鼓腹撃壊とはいかない 週のはじめに考える(2019年3月31日中日新聞)

2019-03-31 10:13:06 | 桜ヶ丘9条の会
鼓腹撃壌とはいかない 週のはじめに考える 

2019/3/31 中日新聞
 自分の生活に政治なんて関係ない-。無論、そんなはずはないのですが、このごろ社会で一層、そういう気分が強まっている感じを受けます。

 実際、統一地方選では後半も含めて無投票がまたぐんと増えそうですし、低投票率の記録更新が心配される選挙もそこかしこに。そういう懸念は当然、今夏の参院選にも共通します。

 ふと、思い浮かんだのは、『十八史略』などにある<鼓腹撃壌(こふくげきじょう)>の故事です。

イメージとの落差

 尭(ぎょう)という王帝が、うまく国を治められているのか気になり、変装して街に出てみた。すると、一人のじいさんが食べ物を頬張り、腹鼓を打ち(鼓腹)ながら、足で地面を踏みならし(撃壌)調子を取って、こんなふうに歌っている。

 日が昇れば働いて、日が沈んだら休む/井戸を掘って水を飲み、田を耕してものを食う/帝の力なんて、何か自分に関係あるか、いや、ないね

 帝への悪口のようですが、さにあらず。それどころか帝は安堵(あんど)する。民は政(まつりごと)を意識することなく幸せな暮らしを謳歌(おうか)している、これぞ善政、というわけです。

 日本の現状にも、いいところは多くあります。が、呑気(のんき)に<鼓腹撃壌>できるほどかというと大いに疑問。実は思っているほどではない、イメージはそうだが実は…ということ、案外ある気がします。

 最近、国連関連団体が発表した「幸福度ランキング」。日本は百五十六カ国中五十八位でした。評価に使われた六つの指標には疑問のあるものもあり、額面通り受け取る必要はないのですが、正直、「え、そんなに下位?」と思われた方もありましょう。

 指標の一つが「国民一人当たりGDP」。これは二十四位でした。上位には北欧諸国などが並び、近くではオーストラリアも日本より上。主要七カ国(G7)では、日本より下位はフランス、イタリアだけです。政治はともかく経済は一流、世界に冠たる経済大国-。そんなイメージとは少しギャップを感じませんか。もちろん、それだけが国の豊かさを測る数字ではないのですが。

経済、格差、環境、安全

 経済関連では、こんなデータもあります。いわゆる「相対的貧困率」。経済協力開発機構(OECD)によれば、日本は三十八カ国中、よい方から数えて二十九位という低位です。格差を示す「収入不平等指数」でも、平等の方から数えて二十六位…。比較的平等で格差の少ない国。そんなイメージともかなり落差があります。

 何となくいい印象、という点では日本経済の現状もしかりです。減速懸念は出ているものの、一見まずまず順調。最も分かりやすい指標は、日経平均二万円超の水準が続く株価でしょうか。

 しかし、実は株は、アベノミクスの名の下、上場投資信託(ETF)という形で、日銀によって買い支えられています。昨年の買い入れ額は六兆五千億円以上。ETF保有残高は約二十四兆円に達し、日銀が実質的に大株主という会社も増えています。

 主要国はどこもやっていないという荒業。専門家は知らず、素人目には“粉飾”にしか見えません。大量に売れば株価は大きく下げるから、売ろうにも売れないのでは? 第一、もし暴落したら?

