参院定数判決 改革の道停めかねない(2017年9月28日朝日新聞)

2017-09-29 08:48:19 | 桜ヶ丘9条の会
[朝日新聞] 参院定数判決 改革の道止めかねない (2017年09月28日)
自ら促してきた改革の歩みを止めかねない判決だ。司法の使命の放棄といわざるを得ない。

いわゆる一票の格差が最大で3・08倍あった昨年の参院選について、最高裁大法廷は合憲と判断した。選挙に先立ち、徳島と高知、鳥取と島根をひとつの選挙区にする「合区」を行ったことなどを、「これまでの最高裁判決の趣旨に沿って是正が図られた」と評価した。

なるほど格差はかつての5倍程度から縮小はした。それでも1人1票ならぬ1人0・3票の価値しか持たない国民が大勢いる。今回の判決には、その視点が決定的に欠けている。

参院議員の任期は6年。解散はなく半数ずつ改選のため、国政に長く影響力がおよぶ。その議員の選出方法が法の下の平等に反し、民意を適切に反映しなければ、正統性はゆらぎ、判断にも疑問符がつく。

その旨指摘してきたのは、ほかならぬ最高裁ではないか。

何より、先の是正が不十分なことは国会自身が認めている。公職選挙法の付則に、次の参院選にむけて制度の抜本的な見直しを検討し「必ず結論を得る」と書きこんだ。是正策はいろいろ考えられたのに、影響をうける関係者をなるべく少なくしようという、内向きの発想でまとめた措置だったからだ。

この判決で「3倍程度は合憲」との考えが独り歩きし、改革の機運がしぼむのが心配だ。定数是正をめぐる国会の怠慢・裏切りは何度もくり返されてきた。司法が一歩後ろに引いてしまったいま、国民が引き続き目を光らせる必要がある。

参院議員の定数配分をめぐっては別の問題もある。

今回、違憲判断は免れたが、合区が解消されるわけではない。このため自民党内には、常にどの県からも少なくとも1人の議員を選べるよう、改憲すべきだとの声がある。衆院選の公約に掲げられる見通しだ。

だがこれは、生煮えで無責任な主張というほかない。

「少なくとも1人」案は、参院議員を「全国民の代表」から「地域の代表」に変えることを意味する。そうなれば、参院にいまと同じ権限や役割を負わせるのは難しくなる。衆院とどうすみ分け、参院はいかなる仕事を担うのか。地方自治について定めている憲法の他の条文との整合をどう図るのか。

こうした点まで検討を深め、考えを示すのが、政党の当然の責務だ。それを怠ったまま「合区解消」「地方重視」と聞こえの良いことだけ唱えるのは、不誠実のそしりを免れない。

フクシマが認めない 柏崎刈羽原発「適合」(2017年9月28日中日新聞)

2017-09-28 09:34:21 | 定年後の暮らし春秋
フクシマが認めない 柏崎刈羽原発「適合」  

2017/9/28 中日新聞
 「ほかとは審査のレベルが違う」と言いながら、原子力規制委員会はすんなり、柏崎刈羽原発再稼働への道を開いた。フクシマは認めてくれるだろうか。

 規制委は東京電力柏崎刈羽原発の再稼働の是非にかかわる審査に際し、原発運転の「適格性」という、法律に定めのない領域に踏み込んだ。

 福島の事故を引き起こした東電に再び原発を動かす資格があるかないかの判断だ。

私たちも忘れていない

 東電の隠蔽(いんぺい)体質の根深さを、私たちも忘れていない。

 二〇〇二年、原子炉内のひび割れを隠すなど点検記録の改ざんが長年続いていたことが、内部告発で発覚した。

 3・11後も変わらなかった。柏崎刈羽で昨年十月、東電が「ない」と主張していた液状化による防潮堤損傷の恐れが「ある」と分かった。

 この二月には、災害時の指揮所になる免震重要棟の耐震不足を約三年間、規制委に報告していなかったことが明るみに出た。

 そもそも福島第一原発で、十五メートル超の津波が予想されながら、十分な対策を怠った隠蔽と安全軽視の体質こそ、長い悲劇の始まりだった。時間をかけて、よほどの覚悟と具体的根拠を見せないと、国民の不信と不安はぬぐえまい。

