共謀罪「一般人は無関係」 治安維持法と似た論法
2017/1/24 中日新聞
過去に三度も廃案になりながら、またもや国会に提出される見通しとなっている「共謀罪」法案。菅義偉官房長官は「一般の方々が(逮捕や処罰の)対象となることはあり得ない」と発言したが、この言葉をうのみにはできない。戦前に思想、宗教、大衆運動の弾圧に猛威を振るった治安維持法も、導入時点では「世間が心配するようなことはない」「社会運動を抑圧しない」と説明されていたからだ。
「従前の共謀罪とは別物だ。一般の方々が対象になることはあり得ない」。菅官房長官は今月の記者会見でこう言い放った。
金田勝年法相も記者会見で同様の発言をした。安倍政権は共謀罪新設に対する国民の懸念を拭い去ることに躍起となっている。
しかし、日本弁護士連合会(日弁連)の共謀罪法案対策本部は「共謀罪は普通の会社や組合、市民団体が対象になり得る」と指摘。副本部長の海渡雄一弁護士らは法案を「平成の治安維持法」と評している。
治安維持法は戦前、戦時の政府や軍隊を支えた「希代の悪法」だ。一九二五年にこの法律が成立した当時も、政府は今回と同様に「一般人は無関係」と宣伝していた。
当時の東京朝日新聞(現・朝日新聞)によると、法案提出前の同年二月十二日、若槻礼次郎内相が「露国政府の息のかかつた国体なぞの宣伝を禁止してゐ(い)るものであつて個人の宣伝は禁止してはゐない」と発言。
二月二十日の衆院本会議でも、若槻内相は「世間では本法は労働運動をそ止するものゝ如(のごと)く解するものもある様だがこれは大なる誤りで労働者がその地位の向上を期する為(ため)に運動することには少しの拘束をも加へるものではない」と答弁し、一般の労働者は無関係だと強調した。二二年に国会に提出されながら、廃案となった「過激社会運動取締法」と類似しているとの指摘についても「本案とは明らかに別物」と言い切った。
五月十一日の施行直前には、治安維持法は「伝家の宝刀」で社会運動は抑圧されない、との見解を警視庁幹部が示していた。それでも、大阪で労働者約四千人が、治安維持法などに反対するデモに参加したとの報道がある。
当時、多くの新聞が法案に批判的だった。中日新聞の前身の「新愛知」は「憲法に許された自由権を褫奪(ちだつ)するもの 治安維持法反対に蹶起(けっき)した各派有志代議士聲明(せいめい)」「悪法の反対に名古屋労働記者團(だん)起つ」と、反対世論が根強いことを報じた。東京新聞(中日新聞東京本社)の前身の「国民新聞」は法案提出の際、「反対の大勢を排して」と明記。もう一つの前身「都新聞」は「悪法の運命 いよいよ明日決る」と委員会審議を取り上げた。
法案が衆院本会議で可決すると、東京朝日新聞は「世論の反対に背いて治安維持法可決さる」と見出しを打った。東京日日新聞(現・毎日新聞)は「『多数』の威力で蹂躙(じゅうりん)さるゝ(る)正論公議」との見出しで、「別名を『悪法』と称せられる治安維持法案」などと反対派の主張を大きく取り上げた。
読売新聞も「愚劣か仇敵(きゅうてき)か 再び治安維持法案に就(つい)て」という見出しのコラムで、同法案は「政府の軽率な惰勢に依つて提案せられ無知と誤解の議会に依つて賛成せられ司直の自惚(うぬぼ)れに依つて強行せられんとしてゐる。善意ならば其(その)愚及ぶべからずであるが悪意ならば民衆の仇敵である」と批判した。
◆成立後に拡大解釈、摘発続出
治安維持法は、天皇制と周辺機構を指す「国体」の変革と私有財産制度の否認を掲げた結社の組織やそれへの参加の処罰を主な目的としていた。その後、二度の改悪や拡大解釈により、宗教団体や俳句結社までもが弾圧の標的となった。
