「当たり前」をかみしめて 平成のおわりに(2019年4月30日中日新聞)

2019-04-30 08:59:47 | 桜ヶ丘9条の会
「当たり前」をかみしめて 平成のおわりに 

2019/4/30 中日新聞
 今日で天皇陛下が退位され、平成の時代が終わります。特別な節目の日ではありますが、思い浮かぶのは特別とは正反対、「当たり前」のことです。

 一九八九年一月七日付の小紙の社説は「矛盾が多い消費税の価格転嫁」など二本で、「昭和のおわりに」という社説は載っていません。当然、その日が昭和の終わりになることを事前に誰も知らなかったからです。

 とまれ、平成はその翌日に始まり三十年余。思えば、呱々(ここ)の声を上げた嬰児(みどりご)が大人に、紅顔の美青年が厚顔な中高年になるほどの時間です。社説で言えば、平成時代にざっと二万本が書かれた勘定。本稿が最後の一本かと思えば、いささかの感慨を禁じ得ません。

原発に制御されている

 ここしばらく、メディアでは多くの平成回顧が見られました。吉凶ないまぜ、本当にいろんなことがあったのですが、「平成時代にあったこと」を一つと言ったら、やはり多くの人が東日本大震災を挙げるのではないでしょうか。

 地震・津波の恐るべき力が夥(おびただ)しい数の命を奪いました。そして、原発事故。『ジュラシック・パーク』の恐竜みたいに、人間が作り出したものが人間の制御を離れて暴走する恐怖は、それまで味わったことのない種類の恐怖でした。

 あれだけのことが起きたのに、なかったことにするつもりか、政府はなお原発「維持」に拘泥しています。もはや時代遅れ、安全性どころか経済合理性だって大いに疑問です。事故当事国の日本こそ真っ先に方向転換し、再生可能エネルギーに未来の活路を見いだすべきだったのに、今や他国に相当後れをとっています。

 動かない、いや動けないのか。もしや、いつか首相が言った「アンダーコントロール」とは、原発が制御されている、ではなく、原発に制御されている、の謂(いい)だったのでしょうか。

何でもないことの平安

 俳人長谷川櫂さんの震災直後の作歌に、忘れがたい一首があります。<ラーメン屋がラーメンを作るといふことの平安を思ふ大津波ののち>

 あの震災と原発事故で、私たちは、それ以前には、何でもない、当たり前と思っていたことが、実はどれほど大事なものだったのかを、あらためて思い知りました。

 「行ってきます」と出て行った子が「ただいま」と帰ってくる。夕餉(ゆうげ)の食卓には家族の顔がそろう。電車は時間通り動き、パン屋にはパンが並び、コンビニにはビールや弁当やお菓子があふれ、夜の街ではネオンがまたたく。故郷の家にずっと暮らすことができて、日本の産品は「安全」の代名詞のように諸外国に扱われる…。

 こうした多くの「当たり前」が震災・原発事故で失われました。

 ここで「平成時代にあったこと」から「平成時代になかったこと」に話を転ずるなら、まず挙げるべきは、戦争だと思います。

 近代以後、明治にも大正にも昭和にもあったが、平成の時代にだけは、それがなかった。

 考えてみれば、戦争ほど、人々の営みの「当たり前」を奪い去るものはありません。過去の戦争では、どれほどの「行ってきます」が「ただいま」に帰り着けず、どれほどの「お帰りなさい」が重くのみ込まれたまま沈黙の淵(ふち)へと沈んだか。食べるものがある、住む所や働く所、学ぶ所がある。そうした無数の「当たり前」を戦争は燃やし、壊しました。

 昭和がその後半、どうにか守った「戦後」を平成は引き継ぎ、守り抜いた。そのことは無論、素晴らしい。ですが、このごろ、どうにもきなくさいのです。

 他国の戦争に加われるようにする憲法解釈の変更に始まり、それに基づく安保法などの法整備、さらには事実上の空母を持つとか、敵基地攻撃可能な巡航ミサイルを持つとか、安倍政権が次々打ち出す策は「専守防衛」を骨抜きにし、「平和主義」をぐらぐらと揺さぶっています。

