危機あおる?ミサイル避難訓練(2018年2月28日中日新聞)

2018-02-28 08:46:03 | 桜ヶ丘9条の会
危機あおる?ミサイル避難訓練 

2018/2/28 中日新聞

 北朝鮮のミサイル発射や核実験を受け、国と地方自治体による住民避難訓練が全国で実施されている。建物内や地下に隠れ、頭を抱えてしゃがみ込む形態だが、名古屋大大学院の高橋博子研究員(米国史)はそのモデルが1950年代初めの米国での「民間防衛計画」にあるのでは、と指摘する。旧ソ連との核開発競争下、非科学的で国民の心理操作の色彩が濃いと批判された訓練だ。これが現代の日本で復活したようにみえる。

 「ダック・アンド・カバー(伏せて、隠れろ)」

 掛け声を受け、カメのアニメキャラクターが甲羅に隠れる。学校では子どもたちが机の下で頭を抱え、道路にいた人は壁際にうずくまる。米国の民間防衛計画が、核兵器への対処法を示した五一年の教育映画だ。

 一連の動きは「頑丈な建物や地下に避難する」「物陰に身を隠すか地面に伏せ頭部を守る」という日本のミサイル避難訓練にうり二つ。高橋氏は「当時、米政府は爆風、熱射、爆発後一分間の初期放射線だけ気を付ければ助かる、と喧伝(けんでん)していた」と解説する。

 五二年には、こうした訓練を呼び掛けるトラックが全米で巡回展を開き、百万人近くが見学した。ただ、同計画のマニュアルでは広島、長崎の原爆の被害を被爆者よりも、きのこ雲と廃虚の写真を中心に紹介。非科学的に「やけどは白い服で防げる」などと人体への影響をごまかしていた。

 「黒い雨」などの放射性降下物や、食べ物による内部被ばくなど残留放射線の影響は無視。「指示に従えば、被害は縮小できるというメッセージだけを国民に伝えた。五五年の原爆実験では市民を救出訓練に参加させ、映像をテレビで流して懸念を払拭(ふっしょく)させた」

 こうした考えは、昨年からの日本での住民避難訓練のマニュアルにもうかがえる。ミサイルによる核・生物・化学(NBC)兵器の攻撃に備えて「屋外では口と鼻をハンカチで覆い、屋内では窓を閉める」などと記されているが、そうした行動の効果の限定性にはほとんど触れていない。

 米国での民間防衛計画の目的は何だったのか。

 当時は旧ソ連の原爆開発で、米国による核の独占が崩れ、国民の不安が高まっていた。高橋氏はそうした状況下、米政府は核戦争に勝利するため、訓練で核攻撃にひるまず、救助や復興に動員できる国民を養成しようとしたと解説する。

 「米政府は広島・長崎の被爆者調査などで、残留放射線の危険性を把握していた。しかし、公式にはそれを認めず、民間防衛計画を実施し、核実験直後に兵士を爆心地に向かわせる訓練すらしている。国民の心理操作が狙いで、ソ連への敵意をあおりつつ、パニックを起こさないようにした」

 残留放射線の危険性を隠した狙いは、国民を安心させるとともに、原爆の残虐性を否定し、米国に対する責任追及をかわすためだったとみる。原爆投下直後、敗戦までの間に日本は米国に対し「新型爆弾(原爆)」の使用は、残虐な兵器の使用を禁じるハーグ陸戦条約に違反すると抗議していた。「だが、米国にとって核はこれからも使う兵器であり、国際法違反と分かるのはまずい。そのため、爆風、熱射、初期放射線の後は何もなかったイメージをつくり、報道も規制した」

 皮肉なことに、戦後の日本はこうした米国による核の印象操作を受け継いだ。

 被爆者の原爆症認定では、残留放射線の影響を過小評価。二〇〇四年制定の国民保護法下での核攻撃対処指針には「口をハンカチで覆う」といった、今回の避難訓練マニュアルにつながる考えが盛り込まれた。