法案が審議された二五年三月の貴族院の特別委員会で答弁した小川平吉法相(当時)は、その広範な取り締まり機能への期待を率直に述べている。
「予備の又(また)予備のやうなものまでも処罰しやうと云(い)ふ是は非常に特別な立法であります。故に之を門前で喰(く)ひ止める、即(すなわ)ち唯(ただ)人と相談したとか、やれ煽動(せんどう)したとか、誠に予備の又予備のやうなことでありまするがそれに大変重い刑罰を科すると云ふ訳であります」
戦前の治安弾圧に詳しい荻野富士夫・小樽商科大特任教授(日本近現代史)は「本質をついている」と、この発言に着目する。
「戦時体制へと向かう中で、治安維持法などが整備され、明確な反戦運動のみならず、戦争への国民の不安や不満といった意識や信条まで弾圧し、行動を起こす前に封じ込めた。この状況は特定秘密保護法や安保関連法の成立後に提案されようとしている、今の『共謀罪』法案にも通じる」
治安維持法が成立した背景には、大正デモクラシーの流れを受け、同年成立した満二十五歳以上の男性を全て有権者とする普通選挙法や、日ソ国交樹立の動きに対応して活発化する社会主義者らの運動を抑えたい政府の危機感があった。
治安維持法が本格的に適用された二八年の「三・一五事件」では、共産党員ら約千六百人が全国で一斉検挙された。三角形の柱の上に座らせてひざに石を置く、天井からぶら下げて頭に血を逆流させる、といった拷問で自白を強要した。
この事件を機に同法は改悪され、同年の緊急勅令で最高刑が死刑に引き上げられ、新たに「目的遂行罪」が導入された。これは結社の目的を遂行するのに資した行為一切を指す。結社の一員でなくても構成員をかくまったり、宣伝物を預かっただけで罪に問えるようになった。「犯罪前の準備行為を要件とする共謀罪と、目的遂行罪は似た性格だ」と荻野氏は指摘する。
目的遂行罪により、制定時の若槻内相の議会答弁からすれば含まれるはずのない行動、社会科学文献の読書会や入獄者への救援活動までも、同法違反とみなされるようになった。
法の拡大解釈は進み、三一~三三年の年間検挙数は一万人を突破。四一年の改悪では三審制から二審制へと司法手続きが緩和され、刑期を終えた後も再犯の恐れがあるとみなされれば拘禁が続けられる「予防拘禁制度」もつくられた。
荻野氏によると、警察の公式統計だけで、敗戦の四五年までの約十七年間で検挙者数の総計は六万八千人を超える。同法で拘束された作家の小林多喜二氏が拷問死したり、メディア関係者が弾圧され、四人が獄死した横浜事件など多くの犠牲者を生み出した。
「治安維持法にある『国体』という言葉には魔力がある。特高警察に『天皇の警察官』を自負させ、法を逸脱したスパイ捜査や体制に歯向かう者への拷問へと駆り立てた。これを出されたら何も言えない、反論を封じ込める『印籠』のような概念で、共謀罪法案の『五輪のためのテロ対策』と重なる」と訴える。
共産党やその外郭運動の解体から、やがて戦時体制批判まで封殺し、「国体」への忠誠を強制的に導いた治安維持法。「同法の歴史を見れば分かるように治安法制は一度適用されれば増殖し、拡張していく。対象犯罪を絞っても、集団の定義を絞っても、本質的な危険は消えない。『一般人には関係ない』わけがない」
(安藤恭子、三沢典丈)
<治安維持法> 1925年4月、共産主義運動団体を取り締まることを目的に制定された。背景には、17年のロシア革命と国際共産主義運動に対する政府の懸念があった。成立当初、処罰対象は「国体の変革(天皇制の廃止)」や「私有財産制度の否認」を目的とする団体に限定するとされていたが、その後、なし崩し的に対象は拡大した。