 まるで、「戦後」という平和の鐘が一つ、また一つと溶かされ、まがまがしい「戦前」という剣に鋳直されていくような。

 歴史や過去に学ぶのなら、「戦後を維持し、原発から脱却する」のが当然なのであって、「戦後から脱却し、原発を維持する」なんて、そう、あべこべです。

「戦後」を脱却させない

 どうあっても「戦後」は続けなければなりません。無論、明日から始まる新たな時代も、ずっと。

 高浜虚子の名句を借りるなら、そうした私たちの誓い、願いこそが<平成令和貫く棒の如(ごと)きもの>であると信じます。少なくとも人間のやることで、人々のかけがえのない「当たり前」が奪われることがないように。「当たり前」の平安をかみしめながら、平成の背中を見送りたいと思います。


高濃度有機フッ素化合物汚染 政府の無策は許されない(2019年4月25日琉球新報)

2019-04-29 09:20:13 | 桜ヶ丘9条の会
<社説>高濃度PFOS汚染 政府の無策は許されない
2019年4月25日
琉球新報社説

 米軍基地が原因と強く疑われる環境汚染に対し、政府はいつまで無為無策を続けるつもりなのか。

 県企業局の調査で、発がん性のリスクが指摘される有機フッ素化合物(PFOS、PFOA)が、米軍嘉手納基地近くの湧き水(カー)からも高濃度で検出されたのである。
 
PFOSは消火剤や洗浄剤などに使われる化学物質だ。国内では原則として使用が禁止されている。
 2016年1月に県企業局が水質調査の結果を公表したことで汚染が表面化した。嘉手納基地内を通る大工廻川や基地周辺の比謝川などで高濃度のPFOSが検出された。その後も改善は見られない。
 嘉手納基地の排水が流入する下流側の濃度が高いこと、PFOSを含む泡消火剤を過去に米軍が使用していたことなどから、嘉手納基地以外に汚染源は考えにくい。
 だが日米地位協定に基づき施設の排他的管理権を持つ米軍は、基地内での水質調査を拒み、PFOSの使用実態も明らかにしようとしない。このため問題が表面化してから3年以上たった現在も原因は特定されていないのである。
 
米軍は住民の健康に被害が及びかねない状況に目をつぶっている。汚染の責任を追及されることを恐れているのだろうか。人道に反する不誠実な態度だ。
 県は浄化対策と基地周辺の調査のため2億円超の支出を余儀なくされた。沖縄防衛局に補償を求めたが、米軍とPFOSの因果関係が確認されていない―などとして応じていない。因果関係が明確にならないのは米軍が水質などの調査を許可しないせいだ。
 
日本政府はこのような理不尽な状況を事実上、放置し容認している。結果として、脅かされているのは沖縄県民の安全な暮らしだ。
 今回の調査で汚染が地下水にまで広範に及んでいることが分かった。極めて深刻な事態だ。高濃度のPFOSが検出されたカーを何とか元通りに浄化したいが、出どころを突き止めない限り対策の取りようがない。
 日本と違って基地への立ち入り権が保障されているドイツで14年にPFOSによる汚染問題が発生した。ドイツ当局の監督の下で基地内の調査が行われ、米軍は基地が汚染源だったことを認めている。ドイツとの格差は大きい。
 汚染源を特定し除去に取り組むのは基地を提供している国の務めである。政府は基地内の水質調査をはじめ原因究明のための調査に協力するよう米国に強く要求すべきだ。
 普天間飛行場周辺の水質調査でもPFOSによる汚染が確認されている。いまや一刻の猶予も許されない。
 県の対応にも問題がある。今回、湧き水の汚染が明らかになったのも市民が情報開示請求で資料を入手したからだ。県民の健康に関わる情報なのになぜ積極的に公表しないのか。対応を改めるべきだ。
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平成最終盤、バブルの傷 貸し手責任を問う(2019年4月27年中日新聞)