 あるエコノミストが本紙でこう言っています。「取得額から三割余り株価が下がれば、日銀の自己資本はほぼなくなる。常に爆弾を抱えているようなものだ」

 ならば経済以外、例えば、「環境」はどうでしょう。

 あの公害克服の経験もあって、日本は「環境先進国」というイメージも私たちは持っています。しかし、原発に拘泥するうち、再生可能エネルギーへの取り組みでは他国に完全に出遅れ、導入量の将来目標でも、ドイツなど欧州諸国の水準とは相当な差が。地球温暖化防止でも、国際的環境団体などからは、しばしば「化石」扱いされています。

 では、「食品の安全性」は? 日本の規制は厳しいと思われがちですが、最近、厚生労働省は「ゲノム編集」食品の多くについて、厳格な安全性審査を求めず、国へ届け出れば販売OK、という報告書をまとめました。でも、例えば欧州連合の司法裁判所はもっと厳しい判断を示しているようです。

政を監視していかないと

 どうも、漠然と思われているほど、この国は豊かでも平等でも安心でも先進的でもないのかもしれません。私たちには、「政治なんか自分の生活に関係ない」と、腹鼓を打ち歌い踊っている余裕などないということでしょう。むしろ政をしっかり意識し、監視していかないと。まずは、統一選、参院選で、確かな一票を。
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原発と民意 なぜ”声"は届かない

2019-03-30 09:15:19 | 桜ヶ丘9条の会
原発と民意 なぜ“声”は届かない 

2019/3/30 中日新聞
 女川原発の再稼働の是非を問う住民投票の直接請求を、宮城県議会が否決した。原発を抱える静岡や新潟県でも「国策になじまない」などとして、議会に退けられている。なぜ“声”が届かない。

 地方自治法の規定では、有権者の五十分の一以上の署名をもって、自治体の長に住民投票条例の制定を請求できる。

 年内にも原子力規制委員会の審査に通るとされる東北電力女川原発2号機。その再稼働の是非を問いたいと、十一万を超える署名が集まった。法定の約三倍だ。それでも県議会は「多様な意思を正しく反映できない」などとして、条例案を否決し請求を退けた。

 
女川原発も震災の被害に遭っている。原子炉を停止に導く外部電源や非常用電源にもトラブルが生じ、使えないものが出た。

 原発事故の放射性物質は広い範囲に降り注ぐ。宮城県内でも今現に、水産物の輸出禁止や汚染廃棄物の処理問題など、福島第一原発の影響が続いている。

 女川原発の三十キロ圏内では、七つの市町に二十一万人が暮らしていて、避難計画の策定を国から義務付けられている。過酷事故の大混乱の中、果たしてスムーズに避難などできるのか。住民の多くは避難計画そのものに懐疑的だ。

 それでも再稼働への“事前同意権”を持つのはやはり、原発が立地する女川町と石巻市、そして県に限られそうで、他の五市町には資格がない。それこそ多様な意思を正しく反映できていない。

 危険も義務も不安も不便もそこにある。それなのに、ノーという権利はない-。理不尽と言うしかないではないか。

 宮城県の村井嘉浩知事は、条例案への賛否を明らかにせず、議会に付した。しかし、県議会の質疑の中では「(原発再稼働は)これからも国が責任を持って判断すべきだ」と、まるで人ごとだ。

 国や電力会社は「立地自治体などの理解と協力を得られるように取り組む」という、一方通行的な基本姿勢を崩さない。

 宮城県だけのことではない。国民の過半が原発再稼働に反対し、大半が再稼働への同意権を持っていない。それなのに3・11後、五カ所九基がすでに、立地自治体の同意の下に再び動き始めている。

 原発再稼働に不安を覚える住民と「国に任せろ」という議会や首長。この温度差は、なぜ起きてしまうのか。統一地方選真っただ中で、私たちも思いを巡らせたい。

「専守」の骨抜きが続く 施行3年の安保法(2019年3月28日中日新聞)

2019-03-28 09:14:29 | 桜ヶ丘9条の会
「専守」の骨抜きが続く 施行3年の安保法  

2019/3/28 中日新聞
 安全保障関連法に基づき、自衛隊の活動を広げる安倍政権。施行から三年がたち、私たちの眼前には、専守防衛の憲法理念とは懸け離れた姿が広がる。

 安倍政権が「平和安全法制」と呼ぶ安全保障関連法の施行からあす二十九日で三年がたつ。

 歴代内閣が「憲法上許されない」としてきた「集団的自衛権の行使」を可能とする内容は、憲法違反の疑いが指摘され、全国各地で違憲訴訟が起きているが、安倍内閣は意に介さず、むしろ安保法を既成事実化し、専守防衛という憲法理念を骨抜きにするかのような動きを強めている。見過ごすわけにいかないのは当然だ。