 この指針に反発した広島市は〇七年、破壊、汚染された都市での救助活動や心身の後遺症に効果的な対策をとるのは不可能とする、核攻撃についての被害想定を発表。「市民を守るには核兵器を使用させないほかない」と核廃絶を求めた。

 米国では、旧ソ連が大陸間弾道ミサイル(ICBM)を開発した五〇年代末以降、核の脅威による核抑止論がひねり出され、「ダック・アンド・カバー」の訓練は姿を消していった。

 それが現在の日本で復活したことについて、高橋氏は「北朝鮮への敵意をあおり、国民を戦時体制に向かわせる意図がある」と分析する。それを批判した上で高橋氏は「冷静に対話の糸口を探し、緊張緩和の道を探る」、本来の被爆国の姿勢に立ち返るよう求める。

 「広島・長崎の経験がある日本がこういう訓練をしていると、核戦争になってもこれで助かるという誤解を世界に発信してしまう。訓練すればするほど、核の使用のハードルは下がり、核戦争の危険は高まる。政府は核を持つことは非人道的で許されないという精神に戻り、核兵器禁止条約を批准しなくてはならない」

 一連のミサイル攻撃に備えた住民避難訓練は昨年三月、秋田県男鹿市で初めて実施された。その後、国と地方自治体の合同で二十四都道県の二十七カ所で展開(今年二月現在)されたほか、自治体独自でも展開されている。大半を占める地方都市では「なぜ、ここで」という声も上がる。

 実施主体の内閣官房の担当者は建物に隠れ、しゃがみ込むのは「爆風や破片を防ぐため」と話す。効果を疑問視する見方には「どんな攻撃にも大丈夫とは言えないが、被害を局限化するために行っている」と強調する。残留放射線の影響については「放射性物質の種類などにもよるが、地下や建物の中心に行けば、一定程度軽減される」と説明。「一八年度も当然行っていくと思う」と言う。

 文部科学省は今月十四日、小中学校などの危機管理マニュアルの手引にミサイル対応を追加。一八年度は全国の教育委員会などの訓練状況を調査し、公表する。これまでの調査では自治体から「通学路に頑丈な建物がない」「児童生徒の不安への配慮が必要」といった声も出ているが、文科省の担当者は「適切な行動で被害を最小限にできる。自治体には、必要以上に子どもを不安にさせないよう求めている」と話す。

 こうした動きに対し、昨年十一月に長崎県雲仙市であった訓練では、同県の被爆者五団体などが「着弾までに避難する時間はなく、非現実的」と中止を要請した。原爆投下直後に多くの死体を見た長崎原爆被災者協議会の森内実副会長(81)は「核兵器の怖さを知らない訓練だ。落とされたら助からない」と憤る。長崎で被爆した親族は外形上は無傷だったが間もなく衰弱死し、自身は複数のがんで原爆症に認定されている。

 長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会の川野浩一議長(78)も「バケツリレーで空襲の火災を消そうとした防空訓練のようだ。戦前は断れば『非国民』とされたが、現在も自治体が中央に反対しづらい雰囲気がある」と漏らす。


 被爆者五団体は北朝鮮を含むあらゆる国の核実験に抗議してきたが、政府は北東アジア非核化に向けた対話に消極的だったと指摘する。「国民の恐怖心をあおる訓練より、ミサイル発射や核実験を食い止める外交に力を注ぐべきだ」

 (橋本誠)

グアンタナモ 米国の汚点なぜ拭わぬ(2018年2月26日中日新聞)

2018-02-26 08:24:25 | 桜ヶ丘9条の会
グアンタナモ 米国の汚点なぜ拭わぬ 

2018/2/26 中日新聞
 トランプ米大統領がグアンタナモ収容所の存続を命じた。無実の人も拘束したばかりか、拷問による尋問という非道ぶりが国際社会から非難を浴びる施設だ。閉鎖しないのでは人権大国の名が泣く。

 グアンタナモ収容所は二〇〇一年の米中枢同時テロ後、キューバにある米海軍基地に設けられた。「テロとの戦い」によって拘束・収容されたアフガニスタン人やイエメン人、サウジアラビア人らが最も多い時で八百人近くいた。