2019-04-27 20:25:32 | 桜ヶ丘9条の会
平成最終盤、バブルの傷 貸し手責任を問う 

2019/4/27 中日新聞

 バブル経済絶頂期の1989年に始まった平成が間もなく終わる。あれから30年。「第二の敗戦」とも呼ばれたバブル経済崩壊の影響はさすがに収まったのだろうか。「とんでもない。今もなお多くの個人を苦しめ、子の世代にも影響を及ぼしている」と語るのは、「銀行の貸し手責任を問う会」の事務局長を務める椎名麻紗枝(まさえ)弁護士。平成時代の金融機関、行政、司法はいかに人々を犠牲にしてきたのかを聞いた。

 「三十年前に端を発したある銀行の迂回(うかい)融資事件が、やっと完全に終結した。しかし、平成の三十年間を銀行にだまされ、司法に裏切られてきた被害者家族は『本当に終わりなのか』と疑心暗鬼のままだ」。椎名氏はこう語った。終結した日は今月十八日。一体どんな事件だったのか。

 時は一九九〇年にさかのぼる。横浜市のマンションオーナーの男性Aさん(50)の父親Bさんは、旧知のC銀行の支店長から執拗(しつよう)に頼まれ、しぶしぶ口座の名義貸しをした。C銀行が市内のD不動産会社に迂回融資するためだった。

 九〇年といえば、大蔵省(現財務省)が不動産事業融資の総量規制を通達した年。D不動産に貸せなくなると、建設中のマンション二棟のプロジェクトが行き詰まる。C銀行はBさんを通じてD不動産にカネを回すことを計画し、融資額は計二十三億円にも上った。

◆「形だけだから」

 しかし、この迂回融資にはわながあった。C銀行はBさんに「形だけだから」と契約書に実印を押させ、「カネの出入りの処理はこちらでやる」と通帳も預かった。さらに「D不動産への融資を保全するためマンションの名義をBさんにしてほしい」と書き換えさせた。こうして、あたかもBさんが二十三億円を借りてマンションを建設したかのように偽装したのだ。

 バブル崩壊後にC銀行が融資返済を求めた訴訟で、父親は「銀行を信用して支店長に協力しただけ。だまされた」と怒りの反論をしたが、一、二審ともC銀行勝訴の判決。二〇〇二年にはC銀行がBさんの破産を申請し、全財産を身ぐるみはがそうとした。

 国会などでC銀行の強引な手口が問題視され、BさんとC銀行は二十三億円の分割払いに合意し、Bさんは十億円分を返済した。

 だが、Bさんが死去した一六年以降、C銀行側は「合意はBさんと結んだもので、相続人のAさんとの合意はない」として、遅延損害金計二十一億円を加えた計三十四億円を一括返済するよう要求。Aさんが「とても払えない」と拒否すると、Aさんの全財産を競売にかけると裁判所に申請したのだ。

 昨秋の本紙の取材に、Aさんは「父は死ぬ間際まで『銀行にだまされた』と繰り返していた。裁判所で真実が明らかになると信じていたが裏切られた、と。なぜこんなひどい仕打ちを受けなければならないのか…許せない」と語った。その後、心労から体調を崩し入院。体重は五十キロも減り、重篤な病気にかかった。

 椎名氏は「迂回融資、付け替えという銀行のひどい手口を裁判所が見逃し、銀行の言い分をうのみにする。金融庁も銀行を指導しない。もとはと言えば、銀行のせいで起きたことなのに、貸し手の責任は全く問われない」と語る。

◆崩壊で不良債権

 バブル経済全盛期、銀行は融資先の獲得に文字通り血眼になった。激烈な競争の中で、各銀行はただ預金をしているだけの個人を、貸付先に変える営業戦略をとった。一九八〇年代から不動産を担保とする個人向けの「大型フリーローン」が活用された。

 資金使途も返済原資も不問で、当初五千万円だった融資限度額は、最後は数十億円規模へ。その融資件数は百万件にも上った。銀行は不動産、ゴルフ会員権、元本保証のない変額保険、株式などへの投資を持ち掛ける「提案型融資」を盛んに仕掛けた。

 高齢者に「土地が高騰して相続税が払えなくなる」とあおるのが決まり文句。当然バブルが崩壊すれば、こうした融資はたちまち不良債権化し、銀行は個人の自宅を競売にかけるなど荒業を使って回収に走った。

 医療過誤や薬害エイズといった問題に取り組んできた椎名氏は、銀行融資を巡る紛争に詳しいわけではなかった。「銀行は融資先の返済余力などを厳格に審査する堅い金融機関」と思っていた。

