今週の一言
核兵器禁止条約の発効を見据え、日本政府の課題と宗教者の役割を考える
2018年10月29日
神谷 昌道さん(立正佼成会軍縮問題アドバイザー)
核兵器禁止条約とは
2017年7月7日、国連で開催された交渉会議において、核兵器禁止条約(以下、核禁条約)が122カ国の賛成を得て採択されました。赤十字国際委員会のケレンベルガー総裁(当時)による「核の時代に終止符を」と題する声明※1をきっかけに展開した「人道的アプローチ」による様々な取組みを経ての歴史的成果でした。
過去の「対人地雷禁止条約」や「クラスター弾に関する条約」の制定プロセスで見られたように、核禁条約採択への道のりでは、政府のみならず非政府機関(NGO)など市民社会が大きな役割を果たしました※2。その証左と言えましょうが、核禁条約前文の最終段落では「公共の良心の役割」が強調され、国連や主要政府やNGOはじめ、宗教指導者、議員、学術研究者、および被爆者などによるこれまでの努力が評価されています。
生物兵器、化学兵器、そして核兵器を「大量破壊兵器」と呼びますが※3、前者2兵器に関してはすでに禁止条約が存在する一方※4、核兵器を法的に禁止する条約はこれまでなく、核禁条約が、核兵器を全面的に禁止した初めての条約となりました。
核禁条約は、幅広い禁止条項を含んでいます。条約第1条は、核兵器の「開発」、「実験」、「生産」、「製造」、「取得」、「保有」、又は「貯蔵」だけでなく、核兵器の管理を「移譲」、「受領」、さらには「使用」や「使用するとの威嚇」を禁じています。全20条からなる同条約はさらに、核兵器保有の申告や保障措置、全面廃絶に向けた措置、国内の実施措置のほか、被害者に対する援助および環境の回復、国際協力のあり方などを条文化しています。
核禁条約に対する日本政府の対応
核禁条約が採択された当時の報道などでご承知の方もあるかと思いますが、日本政府代表は、交渉会議の第1回会期の初日に登壇し※5、条約交渉に加わらないことを宣言して、その後の条約交渉に加わりませんでした。岸田文雄外務大臣(当時)は、「核兵器禁止条約の交渉会議は、核兵器国と非核兵器国の対立を一層深めるという意味で、逆効果にもなりかねない」と不参加の理由を語りましたが※6、広島と長崎の被爆者をはじめ、核廃絶プロセスにおいて日本が指導的役割を担うべきであると願う人々からは、批判を浴びました。
他方、北大西洋条約機構(NATO)の枠内で「核のカサ」を享受するオランダは、あえて交渉会議に参加し、条約採択の場では唯一の反対票を投じました。米国の「核のカサ」に依存する両国でありながら、なぜ日本政府がオランダ政府のような対応が出来なかったかについても、疑問が呈されました※7。
日本政府が取り組むべき3つの課題
「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)関係者によれば、2019年末頃に同条約が発効する見込みであるとのことです※8。条約発効を近い将来に見据え、かつ、日本の安全保障にとって喫緊の課題とされる朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の核問題、さらには、福島第一原発事故から学ぶべき教訓をも照らし合わせて考えてみると、核のない世界を創造するために、日本が率先して取り組むべき3つの課題が浮かび上がります。
第1は、現下の政府方針を転換して核禁条約に署名し、批准手続きを進めることです。核兵器による威嚇や使用の脅威から逃れるためには、核兵器を廃絶することが最善の選択肢であるという主張には説得力があります。
第2は、「核のカサ」に頼らない安全保障政策を検討することです。その答えの1つが、北東アジア非核兵器地帯構想です。自らが米国の核のカサに守られている中で、北朝鮮にのみ核兵器の放棄を要求することは矛盾しています。北朝鮮に核兵器の放棄を求めるに際して、自らもまた核兵器に頼らない姿勢を示すことが、北朝鮮の非核化を促すのみならず、北東アジア全体の非核化実現に貢献するのです。
そして第3は、日本が保有する47トンもの余剰プルトニウムの削減に取り組むことです。一部を国際的な管理に委ねることも一案でしょう。併せて、核燃料サイクルの方針を再考し、脱原発を推進していくことも検討される必要があります。日本が所有する余剰プルトニウムに対して、国際社会は不安を抱いています※9。また、限られた国土しか有しない日本にとって、原発の運転から出る放射性廃棄物(核のごみ)の処理は、将来の世代にとって大きな負担であり、環境保護の観点から潜在的な脅威でもあります。
実現可能な核兵器の廃絶
世の中には、「核兵器のない世界を造ることはとてもできそうにない」と思っておられる方が多いかもしれません。しかし私は、「その目標を達成することは、あながち不可能なことではない」と申し上げたいと思います。一つ、具体例を挙げます。1980年代半ばにかけての米ソによる東西冷戦の最中、世界には7万発を越える核兵器が存在していました。しかし1986年10月、米国のレーガン大統領とソ連のゴルバチョフ書記長がアイスランドの首都レイキャビクで首脳会談を行ったことを契機に、人々の想像を超えた核軍縮の動きが加速していったのです。今や、現存する核兵器の数は14,450発と見込まれています※10。この例が示しているのは、国際政治に影響力のある指導者の決断一つで、大きな成果が生み出されるということです。核兵器の廃絶は、決して夢物語ではありません。
