海外委託の核のゴミ処理費、3倍に高騰(朝日新聞2014年5月26日)

2014-05-26 08:35:04 | 日記


青森県六ケ所村に4月、英国から返還された高レベル放射性廃棄物(核のゴミ)の輸入価格が、1本あたり1億2800万円だったことが税関への申告でわかった。過去最高額で、海外に処理を委託した廃棄物の返還が始まった1995年の3倍。管理や輸送の費用がかさんだとみられる。費用は電気料金に上乗せされる。

 原発から出る使用済み核燃料を再処理して再び燃料として使う「核燃料サイクル政策」について、政府は4月、閣議決定した新たなエネルギー基本計画のなかで「推進」するとしたが、再処理で出る核のゴミの費用もかさむことで、サイクル政策の非経済性が改めて浮かんだ。

 再処理事業では新たな燃料のほか、利用不可能で強い放射線を出す高レベル放射性廃棄物も発生する。六ケ所村にある日本の再処理工場はトラブル続きで完成しておらず、電力各社でつくる業界団体・電気事業連合会によると、日本は69年以降、英仏両国に送って再処理を依頼してきた。

 再処理でできたプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料などは英仏から日本の各原発に順次運ばれて一部は使われてきた。一方で、高レベル放射性廃棄物を固めた「ガラス固化体」も95年以降、六ケ所村に返還されている。固化体は円柱形で直径約40センチ、高さ約1・3メートル、重さは約490キロ。地下深くに埋める地層処分を目指すが、処分場の候補地は決まっておらず、六ケ所村の施設内で保管されたままの状態だ。

 固化体の返還は今年4月が16回目で、132本が入った。固化体を所有する各電力会社は「私企業間の契約のため」として価格を明らかにしていない。

 だが函館税関八戸支署への届け出によると、4月に管内に入った固化体の輸入総額は169億3800万円で、1本あたり1億2800万円になる。13年2月の前回は1億2200万円で、95年4月の1回目は4400万円だった=グラフ。

 固化体はテロ対策などのために管理や輸送に厳重な警備が必要となる。また、再処理を委託した英国の工場でトラブルが相次ぎ、事業費もかさんだとみられる。固化体は英国に約640本残っており、19年までに順次運ばれる予定だ。

 使用済み燃料の再処理費用について、各電力会社は電気料金算定のもととなる経費「原価」に組み入れている。東京電力福島第一原発事故後に相次いだ電気料金値上げの際も原価に入れて申請し、認められた。(大谷聡)

大飯原発差し止め判決要旨

2014-05-22 19:00:03 | 日記
大飯原発差し止め判決の要旨  

2014/5/22
 関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止めを命じた二十一日の福井地裁の判決要旨は次の通り。

 【主文】

 大飯原発3、4号機を運転してはならない。

 【人格権】

 個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益の総体である人格権は憲法上の権利であり、これを超える価値をほかに見いだすことはできない。生命を守り生活を維持するという根幹部分に対する具体的な侵害の恐れがあるときは、差し止めを請求できる。多数の人格権を同時に侵害する性質があるとき、差し止めの要請が強く働くのは当然だ。

 【福島原発事故】

 十五万人もの住民が避難生活を余儀なくされ、避難の過程で少なくとも入院患者等六十人が命を失っている。家族の離散という状況や劣悪な避難生活の中でこの人数をはるかに超える人が命を縮めたことは想像に難しくない。原子力委員会委員長が福島第一原発から二百五十キロメートル圏内に居住する住民に避難勧告する可能性を検討したのであって、チェルノブイリ事故の場合の住民の避難区域も同様の規模に及んでいる。

 【求められる安全性】

 原発の安全性、信頼性は極めて高度なものでなければならず、万全の措置をとらなければならない。原子力発電所の稼働は経済活動の自由に属するものであって、憲法上の人格権の中核部分より劣位に置かれるべきものである。

 自然災害と戦争以外で、人格権が極めて広範に奪われるという事態を招く可能性があるのは、原発事故のほかは想定し難い。具体的危険性が万が一でもあれば差し止めが認められるのは当然だ。

