わたしの住む地域では、週に二回、燃えるゴミの回収があり、月に二回、資源ゴミと粗大ゴミの日がそれぞれにある。
わたしが住んでいる集合住宅には、ほとんど一軒分くらいの大きな集塵庫があって、そこにゴミを出すようになっているのだが、回収日に当たる日は、ゴミ収集車が回収し終えると、すぐに掃除が始まり、それから翌朝六時まで、締め切りになる。つまり、週二日をのぞくと、だいたいいつ出しても良いシステムなのだ。だから、だいたい毎朝仕事に行くついでにゴミを出す、というのがだいたいのパターンで、たまにイレギュラーな仕事が入ったりすると、うっかりいつものように持って降りて、ああ、シマッタ、今日はゴミが出せない日だった、ということになってしまい、そうなるとまたはるばる持って上がらなくてはならなくなってしまう。
鍵のかかった集塵庫の前には、かつて不心得者がゴミをそこに置きっぱなしにした証拠写真が貼りつけられていて、もちろんそれはわたしではないのだけれど、その写真には英字新聞が写っていて、ちょっと肩身が狭く感じてしまうのである(ちなみにわたしは英字新聞は取っていないのだけれど、たまにもらってくる)。
とにかく、いったん家から出してしまったゴミを、またもう一度家に戻す、というのは、結構な抵抗感がある。落ちた髪の毛でも、切った爪でも、さっきまで自分の身についていたときはちっとも汚くないのに、自分の身から離れた瞬間、ゴミになってしまい、紙くずなどよりいっそう不潔感を伴う、というのは、いったいどういう心理なのだろう。ともかく、いったん家から出したゴミを持って入る抵抗感、というのは、床に落ちた自分の髪の毛を目の当たりにするのに近いものなのかもしれない。
ともかく、そうやって、また階段をせっせとあがって自分の家に戻り、台所のダストボックスにもう一度放り込み、ふたたび鍵をかけて階段を下りて仕事場へ向かうのである。
実は、一度だけ、持って上がる時間がなくて、ゴミを持ってそのまま駅に向かったことがある。スーパーのポリ袋に入った、一日分の生ゴミと、あと紙くずが少し、量としてはそれほど多いものでもない。途中のスーパーかどこかののダストボックスに、こっそり不法投棄しようと思ったのだ。
ところがいざしようとなると、人目が気になる(実は小心者なんです)。結局、どこにも捨てられないまま、駅の駐輪場まで来てしまった。そうでなくてもギリギリの時間に出たのに、あちこちのゴミ箱を観察して、さらに遅くなっていた。駐輪場に着いたときには、すでに前カゴに入れていたゴミ袋のことは記憶になかった。
そうして、夕方、わたしは自転車置き場のわたしが自転車を置いたあたりから異臭が漂ってくるのを発見することになる。
ええ、それは持って帰って、さすがに家の中に入れる気にはなれなくて、玄関前の物置の下の段(ふだんそこに新聞紙や資源ゴミを保管している)に入れておきました。以前、同じように、ゴミを出せない日に持って降りてしまって、再び持って上がって、入れっぱなしにしてしまった苦い経験があるので、そういうことのないように、冷蔵庫の前にメモを貼って置き、翌朝さすがに忘れず、しっかり出して置いた。
ところがゴミを出し終えてから、朝食のパンを買おうと通りを渡ろうとしたときだ。集塵庫で出会った人が、わたしと一緒に通りを渡り、向かいのアパートに入って行くではないか。
そうなのだ。その人はわざわざ通りを渡って、わたしの住むアパートまで、ゴミを出しに来たのだ。おそらくそこでは収集日以外に出してはいけない決まりがあるのだろう。
ゴミというものは、一刻も早く、自分の家から外に出したい。だが、自分の住む場所では出してはいけない決まりがある。そうなると、通りを渡って出しに来るわけだ。それも一種の不法投棄にはちがいない。
ゴミというものは、考えてみれば奇妙なものだ。
「ゴミ」という状態でなければ、家にあってもかまわないのに、「ゴミ」となると、その瞬間に外に出したくなってしまう。