 だが九一年、「株取引でもうけよう」と銀行から持ち掛けられ、二十六億円もの融資を受けて返済に困った男性から相談を受け、衝撃を受けた。

 「銀行は一体、何をやっていたのか」。疑問を深め、精力的に銀行融資の実態を調べるうちに、椎名氏のもとに救済を求める被害者が集まってきた。これまで関わった案件は四百件以上。融資の際の甘言を「言っていない」とうそをつき、「契約書に印鑑を押しただろう」と迫る銀行のやり口は共通していた。

◆法律 借り手不利

 司法に救済を求めても、裁判官は銀行の言い分しか聞かず、被害者に冷淡だった。「もう銀行の貸し手責任を問う立法的救済しかない」と、九六年に「銀行の貸し手責任を問う会」を発足させた。

 政府に求める内容は、連帯保証人に対する取り立て規制、強引な債権回収が問題になっていた整理回収機構の解散-など八つ。特に「日本の法律は銀行取引に関してあらゆる面で銀行有利・借り手不利」として、銀行と個人の圧倒的な力の格差を解消するため、債務者側に立った仲裁機構を設立し、その和解案を銀行が拒絶できない法制度を作るべきだと求めた。

 そして、会の発足から二十年余りが過ぎた。椎名氏は「事態は前に進んでいない。バブル崩壊の生々しい記憶が薄れ、世論が関心を持たなくなった。欧米では貸し手責任の法理も一定程度浸透したが、日本では研究者すら少ない」と嘆く。

 Aさんのケースのように、まだバブルの後始末は終わっていない。それどころか「別の形で、銀行による無理な融資の被害者が出そうだ」と、椎名氏は危機感を抱く。女性向けシェアハウスへの不動産投資に関して、融資審査書類の改ざんなどが発覚したスルガ銀行などがそれにあたる。

 十七日に発表された日本銀行金融システムリポートも「銀行の不動産業向け貸出残高は、全国的かつ大幅な地価上昇がないにもかかわらず、バブル期のピーク水準を上回って増加」と指摘。バブル期と異なり、融資先に「個人など必ずしも損失吸収力の高くない借り手の比重が高い」と警鐘を鳴らす。

 「大手銀行は貸し手責任を問われることなく、十二兆円もの公的資金が注入され、二十年近くも納税を免除されてきた。一方、銀行の狡猾(こうかつ)な手口により巨額の負債を背負わされた多くの個人、中小企業は過剰融資の後遺症に苦しむ。この人たちの負債を軽減し、安心して暮らせるようにすることが最大の景気対策ではないか」。椎名氏は訴える。

 (大村歩)

踏み間違い、なぜ起こる(2019年4月26日中日新聞)

2019-04-26 09:21:36 | 桜ヶ丘9条の会
踏み間違い、なぜ起こる 

2019/4/26 中日新聞

 東京・池袋と神戸・三宮で多数の歩行者が巻き込まれる悲惨な交通事故が相次いだ。どちらの事故も運転者のブレーキとアクセルの踏み間違いが原因と疑われている。高齢者特有の運転操作ミスと思う人もいるだろうが、データを見ると最も多いのが20代の若者。誰でも起こしかねない過ちなのだ。なぜ踏み間違えるのか。有効な対策はないのだろうか。

 十九日昼に池袋の交差点で起きた事故は乗用車が縁石に接触した後、約百五十メートル暴走。横断歩道を渡っていた自転車や歩行者を次々とはねた。母娘二人が死亡、四十~九十代の通行人八人が重軽傷を負った。

◆相次いだ重大事故

 神戸市のJR三ノ宮駅前でも二十一日午後二時ごろ、市営バスが横断歩道に突っ込み二人が死亡、六人が重軽傷を負った。

 事故原因は、はっきりしていない。ただ、どちらも赤信号だったのにブレーキを踏んだ形跡がない。それどころか猛スピードだったり、加速したりしながら横断歩道に突っ込んでいることから、ブレーキと誤ってアクセルを踏んでいた可能性が指摘されている。