鍵になるのは、政治指導者による「戦争の文化」から「平和の文化」への改心です。国連教育科学文化機関(ユネスコ)憲章の前文に、「戦争は人の心の中に生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」とあります。立正佼成会の庭野日敬開祖は、1978年6月に国連で開催された「国連軍縮特別総会」で、米国のカーター大統領とソ連のブレジネフ書記長(共に当時)に対して「危険を冒してまでも武装するより、むしろ平和のために危険を冒すべきである」と訴えました。核廃絶の問題がいかに複雑な問題でも、究極的には、心の問題であり倫理的な決断に委ねられているのです。核兵器を発明したのが人間であるならば、人間は、それを廃絶することもできるのです。私たちは、人類に内在する本質的な「人間性」に訴え続けなければなりません※11。
核兵器に対する宗教者の共通認識
核兵器による威嚇またはその使用が国際法に反するかどうかについて、国際司法裁判所が「勧告的意見※12」において、「核兵器の威嚇または使用は(中略)国際法の諸規則に一般的には違反するであろう」と述べてから20周年を記念して、2016年8月に、世界宗教者平和会議(レリジョンズ・フォー・ピース)国際委員会が、東京の国連大学を会場に国際シンポジウムを開催しました。そのシンポジウムには、世界11カ国の宗教指導者はじめ、被爆(曝)者、学者、政治家、NGO関係者、報道関係者、高校生らが出席しました。そこで採択された最終声明文の中に、「核兵器の使用を正当化する道徳、宗教あるいは法律における適法な議論は成り立たず、核兵器の使用は、これまで数世紀にわたって積み上げられてきた国際法と人道法のすべての諸原則に反するということに、私たちは合意した。無差別性を有する大量破壊兵器である核兵器は、本来的に邪悪である。したがって、核兵器の開発ならびに保有さえも道義的に反している」という文言が盛り込まれました。簡潔に言えば、核兵器の存在そのものが、宗教教理に反し、非正当であり、非人道的であり、かつ邪悪であるということです。こうした考え方は、世界の宗教者の共通認識であろうと思います。
日本の宗教者の役割
「核廃絶は実現可能である」という強い信念のもと、日本の宗教者は何ができるのか、いくつか愚案を列挙させていただきます。
1.日本政府に対して:
1)核禁条約への署名と批准を訴える。
2)「核のカサ」から脱却し、北東アジア非核兵器地帯構想が進展するよう働きかける。
2. 世論に対して:
1)「ヒバクシャ国際署名※13」への協力を求める。
2)「北東アジア非核兵器地帯の設置を求める宗教者キャンペーン※14」への協力を要請する。
3.宗教者に対して:
1)核廃絶をいのちの尊厳という視点からとらえ、その必要性を会員・信徒と語る。
2)宗教施設や礼拝所を「非核兵器地帯」と宣言して、非核化運動を後押しする。
3) 宗教界において、宗教協力を通じた核廃絶プログラムの企画・実施に取り組む。
4)核兵器の廃絶に向けて、宗教界の枠を越えて幅広く市民社会と協働する。
最後に、本年8月6日の広島平和記念式典で、子供代表が世界に発信した「平和への誓い」の一節を紹介して、本稿を閉じたいと思います。式典の中で彼らは、「平和をつくることは、難しいことではありません。私たちは無力ではないのです」と語りました。将来を担う子供たちの期待に応えるためにも、私たちは、人間に本質的に具わっている善なる力を信じて、核兵器のない世界を創造するために共に歩んでまいりたいと思います。
※1 この声明に関しては、同委員会ウェブサイト参照。
※2 そのリーダー的存在だったのが、2017年度ノーベル平和賞を受賞した「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)だった。
※3 厳密に言えば、生物兵器・化学兵器・核兵器以外でも、それらと同様の破壊効果を有する兵器も大量破壊兵器の定義に含まれる。
※4 生物兵器禁止条約は1972年4月署名、1975年3月発効。化学兵器禁止条約は1993年1月署名、1997年4月発効。
※5 2017年3月27日に高見澤将林軍縮大使(当時)が演説。
※6 2017年6月16日、官邸エントランスホールでの外務大臣会見での発言。
※7 オランダも当初は交渉会議への出席に躊躇していたものの、国内世論に圧されて出席を決断したとされる。この点に、オランダの市民社会と日本の市民社会の政府に対 する影響力の違いが看取される。
※8 核禁条約第15条で、「50カ国目の批准書が寄託された90日後に条約が発効する」と規定されている。
※9 この保有プルトニウムで、約6,000発の核爆弾が製造できるとされている。
※10 長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)が、2018年6月1日に公表した数字。
※11 核廃絶と戦争の防止を人間性に訴えた好例として、1955年7月の「ラッセル・アインシュタイン宣言」が挙げられる。"Remember your humanity,…(あなた方の人間性 を思い起こしてほしい)"は印象深い一節。
※12 「勧告的意見」の公表は、1996年7月8日だった。
※13 2020年までの核禁条約の発効ならびに核廃絶を目指して、広島と長崎のヒバクシャが中心となってすすめる国際的な署名活動。
※14 世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会とNPO法人ピース・デポが協力して、2016年2月に発足させた国内キャンペーン。
◆神谷昌道(かみや まさみち)さんのプロフィール
1957年神奈川県生まれ。1981年立正佼成会奉職。1987年米国タフツ大学フレッチャー法律外交大学院修士課程修了。1998年10月から2002年3月まで、広島市立大学広島平和研究所・特別研究員として、核軍縮の政策提言に携わる。現在は、立正佼成会軍縮問題アドバイザー。共著に『21世紀の核軍縮−広島からの発信』(法律文化社)がある。