2017/1/24 中日新聞
過去に三度も廃案になりながら、またもや国会に提出される見通しとなっている「共謀罪」法案。菅義偉官房長官は「一般の方々が(逮捕や処罰の)対象となることはあり得ない」と発言したが、この言葉をうのみにはできない。戦前に思想、宗教、大衆運動の弾圧に猛威を振るった治安維持法も、導入時点では「世間が心配するようなことはない」「社会運動を抑圧しない」と説明されていたからだ。
「従前の共謀罪とは別物だ。一般の方々が対象になることはあり得ない」。菅官房長官は今月の記者会見でこう言い放った。
金田勝年法相も記者会見で同様の発言をした。安倍政権は共謀罪新設に対する国民の懸念を拭い去ることに躍起となっている。
しかし、日本弁護士連合会(日弁連)の共謀罪法案対策本部は「共謀罪は普通の会社や組合、市民団体が対象になり得る」と指摘。副本部長の海渡雄一弁護士らは法案を「平成の治安維持法」と評している。
治安維持法は戦前、戦時の政府や軍隊を支えた「希代の悪法」だ。一九二五年にこの法律が成立した当時も、政府は今回と同様に「一般人は無関係」と宣伝していた。
当時の東京朝日新聞(現・朝日新聞)によると、法案提出前の同年二月十二日、若槻礼次郎内相が「露国政府の息のかかつた国体なぞの宣伝を禁止してゐ(い)るものであつて個人の宣伝は禁止してはゐない」と発言。
二月二十日の衆院本会議でも、若槻内相は「世間では本法は労働運動をそ止するものゝ如(のごと)く解するものもある様だがこれは大なる誤りで労働者がその地位の向上を期する為(ため)に運動することには少しの拘束をも加へるものではない」と答弁し、一般の労働者は無関係だと強調した。二二年に国会に提出されながら、廃案となった「過激社会運動取締法」と類似しているとの指摘についても「本案とは明らかに別物」と言い切った。
五月十一日の施行直前には、治安維持法は「伝家の宝刀」で社会運動は抑圧されない、との見解を警視庁幹部が示していた。それでも、大阪で労働者約四千人が、治安維持法などに反対するデモに参加したとの報道がある。
当時、多くの新聞が法案に批判的だった。中日新聞の前身の「新愛知」は「憲法に許された自由権を褫奪(ちだつ)するもの 治安維持法反対に蹶起(けっき)した各派有志代議士聲明(せいめい)」「悪法の反対に名古屋労働記者團(だん)起つ」と、反対世論が根強いことを報じた。東京新聞(中日新聞東京本社)の前身の「国民新聞」は法案提出の際、「反対の大勢を排して」と明記。もう一つの前身「都新聞」は「悪法の運命 いよいよ明日決る」と委員会審議を取り上げた。
法案が衆院本会議で可決すると、東京朝日新聞は「世論の反対に背いて治安維持法可決さる」と見出しを打った。東京日日新聞(現・毎日新聞)は「『多数』の威力で蹂躙(じゅうりん)さるゝ(る)正論公議」との見出しで、「別名を『悪法』と称せられる治安維持法案」などと反対派の主張を大きく取り上げた。
読売新聞も「愚劣か仇敵(きゅうてき)か 再び治安維持法案に就(つい)て」という見出しのコラムで、同法案は「政府の軽率な惰勢に依つて提案せられ無知と誤解の議会に依つて賛成せられ司直の自惚(うぬぼ)れに依つて強行せられんとしてゐる。善意ならば其(その)愚及ぶべからずであるが悪意ならば民衆の仇敵である」と批判した。
◆成立後に拡大解釈、摘発続出
治安維持法は、天皇制と周辺機構を指す「国体」の変革と私有財産制度の否認を掲げた結社の組織やそれへの参加の処罰を主な目的としていた。その後、二度の改悪や拡大解釈により、宗教団体や俳句結社までもが弾圧の標的となった。