 トランプ氏は先月、収容所の存続を命じる大統領令を出した。命令は収容所が「合法、安全、人道的であり、国内法と国際法にも合致している」と強弁しているのだから恐れ入る。

 存続支持派は、釈放されてテロ活動に舞い戻った者もいると主張するが、身に覚えのない疑いをかけられて拘束された人もいた。収容者は大量の水を顔に注ぎ続けて息ができないようにする「水責め」の拷問に遭い、しかも正式な裁判も受けられないまま長期間拘禁される。

 人権団体によると、現在収容されている四十一人の拘束期間は、全員が十年以上に及ぶ。

 テロ容疑者を米国内に移送すれば、米憲法に基づいて容疑者の人権を保障する必要が生じる。

 その点、グアンタナモはキューバから「租借」している土地でキューバに主権があり、米国の管轄権は及ばない。ご都合主義もはなはだしい。

 収容所の閉鎖を公約したオバマ前大統領は、政権末期の一六年二月、閉鎖計画を議会に提出した。オバマ氏は「収容所はわれわれの価値観とは相いれない。法の支配を尊重する米国の汚点だと見なされている」と指摘した。

 収容所の年間経費も約四億五千万ドル(約四百八十億円)に達するとして閉鎖を求めたが、共和党主導の議会は動かなかった。

 トランプ氏は拷問に賛成する人権感覚の薄い人物だ。そんな人が出した大統領令が、必要ならば新たな拘束者の収容もあり得るとしている点も看過できない。

 米国は十九世紀にスペインとの戦争に勝ってキューバを保護国化し、グアンタナモに基地を建設した。一九五九年のキューバ革命で誕生した現社会主義政権は基地の返還を要求しているが、米国はフランクリン・ルーズベルト政権時に交わした条約を盾に拒んでいる。

 米国は帝国主義時代の残滓(ざんし)に向き合ってはどうか。

真実を見極める目を 週のはじめに考える(2018年2月25日中日新聞)

2018-02-25 09:24:33 | 桜ヶ丘9条の会
真実見極める目を 週のはじめに考える 

2018/2/25 中日新聞
 アウシュビッツ収容所解放から七十三年。老いた生存者らは排外主義の復活を憂えている。真実を見極めデマに惑わされまい。今、必要な教訓でしょう。

 ナチスがポーランド南部に設置しユダヤ人らを虐殺した収容所がソ連軍によって解放されてから、先月二十七日で七十三年がたちました。区切りのいい節目の年ではないが、跡地の博物館やドイツでは、ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の犠牲者に対する追悼行事が開かれました。

 国際軍事法廷ニュルンベルク裁判などでナチスの犯罪が裁かれ、アウシュビッツは悪の象徴として世界中に知られていますが、その存在は、すんなりと受け入れられてきたわけではありません。

アウシュビッツ巡る裁判


 昨年公開された英米合作映画「否定と肯定」は、一九九六年、英国の男性歴史家アービング氏をホロコースト否定論者と批判したユダヤ人女性歴史家リップシュタット氏が、逆に名誉毀損(きそん)で訴えられた実話をもとにしています。

 アービング氏は在野の研究者。第二次大戦に関する著書を続々と出版し、ガス室などによるホロコーストを否定、ネオナチらの支持を得ていました。

 英国の裁判では、訴えられた側に立証責任がありますが、弁護団はリップシュタット氏に発言させず、ホロコースト生存者にも証言させませんでした。

 双方の主張を同じ土俵に乗せるのではなく、アービング氏の虚偽を徹底的に追及する戦術です。

 収容所には毒ガス「チクロンB」を投げ入れる穴は存在せず、ガス室はなかった-との主張に対しては、米軍が撮影した収容所の航空写真を証拠に、屋根に円柱状の穴があったと反論した。