日米軍事一体化が進む

 安保法に基づいて格段に進んだのは日米の軍事的一体化だろう。「専守防衛」を貫いてきた自衛隊にとって、米軍とともに戦う「軍事組織」への変質である。

 安倍晋三首相は「日米同盟は平和安全法制でお互いに守り合うことができる同盟になった」と、安保法の意義を強調する。

 「お互いに守り合う」とは「集団的自衛権の行使」を指す。日本が直接攻撃されていなくても、密接な関係にある米国への攻撃を実力で阻止できれば、米国との信頼の絆は強まるという理屈だ。

 米英関係などと同様の、お互いに血を流す「血の同盟」である。

 安保法の施行後三年間で、そうした事態は実際には起きてはいないが、自衛隊が米軍の艦艇や航空機を警護する「武器等防護」の実施は二〇一八年に十六件と、一七年の二件から八倍に急増した。

 安保法で可能になった平時の活動だとしても、米軍が攻撃されれば、自衛隊が反撃する可能性もある任務だ。他国同士の戦争に巻き込まれかねない米軍と一体となった活動が、憲法九条に基づく専守防衛の範囲内と言えるのか。

憲法が禁じる空母まで

 憲法規範の崩壊は、それだけにとどまらない。

 政府は、エジプトのシナイ半島でイスラエル、エジプト両国軍の停戦監視を行う「多国籍軍・監視団(MFO)」の司令部要員として、四月中旬から自衛官二人を派遣する方針を決めた。

 MFOは国連が統括しない米軍中心の軍事的活動である。国連以外の国際機関の要請でも自衛隊が派遣できるよう、安保法で新設された「国際連携平和安全活動」の初めての適用となる。

 人的な国際貢献の必要性は認めるが、国連が統括しない軍事的活動への関与は、慎重に進めるべきだろう。当初は司令部要員の派遣にとどまるが、いずれ部隊派遣につながり、危険な活動に深入りするきっかけになりかねない。

 ましてや米軍中心の活動だ。なぜいま、という疑問も拭い切れない。安保法適用の実績をつくり、既成事実化する狙いがあるとすれば、強引にすぎないか。

 一六年三月の安保法施行後、安倍内閣の下では、専守防衛を骨抜きにする動きが加速している。

 政府が昨年十二月十八日に閣議決定した「防衛計画の大綱(防衛大綱)」や「中期防衛力整備計画(中期防)」には「スタンド・オフ火力」の整備や、ヘリコプター搭載型護衛艦「いずも」型の事実上の「空母」化が盛り込まれた。

 スタンド・オフ火力は相手の攻撃が届かない場所から攻撃できる長距離巡航ミサイルを指し、首相は「隊員の安全を確保しつつ、わが国の防衛に万全を期すために必要不可欠」と必要性を説く。

 しかし、日本の領空から発射しても、例えば、朝鮮半島内陸部まで届く射程の長いミサイルだ。平生から他国を攻撃するような、攻撃的な脅威を与えるような兵器を持てないとする憲法の趣旨に反するのではないか。

 事実上の「空母」化も同様だ。通常はヘリコプターを載せる「いずも」型護衛艦を短距離離陸・垂直離陸が可能な戦闘機F35Bを搭載できるよう改修するものだが、憲法上保有できない攻撃型空母に該当する恐れはないのか。

 空母について国際的に確立した定義はないとか、米空母と異なるという説明は詭弁(きべん)だ。

防衛費7年連続で増加

 戦後日本の安全保障政策を貫く憲法九条の「専守防衛」は、多大な犠牲を出した先の大戦に対する痛切な反省に基づくもので、他国に脅威を与えるような軍事大国にならないという誓いでもある。