このありようは、少し考えてみたほうがいいのかもしれない。
わたしが住んでいる集合住宅には、ほとんど一軒分くらいの大きな集塵庫があって、そこにゴミを出すようになっているのだが、回収日に当たる日は、ゴミ収集車が回収し終えると、すぐに掃除が始まり、それから翌朝六時まで、締め切りになる。つまり、週二日をのぞくと、だいたいいつ出しても良いシステムなのだ。だから、だいたい毎朝仕事に行くついでにゴミを出す、というのがだいたいのパターンで、たまにイレギュラーな仕事が入ったりすると、うっかりいつものように持って降りて、ああ、シマッタ、今日はゴミが出せない日だった、ということになってしまい、そうなるとまたはるばる持って上がらなくてはならなくなってしまう。
鍵のかかった集塵庫の前には、かつて不心得者がゴミをそこに置きっぱなしにした証拠写真が貼りつけられていて、もちろんそれはわたしではないのだけれど、その写真には英字新聞が写っていて、ちょっと肩身が狭く感じてしまうのである(ちなみにわたしは英字新聞は取っていないのだけれど、たまにもらってくる)。
とにかく、いったん家から出してしまったゴミを、またもう一度家に戻す、というのは、結構な抵抗感がある。落ちた髪の毛でも、切った爪でも、さっきまで自分の身についていたときはちっとも汚くないのに、自分の身から離れた瞬間、ゴミになってしまい、紙くずなどよりいっそう不潔感を伴う、というのは、いったいどういう心理なのだろう。ともかく、いったん家から出したゴミを持って入る抵抗感、というのは、床に落ちた自分の髪の毛を目の当たりにするのに近いものなのかもしれない。
ともかく、そうやって、また階段をせっせとあがって自分の家に戻り、台所のダストボックスにもう一度放り込み、ふたたび鍵をかけて階段を下りて仕事場へ向かうのである。
実は、一度だけ、持って上がる時間がなくて、ゴミを持ってそのまま駅に向かったことがある。スーパーのポリ袋に入った、一日分の生ゴミと、あと紙くずが少し、量としてはそれほど多いものでもない。途中のスーパーかどこかののダストボックスに、こっそり不法投棄しようと思ったのだ。
ところがいざしようとなると、人目が気になる(実は小心者なんです)。結局、どこにも捨てられないまま、駅の駐輪場まで来てしまった。そうでなくてもギリギリの時間に出たのに、あちこちのゴミ箱を観察して、さらに遅くなっていた。駐輪場に着いたときには、すでに前カゴに入れていたゴミ袋のことは記憶になかった。
そうして、夕方、わたしは自転車置き場のわたしが自転車を置いたあたりから異臭が漂ってくるのを発見することになる。
ええ、それは持って帰って、さすがに家の中に入れる気にはなれなくて、玄関前の物置の下の段(ふだんそこに新聞紙や資源ゴミを保管している)に入れておきました。以前、同じように、ゴミを出せない日に持って降りてしまって、再び持って上がって、入れっぱなしにしてしまった苦い経験があるので、そういうことのないように、冷蔵庫の前にメモを貼って置き、翌朝さすがに忘れず、しっかり出して置いた。
ところがゴミを出し終えてから、朝食のパンを買おうと通りを渡ろうとしたときだ。集塵庫で出会った人が、わたしと一緒に通りを渡り、向かいのアパートに入って行くではないか。
そうなのだ。その人はわざわざ通りを渡って、わたしの住むアパートまで、ゴミを出しに来たのだ。おそらくそこでは収集日以外に出してはいけない決まりがあるのだろう。
ゴミというものは、一刻も早く、自分の家から外に出したい。だが、自分の住む場所では出してはいけない決まりがある。そうなると、通りを渡って出しに来るわけだ。それも一種の不法投棄にはちがいない。
ゴミというものは、考えてみれば奇妙なものだ。
「ゴミ」という状態でなければ、家にあってもかまわないのに、「ゴミ」となると、その瞬間に外に出したくなってしまう。
このありようは、少し考えてみたほうがいいのかもしれない。