて、若いお兄さんがオーダーを取りに来て、一緒にリクエストカードを渡してくれた。「聞きたい曲、リクエストしてね」と言われたので、わたしは「ピアノと合わせて歌える曲」として真っ先に思いついた Queen の "Nevermore" を書いた。オレンジジュースを注文しようとしたのだが、姉は勝手にカカオフィズか何かを注文し、運ばれてくると、アンタ、水でも飲んでなさい、といって、わたしの分も取り上げてしまったのだった。
やがて、わたしのリクエストした"Nevermore"のイントロが聞こえてきた。レコードに合わせてときどき自分も一緒に弾いていたわたしは、なんだ、そんなにうまくないじゃん、と失礼なことをちょっと思った。やがて歌が始まった。フレディ・マーキュリーの声とは似ても似つかぬ、静かな、淡々とした歌い方だった。もともとが一分少々の大変短い曲は、当たり前だけれどコーラスもなく、静かなままあっという間に終わった。なんだかきれいな水が流れていったみたいだ、とわたしは思った。こういうのも、アリなんだ。
それから、キャロル・キングとか、ロバータ・フラックの“優しく歌って”とか、そんなふうな曲をいくつか歌うと、今度は客の女性がユーミンか何かを歌う伴奏をする。本を引っ張り出して弾くそういう曲は、いかにも慣れていなさそうで、ミスタッチも多かった。それでもピアノをバックに歌えるお客さんは、うれしそうだった。
なんとなく所在なくなって、わたしは鞄から鉛筆を取り出して、ペーパーナプキンに、ピアノを弾いているその女の人の横顔をスケッチした。少しもつれた細い髪の毛、小さな顎からつづく細い喉。
やがてピアノからは“酒と薔薇の日々”が流れてきて、「次のステージは九時からです」と言い、その回が終わると、その人は飲み物の入ったグラスを持って、わたしたちの席にやってきた。「こんにちは」とわたしに挨拶してくれて、わたしたちはしばらく話をした。もっぱらその人がわたしに、クイーンが好きなの? とか、ほかにはだれを聴くの? といったことを聞いてくれたような気がする。やがてわたしの落書きに目を留めると、「わぁ、すごーい、ジョニ・ミッチェルの歌みたい。これ、もらっていい?」と言う。端の湿ったペーパーナプキンに描いた落書きのようなスケッチに意外な反応が返ってきて、わたしはちょっと驚いた。この人は本気なんだろうか、それともお愛想でそんなことを言っているのだろうか。「もしこんなものでいいのなら、もっとちゃんとした紙に描きますけど」とわたしが言うと、「歌の中にね、“紙のコースターにあなたの顔を描いた”っていうのがあるの。それみたいだから、すごくうれしかったの」と教えてくれた。わたしがその「ジョニ・ミッチェル」を知らなかったためにそのことを言うと、「つぎのときに歌ってあげる。わたしが一番好きな人なの」と教えてくれた。
つぎのステージでその人は、ジョニ・ミッチェルの曲を数曲歌ったように思う。
どれも、初めて聴く曲ばかりだったのだけれど、不思議なメロディラインの、その人の細い、張りのない声にはよく合っていた。英語の歌詞が何を言っているのかはわからなくて、どの曲がそれなのかもわからなかったけれど、その人の歌は語りかけてくるようで、ああ、何を言っているかわかったら、と思ったのだった。
歌う、というよりも、メロディに乗せて語るような。けれど、そんな歌い方にもかかわらず、不思議なくらい、素直な声だったし、ピアノの音だった。この人が「うれしい」と言ったら、ほんとうに「うれしい」んだ。だから、たぶん、わたしの落書きのようなスケッチでも、うれしかったんだ、と思った。
それから次のお客さん、少し年配の女性、おそらく多少声楽か何かを習った経験のありそうな人が、“サン・トワ・マミー”を熱唱した。朗々と声を張り、マイクをハウリングさせながら歌うのに、覚束なげなピアノが、何か痛々しいような感じさえした。
その日はそのステージの途中で帰ったように思う。それでも、姉にせがんで、もう一回だけ見に行った。それ以上は母親が許してくれなかったのだ。
その人は、レコード会社に所属している、と言った。
「○○を知ってる? あの人と同じ会社なの。来年の春には、レコードを出すのよ。そうしたらよろしくね」
その来年になると、わたしはレコードの新譜情報に目を走らせて、その人の名前をいつも探したけれど、春になり、春が過ぎて夏になっても、その人の名前は見つからなかった。
そのかわり、わたしはその"A Case of You"が入っている、ジョニ・ミッチェルの"Blue"というアルバムを繰りかえし聴いた。
ジョニ・ミッチェルも同じように、声を張らずに、話をするように歌うシンガーだった。それでもその人の声は、ジョニ・ミッチェルともちがう、癖のない、なんともいえない素直な響きがあった。その素直さは、決してプロのミュージシャンとして成功していくことを助けてはくれないだろう、と思わせるような。
その人の名前を検索子にかけてみたけれど、ヒットすることはなかった。
本名かどうかもわからないし、また違う名前で、いまも音楽活動を続けているのかもしれない。
できるものなら、あのきれいな水が流れていくような"Nevermore"をもう一度聴いてみたいような気がする。
(この項終わり)