きっと彼はいまそうしようとしてるのよ。そうでなきゃ電話しないで、直接こっちにやってきてるところ。いま、その途中なんだわ。何かがあったのかもしれない。ううん、そんなはずない。彼に何かがあるなんて、想像できないもの。車に轢かれるだなんて夢にも思わないわ。彼が横になったまま動かないなんて想像できない、身体をべろんと伸ばしたまま死んでいくなんて。死んじゃえばいいのに。なんてひどいこと考えるの。だけど、それもステキ。もし彼が死んじゃえば、もうだれにも渡さなくてすむ。死んじゃえばいまや今日までの何週間かみたいな気分を二度と味合わなくてすむ。楽しかった頃のことだけ思い出すの。なにもかもがすてきでしょうね。死んじゃえばいいのよ。死んじゃえ、死んじゃえ、死んじゃえ。
わたしってバカだ。時間通りに電話をくれなかったっていうだけで、死んじゃえ、なんて思うのはバカなこと。もしかしたら、時計が進んでるのかも知れない。時計が合ってるかなんてわかりようがない。たぶん、たいして遅くなったわけじゃないのかも。ちょっとくらい遅れるようなことなんて、いつだってあるもの。もしかしたら残業があるのかな。それとも戻ってるかも。うちに帰ってから電話しようと思って。そこに誰かが来たのよ。他人がいるところでわたしに電話なんてしたくない。きっと気がとがめてるはず、ちょっとはね、どうせほんのちょっとだろうけど、わたしを待たせてるって。もしかしたら、わたしから電話くれないかな、って思ってるかもね。もちろんわたしからかけたっていい。わたしが電話したって。
とんでもない。そんなことできないわよ。冗談じゃないわ。ああ、神様、わたしの方から電話なんてさせないでください。どうか、わたしがかけたりしませんように。わたしだってわかってるわ、神様がご存じのように。もし彼がわたしのことを気にかけてるんだったら、どこにいようが、まわりに何人ひとがいようが、電話してくるはず。どうかわたしがそのことを忘れないようにさせてください、神様。神様、簡単なことだったらあなたにお願いなんてしません――あなたにだってできないことはあるわよね、だから世界をお創りになったんだものね。ただわたしに教えてくださればいいの。わたしに希望なんて持たせないで。わたしに気休めなんて言わせないで。望んだりさせないで、神様。どうかお願いします。
わたしから電話なんてできない。生きてるかぎり、もう二度と電話なんてしない。わたしに電話するまで、地獄で朽ちてればいいのよ。神様、わたしに強さなんて与えようとは思わないでくださいね。わたしはもう十分強いから。もしわたしが必要なら、わたしを手に入れれば良かったのよ。だってわたしがどこにいるか知ってるんだから。わたしがここで待ってることだって、知ってるんだから。彼はよく知ってる。よく知ってるの。男ってどうして女のことが分かったと思った瞬間に、キライになっちゃうのかしら。わたしだったら、わかったらすごく優しくすると思うな。
電話することなんて、簡単。それから思い出すの。電話したって、そんなにバカなことでもないのかも。たぶん、それほど気にしないんじゃないかしら。もしかしたら、喜んでくれるかも。もしかしたら、彼、ずっとわたしと連絡しようとしてたのかも。電話をかけてもかけても、交換手に電話番号を告げても、相手が出ないことってあるでしょ。気休めなんかじゃない、ほんとにそんなことってあるでしょ。神様、ああ、神様、どうかわたしを電話から遠ざけてください。電話の近くに行かせないで。わたしがちっぽけなプライドを捨ててしまわないようにしてください。プライドはわたしにとって必要になりそう。わたしがもてる唯一のものになりそう。
もう、プライドがいったいなんだって言うのよ。もし彼と話ができなきゃ耐えられそうにないっていうときに。プライドみたいに、バカげて、えらそうで、ちっぽけなものなんて。ほんとうのプライド、立派なプライドっていうのは、プライドを持たないってことよ。自分が電話したいからって、こんなことを言うんじゃない。これは本当だもの。本当だって知ってるんだもの。わたしは大きな人間よ。ちっぽけなプライドなんて超越してるの。
どうか神様、わたしが電話なんかしませんように。お願い、神様。