 原子力発電技術の危険性の本質及び被害の大きさは福島原発事故で十分に明らかになっている。福島原発事故後、判断を避けることは、裁判所に課せられたもっとも重要な責務を放棄するに等しい。改正原子炉規制法に基づく新規制基準の対象となっている事項についても、裁判所の判断が及ぼされるべきだ。

 【原発の特性】

 運転停止後も、電気と水で原子炉の冷却を継続しなければならない。その間に何時間か電源が失われるだけで事故につながり、発生した事故は時の経過に従って拡大していく。

 施設の損傷に結びつく地震が起きた場合、速やかに運転を停止し、運転停止後も電気を利用して水によって核燃料を冷却し続け、異常が発生したときも放射性物質が発電所外部に漏れ出さないようにしなければならない。福島原発では止めることには成功したが、冷やすことができなかったために放射性物質が外部に放出されることになった。

 【冷却機能の維持】

 一二六〇ガルを超える地震でシステムは崩壊、メルトダウンに結びつく。日本の地震学会は、このような規模の地震の発生を一度も予知できていない。過去のデータに頼らざるを得ないが、正確な記録は近時のものに限られることから、一二六〇ガルを超える地震は来ないとの確実な科学的根拠に基づく想定は不可能。

 国内最大の震度は、岩手・宮城内陸地震における四〇二二ガル。北陸地方や近畿地方とでは地震の発生頻度で有意的な違いは認められない。若狭地方では陸海を問わず、多数の活断層が存在しており、一二六〇ガルを超える地震が大飯原発に到来する危険はある。

 被告は七〇〇ガルを超える地震が起きた場合、対策を順次とっていけば、一二六〇ガルを超える地震が来ない限り、炉心損傷には至らないと主張するが、事態が深刻であればあるほど、適切かつ迅速に措置をとることは難しい。

 七〇〇ガルを下回る地震でも外部電源が断たれ、主給水が絶たれる恐れがある。非常用ディーゼル発電機に頼らざるを得なくなる。補助給水設備による蒸気発生器への給水が行われたとしても、実効性は補助的手段にすぎず、不安定なものといわざるを得ない。

 地震大国日本において、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しないというのは、根拠のない楽観的見通しにすぎない。

 【使用済み核燃料の危険性】

 使用済み核燃料プールから放射性物質が漏れたとき、敷地外への放出を防ぐ設備が存在しない。プール破損によって冷却水が失われれば、危険性は原子炉格納容器と大きな違いはない。使用済み核燃料プールの事故は、国の存続にかかわるほどの被害を及ぼすにもかかわらず、全交流電源喪失から三日以内に冠水状態を維持できなくなる。

 使用済み核燃料は原発の稼働で日々生み出される。国民の安全が何よりも優先されるべきだという見解に立たず、深刻な事故はめったに起きないだろうという見通しで対応している。

 【本件原発の安全性】

 以上に見たように本件原発の安全技術と設備は、万全ではないのではないかという疑いが残るにとどまらず、確たる根拠のない楽観的な見通しの下に成り立つ脆弱(ぜいじゃく)なものと認めざるを得ない。

 【国富の喪失】

 原告は、危険性が極めて高い高レベル核廃棄物の処分先が決まっておらず、この問題が将来の世代に重いつけを負わせることも差し止めの理由とする。現在の国民の法的権利に基づく差し止め訴訟を担当する裁判所にこの問題を判断する資格があるかは疑問だが、現在の安全の脆弱を見ればそれを判断する必要もない。

 被告は原発の稼働が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張する。しかし極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と、電気代の高い低いの問題などとを並べて論じるような議論に加わること自体、法的には許されない。

 たとえ原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではない。豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富で、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失となる。

 また被告は、原発は二酸化炭素(CO2)削減に資して環境面に優れると主張するが、福島原発事故はわが国始まって以来最大の公害、環境汚染だ。環境問題を運転継続の根拠とすることは、甚だしい筋違いだ。

首相の説明 多い矛盾 集団的自衛権(中日新聞 2014年5月17日)