 首相は「わが国防衛の基本方針である専守防衛はいささかも変わることはない」と述べているが、安保法施行後の防衛政策を見ると額面通りには受け取れない。防衛費も七年連続で増額されている。

 施行から三年がたっても、安保法の憲法適合性や、防衛政策の妥当性は常に問われ続けるべきだ。専守防衛のタガの緩みは締め直さねばならない。


「第三者委」本当に公正❓公的定義なし、都合のいい人事(2019年3月27日中日新聞)

2019-03-27 08:56:04 | 桜ヶ丘9条の会
「第三者委」本当に公正? 公的定義なし、都合のいい人選 

2019/3/27 中日新聞

 厚生労働省、レオパレス21、医大の入試不正…。大きな組織が絡む不祥事があると、すぐに「第三者委員会」など外部の人が加わった調査委員会ができる。名称からは公正に真相を探ってくれそうだが、調査結果には疑問符が付くことが多い。どうして、そうなるのか。この問題に詳しい弁護士に「間違いだらけの第三者委員会」を語ってもらった。

◆「責任逃れのお墨付きに」

 「問題あるところに第三者委員会あり」。そう言いたくなるくらい、第三者委の調査結果が新聞紙面をにぎわせる。

 まずは厚労省の毎月勤労統計の不正。同省は一月、樋口美雄氏(労働政策研究・研修機構理事長)を委員長に、弁護士や公認会計士ら六人でつくる第三者委である特別監察委員会を設け、二度も報告書を出した。

 賃貸アパート大手、レオパレス21の施工不良でも二月末、外部の弁護士三人による委員会ができた。東京医科大の入試不正では第三者委のトップに元最高裁判事が就いた。

 スポーツや芸能界も無縁ではない。日本大アメリカンフットボール部の悪質タックルや日本ボクシング連盟の「奈良判定」にも登場。いじめなど身近な問題でも設けられる。

 そもそも第三者委に公的な定義はない。日弁連のガイドラインによると、企業や官公庁などから独立した委員のみで構成する組織を指す。徹底した調査や専門的な知見に基づいて問題の原因を分析するほか、再発防止策などを提言し、信頼を回復させることが使命とされている。

 そんな立派な組織を「いんちき第三者委」「なんちゃって第三者委」と批判する人がいる。久保利英明(くぼりひであき)弁護士(74)だ。自ら日弁連のガイドライン策定に携わり、さらに弁護士や大学教授などでつくる「第三者委員会報告書格付け委員会」の委員長も務める。いわばこの道のプロだから聞き捨てならない。何がいけないのか。

 最初に歴史を振り返る。久保利氏によると、第三者委が日本に広がり始めたのは二〇〇〇年前後。株のインサイダー取引疑惑の調査などがあり、主に弁護士や会計士が担った。当初はきちんと真実を調べようと組織されたものだった。

 とはいえ、企業の経営陣は責任を取りたくない。経営陣から依頼された第三者委はその意をくんで調査する。そして組織に甘い「なんちゃって」が横行するようになった。久保利氏は「経営陣が都合のいいメンバーを選び、第三者委を責任逃れのお墨付きにしている」と語る。

 こんな調査を繰り返していては、弁護士への信頼も損なわれかねない。日弁連のガイドラインは弁護士全体の信頼を保とうという意味もあった。しかし、今のところ効果は限定的だ。

 米国でも経営を左右するような問題が起きると、信頼できる法律事務所に調査させる。ただし、依頼主は多くの社外取締役が名を連ねる取締役会。結果によっては最高経営責任者(CEO)も解任される。

 「CEOは社員の長であって、会社の長ではない」。なんちゃって第三者委は、社長が「会社の長」である日本の企業風土が生み出したとも言える。

◆「何となく」調査、肩書に注意

 「調査」を引き受ける弁護士側にもメリットがある。久保利氏は「第三者委の費用は調査費を含め最低一、二億円、大企業の重大案件なら十億円。多くの弁護士を抱える大手法律事務所が請け負う。企業の合併・買収の仕事が減り、代わりのビジネスにしている所がある」と説明する。

