諫早湾、遠い潮目 訴訟17年、見えぬ妥協点 (2019年9月14日 中日新聞)

2019-09-14 08:23:58 | 桜ヶ丘9条の会
諫早湾、遠い潮目 訴訟17年、見えぬ妥協点 
2019/9/14 中日新聞

 国営諫早湾干拓事業を巡る請求異議訴訟で、最高裁は十三日、審理を福岡高裁に差し戻した。潮受け堤防の排水門を開けるかどうかを巡り、十七年続く法廷闘争の決着は先送りとなった。国と漁業者はともに話し合いによる解決を望んでおり、高裁では和解協議が再び始まる可能性がある。だが、双方の主張には大きな隔たりがある。妥協点を見いだせるかどうかは全く見通せない。

◆事情変更

 「勝利の判決だ。高裁の判決がいかにでたらめだったかが証明された」。漁業者側の馬奈木昭雄弁護団長は判決後の記者会見で、裁判やり直しの判断をこう評価した。
 国が起こした今回の訴訟は、「開門」を命じた二〇一〇年十二月の福岡高裁判決が確定した後の「事情変更」を認め、判決を無効化できるかどうかが争われた。
 一八年七月の福岡高裁判決は、漁業者側の漁業権が一三年八月に期限切れになったとし、これが事情変更に当たるとして国勝訴の結論を導いた。他方、漁獲量の増減や対策工事の可否などの主要争点には触れず、漁業者側から「有明海の問題に正面から向き合っていない」との批判を浴びた。
 今回、最高裁が審理を差し戻し、漁業者側は喜びの声を上げたものの、結論が先延ばしになっただけとの見方もできる。判決は裁判長の補足意見として、開門を命じた確定判決が今後の審理で無効になる余地が十分にあることも示唆した。

◆分断

 諫早湾干拓事業の起源は一九五二年に長崎県が立ち上げた「長崎大干拓構想」にさかのぼる。当時は、山がちで急傾斜地の多い長崎県で食料生産を増やすことが事業の主目的だった。
 だが、農林省(当時)は六〇年代半ばのコメの豊作を機に生産抑制に転じ、七一年には生産調整(減反)を開始。農地面積は六一年の六百八万ヘクタールをピークに減少を続けた。その一方で、食の欧米化により食品の輸入が増加。食料自給率は低下を続けた。
 食料事情が大きく変化する中でも、国は事業を推進し続けた。結果的に、漁場悪化を懸念する漁業者と、干拓地の塩害被害におびえる営農者の分断を招くこととなった。

◆合意形成

 国も漁業者も長年の問題にピリオドを打つため、和解を望んでいる点は共通する。だが目指す方向性は大きく異なる。
 国は二〇一六年、開門しないまま有明海再生のため総額百億円の基金創設案をまとめた。福岡高裁は一八年三月、これに沿う形で、開門しないという前提で基金による解決を図るとする和解勧告案を提示した。
 これに対し、漁業者側は「裁判所は国の立場に立っている」と拒否。開門しない前提は絶対に受け入れないとし、上告審では、全開ではなく一定レベルの開門によって当事者の利害を調整する和解案を最高裁に出した。営農者の受ける被害は限定的になるとし、想定外の被害が出た場合に備えた基金の創設も提唱。馬奈木弁護団長は「農業も漁業も成り立つ和解はあるはずだ」と話す。
 国とは平行線のままだ。農林水産省農地資源課の北林英一郎課長は判決後、長期化が予想される今後の訴訟について「誠意を持って対応したい」と話したが、具体策を問われると「開門しない」とした従来の方針を淡々と繰り返した。
 横浜国立大大学院の宮沢俊昭教授(民法)は「今後、司法判断のねじれが解消されたとしても、地域社会のしこりは残ったままだ。国は訴訟当事者としての立場にとどまらず、将来の合意形成を進める必要がある」と指摘した。