2014-05-17 08:56:40 | 日記
首相の説明、多い矛盾 集団的自衛権容認 

       2014/5/17 紙面から

 安倍晋三首相は、憲法のもとで禁じてきた集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更へ本格的に動きだした。十五日の記者会見では、これまでよりも憲法の平和主義を尊重する考えを押し出して国民に理解を求めたが、行使の必要性をめぐる説明には、さまざまな矛盾や問題点が含まれていた。内容を検証した。

 ■妥当性

 首相は約三十分間の会見で「国民の命と暮らしを守る」と二十回以上も繰り返した。海外で自衛隊の対処が必要な事例として、二枚のパネルを左右に置いて説明。集団的自衛権行使の範囲を限定的にとどめる考えを強調した。改憲問題では踏み込んだ発言をすることが多い首相だが「憲法の平和主義は守り抜いていく」とも明言した。

 しかし、説明にはいくつもの疑問点がある。

 首相は事例の一つに、海外での有事の際に邦人を救出し、輸送している米艦船を防護することを紹介。「自衛隊は守ることができない。これが憲法の現在の解釈です」と断言したが、必ずしもそうとは言えない。

 自衛隊艦船が米艦に近づき、米艦が攻撃されれば、自らへの攻撃とみなし、自らの船を守る権利で反撃できるとの指摘もある。ある防衛省幹部は「現在の憲法解釈でも可能」と話す。公明党は自国が攻撃されたときに反撃する個別的自衛権などで対応できると主張する。

 もう一つの事例として首相が挙げた国連平和維持活動(PKO)での自衛隊による「駆け付け警護」も、憲法が禁じている武力行使とは関係なく、今の解釈でも可能という議論がある。何より二つを持ち出した首相自身が、集団的自衛権に当てはまる活動だと明確に言わなかった。集団的自衛権とは限らない事例を使い、解釈改憲の必要性を訴えていたことになる。

 ■集団安保

 国連を中心とした武力行使の枠組みである集団安全保障(集団安保)をめぐっても、集団的自衛権との関係で矛盾があった。

 首相は集団安保への参加に関し「これまでの憲法解釈と論理的に整合しない考え方だ」と否定。これに対し同じく従来の憲法解釈では論理的に整合しないとしてきた集団的自衛権の行使容認には「限定的な行使は許されるという考え方の研究を進めたい」と表明した。

 集団安保も集団的自衛権も、海外での武力行使なのは同じ。国連の集団安保による多国籍軍が編成された一九九一年の湾岸戦争は、初めは集団的自衛権が適用された。二〇〇三年のイラク戦争では、英国が集団安保の枠組みよりも米国との同盟関係を重視して加わった。首相は集団安保に参加しないことを理由に「湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加することはない」と言い切ったが、集団的自衛権の行使を容認すれば可能性がないとはいえない。

 ■誘導

 論理ではなく、感情論で訴える場面も目立った。

 首相はパネルにこだわり米艦防護の事例では乳児や母親を入れて作り直すよう指示。会見では「逃れようとしているのがお父さんやお母さんやおじいさんやおばあさん、子どもたちかもしれない」などと訴えた。

 沖縄県・尖閣諸島周辺への中国船侵入問題や北朝鮮のミサイルが日本全土を射程に入れていることも強調。「机上の空論ではない」「人ごとではない」と主張したが、他国を守る集団的自衛権と何の関係があるかの説明はなかった。

 首相は会見後に「こう説明していけば国民の理解が得られる」と満足そうに語ったというが、公明党幹部は「赤ちゃんの絵などで感情に訴えることに力を入れていたが、あれでは何でも集団的自衛権を行使しないといけないと聞こえる。誤った誘導だ」と批判する。

国民は戦争を望まない 中日新聞東京本社主幹・山田哲夫(2014年5月16日)

2014-05-16 08:02:18 | 日記


国民は戦争を望まない 東京本社論説主幹・山田哲夫 

2014/5/16 朝刊
 安保法制懇の憲法解釈変更による集団的自衛権行使容認は、戦後の平和主義を捨て、戦争のできる普通の国へとの提言だ。国を守る気概はもたなければならないとしても、国民は戦争をする国を望まない。