法案が審議された二五年三月の貴族院の特別委員会で答弁した小川平吉法相(当時)は、その広範な取り締まり機能への期待を率直に述べている。
「予備の又(また)予備のやうなものまでも処罰しやうと云(い)ふ是は非常に特別な立法であります。故に之を門前で喰(く)ひ止める、即(すなわ)ち唯(ただ)人と相談したとか、やれ煽動(せんどう)したとか、誠に予備の又予備のやうなことでありまするがそれに大変重い刑罰を科すると云ふ訳であります」
戦前の治安弾圧に詳しい荻野富士夫・小樽商科大特任教授(日本近現代史)は「本質をついている」と、この発言に着目する。
「戦時体制へと向かう中で、治安維持法などが整備され、明確な反戦運動のみならず、戦争への国民の不安や不満といった意識や信条まで弾圧し、行動を起こす前に封じ込めた。この状況は特定秘密保護法や安保関連法の成立後に提案されようとしている、今の『共謀罪』法案にも通じる」
治安維持法が成立した背景には、大正デモクラシーの流れを受け、同年成立した満二十五歳以上の男性を全て有権者とする普通選挙法や、日ソ国交樹立の動きに対応して活発化する社会主義者らの運動を抑えたい政府の危機感があった。
治安維持法が本格的に適用された二八年の「三・一五事件」では、共産党員ら約千六百人が全国で一斉検挙された。三角形の柱の上に座らせてひざに石を置く、天井からぶら下げて頭に血を逆流させる、といった拷問で自白を強要した。
この事件を機に同法は改悪され、同年の緊急勅令で最高刑が死刑に引き上げられ、新たに「目的遂行罪」が導入された。これは結社の目的を遂行するのに資した行為一切を指す。結社の一員でなくても構成員をかくまったり、宣伝物を預かっただけで罪に問えるようになった。「犯罪前の準備行為を要件とする共謀罪と、目的遂行罪は似た性格だ」と荻野氏は指摘する。
目的遂行罪により、制定時の若槻内相の議会答弁からすれば含まれるはずのない行動、社会科学文献の読書会や入獄者への救援活動までも、同法違反とみなされるようになった。
法の拡大解釈は進み、三一~三三年の年間検挙数は一万人を突破。四一年の改悪では三審制から二審制へと司法手続きが緩和され、刑期を終えた後も再犯の恐れがあるとみなされれば拘禁が続けられる「予防拘禁制度」もつくられた。
荻野氏によると、警察の公式統計だけで、敗戦の四五年までの約十七年間で検挙者数の総計は六万八千人を超える。同法で拘束された作家の小林多喜二氏が拷問死したり、メディア関係者が弾圧され、四人が獄死した横浜事件など多くの犠牲者を生み出した。
「治安維持法にある『国体』という言葉には魔力がある。特高警察に『天皇の警察官』を自負させ、法を逸脱したスパイ捜査や体制に歯向かう者への拷問へと駆り立てた。これを出されたら何も言えない、反論を封じ込める『印籠』のような概念で、共謀罪法案の『五輪のためのテロ対策』と重なる」と訴える。
共産党やその外郭運動の解体から、やがて戦時体制批判まで封殺し、「国体」への忠誠を強制的に導いた治安維持法。「同法の歴史を見れば分かるように治安法制は一度適用されれば増殖し、拡張していく。対象犯罪を絞っても、集団の定義を絞っても、本質的な危険は消えない。『一般人には関係ない』わけがない」
(安藤恭子、三沢典丈)
<治安維持法> 1925年4月、共産主義運動団体を取り締まることを目的に制定された。背景には、17年のロシア革命と国際共産主義運動に対する政府の懸念があった。成立当初、処罰対象は「国体の変革(天皇制の廃止)」や「私有財産制度の否認」を目的とする団体に限定するとされていたが、その後、なし崩し的に対象は拡大した。