 アービング氏の日記や講演から「黒人クリケット選手に吐き気がする」などの人種差別的発言や姿勢を暴き出し、ホロコースト否定につながったとも指摘した。

 二〇〇〇年に下された判決ではリップシュタット氏が勝訴し、アービング氏の上訴も退けられて確定しました。

 ガス室は証拠隠滅を図るナチスによって破壊され遺体は焼却され、ホロコーストの真実の解明には困難も多くありました。

ドイツも損なううそ


 当初、収容所を解放したソ連の調査でアウシュビッツの犠牲者数は約四百万人とされたが、ポーランドは冷戦後、移送記録などをもとに、確認できた犠牲者は百十万人程度と修正しました。

 しかし、南京事件のように死者数を巡る論争はなく、ホロコーストの責任を認め過ちを繰り返すまいと誓うドイツの姿勢は一貫しています。ホロコーストの本質は数ではない、とのコンセンサスが出来上がっているのでしょう。

 そんなドイツにも、ホロコーストを否定する女性(89)がいます。本紙ベルリン支局の垣見洋樹記者によると、空襲や戦後の追放などドイツ人の被害を強調します。民衆扇動罪で有罪判決を受けましたが、主張はユーチューブで広がっているそうです。

 メルケル独首相はアウシュビッツ解放記念日の声明で「反ユダヤ主義、外国人への反感や憎悪は今再び、日常茶飯事となっている」と警告しました。殺到する難民や欧州で相次いだテロにドイツの寛容も揺らいでいます。

 流れに乗り、「ドイツのための選択肢」が連邦議会(下院)で第三党に躍進しました。ベルリンのホロコースト慰霊碑を「恥」と評した幹部を除名しなかった極右的政党が広く受け入れられたことは、ドイツ社会の変質さえ予感させます。

 「アウシュビッツのうそ」を厳しく戒めてきたドイツをさえむしばむフェイクニュース(偽ニュース)や客観性を重視しないポスト真実は、差別感情や対立をあおりながら世界にまん延しています。

 欧州連合(EU)離脱の是非を問うた英国民投票では「EUに巨額の金を支払っている」「移民が社会保障を食い物にしている」などの虚説が唱えられた。

 トランプ米大統領は「地球温暖化はでっち上げ」と言い切り、具体的脅威がないのにイスラム圏からの入国を禁じた。

 日本のネット上にも、差別や憎悪に満ちた言説が飛び交うようになり、判断材料にされます。

英国では後悔も


 英国民投票で、EU離脱を支持し、「だまされた」と後悔する人も多かったといいます。

 来年三月に期限を切られた離脱交渉は容易ではなく、取り決めがまとまらないまま、英国が国際的に孤立し漂流してしまう不安も日に日に強まっています。

 今、世界が必要とするのは、もっともらしい主張の虚偽を見抜くこと-アウシュビッツから学ぶべき教訓はまだまだ多いのです。

102歳の自殺 原発事故のもつ罪深さ(2018年2月24日中日新聞)

2018-02-24 09:28:45 | 桜ヶ丘9条の会
102歳の自殺 原発事故のもつ罪深さ 

2018/2/24 中日新聞
 福島第一原発事故による強制避難を前に百二歳の男性が自殺した。福島地裁が東京電力に対し遺族への賠償を命じたのは、事故との因果関係を認めたからだ。原発事故の罪深さをあらためて思う。

 福島県飯舘村。農家で生まれた男性は長男で、尋常小学校を出たあと、父母とともに農地を開拓した。牛馬を飼い、田畑を耕した。葉タバコや養蚕も…。

 次男の妻は共同通信に対し、「年を重ねてからは老人会で温泉に出掛け、地域の祭りでは太鼓をたたいて楽しんでいた」と答えている。九十九歳の白寿を祝う宴には、村中から百人近くも集まったともいう。そのとき、「大好きだった相撲甚句を力強く披露した」とも次男の妻は語り、忘れられない姿となったという。