 経営陣は真相究明よりビジネスだと割り切る事務所に依頼したくなるだろう。ただ、久保利氏は「本当の依頼主は経営陣ではなく、株主や従業員、消費者といったすべてのステークホルダー(利害関係者)だ。費用もステークホルダーから出た会社の金」と戒める。

 久保利氏に「なんちゃって」の例を挙げてもらった。真っ先に出たのが、毎月勤労統計調査を巡る厚労省の特別監察委員会の報告書。「格付け委員会」の評価は最低の「F」だった。

 久保利氏は「監察委の委員長が厚労省所管の独立行政法人の関係者。中立性に問題がある。中身を見るまでもない」と一蹴。「そもそも勤労統計でだまされたのは国会。調査は国会が担うべきだった」と指摘する。他にも、第三者委が厳しい内容の報告書をまとめたら、経営陣が公表しなかった企業もあるそうだ。

 元検事の郷原信郎弁護士は二〇一一年、九州電力が設けた第三者委で委員長を務めた。玄海原発(佐賀県玄海町)の運転再開に向け、国主催の県民説明番組宛てに再開賛成の意見を投稿するよう、子会社などに呼び掛けた「やらせメール」問題を調べた。

 郷原氏はこの前に、水力発電所のデータ改ざんを巡る中国電力の第三者委のトップを務めた。それで「九電が依頼してきたのではないか」と推測する。

 委員会の報告書は大きくもめた。古川康知事(当時)の発言が、やらせ問題の発端になったと明記したからだ。九電はそれを認めず、経済産業省に報告する際に省いてしまった。

 なぜ、会社が受け入れないような厳しい調査ができたのか。

 郷原氏はメンバー構成を理由に挙げる。「同業種だとものを言いにくくなりがち。先輩後輩や上下関係があることも少なくない。検事出身の弁護士はその傾向が強い」。九電の第三者委で弁護士は郷原氏だけで、他の三人は学者や消費者問題の専門家。だから意見を戦わせ、突っ込んだ調査ができた。「原発再稼働は公益性の高い問題。独立性を確保し、筋を通すことが一番と考えていた」。この思いが四人のうち三人で一致したという。

 当時を振り返って思うのは第三者委による調査の難しさだ。「委員は寄せ集め。調査班をつくり、役割分担し、さらに検証するには技術がいる。実際には第三者委は何となくやっている例が目立ち、ノウハウが蓄積されていない」

 第三者委の調査の善しあしを見分けるにはどうすればいいか。久保利氏は二つポイントを挙げた。

 企業なら株価。「内容のある報告書が出て、企業がその提言を受け止めれば市場は好意的に反応する。株価は下げ止まり、再発防止策の効果が出れば上向く」

 もう一つは人選。「元高検検事長」「元高裁長官」といった肩書には注意が必要だ。「とかく元裁判官や元検事の偉かった人がメンバーに入るが、現場に長年いた証拠収集能力のある人や、各分野の専門家でなければ真相究明と厳正な調査は難しい」。良い調査には、能力ある人と誠実な取り組みが欠かせないということだ。

 (
榊原崇仁、中沢佳子)

地方自治を「わがこと」に きょうから統一選(2019年3月21日中日新聞)

2019-03-21 09:29:36 | 桜ヶ丘9条の会
地方自治を「わがこと」に きょうから統一選  

2019/3/21 中日新聞
 十一道府県できょう知事選が告示され統一地方選が始まる。私たちが暮らす地域の大切な選挙だ。候補者の主張に耳を傾けて、投票所に足を運びたい。

 大阪府知事と大阪市長がそろって辞職し、立場を入れ替えて立候補する「大阪クロス選挙」が加わった統一地方選は神奈川、三重、福井、大阪など十一道府県の知事選がきょう告示される。

 二十四日には相模原、静岡、浜松、大阪など六政令指定都市の市長選、二十九日に四十一道府県議選と十七政令市の市議選が告示され、いずれも統一選の前半戦として四月七日に投開票が行われる。