なんでプライドが関係あるんだろう。たいしたことじゃない、プライドを持ち出すようなことじゃない、わたしが気持ちを煩わせるようなことじゃない。たぶん、彼が言ったことを聞き間違えたんだわ。たぶん五時に電話するように言ったような気がする。「五時に電話してくれるかな、ダーリン」って。そういったのかも、ありうることよ。わたしが聞き間違えただけ、ってことは十分ありうるもの。「五時に電話してくれるかな、ダーリン」そう言ったのは確かだったような気がしてきた。神様、教えてください、どうかほんとうのこと、教えてください。
何かほかのことを考えよう。静かにじっと坐っているの。それができるなら。静かに坐ってるなんてことができるものなら。本なら読めるかもしれない。ああ、もうっ、本なんてどれもこれも、お互い心から睦まじく愛し合っているひとのことしか書いてないじゃない。なんで作家ってそんなことばかり書くんだろう。そんなものそこらじゅうにごろごろころがってるものじゃない、って知らないんだろうか。そんなことうそだって、大嘘のコンコンチキだって知らないんだろうか。一体、何が楽しくってそんなもの書くんだろう、こんなにも苦しいことなのに。ああ、むかついちゃう。むかつく、むかつくったらありやしない。
やめよう。静かにしてよう。腹を立てるようなことは何もない。ね、考えてもみて、彼がたいして知らない人だったとするじゃない。ね、彼が女の子だったとする。そしたらわたしは電話して、「ねえ、いったいどうしちゃったの。何かあったの?」ってそう言えばいいだけ。なにもああだこうだ考えるようなことじゃない。どうしてふつうに、あたりまえにできないんだろう、彼のことが大好きだからってだけで? できるはず。ほんとよ、できるわよ。わたしから電話する、軽い感じで、明るく言うの。神様、わたしにそんなことできないっておわかりですよね。ああ、どうかわたしの方からなんてかけさせないで。そんなことさせないで。どうか、お願い。
神様、神様はほんとに彼に電話をかけさせないつもりなの? ほんとに、ほんとにそうなんですか、神様。あなたには惻隠の情ってものがおありじゃないんですか? どうしてもダメなの? いますぐとは言いません、神様、もうちょっとあとでもいいから、どうか彼に電話をかけさせてください。これから五とばしで五百まで数えます。ゆっくりと、ごまかさずに。五百になるまで電話がかからなかったら、わたしから電話します。そうするつもりです。だから、神様、慈悲深い神様、天にまします我らが父よ、どうかそれまでに彼に電話をかけさせてください。お願いです、神様、お願いします。
5、10、15、20、25、30、35……。
わたしってバカだ。時間通りに電話をくれなかったっていうだけで、死んじゃえ、なんて思うのはバカなこと。もしかしたら、時計が進んでるのかも知れない。時計が合ってるかなんてわかりようがない。たぶん、たいして遅くなったわけじゃないのかも。ちょっとくらい遅れるようなことなんて、いつだってあるもの。もしかしたら残業があるのかな。それとも戻ってるかも。うちに帰ってから電話しようと思って。そこに誰かが来たのよ。他人がいるところでわたしに電話なんてしたくない。きっと気がとがめてるはず、ちょっとはね、どうせほんのちょっとだろうけど、わたしを待たせてるって。もしかしたら、わたしから電話くれないかな、って思ってるかもね。もちろんわたしからかけたっていい。わたしが電話したって。
とんでもない。そんなことできないわよ。冗談じゃないわ。ああ、神様、わたしの方から電話なんてさせないでください。どうか、わたしがかけたりしませんように。わたしだってわかってるわ、神様がご存じのように。もし彼がわたしのことを気にかけてるんだったら、どこにいようが、まわりに何人ひとがいようが、電話してくるはず。どうかわたしがそのことを忘れないようにさせてください、神様。神様、簡単なことだったらあなたにお願いなんてしません――あなたにだってできないことはあるわよね、だから世界をお創りになったんだものね。ただわたしに教えてくださればいいの。わたしに希望なんて持たせないで。わたしに気休めなんて言わせないで。望んだりさせないで、神様。どうかお願いします。
