<コンパス> 文学はどうした (2019年9月14日 中日新聞)

2019-09-15 21:10:17 | 桜ヶ丘9条の会
<コンパス> 文学はどうした 
2019/9/14 中日新聞
 過去五年間、自分の好みに従って日本の文化状況を振り返ってみる。
 アニメ映画では歴史的な大ヒット作「君の名は。」が生まれ、テレビアニメでも「ポプテピピック」のような問題作が現れた。将棋界では、史上最年少棋士・藤井聡太七段が颯爽(さっそう)と登場し、囲碁界でも、無敵を誇った井山裕太四冠を破る下の世代の棋士が台頭してきた。
 現代美術はろくに追えていないが、シリア難民や沖縄の基地問題など社会問題と寄り添う作品を発表し続けているキュンチョメは、あいちトリエンナーレにも新作を出品しているので、ぜひ見たい。
 各分野が新たな可能性を見せてくれた中、文学はどうか。自分の浅学のせいもあると思うが、「ぜひ読みたい」と思った日本の小説は一つもなかった。
 現実を見回すと、警察が市民の街頭での発言を封じ、自治体の首長が狂った歴史観に基づき、表現の自由を踏みにじる。ネットやテレビ、雑誌には目をむくような差別表現があふれ返る。間違いなく、今が戦後最大の「表現の危機」だ。
 もはや、表現の可否は特権階級による許可制になりかねない。そんな異常な状況下で、文学は豊穣(ほうじょう)な言語表現で希望を示し得ているだろうか。もし、作家が文学の担い手を自負するなら、被害者面などしている場合ではない。
 (三沢典丈)






<ニュースを問う>「表現の不自由展・その後」 鑑賞なき批判、深く憂慮 (2019年9月15日 中日新聞)

2019-09-15 08:59:04 | 桜ヶ丘9条の会
<ニュースを問う>「表現の不自由展・その後」 鑑賞なき批判、深く憂慮 
2019/9/15 中日新聞

 愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で、企画「表現の不自由展・その後」が中止に追い込まれて一カ月余。旧日本軍の慰安婦を象徴する少女像など一部の出品作に批判が殺到、テロ予告や脅迫を受け、芸術祭の実行委員会はわずか三日で展示室を閉鎖した。気になったのは、作品を見ていないのに暴力的な抗議を寄せる人が多数いたことだ。鑑賞を欠いた批判には首をかしげざるをえない。

◆忘れられない光景

 取材担当として、七月三十一日の内覧会から八月三日までの都合四日間、会場に足を運んだ。その中で忘れられない光景がある。
 展示室の一角で、いすに腰掛けていた「平和の少女像」。隣の空席のいすに、大学生だろうか、若い女性が座った。像の顔をのぞきこみ、ためらいがちに手を伸ばし、短い髪に触れ、握り拳にそっと重ねた。まるで対話しているようだった。床に膝を突き、像と目線を合わせる男性もいた。
 少女像は二〇一一年に韓国・ソウルの日本大使館前に設置された銅像と同じ造形。作者は韓国の彫刻家キム・ソギョンさん(54)と夫のキム・ウンソンさん(55)。解説では像の細部について、平和への意志を固めた拳、不安の中で生きた人生を表す浮いたかかとなど、意図が説明されていた。
 像を「反日の象徴」と見る人がいることは否定しないし、河村たかし・名古屋市長も少女像を「日本国民の心を踏みにじる」と批判した。ただ像に向き合い、鑑賞していた人々の心は踏みにじられていたのか。
 夫妻がベトナム戦争の韓国軍による民間人虐殺を謝罪する銅像も制作し、自国の加害を問うていることも付しておきたい。
 大きな批判を集めた作品はもう一つ。大浦信行さん(70)が出品した映像「遠近を抱えてPart2」だ。昭和天皇の肖像をコラージュした版画を、従軍看護師の女性が燃やし、灰を足で踏む場面を含んでいる。
 映像は一九八六年に富山県立近代美術館で展示された連作版画「遠近を抱えて」の続編的な位置付けだ。天皇の肖像を用いた版画は当時、県議会で問題となり、右翼団体も抗議。美術館は作品を非公開にして後に売却、図録を焼いた。今回の出来事は三十年以上前の「表現の不自由」の繰り返しのようにも見える。
 大浦さんは版画を作った意図を「自分の中に無意識に抱える『内なる天皇』と向き合った、いわば自画像」と説明。映像内で版画を燃やしたのも天皇批判ではなく「昇華」「祈り」の意味だという。「現実の事象と作家の表現は異なる。観客の感情と、作家の想像力の間には齟齬(そご)があるが、それは作品の宿命でもある。批判されても作り続けるのが作家だ」と話した。
 大浦さんの映像と版画は展示室に入ってすぐの場所にあった。解説には意図や焼却の歴史も記されていたが、多くの来場者はまず映像を目の当たりにしたとみられる。作家の「自画像」としての思いは伝わりにくかったかもしれない。

◆開幕前に抗議殺到

 これらの作品がさまざまな面で物議を醸したことは間違いない。出品が明らかになった七月三十一日から一週間で寄せられた抗議電話は千二百件を超えた。脅迫のファクスを送った男は威力業務妨害の疑いで逮捕されたが、「匿名の抗議」が事務局に多大な圧力をかけた。怒声や恫喝(どうかつ)に長時間さらされ続けたスタッフの疲弊、鳴りやまない電話による事務局のまひが、中止の一因でもあった。
 不快感を覚える人、見たくないと思う人がいるのは自然だ。だが、少なくとも開幕前からの抗議電話は会場で作品を見ることもなく、電話に出た相手に激高している。一人や二人ではない。そんな風潮が広がりつつあるのなら、恐ろしいことだ。
 展示室では、トラブルは皆無ではなかったが、基本的には平穏が保たれていた。目にしたくない来場者は避けて通ることができる配置で、配慮はされていたと言える。日韓関係を考慮すれば抗議は不可避だったかもしれないが、それにしても異常な過熱ぶりだった。
 再開を求める声があるが、安全面が課題だ。どういった手だてがあるだろうか。整理券を配り、希望者にだけ開放する措置を提案したい。開場日を限定すれば、無理のない範囲で警備の増強や手荷物検査も行える。観客やスタッフ、作品を守ることにもつながる。
 「表現の自由」について議論を続けるべきだ。右派も左派も、気に入らない言論や表現を抗議で中止に追い込む「不自由」に加担してきた。それは政治的対立であり、よりよいゴールを目指す議論ではない。
 まだ遅くない。十月十四日までの会期中、一人でも多くの人が、さまざまな表現に触れ、自由について考えてほしい。

 (文化部・谷口大河)