 こうした踏み間違いの事故が目立っている。「そんなミスしないよ」と言う人も多いだろう。では日々、運転しているプロのドライバーはどうだろうか。タクシーの運転手に聞いてみた。

 「人生で一回だけ、無意識でアクセルを踏み込んでしまい、ひやっとしたことがある」。こう明かすのは運転歴二十三年の男性(45)だ。「その時はサイドブレーキをかけていたので、助かった」。ただ、男性が「極めてまれだと思う」と語る通り、ほかの運転手からは「ない」という答えばかり。

 別の男性(73)は「踏み間違えたことはない」としつつ、「高齢なので運転は慎重にしている。信号で止まるたびにギアをパーキングに入れるなど、基本操作を怠らないようにして万が一のミスを防いでいる」と話す。

 公益財団法人・交通事故総合分析センター(東京)のまとめでは、全事故に占める踏み間違いの割合は1%程度。二〇一七年に起きたペダルの踏み間違い事故は四千七百二十二件で、死者五十一人、負傷者六千七百四十七人に上った。この十年間の発生件数は四千~六千件台で推移している。

 決して多い形態の事故ではないが、目立ってしまうのは止まらなくてはいけないところで、逆に加速しているためだ。歩行者をなぎ倒したり、建物に突っ込んだりと大事故につながりやすい。

 まとめに気になる点があった。踏み間違い事故を起こした運転者を年代別に見ると、最多は二十代の九百八十一人で、全体の20%を占め、続いて七十代(七百六十六人)、六十代(七百十八人)の順だった。

 事故の原因別では「高齢(加齢による運転能力の低下)」のほか、「慌て、パニック」「乗り慣れない車」も多く挙がった。つまり若い人も高齢者も踏み間違える。誰がいつ犯してもおかしくない。

 交通問題に詳しい西島衛治・元九州看護福祉大教授(人間工学)は「とっさの出来事を目にすると、足に力が入り、突っ張ってしまう習性がある。アクセルに足を置いていると、そのまま押し込んでしまう」と説明する。

 この時、クラッチ操作が必要なマニュアル車ならエンストすることが多い。しかし、オートマチック車だとそのまま加速し、事故につながりやすい。

 「運転時の頻度を考えると、『右足でアクセルを踏む』という行為が圧倒的に多い。慌てるとそれが反射的に出る。暴走しだすと『正しく操作しているのになぜ止まらない』と焦り、一層踏み込むことになる」

 こんな過ちは高齢者に限った話かというと、やはり西島氏も「そうではない」とくぎを刺す。特に注意が必要なのは二十代。「車の運転に慣れていない人が多い」からだ。

 では、どんな時にドライバーは慌ててしまうのか。実は意外とささいなことがきっかけになる。

 例えば運転中にかかってきた携帯電話。日本自動車連盟(JAF)はホームページで「突然の携帯電話の呼び出し音など、ささいなことでも簡単に注意力はそがれる」と指摘する。このほか、「駐車場内や渋滞時にブレーキとアクセルを細かく踏み替えながら徐行している状況でも、頻繁なペダル操作に混乱して間違える場合もある」と紹介している。

◆補助装置あっても

 ちょっとしたことで起きる体の反射的な動きが原因となると、対策は難しい。期待されるのが障害物をセンサーやカメラで察知し、ブレーキをかける「衝突被害軽減ブレーキ」だ。各メーカーが市販車に搭載するようになっている。

 ただ、国土交通省審査・リコール課の村井光輝課長補佐は「あくまで安全な運転を支援する補助装置。万能ではないので過信してはいけない」と語る。というのも、運転速度や周辺の明るさ次第で障害物を検知できない場合があるほか、雪道や下り坂でうまく止まれないこともあるからだ。

 逆転の発想でペダルを一つだけにして、踏み込んだ時にブレーキがかかるようにした製品もある。熊本県玉名市の機械製造業ナルセ機材が開発した装置「ワンペダル」だ。

 靴底のような形で、ブレーキペダルの位置に取り付ける。アクセルはワンペダルの右側に付いた棒状のレバーを右側に傾けると作動し、ブレーキはワンペダルを踏み込むと利く。同社の有瀬智雄さん(49)は「車を進める時は右足を横に動かし、止める時は縦に動かす。二つが違う動きになっており、踏み間違いを防ぐことができる」と語る。