 二〇一一年。原発事故が起こり、飯舘村が避難区域となると知ったのは四月十一日である。

 「やっぱりここにいたいべ」

 男性はこうつぶやいたという。両手で頭を抱えるようなそぶりで下を向いた姿を見ている。二時間もテレビの前で座り込んでいた。

 次男の妻は「避難指示はじいちゃんにとって、『死ね』と言われるのと同じだった」と受け止めている。確かにそうだろう。

 福島地裁の判決も、男性の百年余に及ぶ人生を語っている。

 <結婚や八人の子の誕生と育児、孫の誕生を経験し、次男の妻、孫と生活した。村の生活は百年余りにわたり、人生そのもので家族や地域住民との交流の場だった>

 だから、避難は男性にとり、過酷なストレスとなる。科学的に言えば、降った放射性物質セシウム137の半減期は約三十年。避難は長期にわたるのは必至で、これも耐えがたい苦痛である。

 「ちいと俺は長生きしすぎたな」と避難前にこぼした。判決は「不自由な避難生活の中で家族に介護という負担をかけるのを遠慮したと認めるのが相当」と述べた。原発事故と避難が男性を押しつぶすストレスを与えた。そして、首を吊(つ)って自殺したのだ。

 原発事故での自殺をめぐる訴訟で東電への賠償命令はこれで三件目になる。一方、東日本大震災や原発事故の関連自殺者は厚生労働省調べで一七年までに、福島県は九十九人。岩手県や宮城県のほぼ倍だ。

 政府は原発再稼働の政策を進める。だが、原発事故という取り返しのつかない罪をこの判決は、われわれに思い出させる。
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金子兜太氏死去 平和の俳句たたえつつ(2018年2月22日中日新聞)

2018-02-22 08:09:42 | 桜ヶ丘9条の会
金子兜太氏死去 平和の俳句たたえつつ 

2018/2/22 中日新聞
 俳人の金子兜太さんは平和の尊さを訴え続けた人だ。貫いた反戦には自らの戦争体験がある。戦後七十年の二〇一五年から本紙「平和の俳句」の選者であったのも、危うい世相への抵抗であろう。

 <水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る>

 一九四四年に海軍主計中尉として西太平洋のトラック島(現在のチューク諸島)に派遣され、終戦を迎えた。捕虜になり、四六年に復員する。島を去るときに詠んだのが冒頭の句である。

 旧制水戸高校時代から本格的に俳句を始め、東大時代に加藤楸邨(しゅうそん)に師事した。四三年に日本銀行に入行するも、直後に海軍へと。「炎天の墓碑」とは、何とも虚(むな)しい光景であることか。

 金子さんのそれまでの人生が軍国主義の時代の中であることは間違いない。たとえ詩歌の世界であっても、安易に国家や軍を批判することはできなかった。

 日本国憲法ができ、戦後社会はがらりと変わった。その最大の動力となったのは「表現の自由」である。文学はもとより、社会科学や自然科学の世界も自由の力で、戦後日本は躍進を遂げ、百花繚乱(ひゃっかりょうらん)のにぎわいをみせたのだ。

 金子さんもまた、戦後の俳句改革運動の中心になった。「社会性俳句」「造形俳句」を提案、前衛俳句運動をリードし、理論的支柱となった。社会性や抽象性に富んだ無季の句を提唱したのだ。

 見逃せないのが、平和運動に尽力したことだ。四七年に日銀に復職し、被爆地の長崎で勤務したこともある。

 <彎曲(わんきょく)し火傷し爆心地のマラソン>

 日銀時代に詠んだ句である。長崎県被爆者手帳友の会の井原東洋一会長は「体を張って権力に対抗する人という印象を持っていた」と共同通信に答えている。

 確かに戦後日本のありようが変わりつつある。特定秘密保護法や集団的自衛権の閣議決定、安全保障法制、憲法改正への動き…。

 三年間で十三万句以上が集まった「平和の俳句」は、あたかも“軍事”へと向かう権力への庶民の対抗だったと思う。その意味でも選者の金子さんはまさしく「権力に対抗する人」だった。最後に寄せた自身の句は

 <東西南北若々しき平和あれよかし 白寿兜太>

 戦争を知らず平和を鼻で笑う政治家が跋扈(ばっこ)する世の中だ。「若々しき平和」を詠む俳人の死は高齢といえどあまりに惜しい。