 安保法制懇は元外務事務次官、元防衛事務次官、憲法、国際法学者らの首相と考えを同じくする識者の会だが、その分野の主流派や多数派を代表しているわけではない。むしろ集団的自衛権行使が憲法解釈の変更によって可能とする主張は学会の少数派だし、砂川事件の最高裁判決が集団的自衛権を容認しているとの見解も異端だ。

 これまでも歴代政府は、憲法九条から集団的自衛権は行使できず、時々の政府判断によって解釈変更はできない、行使できるようにするには憲法改正が必要-としてきた。そこには時の内閣の短絡や暴走を防ぐ立憲主義や法の支配への誠実や忠実があり、何より三百十万人の犠牲を出した先の大戦への深い悔恨があったからだろう。

 他国の戦争に自衛隊が参加する集団的自衛権の行使容認は、歴史の反省に立つ平和主義憲法の根幹を変えてしまう。容認するにしても、小手先の解釈変更でなく、憲法改正の正統な手続きで国民的議論と合意の正攻法で行われるべきだ。

 集団的自衛権行使容認に日米同盟強化や戦争抑止がねらわれているとしても、地域に平和と安定をもたらすかどうか疑わしい。相互理解を欠く猜疑(さいぎ)が軍備増強の口実を与え、いわゆる安保のジレンマの軍拡競争を招きかねないからだ。

 限定容認の条件を付けても一度解かれた封印は歯止めを失う。かつてのベトナムやイラクのような誤れる戦争にも自衛隊は参戦を余儀なくされるだろう。平和主義と専守防衛の枠内で知恵と工夫を凝らすのが日本の未来を拓(ひら)く道だ。

 戦中派歌人、岡野弘彦さんの歌に<親ゆづり 祖父(おほぢ)ゆづりの 政治家(まつりごとびと) 世に傲(おご)り 国をほろぼす、民を亡(ほろ)ぼす>がある。戦争を知らず、歴史への洞察を欠く二世、三世議員たちに国をゆだねる危うさ。そのために憲法の制約もある。隣国との関係に心を砕くべきだ。



傾く平和、歯止めを 集団的自衛権 

2014/5/16 朝刊

首相官邸前で抗議活動の合間に、プラカードを見つめる女性=15日午後、東京・永田町で
◆広く声聞け

 「積み上げた平和が崩れてしまう」「戦争に巻き込まれる危険がある」-。安倍晋三首相が集団的自衛権の行使容認を目指す方針を表明した十五日、憲法の平和主義が転換するのではないかとの懸念が各地に広がった。解釈改憲をしてまで容認を急ごうとする首相。国会で、沖縄で、そして中部地方の街で、「歯止めを」との声が響いた。

 安倍首相が官邸で記者会見に臨んだ午後六時。名古屋市では市民グループ「愛知県平和委員会」のメンバーが街頭に立ち、「集団的自衛権の行使容認は戦争への道だ」と訴えた。

 帰宅途中の会社員や買い物客でにぎわう繁華街・栄の交差点。メンバーは声をからしながら行き交う人にチラシを渡し、解釈改憲に反対する署名も呼び掛けた。矢野創事務局長(41)は「行使を認めれば、イラク戦争のようなケースで日本も参戦に追い込まれる。今まで積み上げた平和な国が崩壊してしまう」と危機感を募らせる。

 東京の首相官邸前では、「戦争反対」などと抗議する多くの人が長い列をつくった。

 都内の会社員(57)は「こんなに簡単に長年守ってきた国の方針を変えてもいいのか」と憤った様子。五人の孫がいるという無職の女性(68)は「平和が当たり前と思っていたが、日本が戦争できる国になる。首相は反対する国民の声にも耳を傾けて」と注文を付けた。

 十五日に本土復帰から四十二年を迎えた沖縄では、平和の大切さを訴える「平和行進」の結団式が那覇市で開かれた。実行委員長を務める沖縄平和運動センターの山城博治議長は「一九七二年の復帰後も変わらない米軍基地に抗議しよう」と声を上げた。

 式の前には琉球大大学院の高良鉄美教授が講演。「県民は七二年当時、平和主義の憲法の下で基地から解放されると思って復帰を望んだが、米軍基地はなくならなかった」と説明した。