 メディアにも取り上げられるなど注目を浴びているが、なにせ従業員十数人の鉄工所。製造できるのは月十数台分に限られ、価格も二十万円近い。量産化には至っていない。

 もちろん事故防止にはドライバー自身の心がけが大切だ。「踏み間違えて暴走しだした場合、ドライバーが対応するのは難しい。重要なのは、いかに踏み間違いを招かないかということだ」と大阪大の篠原一光教授(交通心理学)。

 そして注意点を挙げる。「速度を抑え、周囲をしっかり確認する。運転に集中する。意表を突かれる状況を減らせば慌てることもないのだから。高齢になればなるほど運転技術を過信してはいけない。認知機能が落ちても自信の度合いは変わらないことが多いが、自分の限界を自覚することが必要だ」。要するに安全運転の基本に立ち返れ、ということだ。

 (安藤恭子、榊原崇仁)

電力会社の甘え許さず 対テロ施設未完成の原発停止(2019年4月25日中日新聞)

2019-04-25 08:37:42 | 桜ヶ丘9条の会
電力会社の甘え許さず 対テロ施設未完成の原発停止 

2019/4/25 中日新聞

 原子力規制委員会が電力会社の要求をはねつけた。意図的な航空機衝突などの原発へのテロ攻撃などに備えた「特定重大事故等対処施設」(特重施設)を建設中の西日本の電力三社が、工事が間に合わないとして「五年」の完成期限の延長を求めていたが、退けられた。各社は来年以降の電力需給計画の見直しも迫られそうだ。

■拒絶

 関西、四国、九州の三電力は今月十七日の規制委との意見交換で、大規模で難しい工事が必要になる「状況変化」があったと主張。「原発本体の工事計画の認可から五年」としている完成期限の延長を要請した。

 これに対し、二十四日の規制委会合では、五人の委員全員が「参酌(考慮する)に足る状況変化があったとは考えられない」(更田(ふけた)豊志委員長)「自然災害などで工事が著しく遅れたということはない」(石渡明委員)などと一蹴した。

 一方、運転中に期限を迎えた原発を直ちに停止させるべきかについては、「個別に事情を見た上で判断すべき」(伴(ばん)信彦委員)と柔軟な対応を認める意見も出た。だが、更田氏が「基準不適合状態になった原子力施設の運用を見過ごすことは規制委にとってはできない」と指摘し、最終的には例外を認めないことで全委員が一致した。

■唐突

 三電力の期限延長の要求に対しては、各地の原発差し止め裁判に携わる「脱原発弁護団全国連絡会」が「規制委に圧力をかけている。許し難い」と非難する声明を二十三日に発表。海渡(かいど)雄一共同代表は「規制委は毅然(きぜん)とした態度を取ってほしい」と求めていた。

 規制委にとっても延長要求は「唐突」だったようだ。各社が二〇一七年十二月から今月中旬にかけて規制委に提出していた特重施設に関する申請書には、いずれも「期限内に設置工事が完了する予定」と記されていたからだ。今年一月に行われた意見交換でも、電力会社側は特重施設の工事について「もう少し様子を見ていただきたい」としか言っていなかった。

 更田氏は二十四日の記者会見で、「工期に影響が出るようであれば、その時点で規制委に伝えるべきだ。工事だけでなく、規制当局の出方に対しても見通しが甘かった」と批判した。

■波紋

 西日本の電力各社は原発を再稼働させることで料金を値下げし、再生可能エネルギーで勝負してくる新電力との競争で優位に立とうとしてきた。今回の規制委の判断は各社の経営戦略にも影響する可能性がある。

 規制委の決定を受け、九電は「早期完成に向けて引き続き最大限の努力を継続する」とコメント。電力各社でつくる電気事業連合会の広報担当者は「委員から『個別の事情を確認する必要もある』との意見もあった。引き続き規制委に丁寧に説明したい」と判断の見直しへの期待をにじませた。だが、更田氏は会見で「個々の事業者の事情は聞くが、今日の方針の適用を免れるケースがあるとは思っていない」と、例外をつくらない考えを強調した。

 (宮尾幹成、松尾博史)