投票率の低下著しく

 後半戦の四月二十一日には、二百十三市区町村の首長選、六百八十六市区町村の議員選で審判が下る(自治体数は二月一日現在)。

 四年ごとの統一地方選は一九四七年四月に第一回が行われ、今年が十九回目。選挙をまとめて同じ日に行うのは、有権者の関心を高めるとともに経費を節減することが目的だが、全地方選に占める統一選の割合を示す「統一率」は、市町村の広域合併や任期途中での首長辞職、東日本大震災に伴う選挙延期などにより、27%台前半にまで落ち込んでいる。

 統一率の低下よりも深刻なのは投票率低下と候補者不足だ。

 第一回統一選で道府県議選の投票率は81・65%だったが、前回二〇一五年は45・05%にまで落ち込んだ。ほかの首長選や議員選も同様の傾向で、統一選に限らず地方選の投票率低下が著しい。

 首長選での主要政党「相乗り」による選択肢の不足、自治体議会の活動内容が分からないという情報不足、不祥事が相次ぐ議会に対する忌避感、そして、どうせ投票しても地方行政は変わらないという諦めが、有権者の足を投票所から遠ざけているのだろう。

議員なり手不足深刻

 しかし、有権者の負託があってこその住民代表だ。投票率の低さは首長、議員にかかわらず、正統性への疑問を生じさせかねない。

 たびたび引用される格言に、英国の歴史学者で政治家のジェームズ・ブライス(一八三八~一九二二年)の「地方自治は民主政治の最良の学校、その成功の最良の保證(ほしょう)人なり」(岩波文庫『近代民主政治』)がある。

 投票率を上げる即効薬はないとしても、私たち地域住民の一人一人が地方自治を「わがこと」と考え、参加意識を強く持ち、一票を投じることがまずは必要だろう。

 地域のことは地域の住民が決める。その当事者意識こそが、地域活性化や再生の力になる。

 とはいえ、少子高齢化や都市部への人口集中は地方自治の基盤を確実にむしばんでいる。その影響は特に、議員のなり手不足に表れている。立候補者が定数に満たなければ無投票当選となり、有権者は選択の機会を奪われる。

 統一選の四十一道府県議選の場合、定数に占める無投票当選者の割合は四年前の前回、21・9%で過去最高だったが、共同通信の今月九日段階の集計では、今回の統一選ではさらに上昇し、29%に達する見込みだ。定数の少ない農村部で無投票が目立つという。

 都道府県議に限らず議員のなり手不足は深刻だ。町村では定員割れの議会も出ている。無投票当選した議員本人の責任でないとしても、政策や主張を戦わせず当選した議員が、住民の意見を尊重し、緊張感を持って行政を監視できるだろうか。

 本社加盟の日本世論調査会が昨年十二月に実施した全国面接世論調査で無投票当選を「問題」「どちらかといえば問題」と答えた人を合わせると81・3%に達する。

 議員のなり手不足への対応では総務省の研究会が小規模市町村の議会の在り方として現行制度に加え、議員の兼業・兼職制限を緩和して多数の非専業的議員が夜間・休日を中心に運営する「多数参画型」と、少数の専業的議員で構成し、重要議案審議には住民から選ばれる議会参画員も加わる「集中専門型」の議会創設を提言した。

 議員の厚生年金加入や、報酬引き上げを求める意見もある。

地域の課題にも目を

 研究会の提言には行政監視機能を低下させ、二元代表制に反するとの指摘がある。議員待遇をよくすることには反発もあるだろう。

 一朝一夕に打開策は見つからないにしても、手をこまねいていれば議員のなり手がいなくなり、地方自治の形骸化と地域の衰退を招きかねない。そのつけを払うのは結局、地域に住む私たちだ。

 統一選は私たち一人一人が地域の課題にも目を向けて、地方自治について深く考え、知恵を絞る好機だ。多少面倒でも候補者の主張に耳を傾け、投票所に足を運ぶ。その小さな一歩が、地域の暮らしをよくする大きな力となる。