陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ドロシー・パーカー 「電話」その2.

2006-05-09 22:22:42 | 翻訳
 もうやめよう。こんなことしてちゃいけない。だってね、若い男が女の子に、電話するよって言ったあとで、何か用事ができて電話しなかったとする。そんなことは別に悲嘆に暮れなきゃいけないようなことでもなんでもない、そうじゃない? 世界中、いたるところで起きてることよね、いま、この瞬間にだって。でも、それでも、世界中で何が起こってようと、わたしに一体何の関係があるっていうのよ。なんでこの電話、鳴らないの? どうして、どうして鳴ろうとしないのよ。鳴る気がないの? ああ、もうお願いよ。このマヌケ、ぶかっこうで、テラテラなんてしちゃってさ。鳴ったら負けだ、とでも思ってるんでしょう、そうじゃない? そうよ、鳴ったらあなたの負け。この能なし、その汚らしい根っこを壁から引っこ抜いてやろうかしら。そのえらそうな黒い頭を叩きつぶして、粉々にしてやろうか。地獄にでも落ちるがいい。

 だめ、だめ、だめ。もうやめなくちゃ。別のこと、考えよう。こうするのよ。時計を向こうの部屋に持っていくの。そしたらもう見ることなんてできなくなる。見ようと思ったらベッドルームまで行かなきゃならなくなるけど、それはそれですることができる、ってものよ。たぶん、時計を見に行く前に、彼が電話してくれるかもしれないし。電話があったら、わたし、うんとかわいくしてよう。今夜は会えないな、なんて言ったって、こんなふうに答えるの。「あら。だけどいいわ。ううん、もちろん、仕方ないことですものね」初めて会ったときみたいにするの。そしたら、またわたしのこと、好きになってくれるかも。わたしはいつだってやさしかった。最初の頃は。ああ、ほんとに大好きになってしまうまでは、優しくするのもあんなに簡単なのに。

 彼、まだわたしのことは好きだと思う。ちょっとはね。だってそうでなきゃ、今日「ダーリン」なんて二回も言うはずないもの。なにもかもが終わってしまった、っていうわけじゃない、少しでもわたしのこと、思ってくれてるなら。ほんの、ほんのわずかでも。だから、ね、神様、もし彼に電話をかけさせてくれたら、わたし、もう何も望みません。彼に優しくします。いつもにこにこしてます。前、そうだったみたいに。そしたら彼もまた、わたしのことが好きになってくれるはず。そしたらもう神様にお願いしなくてもすむんです。おわかりでしょ、神様。お願いですから、彼に電話させてくださいますよね? ね? ね? お願いします。

 神様、わたしに罰をお与えなんですか、いままで悪い子だったから、って。わたしがあんなことしたから、怒ってらっしゃるの? ああ、だけど、神様、悪い人はすごく大勢いるじゃないですか。わたしにばっかり、厳しくしないでください。それに、あのことだってそんなに悪いとはいえないはずよ。そんな悪いことだったはずがないわ。だれも傷つけたわけじゃありません。神様、人を傷つけて、初めて、悪といえるんじゃないかしら。わたしたち、だれひとりとして傷つけたりしてません。そのことはご存じよね。あなただってそれほど悪いことだったとは思ってらっしゃらないはずよ、そうでしょ、神様。だったらどうしていますぐ、彼に電話をかけさせてくださらないんです?

もし彼が電話してこないとしたら、わたし、神様が怒ってらっしゃるんだって思います。五飛ばしで五百まで数えて、もし電話がなかったら、神様はもう一生、わたしのことを助けてくださらないんだ、って。それが神様の験(しるし)なんだ。5、10、15、20、25、30、35、40、45、50、55……。あれは悪いことでした。悪いことだってわかってました。いいわ、神様、わたしを地獄へ落としてください。あなたはわたしが地獄を怖れてるって思ってらっしゃるでしょ? そう思ってるはず。あなたの地獄の方が、わたしの地獄より恐ろしい、って。

 もうよそう。こんなことしてちゃいけない。考えてもみて、ちょっと電話するのが遅くなっただけなのかも――こんなにヒステリックにならなきゃいけないようなことじゃない。もしかしたら、電話しないつもりなのかも――電話じゃなくて、直接ここへ来ようとおもってるのかも。泣いたりしてたら、きっとイヤな気がするわよね。男って泣いてるのを見るのがキライだから。彼は泣いたりしない。神様、彼がわたしのために泣かせてください。彼を泣かせて、地団駄踏んで、心臓が張り裂けそうに膨れあがっていくのを見てやりたい。地獄に堕ちたような気分を味あわせてやりたい

 彼はわたしをそんなふうにしたいなんて思ってない。わたしがどんな気分なのかさえ、わかってないんだもの。わざわざ言わなくても、わかってくれたらいいのに。男って、自分が女を泣かせてるんだ、なんて思いたくないのよ。自分のために、女が悲しんでる、なんて考えたくないの。もしそれを言ったら、独占欲の強い、疲れる女だ、なんて思う。そうしてキライになるの。女がほんとに思ってることを口にしたら、男は絶対、気持ちが離れていく。だから、女はいつもちょっとした駆け引きを続けなきゃならなくなる。ああ、わたしと彼だったら、そんな駆け引きは必要ない、って思ったんだけど。これはとびきりほんものだから、思ったこと、なんだって言っていい、って思ったのに。だけど、ダメだったみたい。そんなふうな、ほんもの、なんて、どこにもないんだわ。ああ、もし彼が電話さえしてくれたなら、わたしがずっと彼のことを思って悲しんでた、なんて絶対言わない。男はメソメソした女がキライだから。うんとかわいく、明るくしてるの、そしたら好きにならずにいられなくなるはず。とにかく電話さえしてくれれば。電話してくれるだけでいいのに。

(明日最終回)