 一昨年暮れ、本紙と新潟日報の共同世論調査では、東電を「信頼できない」と答えた人が、新潟でも東京でもほぼ五割、新潟では信頼派の四倍以上に上っていた。

 つい先ごろまでは規制委も、福島の事故を起こした東電には、特別に厳しい顔を見せていた。

 七月に、東電のトップを呼んで柏崎刈羽の安全対策に取り組む姿勢をただした際、当時の田中俊一委員長は「福島の廃炉をやりきらなければ、柏崎刈羽を動かす資格はない」と言い切った。

なぜ君子は豹変 (ひょうへん)したか

 これに対し、東電側が「廃炉をやり遂げる」という一片の文書を提出するや、風向きは一変した。

 かつて求めた福島第一原発の汚染水処理や溶融核燃料(デブリ)の取り出しなどに関する解決策も示されぬまま、安全に対する東電の決意を保安規定に盛り込むことを条件に、原発運転の適格性を認めてしまう形になった。

 その間何があったのか。議論の透明性と説明責任-。3・11の教訓に立つ原発規制の基本ではなかったか。規制委の判断の的確さにも疑問の声が相次ぐ中、なぜ再稼働を急ぐのか。

 福島の事故処理にかかる費用は、現時点で二十二兆円近くに上ると試算され、さらに膨らむ見込みという。そのうち十六兆円を東電が負担する。

 膨大な負債を抱えた中で進める経営改善の柱になるのが、唯一残された柏崎刈羽原発なのだ。

 再稼働が実現すれば、一年で一千億~二千億円の増益が見込まれる。補償のための再稼働と言いたいのなら本末転倒だ。

 新潟日報が一昨年秋、柏崎刈羽地域の企業百社を対象に実施した調査によると、七割近くが「原発停止の影響はない」と回答した。

 調査に参加した新潟大の藤堂史明准教授は「原発には長期的に地域経済を拡大させる効果はない」と断じている。

 福島の事故は教えている。原発は巨大な経営リスクにほかならない。一企業はおろか、政府にさえ、背負いきれるものではない。福島の賠償や除染費用も、電気料金や税金に転嫁され、結局、国民全体で穴埋めしていくことになる。

 この上新たな事故が起きればどうなるか。民間の保険の支払い限度は、一原発千二百億円だ。補償がなされる保証はない。

 そしてさらに、福島の事故原因は未解明、日本は世界有数の地震国…。今、東電に原発運転の適格性を認めるということは、国民の目線で見れば、納得のできるものではない。不安と不信はなお募る。

 九州電力川内原発などの時とは違い、新潟県の米山隆一知事は「福島第一原発事故の県独自の検証に三~四年はかかる。それまでは(再稼働を)認めるつもりはない」との立場を崩していない。

審査体制の再構築を

 そう、今回、はっきりしたことが二つある。

 一つは、規制委の審査適合は再稼働の合格証ではないということ。このことは規制委自体も「安全を保証するものではない」(田中前委員長)と示唆してきた。

 もう一つは、原発事業者の適格性や安全文化を審査するには、技術者ばかりの規制委の現陣容では不十分だということだ。

 指針づくり、法整備に加えて審査体制の再構築が、必要になったということだ。
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「安倍政治」への審判だ 衆院28日解散(2017年9月26日中日新聞)

2017-09-26 07:29:54 | 桜ヶ丘9条の会
「安倍政治」への審判だ 衆院28日解散  

2017/9/26 中日新聞
 安倍晋三首相が臨時国会冒頭の衆院解散を表明した。総裁として率いる自民党の政権復帰から五年近く。「安倍政治」に国民が審判を下す機会としたい。

 二十八日に召集される臨時国会の冒頭、衆院が解散され、衆院選が十月十日公示、二十二日投開票の日程で行われる。

 四年の任期のうち二年九カ月がたつ。前例によれば、いつ解散があってもおかしくない時期だが、やはり、なぜ今、という素朴な疑問は残る。共同通信社の全国電話世論調査で、この時期の解散に64・3%の人が反対している。