わたしから電話なんてできない。生きてるかぎり、もう二度と電話なんてしない。わたしに電話するまで、地獄で朽ちてればいいのよ。神様、わたしに強さなんて与えようとは思わないでくださいね。わたしはもう十分強いから。もしわたしが必要なら、わたしを手に入れれば良かったのよ。だってわたしがどこにいるか知ってるんだから。わたしがここで待ってることだって、知ってるんだから。彼はよく知ってる。よく知ってるの。男ってどうして女のことが分かったと思った瞬間に、キライになっちゃうのかしら。わたしだったら、わかったらすごく優しくすると思うな。
電話することなんて、簡単。それから思い出すの。電話したって、そんなにバカなことでもないのかも。たぶん、それほど気にしないんじゃないかしら。もしかしたら、喜んでくれるかも。もしかしたら、彼、ずっとわたしと連絡しようとしてたのかも。電話をかけてもかけても、交換手に電話番号を告げても、相手が出ないことってあるでしょ。気休めなんかじゃない、ほんとにそんなことってあるでしょ。神様、ああ、神様、どうかわたしを電話から遠ざけてください。電話の近くに行かせないで。わたしがちっぽけなプライドを捨ててしまわないようにしてください。プライドはわたしにとって必要になりそう。わたしがもてる唯一のものになりそう。
もう、プライドがいったいなんだって言うのよ。もし彼と話ができなきゃ耐えられそうにないっていうときに。プライドみたいに、バカげて、えらそうで、ちっぽけなものなんて。ほんとうのプライド、立派なプライドっていうのは、プライドを持たないってことよ。自分が電話したいからって、こんなことを言うんじゃない。これは本当だもの。本当だって知ってるんだもの。わたしは大きな人間よ。ちっぽけなプライドなんて超越してるの。
どうか神様、わたしが電話なんかしませんように。お願い、神様。
なんでプライドが関係あるんだろう。たいしたことじゃない、プライドを持ち出すようなことじゃない、わたしが気持ちを煩わせるようなことじゃない。たぶん、彼が言ったことを聞き間違えたんだわ。たぶん五時に電話するように言ったような気がする。「五時に電話してくれるかな、ダーリン」って。そういったのかも、ありうることよ。わたしが聞き間違えただけ、ってことは十分ありうるもの。「五時に電話してくれるかな、ダーリン」そう言ったのは確かだったような気がしてきた。神様、教えてください、どうかほんとうのこと、教えてください。
何かほかのことを考えよう。静かにじっと坐っているの。それができるなら。静かに坐ってるなんてことができるものなら。本なら読めるかもしれない。ああ、もうっ、本なんてどれもこれも、お互い心から睦まじく愛し合っているひとのことしか書いてないじゃない。なんで作家ってそんなことばかり書くんだろう。そんなものそこらじゅうにごろごろころがってるものじゃない、って知らないんだろうか。そんなことうそだって、大嘘のコンコンチキだって知らないんだろうか。一体、何が楽しくってそんなもの書くんだろう、こんなにも苦しいことなのに。ああ、むかついちゃう。むかつく、むかつくったらありやしない。
やめよう。静かにしてよう。腹を立てるようなことは何もない。ね、考えてもみて、彼がたいして知らない人だったとするじゃない。ね、彼が女の子だったとする。そしたらわたしは電話して、「ねえ、いったいどうしちゃったの。何かあったの?」ってそう言えばいいだけ。なにもああだこうだ考えるようなことじゃない。どうしてふつうに、あたりまえにできないんだろう、彼のことが大好きだからってだけで? できるはず。ほんとよ、できるわよ。わたしから電話する、軽い感じで、明るく言うの。神様、わたしにそんなことできないっておわかりですよね。ああ、どうかわたしの方からなんてかけさせないで。そんなことさせないで。どうか、お願い。
神様、神様はほんとに彼に電話をかけさせないつもりなの? ほんとに、ほんとにそうなんですか、神様。あなたには惻隠の情ってものがおありじゃないんですか? どうしてもダメなの? いますぐとは言いません、神様、もうちょっとあとでもいいから、どうか彼に電話をかけさせてください。これから五とばしで五百まで数えます。ゆっくりと、ごまかさずに。五百になるまで電話がかからなかったら、わたしから電話します。そうするつもりです。だから、神様、慈悲深い神様、天にまします我らが父よ、どうかそれまでに彼に電話をかけさせてください。お願いです、神様、お願いします。
5、10、15、20、25、30、35……。
The End