陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

この話、したっけ~病院の風景 その1.

2006-05-03 22:17:27 | weblog
1.おばあさんの話

このあいだ入院したときは、こちらの体調があまりよくなかったのは最初の日ぐらいで、あとは、朝早くに検査のために病院のなかを右往左往するほかは、ベッドに腰掛けてパソコンを開き、せっせと仕事をしていた。その部屋は小さな三人部屋だったのだけれど、どの人も入ってすぐの、言ってみれば「処置待ち」の部屋だったようだ。

入り口から一番離れた、窓際といっても、窓を開けても見えるのはすぐ隣のビルの煤けたコンクリートの壁だけ、という場所がわたしのいたベッド、カーテンで間仕切りされて、同じようなベッドがふたつ並んでいる。看護婦さんと交わす声から察するに、どちらも高齢の女性のようだった。
入り口脇の人はかなり声も弱々しいかったけれど、真ん中の人の声はずいぶんはっきりとしたものだった。体温を告げる声も、問診のときの返事もしっかりしている。声を聞くだけでは、退院も早そうな感じだった。


わたしが入った翌日のこと。
午前中の巡回検診も終わり、昼食までの静かなひとときだった。

同室のおばあさんふたりが、横になったまま話を始めたのだ。
まず口火をきったのが、隣のおばあさんだった。どこがお悪いんです、と相手の容態を尋ねあったあと、そのおばあさんは、わたしなんかこれまで苦労ばっかりでしたわ、と、話しはじめた。

小学校を終えて、奉公にいったこと。奉公先の奥さんがきびしい人で泣かされたこと、それでも生活は楽しかったこと。やがてそこの主人の口利きで、出入りの職人と結婚したのだけれど、その相手が酒飲みで、ひどく苦労させられたこと。やがて戦争が始まり、夫は出征し、残った自分は工場で働いたこと。

聞いていて、わたしはほんとうに驚いた。
話自体は目新しいものではなかった。似たような話なら、いくつも読んだことがある。驚いたのは、本で読む「歴史的なできごと」を、実際に体験した人が、わたしの隣にいる、ということだった。

おばあさんの話は、これまで何度も繰りかえしてきたもののような感じがした。自分で編んだ自分の物語。何度も取り出して、並べてきた、さまざまなできごと。時間のなかで、角は取れ、なめらかになり、模様の表面もはっきりとはしなくなっているけれど、繰りかえして話すたびに生き直された「時」。

そのおばあさんが何歳だったのか、わたしは知らない。けれども明治が終わった1912年以前に生まれた人も、まだたくさん生きているのだ。

明治時代、大正時代どころか、戦前のことさえ、わたしにとっては、「いま」の地続きというより、本に出てくる世界、歴史の世界という印象なのに。
そういう時代を生きた人が、わたしのすぐ隣にいる。

ひどく不思議な感じだった。

もうひとりのおばあさんは、聞いているのかいないのか、相づちもいつのまにか返ってこなくなっていた。それでも、話しているおばあさんは、蚕が糸をはきだしながら繭を作っていくように、自分の物語を紡ぎ続けていた。

(この項つづく)