消費税を大義に掲げ

 首相はきのうの記者会見で、衆院解散の理由に、消費税率10%への引き上げで増えた税収の使い道を見直すことを挙げ、「国民との約束を変更し、重い決断を行う以上、速やかに国民の信を問わねばならない」と述べた。

 また、核・ミサイル実験を繰り返す北朝鮮に毅然(きぜん)と対応するため「選挙で信任を得て、力強い外交を進める」と強調した。首相自ら「国難突破解散」と名付けた。

 それらは重要な問題ではある。特に、議会制民主主義の成り立ちにかかわる税金の使い道は、選挙で信を問うべきものではある。

 とはいえ、任期を一年以上残す段階で、急いで解散する大義としては、根拠薄弱の感は否めない。

 むしろ、民進党の混乱や小池百合子東京都知事が関与する国政新党の準備が整わないうちに解散に踏み切った方が自民党に有利との判断があるのではないか。

 内閣不信任決議案の可決や信任決議案の否決に関係のない衆院解散について、歴代内閣は「内閣の助言と承認」により天皇が衆院解散などの国事行為を行うと定めた憲法七条を根拠としてきた。

憲法軽視の審議封じ

 七条解散は慣例化しているとはいえ、政権与党の都合による衆院解散には「解散権の乱用」との批判がこれまでもあった。

 解散はやはり、政府提出の予算案や重要法案が否決された場合や国論を二分する問題が生じたときに限るべきではないか。解散権の制限が法律で可能かどうか、まず検討すべきであろう。

 むしろ問題は、冒頭解散だ。

 臨時国会の召集は「森友」「加計」両学校法人をめぐる問題と安倍首相らとの関わりを解明するため、野党側が憲法五三条に基づいて求めていたものだ。

 安倍内閣は閉会中審査に応じたとはいえ、召集要求を三カ月も放置した上での冒頭解散である。

 首相は会見で「憲法上問題はない」と強調したが、憲法軽視との誹(そし)りは免れまい。解散するにしても、せめて首相の所信表明演説や各党代表質問、委員会質疑などの審議後にすべきではなかったか。

 首相自身、選挙戦での厳しい追及を覚悟しているようだ。選挙を経たといっても帳消しになるわけではない。政治と行政との関係の根幹に関わる問題だ。衆院選後も引き続き国会で真相解明に努めるべきは当然だろう。

 衆院選は各党・候補者が政策を競うと同時に、政権与党にとっては実績評価の選挙でもある。

 安倍政権は六月閉会の通常国会終盤、「共謀罪」の趣旨を含む改正組織犯罪処罰法の成立を強行した。二〇一四年十二月の第三次内閣発足後に限っても集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法の成立強行など、強硬な政権、国会運営が目立つ。

 今回の衆院選では、消費税の使途変更などの政権公約と同時に、安倍内閣の政治姿勢全般、いわゆる「安倍政治」についても、その是非が問われるべきであろう。

 首相が会見で憲法改正に言及しなかったことが気掛かりだ。断念したのなら一つの判断だが、公約には明確に掲げず、選挙後に強引に進めるのは国民を欺く行為だ。引き続き改憲を目指すのなら明確に語り、判断を仰ぐべきである。

 野党共闘の行方とともに衆院選結果を大きく左右しそうなのが、小池氏が代表として率いる国政新党「希望の党」の動向だ。東京都議選大勝の勢いに乗り、国政にも新しい風を吹かせたいのだろう。

「小池新党」見極めて

 しがらみのない政治や徹底した情報公開、女性活躍政策などを掲げるが、急造新党が国政を託すに足るかどうかや、安倍自民党との距離をどう保つのかなどを、慎重に見極める必要がある。

 政権選択選挙とされる衆院選である。多少手間がかかっても、各党・候補者の公約を比較し、貴重な一票を投じたい。自分の考えに合致する投票先が見当たらなかったら、「よりまし」と考える政党や候補者に託すのも一手だろう。