◆国際状況悪化、賛成の声も

 集団的自衛権の行使を認める安倍首相の方針に、中部地方の市民団体などから賛否の意見が出た。

 愛知県豊橋市を中心に活動する「東三河九条の会」事務局の杉浦雄司さん(68)は「近隣との対立を自らあおっておいて、『国民を守るため』と解釈改憲を進めるのはおかしい」と批判。「(首相の私的諮問機関は)いかにも第三者が議論したように見せているが、最初から結論ありきで、このまま進むのが怖い」と懸念する。

 三重県鳥羽市の「とば九条の会」事務局の山本弘さん(61)は「安倍首相の『私が代表者だから私が決める』という姿勢が、まずおかしい。言葉で本質をごまかそうとしている」と痛烈だ。「自衛と言っても、他の国の戦争の手助けをすることになる。戦後、日本が国際社会から信頼を得てきたのは、人の血を流さなかったからなのに、何の得があるのだろうか」

 一方、改憲を主張してきた民間団体「日本会議岐阜県本部」(岐阜市)の馬渕雅宣専務理事(57)は「九条改正は必要だが、時間がかかるから」と、解釈改憲に理解を示した。「取り巻く状況は劇的に悪化している。安全保障の強化が急務だ」と首相を後押し。武力攻撃に至らない「グレーゾーン」についても「法的に不備がある。自衛隊法の早急な改正が必要だ」と主張する。

 愛知県小牧市などの元自衛隊員約五十人でつくる県隊友会小牧支部の泉保二支部長(77)=同市久保一色=も容認を支持。「ただし、国民を巻き込む戦いはしてはならない。集団的自衛権という(政治的な)カードを持った上で、相手国と話し合いで紛争を解決するといった考えを国の指導者は持ってほしい」と話した。



「主観的な正義」は危険 作家・保阪正康氏に聞く 

2014/5/16 朝刊
 戦後の安全保障の大転換を図る安倍政権について、昭和史に詳しいノンフィクション作家の保阪正康氏に聞いた。

 集団的自衛権の必要性を説くとき、「同盟国・日本のために米青年が血を流すのを黙って見てられるか」と語る。日本人なら当然そう思う。靖国参拝も「首相が戦争で亡くなった人を追悼するのは当然」と力説し、私も国民誰しも「そうだ」と思う。

 しかし、冷静に考えると、戦後六十九年そんなことは一度もなかったことへの説明がない。

 靖国もなぜ米、欧州連合(EU)まで反対するのか説明がない。安倍首相の論理は、反論できない言葉が先行し、前提条件と結論がつながっていない。「美しい国」「積極的平和主義」も同じだ。

 言葉だけで国民をそう思わせる「情念的感情的政治」は戦前にもあった。五・一五事件や二・二六事件後、軍事指導者たちが盛んに「非常時」という言葉を使い、議員も庶民も世の中全体が「非常時」と思うようになった。しかし、両事件も満州事変も軍が自作自演したものだ。

 「わが国を取り巻く環境が急速に悪化」との言葉もよく使われるが、今の中韓との緊張は安倍首相に責任がないとは言えない。安倍首相は「東京裁判は戦勝国の一方的裁判だ」と言う。そういう一面もあるが、欧米は反ファシズム戦争で民主主義勢力が勝利したと考えている。「戦後レジームからの脱却」を唱える姿は「日本は反省せず、欧米の歴史観に異議を申し立てている」と疑念を抱かれている。

 日本がおかしくなっていく昭和十年代、「日本的で主観的な正義」が声高に叫ばれた。

 太平洋戦争の開戦前、東南アジアに南進する際も「米は怒らないだろう」と客観性を欠いた見通しがはびこった。今の日本も世界の潮流が見えず、政党も国民も、主観的判断で政策を判断してしまう岐路にある。

 しかし、議会政治を守ろうと演説した斎藤隆夫議員が帝国議会の投票で除名されるような戦前の歴史は繰り返さないだろう。自民党は「腐っても鯛(たい)」。自民党も公明党も、安倍首相の独善的空間だけで支配できる政党ではないはずだ。