 棄権や浅慮の「お任せ民主主義」ではなく、自らの意思を示すことだけが政権の在り方を決める。私たち有権者の責任でもある。
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首相の冒頭解散 違憲の疑いないか(2017年9月25日中日新聞)

2017-09-25 15:04:21 | 桜ヶ丘9条の会
首相の冒頭解散 違憲の疑いはないか 

2017/9/25 中日新聞
 安倍晋三首相が二十八日召集の臨時国会の冒頭で衆院を解散するという。野党による憲法規定に基づく臨時国会の求めは六月下旬からだ。解散でそれも流れてしまう。違憲の疑いが出てこよう。

 「権力者が都合のいいときに解散する。過去になかったことではないか」

 かつて衆院議長をつとめた河野洋平氏は二十日に東京都千代田区の日本記者クラブで語った。加計学園問題などで野党が臨時国会の召集を求めていたことにも触れ、「(首相が)一度も丁寧な説明をしないで解散するのは理解できない」と述べた。

 吉田茂首相の抜き打ち解散をめぐって、一九六〇年の最高裁判決がある。高度に政治性のある国家行為は裁判所の審査権の外にあり、最終的には国民の政治判断に委ねられる。これが首相の解散権の判例である。「審査権の外」だから、首相による解散権の行使は裁判所から自由に行われる。

 だからといって、「法からの自由」ではない。憲法学の泰斗・芦部信喜著「憲法」(岩波書店)には次のように記されている。

 <内閣に自由な解散権が認められるとしても、解散は国民に対して内閣が信を問う制度であるから、それにふさわしい理由が存在しなければならない>

 政府提出の重要法律案の否決、予算案の否決…、最高裁判決の中でも例示があった。

 解散権のような権限は本来、権力者が好き勝手に振り回してはいけないものなのだ。成文化されてはいないが、「法」に潜むブレーキである。権力の自己利益のための解散は「非立憲」、つまり憲法に基づく政治である「立憲」ではないとみなされる。

 今回の場合は野党四党が憲法五三条を使い臨時国会を六月二十二日に求めたことがポイントだ。この条文はいずれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は臨時会を召集せねばならない。もう三カ月もたつ。

 条文に期限は書いていないが、常識的に考えて合理的期間はとうに過ぎていよう。かつ二十八日に開かれる臨時国会を冒頭で解散するとすれば、総選挙が行われ、国会審議はますます遠のく。憲法五三条に反する疑いが生じてくる。

 首相の解散権を制約する主要先進国からみれば、「乱用」と映るかもしれない冒頭解散劇になる。二十五日の首相の会見ではしっかりした説明を聞きたい。

原発・千葉訴訟 論理が後退している(2017年9月23日中日新聞)

2017-09-23 09:15:31 | 桜ヶ丘9条の会
原発・千葉訴訟 論理が後退している 

2017/9/23 中日新聞
 >津波を予見できた。それは千葉地裁も認めたが、事故を回避できなかった可能性がある-。福島第一原発事故の損害賠償を求めた判決は、三月の前橋地裁判決から論理が大きく後退した。残念だ。
size="4">不当判決」と原告側弁護士は法廷を出て述べた。それは判決の論理が、原告側が主張したものとは全く違っていたからだ。津波と事故の因果関係から、国や東京電力に法的責任があることを明確にすることだ。 color="red">ところが、千葉地裁の論理は異なる。例えば十メートルを超える津波が来ることは予見できたと認めても、当時は地震対策が優先課題だったとする。津波の長期評価には異論もあったから、対策を講ずる義務が一義的に導かれるとはいえない-。こんな論法を進めるのだ。
color="red">裁判官がこんな論理を使って、全国各地の原発の再稼働を認めていったらたまらない。原発事故は一回起きてしまったら、もうそこには住めなくなる。放射能がまき散らされて、どんな被害が起きるのか、いまだに不明な状況なのだ。 color="red">原発事故の同様の訴訟は全国約三十件あるという。一件目が前橋、二件目が千葉だ。被害は広く、継続し、深刻である。不可逆的でもある。裁判官にはその重みを知ってほしい。